のすこ定食~かなり胃もたれします!?~

ちょっと変な「のすこ」のボヤキ。
不定期更新です。
最新の情報は、本編の「のすこ尽くし」をご覧ください。

紫陽花を見て思う事・・・

2013-06-12 09:32:00 | むかしばなし
どうものすこです。
今日は朝から雨ですね。
梅雨らしい天気です。
紫陽花も綺麗に咲いてます!?

雨降ってるけど、今日はあまりジメジメしてないので、その点は良いかなぁ~!?
そんな風に思ったりてます。

さて、オイラは梅雨になると思い出す歌があります。
それは村下孝蔵の「初恋」と言う曲です。
確かこの曲がヒットした年では無かったんですが、オイラも人並みに恋をしていた時期がありました。
これが本当の意味での初恋だったのかは、ちょっと微妙ですけどね。
「心の底から人を好きになった!?」という意味では、間違いなく「初恋」だったと思います。
正直、ちょっと遅い初恋だったと思うけどね・・・
この歌の歌詞が、どこかオイラの思いと重なる所があり、雨の降る中良く口ずさんで居たものです。
つらい想いを抱えながら、歌っておりました・・・
降り注ぐ雨と紫陽花の花を見たら、「そんな事があったな・・・」と懐かしく思い出してしまいました。
まあ今じゃ遠い昔の事です。

なんて昔話風をかいてますが、結構最近のお話だったりして!?
数年前まで引きずってましたねぇ~!?
う~ん・・・
まあ今は何と思い出に出来ました!?
随分と時間を要してしまいましたけど・・・
ここで学んだ事は無駄じゃないです。
そう無駄じゃない!?
だからこそ今この経験を生かさないといけませんね!?
同じ過ちだけは避けたい!?
そう思ったりしております。
でも中々うまく行きません・・・
心ぐるしい日々であります。
でも最後まで諦めず進まねば!?
それだけは事実なんだと思います。
ではまた・・・

のすこ。をプロデュース

2005-11-19 22:41:44 | むかしばなし
良く考えると今シーズン真面目にずっと欠かさず見てるドラマ無いですね。
元々見るつもりだったのは「危険なアネキ」と「1リットルの涙」ぐらいなんですが、仕事で見逃してしまった日が多くなってます。
「1リットルの涙」に関しては、なんとなく怖くて見れないってのもあるけど・・・
なんか泣いちゃいそうでしょ!?
他に一応見てるのは「花より男子」と「野ブタ。をプロデュース」かな?
「花より男子」は見るテレビ無くて、金スマ見た流れで見てるだけかな。
「野ブタ。をプロデュース」は最初は見る気がしなかった。
と言うのも「堀北真希が野ブタってありえねぇだろ!?」と思ったからです。
所がどっこい!?
見てると意外と堀北真希が野ブタもありに見えてくる。
その辺は演出が上手いのかもしれないけどね。
でも俺がもし堀北真希のクラスメートだったら、どんなにダサダサな感じでも絶対見逃さないね!?
俺って意外とそう言う所だけ鋭いし。
ある意味男にとって理想なんだよね。
普段はダサダサだけど、実は物凄く可愛いって!?
まあ今まで身近には居なかったけど・・・

そういえば昔、参謀長と閣下が「のすこイメチェン計画」(のすこをプロデュースって感じ?)とか言って、盛り上がってる事が在りました。
まあ普段の「のすこ」は見た目のイメージ悪い感じなので、そんな話が出たわけです。
頭ボサボサだし、無精ヒゲ生えてること多いし・・・
二人でああでもない、こうでもないと盛り上がっておりましたが、全て却下しておきました。
だってそもそも二人ともそんなにセンス良くないじゃん!?
大体がのすこの友人ですよ。
そんなにセンスが良いと思えない。
センスが良い悪いで言ったら、正直姉や妹の方がもっとマシでしたね。
本人達には言いませんでしたが、服装に関して言われたようなものは、大体持ってましたしね。
まああまり着る機会が無いから二人とも知らないだろうけど・・・
そもそも野郎同士でつるんでるだけなのに、どうして良いカッコして歩かなきゃいけないのかが判りませんでした。
皆良いカッコしてるんだったらまだわかるけど、何時もダサダサなカッコしてたじゃないの?(とくに参謀長あなたですよ!?)
女の子とデートするとか、せめて合コンするから良いイメージにしてくれって言うのであれば判りますけどね。
そんなこと一度足りとも無かったじゃないの!?
う~ん!?
ここは百歩譲って、「女の子を紹介するにもイメージが悪くて心配だった!?」としましょう。
で「君たちが言っていた服装は、何処に行けばのすこが着られるサイズの物が在るのかな?」って疑問です。
はっきり言ってのすこは規格外のサイズなんで、入る物を探すのさえ困難です。
ましてや着れるサイズの気に入った服なんて中々無いです。
だから昔から気に入った服を買うのではなく、サイズが合う物を買うと言うのが基本でした。
今でこそ何処に行っても「大きいサイズ」のコーナーが在りますが、昔はあまり有りませんでした。
仮に在ったとしても、そう言う所は意外とおっさん臭い服ばかり置いてある事が多かったです。
必然的にのすこの服装もおっさん臭くなるわけです。
まあ今はそんな事も有りませんが、欲しい物を探すにはやはり苦労する物です。

