Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

ブルースギタリスト、菊田俊介のゴスペル演奏を聴く!~インディアナ州、ゲーリーのバプティスト教会にて

2008-10-28 | スポーツ一般・娯楽
福留選手のシカゴ日本人学校の訪問の興奮がさめやらないまま、次のエキサイティングな出来事を目撃した。引越しの準備で猛烈に忙しい中、かねてから行きたかったブルースギタリスト、菊田俊介氏のライブ演奏をダウンタウンのブルースのライブハウス、ブルーシカゴに聴きに行く。

シュンさん(菊田氏の愛称、親しみを込めてこうよばせてもらう)は、ブルース界の大御所、ココ・テイラーバンドのメンバーとともに、8月に大きな事故に巻き込まれ、顔や体に重傷を負う。シュンさんは、ココ・テイラーバンドの専属ギタリストで、ココとともに世界中をツアーで回ったりしている。この事故の詳しい内容は、彼のブログやQマガジンを読んでいただけるとわかるので、詳しくは書かないが、日本の新聞にも報道されるほどのおおきな怪我を負った。そのため、9月は活動を休止。復活されたのが、10月。私は、9月に観にいこうと思っていたので、大ショック!シュンさん、大丈夫かな・・・と心配していた。

が、そんな心配はふきとんだ!ライブハウスでのシュンさんは、ブルースフェスティバルで見たシュンさんと同じように全開!ギターの音もビンビンで、観客も大ノリで、シュンのギターに酔いしれる。



途中、ボーカルが、「シュン、ブルースをあびせろ!」と指示すると、観客の1人のアメリカ人の女の人の前に近づき、ブルースの真髄であるエレクトリックギターのたまらない音を全身で表現しながら、1人1人に投げかける。「エー、あんなことしてもらえて、いいなあ!」と私はやや嫉妬状態。次から次へとギターで女を渡り歩くギタリスト、シュン。かっこよすぎるではないか!横で、アメリカ人の女性カメラマンが取材で、シュンの写真をとりまくる。やはり、シュンねらいか?!

演奏の途中で、シュンさんと話す。顔の怪我も治り、傷もうすくなっているので、ほっとする。事故直後のブログの写真では、顔の傷が生々しくでていて、ミュージシャンの命である顔に傷が入って大丈夫だろうかと心配したが、いつものさわやかなシュンさんの笑顔は健在。ブルースギタリストというと、なんだか暗いイメージがあったんだけど、シュンさんは、話していて、有名なミュージシャンというおごりがまったくなく、気さくに私たちと話してくれるほど感じのいい方。

思い切って、「シュンさんの教会でのゴスペル演奏みたいんですけど」と切り出すと、「じゃあ、日曜日に行くから一緒に行きますか」「エー、いいんですかあ!」「インディアナなんだけど・・・」「なにー!インディアナあ~!」ゲーリーという町のバプティスト教会で毎週ゴスペル演奏をしているという。シュンさんの住むデスプレインからは約1時間。まだ、福留選手の記事も仕上げていない。その日は、車の売買もあって、引越し3日前。ウーン、どうしよう。しかし、本場のゴスペルを聴く機会はなかなかないだろう。よし、土曜日なんとか記事を仕上げて、行こう!

というわけで、近所の友達のやっちゃんにデスプレインまで運転してもらい、シュンさんの車ではるばるインディアナまで行った。あーあ、ジャーナリストとしての性か、見たいという衝動を抑えられない私。その日、主人と子供たちは、着々と引越しの準備、荷物詰めをしていたというに・・・

さて、ゲーリーという町は、かつて鉄鋼の町として栄え、かのマイケル・ジャクソンの出身地。しかし、経済の衰退とともに、町もさびれてしまったらしい。かつて栄えていた工場の建物がくずれ、幽霊のようにそびえたっている。殺伐とした雰囲気もある。きっと、犯罪率もかなり高い地域だろう。シュンさんの話だど、日本人は皆無。黒人が人口が高そうだ。こんな町で、なぜシュンさんは、毎週演奏しているのだろう。

