人は精神から老いていく。 ねえ、何歳から老人というんだろう。新しいシニアを目指して素敵に老いる力を

新しいシニアを目指して素敵に老いる。高齢社会というけれど、高齢者が何を考えているかわかりますか?老いる力と幸せを考える

シニアのイメージ 高齢者のイメージ

2019-10-21 05:17:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

小学生にお年寄りの絵を描かせると、上手い下手は別として、ほとんどの子どもが、似たり寄ったりの絵を描きます。


ヤフーで「高齢者 イラスト」「お年寄り イラスト」と入れて検索すると、出来不出来は別として、子どもたちがイメージした絵と同じイラストが出てきます。


老人、お年寄り、シニア、高齢者は、日本では同じイメージとして画一化され、そのイメージに沿った似たり寄ったりの絵やイラストばかりになっているのです。


これは、単に絵やイラストの世界ばかりではなく、国や地域における現実の高齢者対策にも大きな影響を及ぼしているのではないか、と不安になってきます。 




何でこんなに想像力の乏しいイメージの中で高齢者に接する要領が出来上がってきているのでしょうか。


ある事象、ある集団、ある事件に対する固定的なイメージは、その国の思考や行動の水準を表しているように思えてきます。


固定した画一的イメージは、『対象を生きて動いているもの(こと)として見ていない』ことから生まれてくるイメージなのです。


だから、老人は動きが鈍くて困るとか、老人のくせに偉そうにしているとか、ヒドイ場合には、「うざい」などと言われて邪魔者にされていくのです。


共存の思想や人間社会の循環の事実が、その場その場で適当に扱われてきて、老人は、蚊帳の外の存在にすらなっているような気がします。


現実のこの世の中には、優秀な老人や高度な技術を持っている老人や気高い人生を送っている老人が数多くいます。


でも、この方達もその場その場の方便で、スゴイとか立派とか言われていますが、だからと言って、彼らが豊かなイメージで社会に位置付けられているわけではないのです。


大人の中(大人という言い方)には、老人は含まれていないのではないかとさえ思う時もあります。


子どもと成人が一つのグループ。

老人、高齢者、お年寄り、シニアがもう一つのグループなのです。


ですから、いくら平均寿命が延びて世界一近くになっても、社会の質自体が世界一になろうとしない限り、若者と比べて老人は、不幸せな扱いを受ける率が大幅に高いのです。


現在の日本は、高齢化の真のピークに入ろうとしています。


今こそ、老人に対するイメージの変更と活動の場の確立を始めない限り、この国の未来は、夕方のすさびた場末のような国になってしまうだろうと思えて仕方ありません。




朝の光を眩しく感じる日は


伸びようとして瞳の輝く日


朝の光が何気なく過ぎる日は


耐えている自分だけの日


朝の光はどんな時にも平等なのに眩しさも意味も違う


伸びようとする瞳が好き


光の横でギリギリ自分を支えているあなたの強さも好き




みんな気持ちで負けるな


手を繋いで一緒に進もう 

(くろほとき)




・・・・・
おはようございます。
よろしければ下のシニアライフのボタンをポチっとクリックしてください。⬇️
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

咲きたい 輝きたい 生命を広げたい

2019-10-19 06:27:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

10年以上前の話です。

亡くなる2年位前に、私の父親が私に一冊の大学ノートをくれました。

父は、その頃から体調を崩して、入退院を繰り返していました。

そのノートには、

親戚のこと、保険のこと、土地の境界線のこと、

父が亡くなったときに連絡をする人たちの名前、お墓のこと、

などなどが細かく書かれていました。


これは、今、流行のエンディングノートだったのです。


父の場合、「備忘録」というタイトルでしたが・・・。



エンディングノートの目次や構成を読んだだけで、今までの自分の人生の未熟さが浮かび上がってきます。

同時に、まだ、死ねないなあ、という新たな気持ちも出てきます。


エンディングノートは、その人の過去、現在、そして、残された未来を考えるための

ずいぶん上等な方法だと思います。


ですから、死に至る準備としてのエンディングノートは、

「人生の締めくくり方の学び」の中の一コマに、積極的に取り入れるべき内容だと思います。

ただ、どう活用すればよいのかを考えると、難かしくて思わず考え込んでしまいます。




あるエンディングノートの最初には、次のように書かれています。

・・・・・
思いやりを「カタチ」にするエンディングノート。

残された人たちが困らないように、「あなたの言葉」で「あなたの思い」を伝えましょう。


目次や構成は、次ぎのようになっています。

・私のこと

・自分史

・親戚・友人 ・知人リスト

・ペットについて

・私の財産について

・保険 ・私的年金

・介護 ・告知や延命治療 ・献体など

・葬儀のこと

・お墓のこと

・携帯電話、会員サービスなど(解約をお願いしたいもの)