実際高校生ぐらいまでは、ろくな物は買えませんでした。
小学生の頃は全面的に親の買ってきた物を着てましたが、入る物が大人サイズになってしまうと言う点と、母親のセンスの無さから物凄くダサダサなカッコをしてました。
中学生ぐらいになると、少し自分の欲しい物を主張しますが、結局サイズが合うものが無く、思ったような物を着ていたのは少ないです。
またこの頃は、母親に買ってきてもらっていた事が多く、母親が買ってくるの物が、微妙に主張した物と違うと言う問題がありました。
何度か母親ともめたので、徐々に「自分で見て買え!?」という方向に変わりました。
親と行動を共にするのは弱冠不本意ながらも、親に着いて行って、自分で欲しい物を選ぶようになっていきました。
高校時代も同じで、自分で勝手に出かけて好きな服を買ってくるって事は無かったと思います。
まあ金が無かったので、好き勝手に買えないのはしょうがない所です。
普段は制服着てるから、あまり服装に気を使わないで良かったのも在りますけどね。
自分で服を買ってくるようになったのは、専門学校へ行くようになってからだと思います。
相変わらずお金は持ってないので、「かーちゃん服買ってくるから金くれ!?」とか言ってお金貰って買ってきてました。
なのであんまり高いものを買った記憶は無いです。
たま~に自分でお金を出して買ったりもしてますが、本当にたま~にでした。
この頃は基本的に自分で見繕って服を買っているましたが、相変わらず欲しい服で合うサイズがないのは変わりませんでした。
なのでやっぱりちょっとおっさん臭いカッコしてました。
そのせいなのか皆に「おとーさん」とか呼ばれたりしてましたけど・・・

あと一つ言えるのは、どんな格好をしてもあまり似合った気がしないのも在りました。
やっぱり何処か変なんですよね。
服その物のバランスが悪くなってたりして・・・
だからその時々の流行を追うような服は、着た事無いです。
奇抜な服装も駄目です。
昔からあるようなオーソドックスな感じが、一番自分には合うような気がします。
まあセンス無いから他の人がなんと思うか判りませんが・・・
どっちにしろセンスのあるカッコなんてしないと思うけどね。
面倒だし・・・
まあ一生女には良いイメージ与えられないのは間違いないね!?

