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日記(1.27)メタボ検診・フィリピン国

2016-01-27 15:35:09 | 日常
1月27日  (水曜日)  晴れ

今日は暖かくなった。

大きな高気圧が張り出してきた。
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7時ちょっと過ぎに妻沼の内田クリニックに
メタボ検診&胃カメラ検診に出かける。

メインは胃カメラだ!
胃・食道・十二指腸は問題なし
肺・心電図も問題ない。
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血液・尿・腸と前立腺などの結果は1ヶ月後以降になる。
こちらのほうが問題かも!
手際は良く検査も進んで9時半には終える。
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個人のことであるが
フィリピン国の半導体組立て場の建設当時、
高速ネットワークの構築やシステム導入・工程管理システム
会計システムの構築で・・十数回にわたって
マニラから車で3時間のタルラックと言う場所に行くことがあり

長期・短期の出張で酷暑と大渋滞の経験をした。
世紀の大爆発のあったピナツボ山の灰が川底を埋めて雨季には川の上を水が流れる様な
ありさまだった時期。
その折にマニラの現地業者との交渉事も多くあり・・特に交通渋滞は難儀した。
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今回の両陛下訪問のことで”当時の苦労や忙しさ”が強く思い出される。
マラカニアン宮殿・マニラホテル・ホセ・リサール記念碑などは
懐かしい。
混雑した道路・約束時間は守られないフィリピンタイム・泥棒や強盗・・等々
観光でセブ島などに行く人達の思い出感覚とは全く違うものを経験した。
又、モンテンルパの昔の戦犯刑務所も現在フィ国の刑務所として使われている。
近くのコレヒドール島やラグナ地区も印象深いところ。
海底ケーブルの立ち上がるバタンガスも業務上訪れた。
結構当時の都市名を思い出している。
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strong>両陛下 フィリピンで国賓として公式行事へ


両陛下は26日から、フィリピンを親善訪問していて、
27日は首都マニラで、国賓としての公式行事に臨まれます。

まず午前中、大統領府のあるマラカニアン宮殿で歓迎式典に出席したあと、

アキノ大統領との会見に臨まれます。
続いて、マニラ中心部の公園にあるフィリピン独立運動の
英雄ホセ・リサールの記念碑に花を供えられます。

夜には、アキノ大統領主催の歓迎の晩さん会が開かれ、
大統領のスピーチに続いて、
天皇陛下がおことばを述べられます。
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戦時国際法に無防備都市宣言がある。
町に軍隊はいないと宣言し、敵が平和進駐できれば戦禍は避けられる。

大戦末期の米軍のフィリピン侵攻で、
山中での持久抗戦を策した第14方面軍司令官の山下奉文(ともゆき)は
マニラの無防備都市宣言を考えた。
だが大本営陸軍部や海軍は方面軍の方針に反対し、
結局マニラは砲爆撃や市街戦によって破壊される。


日本軍の戦死1万2000、米軍は同1000、なのに
民間人の死者は10万人を超えたといわれるマニラの戦いだった。


「マニラの市街戦においては、
膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民が犠牲になりました。
私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています」。

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天皇、皇后両陛下の比訪問にあたり天皇陛下は「おことば」で
とくにこう述べられた。

先の大戦における比島全域の日本軍戦死者51万8000人は、
満州事変以降の中国での日本軍の総戦死者数も上回る。
そして比島住民の戦没者はそれに倍すると見られる

陛下は日比国交正常化60年を記念するこの訪問で、
両国それぞれの戦没者の慰霊碑を訪れる。
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両陛下には54年前の皇太子ご夫妻としての訪問以来の比国である。
後年、天皇陛下はまだ対日感情が厳しかった当時の比国民の温かな歓待に感謝している。

今日の両国の親善を喜び、戦争の惨禍を改めて心に刻む両陛下の旅は、
両国民の友情の厚さの証しでもあろう。
「戦いに連なるすべての死者の冥福を祈る」。
日本の若い世代に忘れてはならぬ歴史を伝えてきた両陛下の「慰霊の旅」である。
今またそれが諸国民との相互信頼の絆となればどんなにいいだろう。




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それにしても寛大な国だ!比日の関係が良いことを願う。
体力があればもう一度訪れて見たいが・・・どうかなな?
コメント
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