南北朝時代初期、近江源氏の佐々木道誉が甲良荘に勝楽寺城を築いて本拠地とします。道誉は甲良という土地が気に入っていたようで、この勝楽寺に道誉以下十四代だったかのお墓がずらりとある、と本に書いてあった記憶があります。
その子孫が甲良荘尼子郷で尼子氏を称し、出雲国へ下向して戦国大名となったそうです。
甲良荘藤堂村からは藤堂高虎が出ており、
また、甲良荘法養寺村からは日光東照宮の造営等の宮大工、甲良氏の祖である甲良宗廣(甲良豊後守宗廣)が出ております。
wikipediaより
尼子詮久 :武将、土豪、官吏(近江国守護代)。尼子氏家祖・尼子高久の嫡男。近江国犬上郡甲良荘尼子郷(現・滋賀県犬上郡甲良町尼子)生まれ。
尼子持久 :武将、土豪、官吏(出雲国守護代)。尼子高久の2男。永徳1年(1381年)、尼子郷の生まれ。
多賀高忠 :戦国武将、官吏(室町幕府京都所司代)。応永32年(1425年)、近江国犬上郡甲良荘下之郷(現・滋賀県犬上郡甲良町下之郷)生まれ。
藤堂虎高 :戦国武将、土豪。永正13年(1516年)、近江国犬上郡甲良荘藤堂村(現・滋賀県犬上郡甲良町在士)生まれ。
藤堂高則 :戦国武将、土豪。高虎の兄。藤堂村生まれ。
藤堂高虎 :戦国武将、土豪、大名。弘治2年(1556年)、藤堂村生まれ。
甲良宗廣(甲良豊後守宗廣) :宮大工(江戸幕府作事方大棟梁)。天正2年(1574年)、犬上郡甲良庄法養寺村(現・犬上郡甲良町法養寺)生まれ。代表作は、増上寺台徳院霊廟、日光東照宮、寛永寺五重塔
室町時代南北朝時代 (日本)佐々木道誉(京極高氏) :武将、官吏(近江、若狭、出雲、上総、飛騨、摂津の守護。政所執事)。京極氏。甲良荘に勝楽寺城を築き本拠とした。
尼子がココ出身、というのには驚きました。出雲の土着の人だとばかり思っておりました。
『近江国御家人井口中原系図』には、【虎高ー高虎】は出ておりますが、高虎の兄である高則はありませんでした。
ただ、この虎高の部分に【実 三井出羽守二男】とあるので、もしかすると三井家の方に高則は入っているのかもしれません。(?)
道誉は若狭とも関係があった。。。そこに何かを感じています。
その子孫が甲良荘尼子郷で尼子氏を称し、出雲国へ下向して戦国大名となったそうです。
甲良荘藤堂村からは藤堂高虎が出ており、
また、甲良荘法養寺村からは日光東照宮の造営等の宮大工、甲良氏の祖である甲良宗廣(甲良豊後守宗廣)が出ております。
wikipediaより
尼子詮久 :武将、土豪、官吏(近江国守護代)。尼子氏家祖・尼子高久の嫡男。近江国犬上郡甲良荘尼子郷(現・滋賀県犬上郡甲良町尼子)生まれ。
尼子持久 :武将、土豪、官吏(出雲国守護代)。尼子高久の2男。永徳1年(1381年)、尼子郷の生まれ。
多賀高忠 :戦国武将、官吏(室町幕府京都所司代)。応永32年(1425年)、近江国犬上郡甲良荘下之郷(現・滋賀県犬上郡甲良町下之郷)生まれ。
藤堂虎高 :戦国武将、土豪。永正13年(1516年)、近江国犬上郡甲良荘藤堂村(現・滋賀県犬上郡甲良町在士)生まれ。
藤堂高則 :戦国武将、土豪。高虎の兄。藤堂村生まれ。
藤堂高虎 :戦国武将、土豪、大名。弘治2年(1556年)、藤堂村生まれ。
甲良宗廣(甲良豊後守宗廣) :宮大工(江戸幕府作事方大棟梁)。天正2年(1574年)、犬上郡甲良庄法養寺村(現・犬上郡甲良町法養寺)生まれ。代表作は、増上寺台徳院霊廟、日光東照宮、寛永寺五重塔
室町時代南北朝時代 (日本)佐々木道誉(京極高氏) :武将、官吏(近江、若狭、出雲、上総、飛騨、摂津の守護。政所執事)。京極氏。甲良荘に勝楽寺城を築き本拠とした。
尼子がココ出身、というのには驚きました。出雲の土着の人だとばかり思っておりました。
『近江国御家人井口中原系図』には、【虎高ー高虎】は出ておりますが、高虎の兄である高則はありませんでした。
ただ、この虎高の部分に【実 三井出羽守二男】とあるので、もしかすると三井家の方に高則は入っているのかもしれません。(?)
道誉は若狭とも関係があった。。。そこに何かを感じています。