今日は、論文の続きを、久里双水古墳に関係のある部分を中心にまとめていきたいと思う。
古墳時代開始前後における 西北九州地域の鏡とその変遷
辻 田 淳一郎 著
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/4372119/158_pa049.pdf
久里双水の周辺に大牟田・天園とさらに二つの古墳がある。(論文内の地図に記載あり)
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論文より
まず弥生時代後期については、唐津市桜馬場遺跡に代表されるような、大型後漢鏡を副葬する時期(後期前葉~中葉)と、唐津市中原遺跡を中心として完形後漢鏡の破砕副葬が行われる時期(後期後葉~終末期前後)に区分することができる。
(久里双水の鏡は破砕されていない!)
前期後半に魏晋鏡や「仿製」三角縁神獣鏡が副葬される経塚山古墳や谷口古墳は、この図の右上に位置する鏡山を挟んで東側の玉島川流域に築造されており…
(経塚山古墳と谷口古墳は久里双水より9km離れた場所になる。)
(久里双水古墳からは三角縁神獣鏡は出土されていない!ため、前方後円墳が創られ始めた初期かも知れない。)
久里双水古墳で出土された鏡に関しての部分 ↓
B、筆者分類(辻田2009a)の B 類(BII類)に該当する(図6)。筆者は、円文を伴う芝草文をもち、これらが2世紀代の画象鏡に多くみられること、主像文様で龍の足が一本省略されること、一段高い位置にやや大きめの長方形の鈕孔をもつこと、上野氏の型式1B が長江中流域からいわゆる徐州地域、楽浪郡域などで分布することに注目した。
(「九里」という地名があったのは徐州だったように記憶している!)(鏡の作った場所のことだったのかもしれない!)
その上で、製作年代の上限を画象鏡や上方作系浮彫式獣帯鏡の出現年代を前後する時期、下限を長方形の鈕孔を有する三角縁画象鏡などの製作時期と捉え、製作地として楽浪郡域を含む華北東部地域を想定した(辻田2009a)。