きっかけは、4年半前、ゲーリーの新しい空港が開港されたときの式典で、演奏したときに、このモライア・ミッショナリー・バプティスト教会のジョンソン牧師が聴いていて、気に入られ、お抱えのギタリストとして、雇われたという。そのときの式典には、まだ無名のオバマ氏もいたという。バンドのツアーなどがない日曜日は必ずここの教会で演奏しているという。往復2時間の運転。よっぽど強い思いがないと、普通の人では続かない。

その日のシュンさんの格好は、やはりスーツ!いつものブルースの象徴でもある黒い帽子をかぶったシュンじゃない!バリバリのスーツ。まったくイメージが違う。でも、ブルースギタリストから一皮むけたって感じで、こういうシュンさんもいいなあ。



教会に入ると、全員が黒人の人たちだった。みんな一斉に私たち2人の日本人女性にびっくりしたように目を向ける。しかし、1人1人の目線は、優しい。目が合うと、笑顔であいさつをしてくれたので、ほっとする。席も「ここにおいで」と前の方の席まで案内してくれた。みんなおめかししてきている。若い人も年老いた人も。中には、ド派手な銀色のリボンの帽子をかぶったおばあちゃんもいた。

若い人たちの歌声で、礼拝は始まる。全然キリスト教という雰囲気がなく、普通のさりげない黒人の人たちのステージだ。さまざまなイベント情報をみんなに伝えながら、シュンさんたちの演奏が始まる。その出だしがとてもとてもさりげなかった。いつギターがはいったのかわからないほど。いつもの派手なブルースギター演奏と違って、黒子に徹している感じ。



シュンさんの話によると、雇われる前のトライアルで練習なしで、いきなり演奏をしたとき、キーボードのイントロに合わせてひいたという。勿論、一発合格。イントロの音だけで、次の展開を察知し、一緒に展開できるとは、プロとはすごいものだ。かの有名なボストンのバークレー音楽学院(これで日本語の正式名いいだっけ?)を卒業して、きちんと音楽を勉強しているシュンさんだから、どんな音楽でも完璧に合わせられるのだろう。卒業と同時にシカゴに移り、ストリートミュージシャンから実力ですぐにのしあがり、今のようにライブハウスで演奏をはじめたという。

もともとお父さんの影響でクラシックを小さな頃から聴いて育ったという。その後、中学時代では、松山千春やチャゲ&飛鳥などのフォークを中心に演奏。ギタリストの高中正義なども聞いていたらしい。(なつかしい!私たちも高中の曲、バンドでコピーしてかじってました。)高校時代は、ロックにはまる。私もハードロックが大好き。ロークのルーツをたどると、ブルースにいきつく。ストーンズもクラプトンもみんなブルースから影響を受けている。「(当時)スティーブ・ルカサーなんかもよくコピーしてたね」やはり、シュンさんもロックをコピーしていたんだ。私は、ロックとフュージョン両方を聴いていた。アドリブという雑誌を毎月買って、研究していた。スウェーデン出身で早弾きのイングウェイ・マルムスティーンの話も久し振りにして、私も昔のことを思い出して、またハードロックもじっくり聞きたくなった。

女の人のソロの歌が始まる。本当に心の底からわきでるスピリットが入った歌声といおうか、素晴らしい歌声だった。「ギブ・ミー・ストレングス」(私に力を!)という部分は、真にせまっていた。

礼拝のハイライトは、ジョンソン牧師のお話。内容は、私も疲れで眠くて意識がもうろうとして、全部わからなかったが、みんなをすごい勢いで励ましている。ときおり、すごい感情表現で、みんなをあおる。大声で、「ハレルヤ、ハレルヤ」と叫びながら、演奏が入る。すごい盛り上がり!シュンさんも立ったり、座ったり、そのときのみんなの雰囲気に合わせて、じっくりさりげなく演奏。ここでは、脇役に徹している感じだった。私たちも聖書を見せてもらいながら、言葉を繰り返し、なんだか敬虔な気持ちにおちいる。礼拝が終わると、みんなハグし合い、「きてくれてありがとう!」「また、もどってきてね」とかわるがわる言われた。