小学生の妹に奢らさせていた男

2005-10-04 17:26:33 | むかしばなし
どうものすこです。
先日妹と妹の旦那を交えて昔話をしていた所、意外な事実が発覚しました。
「中学高校時代のすこ小学生の妹に奢らせていた疑惑」です。
まあ奢らせていたといっても、1本10円の「うまい棒」を友人分も含めて数本、妹のお金で買わせていたらしいです。
正直全然記憶ありませんでした。
ふと思い返して見ると、確かにその頃妹は始終駄菓子を抱えていた記憶があります。
同じ頃ののすこは、そんなに何時もお菓子抱えるほど買えなかったです。
「なんで何時も始終駄菓子が買えたんだ?」と疑問を投げかけると、妹から帰ってきた答えは「あの頃あたしお金もってもん!?」でした。
よく話を聞いて見ると次のような理由でした。
当時親父は食事の時や休憩時の飲み物等の支払いを、殆ど札で支払っていた為、毎日小銭が良く溜まっていました。
親父が100円未満の邪魔な小銭を持ち歩くのを嫌い、全てそのお金をTVの上に置いてあった妹の貯金箱に入れてしまっていたそうです。
確かにのすこにも、親父が妹の貯金箱に小銭を入れていた記憶があります。
こんな調子で毎日100円ぐらいずつ溜まるので、駄菓子を買うのなんて全く自分の懐に影響は無かったらしいです。
のすこなんて日々お金が無くて困っていたのに、羨ましい限りです。
事実高校卒業するまで、お金が入ってなかったからお財布もって歩かなかったし。
何時も持っているのは学生服のポケットの中に10円~数百円の小銭だけ。
なんか侘びしいです。
お陰で当時友人からは付き合いが悪いと、不満の声がよく上がっておりました。
何でそんなにお金が無かったかというと、一つは中高生には少々高額な買い物をしていたという点があります。
でも最大の理由は自らの進路の為にお小遣いを使わなかった事に有ります。
と言うのは、のすこが高校受験の年、姉も大学受験の年でもありました。
姉としては大学へ進みたかったようですが、親父としては「女が大学に行く必要は無い」と全く意見が噛み合っていない状態でした。
結局最終的に親父も折れて、「国立大に合格すれば良し」とする方向で話がまとまりました。
その結果どうなったのかというと、残念ながら姉は大学には受からなかった訳です。
姉としては一浪してでも大学に行きたかったようですが、親父はそれを許さなかった。
仕方なく姉は専門学校への道を選ぶわけですが、ここでも一悶着あり入学金の高い場所は、速攻却下されました。
結局親父と折り合いのつく場所に決まったわけですが、それまでには相当な戦いが展開されていました。
のすこはこの親父と姉との攻防戦を見て、自分の進路に関して次のように考えました。
私立の地方の大学であれば、どうにかなるかもしれないが、国立となると多分無理だろう。
となると専門学校であるが、先の親父の姿を見ていると、もめる可能性大なので何らかの対策を考える必要があると考えたわけです。
そこで考えついたのが、「お小遣いを使わずに貯めておきそのお金を盾に専門学校入学を許可させよう!?」計画でした。
この計画に基づき日々精進を重ねていたので、何時もお金が使えなかったというのが、お金が無かった最大の理由です。
結局どうなったのかというと、無事目標通りの金額を残しました。
専門学校への進学も何の問題も無く許可されました。
いささか拍子抜けしました。
後で人から聞いて分かった事ですが、のすこが行く気があったのなら、私立であろうと大学にも行かせてあげる準備はあったようです。
正直これを聞いた時は、「先にいえよ!?」と突っ込みをいれてやりたくなりました。
そうと分かっていれば諦めずに、勉強したかもしれないのに・・・

妹を見ていてお金も持ち合わせていないのに、ホイホイとお金を使えるのは、労せずしてお金を手に入れられる環境を持ち合わせていたと考えると、少々興味深い物がある。
対して俺は幼い頃から働かないとお金は増えないと思っていたので、なるべく使わないように取っておく性分である。
妹は親の言う事を聞いて気安くお手伝いをするが、これは労働とお金が分離して考えられているからだろう。
俺は無用な手伝いはしたくないと言うのが本音だ。
これは労働とお金が一緒になっている為、無償の労働というのが考えられないからだと思う。
元来の性格も有るかも知れないが、基本行動パターンがこう言った過去の出来事から形成されていると思うと中々面白い。
まあだからと言って小学生の妹に奢らさせて良い物ではないですが・・・
でも羨ましいよね!?
労せずしてお金が入ってくるのって!?

夏は注意しないと・・・

2005-08-08 17:20:00 | むかしばなし
どうものすこです。
土曜日に行った海での日差しダメージがいまだ残っています。
体中がピリピリ痛いです。
おかげさまで2連荘では海行けませんでした。
う~ん!残念!?

さて本日8/8ですが、この日になると思い出すことがあります。
のすこが小学3年生の時、我が家で食中毒があった日です。
ちょうどその日の数日前から、従兄弟一家が泊まりで遊びに来ていたので、併せて6名が食中毒症状を起こし、内4名が入院する緊急事態でした。
原因は前日に作ったおむすびでした。
前の日の夜に家族と従兄弟等大勢で出掛けたました。
その時食べるつもりで大量のおむすびを作ったのですが、結局おむすびを食べずに何処かの食堂で夕飯を取ってしまった。
炊き立てのご飯を直ぐに握って、トレーの上に乗せて上からラップをしていたのですが、炊き立てご飯の温かさと、真夏の夜の暑さでご飯が傷んでしまったようです。
その痛んだおむすびを、朝食代わりに食べた人間が、全員食中毒になってしまいました。
一切口にしなかった妹と叔父さんは無症状で、ちょっとだけ食べた母親と姉が軽い症状を訴え、大量に食べたおばさん、従兄弟、親父、のすこが入院となりました。
のすこはおむすびを食べたのちTVを見ていて
「あ!今日登校日だった」
「行くの忘れた!?」
と思った瞬間物凄い吐き気に襲われました。
慌ててトイレに行くと、既におばさんが篭りっきりの状態でした。
のすこは仕方なく、お風呂場に駆け込みそこで吐き続けました。
同じ頃従兄弟がベランダにて吐いていたようです。
暫らく吐き続けると、胃の中に何もなくなったのか、黄色い胃液だけが出てきました。
それでもまだ気持ち悪さは消えず、胃液を吐き出し続けました。
それから少しすると今度は、お腹がゴロゴロとなり始めました。
吐き気が収まるのと、おばさんがトイレを出た瞬間を見計らって、トイレに駆け込みました。
その後何度か吐き気と下痢を続けて、弱冠症状が治まった所で、3人を親父が車で病院へと運びました。
3人はあえなく入院となりました。
親父は皆を病院に運んだ後、体調が悪くなり再び病院へ舞い戻って入院したそうです。
のすこは3日間ほど入院しましたが、病院のご飯が不味く何も出来ず退屈だったので、退院させてもらいました。

