人は精神から老いていく。 ねえ、何歳から老人というんだろう。新しいシニアを目指して素敵に老いる力を

新しいシニアを目指して素敵に老いる。高齢社会というけれど、高齢者が何を考えているかわかりますか?老いる力と幸せを考える

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2020-01-30 15:07:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ


決めた事は、変えない、曲げない、投げ出さない。
でも、私にはできそうにない。




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私らしく あなたらしく

2020-01-29 17:28:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

昔、年寄りは、長老と呼ばれ大事にされた。



長生きする人の数が極端に少なく、
習わしや伝統を知っている人(長老)
は、貴重な尊敬されるべき存在だった。



「分からないことは、長老に訊け」だった。



だけど、現代は、長老ばっか、という時代。



年寄りが年寄りとしての貴重さがなくなってしまったのだ


•••••


人間は、昔から


「長生きするためには、どうすれば良いのか」って考えて


さまざまな努力や研究をしてきたんだよね。



だけど、いざ、そうなってみると



世間は、五月蝿がって小馬鹿にし始めるんだ。



全く軽い脳みその時代になってしまったんだ。



道徳、道徳って騒いでも、このザマなんだよ。


嗚呼シニアよ、大志を抱け!





風に吹かれ


雨に叩かれ 


季節にめげず


こうやって咲いてみせる健気さよ


私もあなたのように


風にも雨にも負けず


世間の荒波にも飲み込まれず


何度でも咲いてやる


このまま消えてたまるか
 

いつまでもどこまでも私らしく咲き続けてやる


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念ずれば花開く

2020-01-28 11:05:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

今、雪かき終わったところ。というより、嫌になったからやめた。今朝は40センチだった。まだ降り続いているから、結局どのくらいになるんだろう。

今日は、朝5時から雪かき。

疲れたから、シャンとするために再び坂村真民を再掲載する。




人間いつかは
終わりがくる。


前進しながら
終わるのだ。

(坂村真民)




坂村真民という仏教詩人がいた。


97歳で永眠するまで前進した。


毎日午前1時に起床して近所の重信川のほとりで地球に祈りを捧げるのを日課としていた。


53歳で月刊個人詩誌『詩国』を創刊し、95歳まで通算500号を発行する。


自宅を「たんぽぽ堂」と名付け、晩年まで創作活動を続ける。



坂村真民の詩を三つ



日の昇るにも
手を合わさず、

月の沈むにも
心ひかれず、

あくせくとして
一世を終えし人の
いかに多きことぞ。

道のべに花咲けど見ず、
梢に鳥鳴けど聞かず。

せかせかとして
過ぎゆく人の
いかに多きことぞ。

二度とないこの人生を
いかに生きいかに死するか、

耳をかたむけることもなく
うかうかとして、

老いたる人の
いかに多きことぞ。

川の流れにも風の音にも
告げ結う声のあることを
知ろうともせず、

金に名誉に地位に狂奔し
終わる人のいかに多きことぞ。


・・・

「念ずれば花ひらく」


念ずれば
花ひらく

苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

・・・

「鈍刀を磨く」


鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を借す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかもしれないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙(じんしんみみょう)の世界だ
だからせっせと磨くのだ

・・・

坂村真民は、言います。

一生懸命生きなさい。

自分らしく花を咲かせなさい。

二度とない人生だから、どんな失敗をしても、どんな挫折をしても、どんな病気になっても、
生きねばならぬ。
その力を信仰から頂かせてもらうのだ。
わたしが詩を作るのも、生きがたい世を生きたいからである。



大切なのは、
かつてでもなく、
これからでもない。


一呼吸一呼吸の
今である。
(坂村真民)







人生は、一本の線のようだ

(くろほとき)


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自分の物差しで人の精神を測るな

2020-01-27 16:53:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

何歳から老人というんだろう。この問いはとても難しい。



何歳から高齢者というんだろう。この問いはとてもやさしい。



高齢者というのは、便宜的な区分であるのに、老人というのは、肉体も精神も「しぐさ」も「振る舞い」も含めて実に相対的な区分だからだ。



例えば、65歳の人が「私は高齢者ではない」という方便は成立しない。高齢者医療の文言には、「65~74歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者」と明記されている。 



一方、老人というのは、主観的すぎる。



私と一緒に学びの世界をつくっている75歳の学び人(まなびびと)は、自分のことを老人とは思っていない。



自分は75歳なのに、80歳の人を指差して、「あの人は、80歳になったら、急におばあさんになっちゃったのよ。どうしたのかしら?精神がどうかなっちゃったのかなあ」なんて言って平気な顔をしている。



老人というのは、単なる肉体年齢ではないのだ。肉体が年齢を積み重ねても、それだけでは老人ではないのだ。



老人とは、精神が老いて意欲や目標を失った人のことを言うのだ。



あなたの周りの人をよく見てみるといい。
肉体年齢が増えていっても、若々しく魅力的な人がいるだろう。



彼らのことを、決して老人とは言わないだろう。



自分の物差しで人の精神を測ってはいけないのだ。



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春よ来い

2020-01-26 08:01:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

雪がガンガン降っている。

雪かきをしてもしてもどんどん積もる。

今日は家にいて資料作りをする。

時々外に出て、通り道だけを作る。



春よ来い
私のところへ
春よ来い


春よ来い
あなたのところへ
春よ来い


春よ来い
泣き人たちのところへ
春よ来い


春の太陽
春の光
心と体を春の中に溶け込ませて
踊っている私とあなた


寒冷の地で
凍てつく風を受けながら
私は首を長くして
春を待っている

(くろほとき)


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