・形見分け 遺品の整理(処分品リスト)

・遺言書や依頼 相談先リスト

・大切な人へのメッセージ

なるほどなあ、と思うポイントがほどんど入っています。


これを、自分で納得いくように考えながら書き込んでいくのは、結構なエネルギーと時間が必要です。

しかし、書き終えた時には、ある種の感動が待っているかも知れません。

このポイント(項目)を誠実に埋めていくだけで、

全体として

『残された人たちが困らないようなノート』になっていると思います。

素晴らしいと思います。


しかし、これだけでは、何か足りないような気がしてしょうがありません。

多分、このエンディングノートだけでは、

自分が何を目指して、どう生き、何を考え、

今、死に至る段階で、何をどうしようとしているかという

『生き様』『ライフワーク』『自己の人生への自己評価』が載っていないからだと思います。


つまり、「人生の締めくくり方の学び」には、

一方に、エンディングノートに代表される重要な連絡という輪、

もう一方に死に至る段階でしか出てこない『人生観』『死生観』の振り返りという輪、

という両輪があって初めて『学び』や『誠実な行ない』になるのだと思います。


だから、抽象的な言い方になってしまいますが、

その両輪の誠実な回転をどう促していくかが、

シニアの『学び計画の大きな柱』になるのだと思います。



夜を越えて今朝もバラが立っている

今から咲き誇ろうとするバラもあれば

こぼれそうな生命をたたえているバラもある

このバラはみんな夜を越えて来た

芽吹の夜も雨降る夜も

咲きたい輝きたい生命を広げたい

そう思って懸命に生命を繋いで来た

私は今

バラの一途さに

こころ震えている
(くろほとき)




・・・・・
おはようございます。
よろしければ下のシニアライフのボタンをポチっとクリックしてください。⬇️
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学び続けること

2019-10-18 12:14:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

もう一度、言います。

年老いて、なお学び続ける人は、立派です

年老いても、なお志高き人は、尊敬に値します

しかし、年老いて、なお

現役時代の自分の役職や肩書きを

みんなの前に持ち込む人は

愚かです

あなたの自慢話なんて聞きたくない

あなた、キレイに、ステキに生きなさい

ほら、青空だってそう言ってますよ



「大賢は愚なるがごとし」という言葉があります。

また、「深い川は、静かに流れる」という言葉もあります。

次のような意味です。

前者は、本当に賢い人は、知恵や知識をひけらかさないから、一見したところでは愚かな人に見える。

後者は、分別のある人や思慮深い人は、ゆったりとしていてやたらに騒がない。中身がある人は悠然としているが、出来ていない人ほど騒々しいものだ。

どちらも、言おうとしていることは同じです。

あなたは、どちらでしょうか?

私は、心して生きるように努力をしています。



哲学者でもない

芸術家でもない

絵も描けない

詩も書けない

歌も歌わない

サキソフォンも吹けない

人の心も読めない

速く走れない

腹筋も割れてない

夢ばかり見てる


だけど私には

私だけの言葉がある

その言葉が私の射る矢に乗って

今日もあなたに届く


さあ受け取って

掌に乗せて

壊れてしまう前に
(くろほとき)



・・・・・こんにちは。よろしければ下のシニアライフのボタンをポチっとクリックしてください。⬇️
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かけがえのない自分