その後友達に食中毒で入院した事を話すと、何故か皆「お前ん家らしい」と言いながら笑いました。
「食中毒って感じがのすこに似合うからってそんな笑わなくても・・・」と思っていたことを覚えています。
もう二度とあんな大変な思いはしたく無いです。
まあそれ以後食品の痛み具合の味覚が厳しくなったけど・・・
夏場は注意しないとね。

思い出作文

2005-08-05 17:54:21 | むかしばなし
どうも暑苦しい夏には異様に邪魔にされるのすこです。
本日電車に乗っていると脇に座った女性が延々と何かで風を送ってました。
もしかして暑いのはのすこのせい?
のすこが暑苦しいから延々とパタパタやってるの?
ちょっと被害妄想的不快感を朝から味わってしまいました。
ショック!?

仕事もしないでブログネタを考えていたら、凄く昔の事を思い出したので書きます。
確かのすこが小学4年生か5年生の頃の話なので、かなり昔ですね。
のすこは忘れ物の常習犯で良く教科書とか忘れてました。
だからよく隣の女の子に見せてもらったりしてました。
なんで横の子が忘れた時は、逆に教科書を見せてあげたりしていました。
この女の子もたまたまくじ引きでのすこの隣に座ることになっただけなので、特にのすこに好意があった訳ではないと思います。
ただのすこは何度も繰り返し忘れ物をしていたので、教科書を見せてもらう機会が多くありました。
そんな点もあり、この女の子と何となく普通に仲良く話をしたりしていたような記憶があります。(この辺は記憶は曖昧です)
ある時そんな二人の姿を見て羨ましいと思ったのか、それとも唯単にのすこをからかう良いネタと思っただけなのか、はたまたは本当はその子に気が有って苦々しく思っていたからなのか、真相は不明ですがのすこは女の子との仲をよくからかわれました。
「お前○○のこと好きなんじゃねぇの?」とか良く言われた気がします。
(詳細は覚えていません)
のすこが幾ら反論してもからかいは酷くなるばかりだったので、のすこは大きく傷ついた物です。
のすこの記憶では仲が良かったような気がしますが、別に好きな子ではなかったような気がします。
だから色々言われるのも嫌だったし、なによりも反復して何度も言われるのが居た堪れなかったです。

そんな事があってから暫らくして、その女の子が転校してしまうことになってしまいました。
そこそこ仲の良かったのすこは少々残念に思いました。
でも仕方が無い事です。
ただ問題はその後の話でした。
先生曰く最後に皆でその子との思い出を作文にして送ろうと言い出しました。
のすこは瞬間に「そんな物書いたらまた俺は苛められる」と思いました。
そう考えると怖くて作文を書くことが出来なかったです。
結局提出期日を過ぎても作文を提出しなかった為、先生から親へと連絡が行ってしまい、両親にその事実を知られることになりました。
のすこは母親に酷く叱られました。
自分なりに作文を書かなかった理由を説明し、理解を求めましたが、結局理解される事無く「作文を書け!」と命じられました。
ここで暫らくのすこと母親の「書かない」「書け」の押し問答が続きました。
最終的に母親が「作文を書く気が無いなら表に出て道路に寝てろ!?」と言い、のすこは家を追い出されました。
頭にきたのすこはマジで家の前の道路に寝てました。
暫らくしてああは言った物の、どうしているのか気になった母親が外に出てきました。
のすこはこの隙を突いて家の中に入り込みました。
まさか本当に道路で寝ているとは思っていなかったようです。
のすこが頑固なのは昔からですね。
今でもこの事は、のすこ伝説として家では語り草になっています。

