佐々木義清の孫の世代。佐々木秀義の曾孫世代のことである。
まだ調べ始めたばかりだが、そのあたりから佐々木氏と千葉氏の婚姻関係が見えてくる。
北条氏・宇都宮氏・三善氏・二階堂氏とも婚姻関係はあったので、鎌倉幕府の中のメンバーとはそれまでもあったことになる。
が、「胤」という千葉氏の通字が出てくるのが、この世代である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/37/08897cfe12e0eee70d2e2acf22cc6cf2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/a6/bb6d593b67220e16f1d1eb5b4e2f966f.jpg)
佐々木加地氏の信実の息に「胤朝」が見える。
信実の孫に「胤時」が見える。(東郷氏)その次の代には「飽浦胤泰」
そして、さらに時代が進み佐々木京極氏となる氏信の妹が「千葉介胤綱」の妻となり、その娘が「武石胤氏」(四郎左衛門尉)の妻となる。
さらに、その胤氏の息「武石宗胤」(肥前守)が氏信の娘を娶り、重縁となっている。
千葉氏HP「武石氏」http://chibasi.net/takesi.htm
その宗胤の息が「武石胤継 (1272-1331?)」となる。亘理四郎左衛門尉であるともいわれているそうである。
その他にも以前記事にしたが、出雲佐々木氏の義清の孫にあたる娘が「東六郎室」となっいる。こちらも千葉氏の一族である。
===*===
さらに、高島氏となる高信の息である永田(長田)胤信の「胤」もそうなのではないかと思う。
しかし、次の世代には「長綱」となっている。が、號「原殿」となっており、そこが気になっている。
千葉氏に近い関係に「原氏」と呼ばれる一族はいくつあるのだろう。3つ以上はあると思う。
白井氏・臼井氏・熱田神宮関係の「原氏」である。私にはなかなか区別がつかない。
もしかすると千田氏の中の原氏も別なのだろうか?
近江国の蒲生氏の中にも「原氏」がいるそうなので、千葉氏の中とは限らないが…今は「千葉氏周辺の原氏」と限って考えていこうと思う。
永田氏とはつながりが深かった「九里氏」なので、千葉頼胤の周辺にいた「原氏」が一番怪しいように思う。
この辺りから、調べてみよう。
千葉介頼胤のページに「近江大夫判官氏信」がでてくる。この人物は佐々木氏と思われる。
その一部をお借りしようと思う。
https://chibasi.net/souke13.htm
建長3(1251)年12月26日、鎌倉で近江大夫判官氏信と武蔵左衛門尉景頼の両名が「了行法師、矢作左衛門尉千葉介近親、長次郎左衛門尉久連等」を生虜る事件が勃発した。「謀叛之企」のための捕縛であった。謀叛の首謀者とされた「了行法師」は九条家と所縁の深い僧侶で、出自は千葉氏と同族の原氏とされている人物である(野口実『了行とその周辺』:「東方学報」京都大学人文科学研究所2001)。連行された彼らは得宗被官の「諏方兵衛入道蓮仏」の尋問を受けて、記録上では「逆心」を認めた。そして翌27日には早くも処刑および追放されている。「謀叛」とは、「光明峯寺禅定殿下」こと九条道家禅門とその子・藤原頼経禅門(前将軍)が黒幕となり、九条家と所縁の深かった三浦氏とその縁者・上総千葉氏の残党による幕府転覆計画とされている。
===*===
千葉氏の中の「原氏」次の記事に書きます!