九里 【九里】を探して三千里

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下河辺行秀 = 智定房(坊) 

2021-04-07 | 九里【まとめ】
天福元年 1233 智定坊熊野那智浦より渡海 吾妻鏡・観音冥応集・北条九代記・和漢三才図会

下河辺行秀 = 智定房(坊)

こちらの講演会のレポートの5ページに書かれていて、興味深いものがあった。以前ブラタモリでも補陀落渡海を取材?していたと思う。

 

【南方往生の企て― 補陀落渡海の諸相】 根井 浄 著

http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/30141/kbb09-02nei.pdf

 

下河辺家は代々「弓術の家」であったようである。

更に面白かったのは、弓馬の友が「北条泰時」という箇所である。

 

早熟で堅物のイメージの泰時にも友人がいた!よかった~!

北条泰時は九里にとっても大事な時期の執権であったと思う。

ちょうど大きな族であった中原氏から独立しつつ、違う氏となっていく過程である。

中原太郎経久は九里の祖と系図の註に書かれているが、実際は、遡るとこの人物が祖だよね?という事なのではないだろうか? 

 

確信は持てないのだが、やはり上総の常衡の息か孫の片岡常春の弟となった為春(または弘経)の息の片岡太郎経久だったのではないか?

そこが、始まりのように思えてならない。

 

片岡氏は確かに大和国出身だったが、ある時に上総に来たのである。

更に上野国に所領もあるという。

大中臣秋家が中原秋家であったように、この片岡も大中臣氏の一部で、やはり中原氏であったのではないだろうか?

 

片岡氏に関しては、まだ続きがあります!

 

 

 

 

 

 


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