結局のすこは最後まで、思い出作文を書く事も無いまま、女の子は転校してしまいました。
本当は教科書を見せてもらったり、仲良くもらったお礼をしたかったんですが、結局なにも言わないままお別れしてしまいました。
のすこの部分だけ抜けた作文集をみてあの女の子はどう思ったんでしょうかね?
今は顔も名前も忘れてしまいましたが、会う機会があったら一度聞いてみたいです。

天邪鬼

2005-08-03 19:16:01 | むかしばなし
随分前の話ですが、昔後輩のU君には「この天邪鬼め!」と非難された事があります。
と言うのもある時U君から相談を受けたのですが、その時正直に思った自分の気持ちを一つの考え方として話しました。
翌日同じ話をしている時、のすこは全く違う意見を言っていました。
さらに翌日はまた違う意見を言いました。
で毎日違う意見を言うのすこに対して思わず「天邪鬼」と言ったようです。
のすこ的には物事には色々見方や色々な意見があり、基本的に答えは一つじゃ無い事が多いと思っています。
だからその時思いつく自分の考えを出来るだけ多く見せて、その中で相手がベストと思う物を選んでくれれば良いと思い色々違う意見を言った訳なんですが、どうも回りからすると主体性の無いように見えるようです。
そう言えば上司には「ああ言えば上祐」とも言われました。
結局同じ意味です。
主体性が無いように取られると言うべきか、なんにでも素直にいい返事をしないというかそんな所からこう言われたんだと思います。

さらにのすこはU君に「一匹子羊」と言われたことが有ります。
「一匹狼」は聞いた事あるけど「一匹子羊」ってなにって所ですが、U君曰くのすこの発言は一匹狼的な発言が多かったようです。
そのくせ内容と行動が伴なっていない所があり、何処か弱弱しいので狼じゃなくて子羊になったそうです。
思わずのすこも納得してしまいました。
例えばこんな感じである。
「仕事する気しないから午後帰っちゃおうかな?」等と語りながら、上司に「体調が悪いので午後帰ってもよろしいですか?」等と語り、帰る時は逃げるようにコソコソと帰るような感じだ。
事あるごとに取る行動がこんな感じである。
やっぱり何処か弱弱しい感じである。

そもそものすこがどうしてこんな感じなのかと言うと、イジメにあったせいか性格が酷く歪んでしまったせいだと思います。
良い人と思われたくないが為に悪意ある発言をしたり、おどけて見せる為に心にも無いことを言ったり、本心を隠す為にまったく逆の発言をしたりします。
ちなみにこのブログにも本音と建前と嘘と本当が入り乱れています。
まあのすこ的に言えば全て本当で全て嘘ですがね。
とにかく「本心を見せない」これがメインテーマです。
これは今でも変わりません。
まあおかげで好きな娘がいても何年もポーカーフェース決め込んで、そんな素振り見せずに生活したりするわけである。
結局誰一人気づく物など無く何年もの年月が過ぎていきました。
見事なまでに友人誰も知らんかったからねぇ。
彼女もきっと知らないと思うしね。
むしろ嫌われたと思っている節がある。
本人に確かめた訳じゃないので、確証があるわけじゃないけどね。
こう言う生き方が良いとは言えないけど、のすこはこんな生き方しか出来ない不器用な人間です。
まあ今更生き方を変える気は毛頭ないけどね。
間違いなく、損はしてるね。
「世の中そんな簡単じゃねぇよ!?」そんな言葉が思い浮かんだりする。

今でも宿題(勉強)は自由意志だと思う

2005-07-29 23:00:38 | むかしばなし
どものすこです。
今日も暑かった暑かった。
結局なんもせんうちに一週間が終わってしまった。
毎年こんな感じと言えばこんな感じです。
「無駄だぁ~!?」
まあ今に始まった事ではないです。