ジョンソン牧師とシュンさん

帰りの車の中で、シュンさんが言うには、今回の事故に合って大変だったけど、良かったという。シュンさんのそばにいたメンバーは大怪我をして、まだ病院にいるという。でも、シュンさんは、またこうやって普通に演奏の場にもどってこれた。自分にとって演奏することが、いかに大事かが身に沁みてわかったのだろう。事故によって、彼の人生観が変わったようで、「もっともっといい音楽をみんなに聴かせたくなった」と熱っぽく語る。そんな風に事故のことをとらえられるとは、1つのものをとことん追求する一流の人の精神力とは、私達の想像以上に高いのだろう。私もシュンさんからエネルギーをもらった。シュンさん、ありがとう!

昨日から、シュンさんは日本ツアーと台湾ツアーのため、日本へ旅立った。日本ではまだまだブルースが一般の人に認知されていないので、日本での活動をもっと広げていきたいと語る。11月18日ごろシカゴにもどってくるらしい。基本的に、月曜がキングストンマインド、水曜日がブルーシカゴにて演奏。(詳しくは下記のシュンのサイトかブログでスケジュールをチェック)皆様、ぜひ、一度シュンさんの演奏を観にいってください。日本人の一ギタリストが本場シカゴのブルースシーンを飾っている姿。きっとみんな元気になれると思います。

菊田俊介公式サイト:http://shunkikuta.com

菊田俊介ブルース日記(ブログ):http://ameblo.jp/shunkikuta/

写真もアップできたらしたいのだが、明日引越しで・・・これから、荷造り。
あー、でも書きたいことを書いたので、気分はすっきり!




福留選手の交流会、シカゴ日本人学校訪問の記事、US新聞に掲載!

2008-10-28 | メジャーリーグ
昨日、やっとシカゴ・カブス福留選手の交流会、及びシカゴ日本人学校全日校訪問の記事がUS新聞に掲載された。前日深夜3時までかかって、仕上げた。なにしろ、引越しの準備、手続きがあったので、なかなか記事を書く時間がなかった。こんなに集中力がそがれた記事ってないかも。写真も納得がいくいいのが見つからず、時間がかかった。

http://www.usshimbun.com/childcare/childcare-fukudome2008.html

しかし、福留選手がせっかく日本人学校にきてくれたし、生徒たちの真剣なまなざし、そして、最後の応援エールを見たら、「絶対、なんとしても仕上げる!」と自分に言い聞かせて、5時間ぶっ通しで、作業をした。

最後の一丸となった応援エールは、みんなのいつもの日々の努力が一体となって、本当に素晴らしい応援となった。応援団長のオチ君の声が一段と大きく、体も大きいので、みんなの団長という貫禄も備え、その声に引っ張られ、みんなのエールが1つになり、心の中にまですうっと入ってくるほどの強いスピリットを感じた。私は、福留選手の後姿しか見てないけど、彼が体全身で、それを受け止めていて、とてもうれしそうな雰囲気が伝わってきた。本当に日々の全日校の生徒たちの一生懸命にみんなで取り組む姿勢がすべてあの場に結集されていたんだと思う。

校長先生の話では、練習は、当日福留選手が到着する直前に数回だけだったという。1週間前に急遽訪問されるのが決まったので、準備する間もなかったらしいが、運動会での集中的な練習の成果があらわれたのだと思う。

シカゴ滞在最後にみんなの素晴らしいエールが聞けて、ジーンとした。みんなご苦労さまでした。福留選手もきっとみんなの熱い思いを受け止めてくれたと思うよ!