11月3日 (月曜日) 曇り
久しく宝くじは買ってない!確率が悪すぎるのだ。
とはいっても”夢”を買うと思えばいいのかも。
~~~~~~~~~~~~~~~
「年末ジャンボ宝くじ」の原型だとか―。
江戸時代には年の暮れになると、神社の境内で富くじの抽せん会が開かれた。
箱の中の札をきりで突き、1等が出るとたんすなど豪華景品が当たるのだが、
なかなか出ない。
▼悔しがった客が札を偽造して「一が出たよ」と届けると、
興行主は「いや、出ません」。
「出たよ」「いえ、(もともと1等は)入ってないんです」。
五代目古今亭志ん生の落語「富久」のマクラだ。
▼人間の欲望が渦巻く賭け事にはイカサマがついて回る。
求められるのは豊富な経験や裏の裏を読む慎重な洞察力だろう。
▼以前、米ラスベガスで乗ったタクシーの運転手が、
日本円にして数十億円もうけた外国人の乗客から
1千万円のチップをもらったと豪語した。
統合型リゾート施設(IR)ができれば日本でも起き得る。
だが、うまい話をうのみにできない。
観光客の射幸心をあおるご当地の定番話の可能性もある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼「富久」は、
たいこもちの久蔵が富くじで大当たりし、
借金払いができると喜ぶというのがオチ。
でも、お調子者で大酒飲みの久蔵のことである。
当たった金を全部酒に使ったかもしれない。
▼消費税増税も似ていないか。
国は社会保障の拡充や借金払いのために税率を来年引き上げることを決めたが、
その税収を超える額が景気対策に消えそうな制度設計である。
カジノへ行かずとも、現実の世界は十分スリリングだ。
================
”富くじ”の話
初詣にやってきた人々は、自分の名前を書いた木札を箱に入れる。
抽選日の1月7日、僧侶が木札の入った箱にキリを3回突き刺す ←!?
キリに刺さった木札に名前が書いてある3人が「当選者」やったね!
で、当選者は何がもらえたものかというと、
これがお金ではなく、ありがた~いお守り。
龍安寺の宝くじは「富会(とみえ)」と呼ばれた新年の縁起物イベントであり、
ギャンブル性はありませんでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
やがて、
宝くじの賞品が金銭と結びつくようになると「富くじ」と呼ばれ、
人気爆発、あまりの人気ぶりとギャンブル性の高さから
幕府が何度も禁止令を出すほどでした。
しかし、いくら禁止してもこっそり富くじを行う者があとを絶ちません。
業を煮やした幕府はどうしたかというと、手のひら返しをします。
目の敵にしていた富くじを打って変わって“幕府公認”に。
時は江戸時代中期の1730年(享保15年)、
“暴れん坊将軍”こと8代将軍・徳川吉宗の治世でした。
「富くじ、やってもいいよ!」
ただし、富くじを行っていいのは寺社に限られ、
それ以外は“私的な賭博行為”と見なされご法度でした。
神聖な寺社と富くじというギャンブル。
一見、ミスマッチな組み合わせですが、
幕府が寺社に限って富くじを許可したのには理由がありました。
吉宗が「享保の改革」を実行したことはよく知られていますが、
当時、幕府はたいへんな財政難に苦しんでいました。
それまで寺社の修繕や再建などにかかる費用は幕府が助成金を出していましたが、
富くじの興行を寺社に許可することで、
自前で修繕費を賄わせようと考えたわけです。
いうならば、
幕府「富くじやっていいから、助成金は減らすね☆」という感じ。
公的な記録によると、
公許の富くじ興行の最初は京の仁和寺が江戸の護国寺で行ったものなんだそう。
以降、全国各地の寺社が「修理費用を捻出するため」という名目で
富くじ興行を行うようになりました。
富くじ興行を行うには、事前に寺社奉行への申請が必要で、
抽選日には与力(治安維持を役目とする役人)が立ち会いました。
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久しく宝くじは買ってない!確率が悪すぎるのだ。