今週は変則夏休みで休みだった訳ですが、学校に行ってる時の夏休みも同じように家でぼーっとしていた記憶ばかりです。
あまり活発に遊んでいた記憶は薄いです。
だからこのダラダラした休みの過ごし方ってのは「昔からなのだなぁ~」と今更ながらに思います。
あんまり夏休みにいい思い出って無いような気がする。
夏休みの間で覚えていることって、一番に親父の仕事現場でお手伝いしてお小遣い貰っていた事です。
週3回ぐらいは現場行っていました。
学校行っている頃の夏休みって長くて羨ましい感じですが、同時に必ず夏休みの宿題なんかがある訳です。
休みの後半になって終わってなくて、焦って終わらせようとしている友人たちを見て、のすこは「皆たいへんだなぁ~」等と他人事のように思っていました。
別に夏休みの前半早々に終わらせてしまって、残りはのんびりしていたなんて気の利いた理由が在る訳ではありませんでした。
のすこはどうしていたかと言うと、最初から一切やる気が無いからです。
正直、中学2年まで徹底的に夏休みの宿題をした記憶はありません。
さすがに中学3年の時には受験の内申書に影響があると考え、そこそこやった記憶はあります。
高校時代も教科によっては単位をもらえないとかあったので、一応やってました。
でもこの頃は友人たちと作業分担して終わらせていた記憶があります。
こんな感じなんで中学2年まではは本当に宿題やっていません。
正確には夏休みの宿題だけではなく、宿題そのものをやっていません。
だから小中学を通して担任からはこっ酷く怒られました。
でもどんなに怒られても宿題はしていった記憶はありません。
なぜそこまで頑なに宿題をやらなかったかと言うと、
「学校終わったら俺の自由の時間。宿題をしようが遊んでいようが俺の勝手!?」って言う強い意思が子供の頃から徹底してあったからです。
その結果テストの点が良かろうと悪かろうと、自分の意思による結果なので気にしませんでした。
テストの結果が悪いのが気になったら、勉強も宿題もするだろうし、気にならないのならそれまでのことだって考えてました。
母親には何度も怒られましたが、のすこの頑固な態度に呆れて最後は何も言わなくなりました。
あくまでも自己責任の問題なので、他人にとやかく言われるいわれは無いって所です。
まあお陰様で、頭は良くないですけど・・・
ただ少し思うことは、授業だけじゃ身につかないから宿題って安易じゃない?って事です。
出した宿題の解答の説明だけの授業って安易じゃない?ってとこです。
授業だけで教えきれないって先生が未熟なんじゃない?
こんなんじゃ授業って面白い訳ないんじゃない?
そんな思いが少しよぎります。

何にしてもすごい頑固な感じです。
だいぶ前にこの話を会社でしたら、「信じられない奴だ!?」と大笑いされました。
何処の誰に聞いてもこんな奴は居たことが無いって言われています。
まあ実際こういう人にあった事は無いですけどね。
やっぱりのすこは変人なんですかねぇ。
しかも昔から!?
凡人より変人のがマシだと考えているので、問題ないんだけど・・・

昔から疲れてんだよ!?

2005-07-13 15:13:46 | むかしばなし
どものすこです。
今記憶にある一番古いなりたかったものはパイロットです。
その後宇宙戦艦ヤマトが流行った後は漫画家やアニメーターにあこがれた物です。
その後紆余曲折在って今の職業についています。
一応現在は子供の頃の夢の職業に付いている訳ですが、その中でも分野があるのでその分野については違う物があります。
今の職はクリエイティブな部分が薄い物ですから・・・

そんな中、小学生の高学年の頃に言っていた衝撃の職業があります。
その職種?はズバリ「浮浪者」です。
何故そんな事を思っていたかと言うと、理由は二つ考えられます。
一つは「働く事の大変さ」を身にしみて分かってしまったからだと思います。
何故「働く事の大変さ」を小学生の分際で知っていたのかと言うと、小学生の時既に家の手伝いと証して働いていたからです。
とは言ってもしていたのは雑用ばかりでしたがね。
親父が自営で仕事をしていたので、自分一人では大変だがもう一人使うにはコストが高すぎる時に「お小遣いやるから手伝え!?」と言われて何度となく付いて行った物です。
「仕事後のゴミを掃除しておけ!?」だの「車から道具持ってきてくれ!?」だの誰にでも出来るような事ばかりでした。
この「お手伝い」に対してはもう一つの面があり、それは「どこかに連れてけ!?」と一番うるさいのすこを黙らせる対策として考えられた物のようです。
子供の頃からお金に汚いのすこには効果覿面でした。
若くして働く事の大変さを知った事は良かったのですが、同時に「お金が無いと動かない!?」と言う意地汚さも身に付けてしまいました。
結局のすこは仕事の大変さを早々と知ってしまった為に、仕事に対する夢や希望も人一倍薄くなってしまった為になりたいものが「浮浪者」になったわけです。