2019-10-17 04:40:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

結局、高齢者のことは、高齢者が頑張らないとダメなんじゃないか。

いろんな資料を読んでも、いろんな高齢者と接しても、そう思ってしまいます。

どんなに素敵な若者であっても、若者は高齢者ではないのです。

若者が、高齢者と共に生きていく決心をしてくれることは、とても嬉しいのですが、

高齢者は、若者に甘えてばかりではいけないのです。



【若返る元気な高齢者 】

*高齢社会のイメージは福祉だけれど、実際には65歳以上の高齢者のうち、寝たきり・痴呆性・虚弱高齢者の割合は10~15%に留まると予想されます。

*残りの約9割は健常な高齢者なのです。

*また、最近の高齢者は昔の高齢者と比較して、歩行速度が11歳、握力の面でも若返っているという検証もあります。

*短期記憶能力は年齢とともに大きく低下するが、日常問題解決能力や言語(語彙)能力は、年齢とともにさらに向上するのです。


【これからは】

*高齢者を地域社会の担い手として活用するという視点が重要になってきます。

*高齢者は、有益な社会資源であり、高齢者の社会参画・社会貢献を促すことにより、地域社会の活性化につながってきます。

*高齢者の大半は元気な高齢者です。

*人生の第1ステージを修了し、第2ステージに立ち、社会の一員として地域社会を支える人であるというように見方を変える必要があるのです。


【生涯現役志向の高まり】

*特に、「 団塊の世代」は、「生涯現役」を志向する者が多く、そのような旺盛な学習意欲・活動意欲を有しています。

*団塊の世代が中心になって、新たな学習の機会を通じて、自分を高め、社会貢献・地域貢献の役割を担っていくんだろうと思います。




もっと自分を大事にしなさい

なげやりになったり

掟に反することをしそうになったりした時に

そう言われた

もっと自分を大事にしなさい

自分とは

「自らを分ける」と書く

他と自ら分かれた存在

かけがえのない存在

それが自分

志を忘れず

強い自分でありたい
(くろほとき)

・・・・・

おはようございます。
よろしけれ
・・・・・⬇️下のシニアライフのボタンをポチっとクリックしてください。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出世の石段

2019-10-16 04:44:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

何年か前、東京の愛宕神社にお参りに行きました。

出世の石段を途中一度も休まないで一気に登ろうと思いました。

一緒に行った者が、何かあると大変だから、ゆっくり登るように気遣ってくれましたが

なんだか無性に一気登りがしたくて、頑張りました。

結果は、一気登り成功でしたが、少し胸の辺が苦しい感じもしましたが

頑張ったよな、って自分で自分に言いながら一人笑いをしました。

本殿にお参りしてから池の近くに行くと、結構な数の鯉が、足元に向かって集まって来ました。

どの鯉も私の餌をめがけて口をパクパクあけて必死でした。

しかし、私が餌を持っているはずがありません。

ですが、なんだか、この鯉たちに申し訳なく感じて、100円の餌を買い求めて鯉たちに振る舞いました。

彼らは、餌をめがけてもの凄い勢いで突進してきました。

弱肉強食、生き馬の目を抜くような光景でした。

そうこうしているうちに、どうしても餌にありつけない鯉が一匹いることに気づきました。

餌に食いつこうとすると、横から斜めからすばやい鯉が出てきてさらっていくのです。

その弱い鯉を発見してからは、どうしても食べさせたくて、もう一袋餌を買ってきて、その鯉をめがけて餌を投げ入れ続けました。

やっと、彼の口の中に餌が入ったので安堵して次のお参り処に向かいました。

出世の石段を一気登りできたことと、弱い鯉の口にも餌を与えることができたことで、ようやく笑い顔を復活させることができました。




帰り途、この二つのことを思い出しながら、複雑な気持ちになりました。

一気登りをしようとしたのは、確かに私だけれど、これは明らかに「シニアの気持ち」とパラレルになっていたのです。

まだ、大丈夫。

まだ、やれる。

若くないけど、年寄りではない。

自分は、歳の割にはしっかりしている。

一気登りということは、実は、そういうシニアの気持ちがしでかした行動なのです。

この日、このとき、私は、シニアの気持ちを象徴していたのだと言っても良いでしょう。

また、弱い鯉の口にも餌を与えることができたという安堵感は

「健康・自立」のいきいきシニアが

「介護・依存」の辛いシニアに

『心の声かけ』をしていたんだと思います。


うまく表現できませんが
シニアの心身の現実をしっかり見据えて、koureibunka の活動に専念しなければならないと強く考えた日でした。




今日もありがとうの朝が来た

毎日がいのちのはじまり

生きていることにありがとう

尻尾ふりふり私のワンコにありがとう

こころ開いてくれる人にありがとう

二度咲きのバラや蕾にありがとう

今日は、ありがとうと言って生きていく
(くろほとき)




おはようございます。
よろしければ、
下のシニアライフのボタンをポチっとクリックしてください。
・・・・・⬇️
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする