中さん

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日記(5.13)

2024-05-13 16:57:11 | 日常
2024   5月13日 (月曜日)  ②    

〇雨が小ぶりの時に自治会の用事を済ませる。
午後からこれから蒔きたい野菜種を買いに出かける。
めぬまのモリタネは休みであった。出かけたついでに道の駅のバラを見に寄った。
雨に打たれて首をうなだれ気味のものも多いが
バラ園をまわって写真撮り

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荻野吟子像もちょっと怖そうである。

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荻野 吟子(おぎの ぎんこ〈戸籍上の本名:荻野ぎん〉、現在の熊谷俵瀬生まれ
 1851年4月4日〈嘉永4年3月3日〉 -
  1913年〈大正2年〉6月23日)は、
 近代日本における最初の女性の医師である。
 女性運動家としても知られる。

なお、日本人女性初の国家資格を持った医師であるが、
 医術開業試験制度がなかった時代から、
 榎本住(1816年 - 1893年)ほか何人かの女性医師が開業していた。
 西洋医学を学んだ女性医師としてはシーボルトの娘・楠本イネ(1827年 - 1903年)がいる。
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その後コメリに寄って希望の種を購入してくる。明日以降少しづつ蒔いていく。
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日記(5.13)

2024-05-13 13:17:12 | 日常
2024  5月13日  (月曜日)    雨
昨晩から降り出した雨
今日は関東などは夜にかけても雨が続くと・・・・

日本列島に合わせたように雲がびっしりかかっている。
さて雨降りは何をするか?困った。
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上毛新聞 三山春秋 12日のコラム
 ▼詩画作家・星野富弘さんの突然の訃報に、
  本紙「ひろば」欄には読者からの追悼メッセージが寄せられている。
  体操部で直接指導を受けた当時の生徒や千羽鶴を携えて入院先を見舞った女子生徒―。
  それぞれが胸に秘めた大切な思い出を語っている
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 ▼星野さんは1946年、旧勢多東村(みどり市)に生まれた。
  スポーツ万能で登山に熱中した。群馬大を卒業後は高崎市内の中学校に体育教師として赴任。
  体操の指導中に頸髄(けいずい)を損傷し、手足の自由を失った。

 ▼詩画を描くようになったきっかけは友人や生徒から届いた手紙に返事を出したいと思ったこと。
  入院から2年、初めて筆を口にくわえて「ア」という字を書いた。
  黒い糸の切れ端がもつれたようだった。

 ▼文章を書くのは大変で、便せんに余白があった。
  それを埋めるために描いたのが花だった。
  再び教壇に立つことはできないが、教師でありたいとの強い思いがあった。

 ▼〈わたしは傷を持っている/でもその傷のところから/あなたのやさしさが/しみてくる〉
   作品にいったいどれだけの人が励まされたことだろう。
   取材でお邪魔した高齢者宅に、小さな会社の事務所に星野さんのカレンダーが飾られていた
 ▼〈この道は/茨(いばら)の道/しかし 
   茨にも/ほのかにかおる花が咲く/あの花が好きだから/この道をゆこう〉。

   絶望のふちから希望を見いだし、命の尊さを訴え続けた人だった。


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★希望を見いだした・・・とあるが
 そんな簡単なことではない!
 私も星野氏と生まれは同時代で、自己管理ができていない
 自分を反省しながらだが後厄時に右脳内出血を患った。大きい出血で
 生死を分けた一瞬であった。
 しかし意識があったのですべての言葉が耳に記憶としてが残っている。
 ・・左半身が動かない。一瞬絶望を経験した。
 これが左脳であったら人生はなかったと・・・
 幸い麻痺は運動機能部分の主要部分を避けたが戻りは70%と告げられて
  又ショックであった。一寸苦しいリハビリを過ごしながら
  薄皮を剝ぐように治っていった感じであった。最後まで皮膚の感覚が微妙に戻らなかった。
 ただただ・・心の焦燥感は長い事消えなかった。子供がまだ小さかったこともあった・・
〇入院中に仲間や先輩が
 相田みつをの”人間だもん”と星野富弘の”詩画集”を差し入れてくれた。

平成元年当時のもので今も近くにある。
鈴の鳴る道も・・
 お見舞いは多くを語らずそっと本などを置いて行ってくれたのはうれしかった。
 ”辛いのは悪気はないのだが”頑張って”の言葉は刺すように響いた。
 精一杯頑張ってる最中だ!・・
 出来れば、同じような経験をした方の経験談が一番
 欲しかった事が思い出される。
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 喉元過ぎれば熱さを忘れ。ではないが
 それを戒めにして時折・・本も広げ当時を思い出す様にしている。
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日記(5.12)

2024-05-12 14:50:25 | 日常
2024  5月12日  (日曜日)     曇り
連休も終わっての日曜日。意外に静かな日だ。
天気は下り坂だ。

きょう12日からあす13日にかけて全国的にくもりや雨となるでしょう。
 西日本はあすの午前中にかけて雨が降る見込みです。
 東~北日本や南西諸島ではきょうは所々で雨が降り、
 あすは広い範囲で降るでしょう。(気象予報士)

