清原頼業の娘に「信弘室」がいる。
復習すると、
按察使局伊勢が「信厚卿女 敏子」と異説日本史: 史蹟社寺篇. 第10巻に記載があった。
その信厚卿を調べると「卜部兼貞」が信弘を出家法名としていた。
そして本日、清原氏の系図を眺めていてふと目に留まったのが「信弘室」であった。
さらに、その姉が【大弐局(高倉院女房)】とある。非常に近い場所にいた事になる。
頼業自身も高倉院の侍読であった。
信弘卿と清原女の娘が「按察使局伊勢」となるのではないだろうか。違うかもしれない。
https://reichsarchiv.jp/%E5%AE%B6%E7%B3%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E6%B8%85%E5%8E%9F%E6%B0%8F%EF%BC%88%E6%A5%AD%E6%81%92%E7%B3%BB%EF%BC%89
清原頼業の家族
室
(父:大監物 持貞)
佐光
1152-1183 近業
仲隆
1164-1210 良業
忠業
業綱
大弐局(高倉院女房)→ 藤原永範と関係があるか?
娘(信弘室)
娘(藤原光範室、頼範母)
藤原頼範
光範男。母清原頼業女。
承元4年12月26日(ユリウス暦:1211年1月12日)叙従三位。
承久3(1221)年10月出家。
正三位・非参議。
他に清原定隆の系にも信弘がいた。信弘卿とは「博士。壱岐守」かもしれない。
→?年代は頼業の息や娘と同じ年代となる。頼業の娘の嫁ぎ先はこっちの可能性大か?
ただの想像なので、全く違う「信厚卿」がいるかもしれない。
まだ、さらに按察使局伊勢周辺を探している。