さらにもう一つの理由は何かと言うと、苛められていたせいで人との関わりを少なくしたいと思っていたのが理由です。
人間どうしても普通に生活していると人と関わらずにいられない物です。
だけど人と関われば、苛められたり、蔑まれたり、怒鳴られたり、争ったり嫌な思いをする事は一杯あります。
のすこは小学生時代既に世の荒波にもまれてしまい、繊細な心は傷つきまくりです。
正直のすこにはこれ以上耐えられない物がありました。
そんな世の中に疲れてしまった所から出た思いだったと記憶しています。

働かなくて良くて、しかも適当に生きて行く、人との関わりも殆んど無く、自由自在自分の思い通りに適当に物事を進められる。
こんな思いを完璧に満たすのが「浮浪者」以外思いつかなかったの訳です。
まあ働かなくても立派な生活が出来る「大金持ち」ってのも在るんですが、そこに辿りつくのは無理そうだったので即効却下されました。
自分で言うのもなんですが、小学生とは思えぬ荒んだ話ですね。

そんな事を過去に思っていたせいか、度々労働意欲を失いがちです。
仕事サボってリフレッシュなんて事もしばしば行ってます。
でもどうにもならなくなってしまうと会社を辞めてしまいます。
そうすると外界との接触を避けてしまう傾向にあり、半引きこもり状態になってしまいます。
実際半年前まではそうでしたし・・・
俺みたいな才能も何も無い奴が生きて行くには辛い世の中なんだと思う。
名残惜しんで何時までもダラダラ生きてちゃいけないって事なのかも知れない。
また生きているのが苦しくなってきてしまった。
そろそろリフレッシュしないと不味い。
まあ俺が居なくなっても世の中変わらない。
寂しい限りだ!?

母親とカバン

2005-07-09 19:44:36 | むかしばなし
先日昔の事を思い出して、疑問に思ったことがあります。
どんな事かと言うと、昔中学に入学するちょっと前の事です。
教科書やノートを入れる学生カバンを持っていなかったので、母親に「買ってくれ」とお願いした所、母親が街中のお店で買ってきてくれました。
そこまでは何の問題も無かったのですが、この母親が買ってきてくれたカバンの色が黒ではなく紺色でした。
今は知りませんが、当時男が黒で女が紺と言うのが定番だった為、母親に「交換」を要求したのですが、何故か母は紺色のカバンを前にしてこのカバンの色は「黒」と言い切りました。
そこで俺と母親との押し問答が暫らく続きましたが、母親も全く譲りませんでした。
最終的に母が「そこまでお前が紺と主張するなら自分で取り替えてこい!?」といわれました。
結局自分で取り替えてくるのが面倒だったので、渋々折れました。
しかし未だに疑問が残るのは、何故ここまで「紺」のカバンを「黒」と頑なに主張したのか、何故間違えを認めず取り替えて来てくれなかったのかです。
今となっては聞くすべが無いので真意は分かりません。
結局のすこはカバンの件で中学時代数回軽いイジメに合いました。
異端なのすこがさらに異端になったのでイジメやすかったんだと思います。
それを考えると「家の母親っていったい・・・」と頭を抱えてしまいます。
正直少し気を使ってもらいたかったです。

なぜ母親がカバンの色を「紺」と認めなかったかと想像すると、多分取り替えてくるのが面倒くさかったからだと思います。
ちょっと出かけて取り替えてもらうだけだと思いますが・・・
まあ俺も面倒で取り替えてこなかったけどさ!?
今更ながらに自分の面倒くさがりが、母親の遺伝であることに気づくのであった。


のすことイジメと現実と

2005-06-22 18:24:47 | むかしばなし
今日も支離滅裂なのすこです。
今日はちょっと昔話です。
のすこは長い間イジメられっこでした。
今日はそのイジメの歴史について語りたいと思います。

小学校時代
なんか何時もイジメられてましたね。
太っていたのでイジメの対象になりやすかったんだと思います。
2年生の頃は同級生に、3年生の頃は上級生&下級生にイジメられてました。
4、5、6年生は比較的まともかな?
2年生の時に下校時同級生数人にイジメられていまして、その現場を偶然タクシーで通りかかった叔父に発見されタクシーで帰宅したことを覚えています。
その時イジメていた当人達は、何故かのすこを拉致って行ったと思っていたそうです。
3年生の時のイジメは主に登校時の出来事でした。
のすこが暮らす地域は登校時、近所に住む連中が集まって全員で登校することになっていました。
いわゆる登校班ってやつです。
そんな中の当時6年生の数名が、のすこより下の2年生数名をけしかけて、イジメてくるような感じでした。
のすこはこれが嫌で、一人登校班から離脱して登校していました。
登校班の連中と会わない用に遅めに家を出て行ったので、毎日遅刻寸前でした。
不信を抱いた担任教師が、のすこの姉を呼び遅刻しそうな理由を聞き出し、あえなくイジメの発覚となったわけです。
他にも色々あったと思うけど、あんまり覚えていません。
ただ覚えている事は、太っているからイジメにあい、ストレスが溜まるのでさらに良く食べるようになり、さらに太ると言う悪循環に陥っていたように思っていました。

