中さん

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日記(8.6)広島原子爆弾投下

2018-08-06 19:18:56 | 日常
8月6日  (日曜日) 晴れ

広島市への原子爆弾投下は、
第二次世界大戦末期の1945年8月6日午前8時15分
アメリカ軍が日本の広島市に対して世界で初めて
核兵器「リトルボーイ」を実戦使用した出来事である。

これは、人類史上初の都市に対する核攻撃である。
~~~~~~~
【産経抄】8月6日
 広島に原爆が投下された朝、
 作家の原民喜(たみき)は、自宅の便所にいた。

 突然、頭上に一撃が加えられ、目の前が真っ暗になった。
 縁側から、川の方に向かって逃げた。

 ▼道端にうずくまっている女は、乱れ髪が焦げ、
  顔は約1倍半も膨張していた。
  川の中では、裸体の少年がすっぽり頭まで水に漬かって死んでいた。
  「水を。水を。水を下さい」。断末魔の声を聞きながら、夜を明かした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼原は、目の前の地獄絵のような光景を手帳に記録していた。
  そのメモを基に執筆したのが、原爆文学の名作『夏の花』である。


  最初のタイトルの「原子爆弾」を改題したのは、
  連合国軍総司令部(GHQ)の検閲を逃れるためだ。
  原は刊行の2年後の昭和26年、鉄道自殺により45年の生涯を終える。

 ▼被爆73年の広島原爆の日を前に、

  ノンフィクション作家、梯(かけはし)久美子さんによる評伝『原民喜』(岩波新書)
  を読んだ。

  孤独な少年時代を過ごした原は、
  大学卒業の翌年に結婚した妻によって、初めて心のやすらぎを得る。
  もっとも、献身的に支えてくれた妻は、33歳の若さで先立っていった。

 ▼生きる望みを失った原に、新たな「仕事」を与えたのが、
  被爆体験である。
  原爆の惨状を書き残すまで死ねなくなった。
  梯さんによれば、晩年の原は原爆が再び使われる恐れにさいなまれながらも、

 「自分たちの世代の後に、
  新しい時代の新しい人々が現れるという
  希望を失っていなかった」。

 ▼原は自死の直前、広島の地元紙の中国新聞に
 「永遠(とわ)のみどり」と題した詩を送っている。
  詩は、原の死亡記事と同じ面に掲載された。
 「死と焔(ほのお)の記憶に よき祈りよ こもれ」。

  原の期待と願いにわれわれは応えているといえるのか。
  胸に手を当て、静かに自問する日としたい。
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★しかし日本は唯一の被爆国なのにアメリカへの政治的配慮か?
 核兵器廃絶にサインを出来ずにいる・・
 これは世界がまだまだ核兵器保持崇拝の緊張状態にあるんだと思う・・
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