私達は、冬休みに入りました。
ちゃんと、予定どうり、結婚できますよう神に祈ります。
贅沢とお思いでしょうか?
これから、卒業研究を完成し、試験に合格しなければなりません。
その上で、県立医大に、
システム的に、さらに進学できるのかは不明です。
勝手気ままな訓練の友人達?は、すき放題。
私は、研究には、かなりなれているので一応の完成?
これから、修正して完成です。
ここまでを、念頭に置いた私の2年間でしたが、
誰も甘く見すぎて、解らなかったようです。
一つ、私自身が進歩したのは、
韓国出身の女性は、特に身勝手で、心を注ぐ意味がないこと。
結局、亡くなった、私の恩師?と世間では見ている友人たち、
彼らから学んだいい加減な国際交流。
結局、自分自身が、今より若い時に、
しっかりと考えながら確立した考え方が、正しかった。
亡くなった友人たちが、どれほど私に自慢して、
私が先に死ぬと主張したことか。
やっぱり、まるでヨブ記。
晩年は、私に優しくなったかに見えたカナダ人司祭も、
基本は、もっと譲らなかった。
最も私を、受け入れていたのも確かだが。
何を根拠にと思ったが、
他の外国人の非道振りを教えたかったのだろう。
確かに、それは、今になって、良くわかる。
しかし、当の日本人と地域住民は、知らないくせに何も聞かない、
そして、何も私に伺いを立てない。
私が、年老いて、日々の様子を見ている両親の、
言う、言いなりに動いているとでも言うのか。
たぶんそう思っているのだろう。
とにかく、最後まで気を抜けない人生であることは確かだ・・・。
当たり前のことでしかない。
神が与えてくださった命をどうしようと勝手だけれど・・・。
私に他人のそれについて語ることは出来ない。
では、この世界の、全ての、私達の恩人と真の友人達に、
それぞれに相応しい神様の恵みと祝福と平安が、与えられ、
私達とともに、世に楽しみ生きられますように心から神に祈ります。
そして亡くなった人々に、
相応しい祝福がありますようにお祈りします。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.
聖書の転記**********詩篇115章1節************
主よ、わたしたちにではなく、わたしたちにではなく、
あなたの名こそ栄光が帰されますように、
あなたの慈しみとまことの故に。
********転記終わり*********