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フランシスコ・ザヴィエルの生涯 ニコラオ・ランチロット

2021-02-14 | コラム



Vita s.Francisci Xaverij セント・フランシスコ・ザヴィエルの生涯(伝記かな?) という本らしい。

どうもラテン語のようだ。
嬉しいことにgoogle翻訳にはラテン語もあるので、こちらを参考にしてみたい.
英語の語源もラテン語が50パーセント、イタリア語の親分もラテン語という事なので、まずは始めてみよう!
…とはじめて見たが、その部分だけでは全く意味が解らなかったので、パスしよう。

その前に、このニコラオ・ランチロットはどのようなことをした人物なのかを調べてみた。
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/27/pub_kaigai-iezusu-yaku-01-jou.html

イエズス会司祭ニコラオ・ランチロット フランシスコザビエルの片腕的存在であったようだ。
ランチロット作成の報告書には、日本人アンジロー(もしくはヤジロー)からの聞書きが入っている。
そのアンジローからの内容は日本における政治体制・宗教・日本の政治・軍事・貿易等について多岐にわたっていたそうである。

ザビエルの執筆では、マラッカにおけるアンジローとの出会いが書かれているそうである。
ゴアでキリスト教に改宗したアンジローがマラッカに渡航した事情やゴアに至ってキリスト教の洗礼を受けるに至った経緯をローマのイエズス会総会長イグナティウス・デ・ロヨラに書き送ったものもあるそうである。


ニコラオ・ランチロットが登場する部分 
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/253933/1/asia18_13.pdf

<論文>聖フランシスコ・デ・ザビエル書簡における僧侶像 --好意的な印象から好戦的な態度へ- メナチェ, アンドレス著
京都大学学術情報リポジトリ 紅 より
ニコラオ・ランチロット(Nicolao Lancilloto)は1541年イエズス会士に入会し、1545年ゴアに到着。
ザビエルの留守の間、ゴアの聖パウロ神学院の院長になる。ザビエルが日本へ出発するまえに、彼の依頼に従い、アンジロウから聴いた日本情報に基づいて、ゴアで1548年に「日本情報」を作成した。ランチロットはまず宗教者としてアンジロウから日本宗教の基礎について尋ねており、釈迦の生涯や僧侶と民衆の信仰生活を描いている。そのあと、ジョアン三世の依頼のため、さらに日本における政治や戦争について報告書を書く。ランチロットの報告書はヨーロッパ人による最初の日本報告として知られ、ザビエルの書簡に同じ情報が繰り返されることが多いため、彼が持った日本のイメージに大きな影響を与えたと考えられている。

岸野久『西欧人の日本発見―ザビエル来日前日本情報の研究』吉川弘文館、

アンジロー、情報源はアンジローだったのである。

デ・アンジェリスの第一回目の記事に
「イエズス会とは、16世紀の宗教改革の時代に、1534年8月15日、イグナチオ・デ・ロヨラとパリ大学の学友だった6名の同志が始めた会である。イエズス会では、日本の歴史の教科書にも必ず出てくるフランシスコ・ザビエルが有名である。
ザビエルは1541年にインドのゴアへ赴いた。
ゴアはアジアにおけるイエズス会の重要拠点地であった。
ザビエルはインドで多くの信徒を獲得し、偶然出会った日本人ヤジロー(アンジロー?)の話から日本文化に興味を覚えて1549年に来日し二年ほど滞在した。」

この辺りから、イエズス会の日本熱が始まったようである。


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