中学時代
1年生、2年生の時にイジメられていました。
特に2年生の頃が酷かったです。
3年の頃は受験勉強を控えていた事もあり、比較的大人しかったです。
まあそれ以上にのすこにとって大事な問題があったので覚えていないだけかもしれませんが・・・
1年の頃はまあ小学校時代の延長のような内容でした。
ある時鉄棒の出来ないのすこに対し、特訓と証して鉄棒をの練習をした事があります。
最初は意外と和やかな雰囲気でしたが、あまりにも出来ないのすこに嫌気が差してきたのか、のすこをからかってきました。
段々内容が酷くなって来た為、のすこは泣き出してしまった。
その後のすこは悔しくて泣きながら家にかえりました。
泣いて帰ってきた息子を見た母親は、すぐさまのすこを問いただし、学校へと連絡しました。
翌日多少気になったのか、からかって来た二人が謝って来ましたが後の祭りです。
その後担任にお説教されていました。
2年の頃はそりゃまあ酷かったです。
かつあげされたり、殴られたり色々です。
あんまり思い出したくない事ばかりです。
実際何度か自殺を考えました。
まあ結局自殺する勇気も無かっただけかもしれません。
ある時のすこの足元にキリを投げて来たやつがいました。
「やめろよ!」とのすこは言いながら何度かよけましが、一向にやめる気配はありませんでした。
再びのすこの足めがけて投げてきたので、のすこは「やめろよ!」と言いながら投げてきた相手の手を振り払いました。
すると見事自分の足にきりが突き刺さりました。
正直のすこは「自業自得」と思いましたが、きりが足の甲を貫通していたので痛々しくて見ていられませんでした。
それから暫らくはこいつはちょっかい出してこなくなりましたが、他にまだ沢山いたのでのすこの苦しみが和らぐ事は有りませんでした。

高校時代
特にイジメにあった記憶はないです。
ですがプチ嫌がらせには良くあいました。
のすこは何度も自転車のタイヤの空気をぬかれたりしました。
なんでこんな事をされたのか意味不明です。
何か裏があるのか当事者である閣下に問い合わせをして見ましたが、音沙汰なしです。
まああくまでものすこの想像でしか有りませんが、裏に何か有りそうな気がします。

専門学校時代
特にイジメられた記憶はないです。
ですが、なぜか見ず知らずの女子に「気持ち悪い」だの「汗臭そう」だのいわれも無い中傷を受けたものです。
まあこう言うこと言う連中に限って、「お前鏡見たこと有るのか?」と問いただしたくなる連中ばかりでした。
なので尚更傷ついたりします。

社会人になってから
特にイジメられていません。
強いてあげれば「社会」にイジメられてるのかな?
努力しても努力しても報われない、のすこの人生を見ているとそう感じます。
まあ努力が足りないって言われると困るんですが・・・
なんにしてものすこのような取り得も無い人間にはとっても辛い世の中です。
正直物が馬鹿を見るような今の世間は嫌いです。
生まれてくる時代を間違えたような気がします。
転じて自分は世の中に必要の無い人間のようにも思えてきてしまいます。
悲しい事だけれど・・・

大概イジメていた方はイジメた意識低いんだよね。
殆どが「からかっていた」程度にしか思っていない。
受けた方はそれこそ自殺するかどうかまで思い悩んでるのにね。
正確が捻じ曲がるのも無理は無いような気がします。
まあ人のせいにする気はないけどね。
よく世間ではイジメは苛められる方にも問題があると言う人がいる。
俺に言わせればナンセンスだ。
確かに苛められる方にも問題があるのは事実だ。
でもそれを克服できない理由が確実にある。
それを克服できないから苛められてるのに、「克服すればいいんだ」的発言のみをする人が結構いる。
まるで話が噛み合わない。
人と同じ事を同じ様に出来ない人が居るって事をもっと理解してもらいたいものだ。


俺もまた、知らず知らず人を傷つけているかもしれない。
人と接して生きている以上、無いとは言い切れない。
もし傷つけてしまった人が居たとしても、今は穏やかに暮らしていると信じ願うのであった。