最近の天気はこんなに変わるものか?
熱中症の注意が出たりで山の方では雪も降ったりと//
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個人的には9.10.11日と外出が続き
今朝の6時半のラジオ体操はだるかった。
10時から自治会の防災&運動会参加・不参加のまとめで
庶務さん宅にて少し雑談。
だんだん天気も崩れそうで、野菜収穫に13時ごろ行ってみたが
蒸し暑い。
レタスと玉ねぎを獲っておしまいにする。

玉ねぎは大分大きくなってきた。2本抜いて試食してみよう。

6月半ばになれば結構大きくなりそうだ。
インゲンの種を蒔いたのに芽が出てこない?
 種がダメらしい!蒔き直しだなあ・・・
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下野新聞のコラムに
  母親の別の顔というのがあった。

 衆院選を前に、
 県東に住む60代の母親と40代の長女を取材して帰ろうとした時のことだった。
 長女が意外そうな、それでいてうれしそうな表情を浮かべて言った。
 「きょうは母の違う一面を見ることができました」
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▼有権者として一票に込める思いを尋ねる取材だった。
 その年は、衆院選で女性の選挙権が認められて60年の節目
 その母親は戦後、自分の母親が「婦人参政権」に関する記事を熱心に読んでいたこと、
 入院中でも投票を欠かしたことがないこと、
 女性大臣の増加を望んでいることなどを話してくれた。
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▼なるほど。親子の会話では、ありそうでなかった話題だったのかもしれない。
 長年生活を共にしてきたからといって、互いを熟知しているとは限らない

▼絵本作家の故佐野洋子(さのようこ)さんは幼い頃、
 母親が小学校に上がる前の思い出話をした時に
 「私は母も子供だったのかと大変驚いた」とエッセーに書いている。
 「もうずっと母の顔をしている母から、子供の母を想像することができなかった」と・・・・
▼子どもにとって、生まれた時から母親は母親のまま。
 だが、母親である以前に一人の人間なのだ。
 この当然の事実に、なかなか気付かない。
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きょうは母の日。日頃の感謝の気持ちを伝えつつ、
 母親が子どもだった頃の思い出などを尋ねて、
 いつもと違う一面を知る日にしてみては。
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まあ・・親孝行したいときに親はなし・・・さればとて墓に布団は着せられず。だが
自分でも思うが私は親孝行であったなあ~と思っている。
亡くなってから一度も夢に出てこない。たまには夢にでも出てきてほしいものだ。
特にお袋さんには・・・
そういえば母の小さいころは想像できないなあ!
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日記(5.11)

2024-05-12 09:29:32 | 日常
2024   5月11日  (土曜日)   晴れ

カミさんの実家の十二天様の神事に呼ばれた。
皆それぞれ集合する。
山の中の家。新緑から緑が強くなってきている。

祭るのは
11時半宮司さんも来て神事が始まる。
この家一軒だけの神事だ。
大きな木の裾に小さいお宮が作ってある。

それぞれ榊を上げて低頭してまじめに進行する。
代々続いているこの神事は毎年行われる。
今年”のぼり旗”も100年ぶりに新調された。

疱瘡神の旗も追加され、更に小さい祠もできた。
やることは昔のまんまだ。


家の前は畑と山だ。

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神事も終えてお食事だ。ビール飲みすぎ疲れも出てきた。
ぼちぼち帰宅組を皆んなで送る。毎回の風景だ・・仲がいい身内たち。

私たちも17時に帰宅支度をしてみんなに送られて家路に。

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日記(5.10)

2024-05-12 08:48:26 | 日常
2024   5月10日    ②
熱田神宮へ
緑濃い広い参道を歩く。

織田信長が戦勝に贈ったという信長塀がひっそり残っている。


一回りしてはいないが・・広いなあ~・・明治神宮とそっくりだが
熱田神宮は戦争で焼失したので建て替えられていると・・。

  蛇足:私はここで白蛇を観た記憶がある。場所は定かでないが・・
     カミさんに確認したら観たよ!
      良いことがあるかな・と言った覚えがあると。
      私の記憶は正しかった!
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★大太刀があるというので見学する。
 本物の重さを実感する。

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13時半の予約を入れておいてくれた”ひつまぶし”のお店。
Hさんも予約に苦労したらしい。有名店で混雑すると・・
”あつた蓬莱軒”

”ひつまぶし”をいただく。

美味しい最高だ、これは人が来るわけだ!
メニューも撮っておく。

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満腹になって名古屋駅に向かって
Hさんの準備してくれたお土産と赤福も買っいただき
新幹線15時半に乗る。散財をおかけした。
●新横浜でSさんと別れ東京駅で3人がそれぞれが自宅方向に向かった。
私は19時自宅着。みんなLINEで無事のメールが届いた。
良かった懇親会。
2030年にリニアーが開通できれば乗りたいものだが・・・・。
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