とはいっても”夢”を買うと思えばいいのかも。
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「年末ジャンボ宝くじ」の原型だとか―。
江戸時代には年の暮れになると、神社の境内で富くじの抽せん会が開かれた。
箱の中の札をきりで突き、1等が出るとたんすなど豪華景品が当たるのだが、
なかなか出ない。
▼悔しがった客が札を偽造して「一が出たよ」と届けると、
興行主は「いや、出ません」。
「出たよ」「いえ、(もともと1等は)入ってないんです」。
五代目古今亭志ん生の落語「富久」のマクラだ。
▼人間の欲望が渦巻く賭け事にはイカサマがついて回る。
求められるのは豊富な経験や裏の裏を読む慎重な洞察力だろう。
▼以前、米ラスベガスで乗ったタクシーの運転手が、
日本円にして数十億円もうけた外国人の乗客から
1千万円のチップをもらったと豪語した。
統合型リゾート施設(IR)ができれば日本でも起き得る。
だが、うまい話をうのみにできない。
観光客の射幸心をあおるご当地の定番話の可能性もある。
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▼「富久」は、
たいこもちの久蔵が富くじで大当たりし、
借金払いができると喜ぶというのがオチ。
でも、お調子者で大酒飲みの久蔵のことである。
当たった金を全部酒に使ったかもしれない。
▼消費税増税も似ていないか。
国は社会保障の拡充や借金払いのために税率を来年引き上げることを決めたが、
その税収を超える額が景気対策に消えそうな制度設計である。
カジノへ行かずとも、現実の世界は十分スリリングだ。
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”富くじ”の話
初詣にやってきた人々は、自分の名前を書いた木札を箱に入れる。
抽選日の1月7日、僧侶が木札の入った箱にキリを3回突き刺す ←!?
キリに刺さった木札に名前が書いてある3人が「当選者」やったね!
で、当選者は何がもらえたものかというと、
これがお金ではなく、ありがた~いお守り。
龍安寺の宝くじは「富会(とみえ)」と呼ばれた新年の縁起物イベントであり、
ギャンブル性はありませんでした。
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やがて、
宝くじの賞品が金銭と結びつくようになると「富くじ」と呼ばれ、
人気爆発、あまりの人気ぶりとギャンブル性の高さから
幕府が何度も禁止令を出すほどでした。
しかし、いくら禁止してもこっそり富くじを行う者があとを絶ちません。
業を煮やした幕府はどうしたかというと、手のひら返しをします。
目の敵にしていた富くじを打って変わって“幕府公認”に。
時は江戸時代中期の1730年(享保15年)、
“暴れん坊将軍”こと8代将軍・徳川吉宗の治世でした。
「富くじ、やってもいいよ!」
ただし、富くじを行っていいのは寺社に限られ、
それ以外は“私的な賭博行為”と見なされご法度でした。
神聖な寺社と富くじというギャンブル。
一見、ミスマッチな組み合わせですが、
幕府が寺社に限って富くじを許可したのには理由がありました。
吉宗が「享保の改革」を実行したことはよく知られていますが、
当時、幕府はたいへんな財政難に苦しんでいました。
それまで寺社の修繕や再建などにかかる費用は幕府が助成金を出していましたが、
富くじの興行を寺社に許可することで、
自前で修繕費を賄わせようと考えたわけです。
いうならば、
幕府「富くじやっていいから、助成金は減らすね☆」という感じ。
公的な記録によると、
公許の富くじ興行の最初は京の仁和寺が江戸の護国寺で行ったものなんだそう。
以降、全国各地の寺社が「修理費用を捻出するため」という名目で
富くじ興行を行うようになりました。
富くじ興行を行うには、事前に寺社奉行への申請が必要で、
抽選日には与力(治安維持を役目とする役人)が立ち会いました。
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