天皇皇后両陛下、教皇パパ・フランチェスコ様、皆様こんばんは!
昨日は、少々苦しいテーマだったかもしれません。
今日は、絶世の美女と言えばやはり、時代とともに変わりますが、
クレオパトラや小野小町、紫の上、などが思い浮かびます。
クレオパトラは、小さい時の学習に飢えていた時の
学習辞典で読んでからですから、かなり長い間知っている名前ですし、
写真も浮かびます。小野小町や紫の上に関しては、
文学的な存在なのか実在なのか?
いろいろ考えられることが、まず面白かったのを覚えております。
聖書に親しみ、多くのほかの文学を読まなくなっていた長い時間を思うと
今なお、それらを想像できることに、不思議を感じます。
まさに、「神の前では、1日は、1000年、1000年は、1日のよう」である
通りの時間の感覚と自分自身の精神の感覚です。
近年大人になって気づくのは、
絶世の美女・・・とは近くの女性を、とことん思ってみるし、思われてみると
通常、その対象の女性たちは、美女、絶世の美女と言われたりすることも
また感じております。
しかし、それは、適齢期の若い女性でないといけないようです。
男性としたら感謝なことですし、
本当にそうであったら色々な意味で助かります。
と言うわけで、心がけと知性と感情の正しいコントロールとによりそうです。
だから私は、同性愛者の愛感情は、信じません。と言うか?
私には、わからないことです。
神に厳しい訓練された方がましだと思います。
それでも、社会には不思議でいっぱいです。
絶世の美女は、それらの苦しみのもとを、きちんと制御し、
自分自身を規律した生活の中から、しかも男女ともにそうある生活から
生まれるものだと信じられます。
愛し、信じ、期待し、神を愛し、試練を乗り越え、
世を憎まず、規律することによってのみ生まれると言えそうです。
その意味では、聖母マリア様もまた絶世の美女と言えそうですし、
現在の日本の皇后さまもマリア様の容姿に似ておられたと思います。
それでは、神の恵みと祝福と平安が、この世界に、
私自身にも与えられるよう、心よりお祈りいたします。
澤口(沢口)宏行
Pietro Francisco Xavier Francisco
Hiroyuki Sawaguchi