人は精神から老いていく。 ねえ、何歳から老人というんだろう。新しいシニアを目指して素敵に老いる力を

新しいシニアを目指して素敵に老いる。高齢社会というけれど、高齢者が何を考えているかわかりますか?老いる力と幸せを考える

念ずれば花開く

2020-01-28 11:05:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

今、雪かき終わったところ。というより、嫌になったからやめた。今朝は40センチだった。まだ降り続いているから、結局どのくらいになるんだろう。

今日は、朝5時から雪かき。

疲れたから、シャンとするために再び坂村真民を再掲載する。




人間いつかは
終わりがくる。


前進しながら
終わるのだ。

(坂村真民)




坂村真民という仏教詩人がいた。


97歳で永眠するまで前進した。


毎日午前1時に起床して近所の重信川のほとりで地球に祈りを捧げるのを日課としていた。


53歳で月刊個人詩誌『詩国』を創刊し、95歳まで通算500号を発行する。


自宅を「たんぽぽ堂」と名付け、晩年まで創作活動を続ける。



坂村真民の詩を三つ



日の昇るにも
手を合わさず、

月の沈むにも
心ひかれず、

あくせくとして
一世を終えし人の
いかに多きことぞ。

道のべに花咲けど見ず、
梢に鳥鳴けど聞かず。

せかせかとして
過ぎゆく人の
いかに多きことぞ。

二度とないこの人生を
いかに生きいかに死するか、

耳をかたむけることもなく
うかうかとして、

老いたる人の
いかに多きことぞ。

川の流れにも風の音にも
告げ結う声のあることを
知ろうともせず、

金に名誉に地位に狂奔し
終わる人のいかに多きことぞ。


・・・

「念ずれば花ひらく」


念ずれば
花ひらく

苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

・・・

「鈍刀を磨く」


鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を借す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかもしれないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙(じんしんみみょう)の世界だ
だからせっせと磨くのだ

・・・

坂村真民は、言います。

一生懸命生きなさい。

自分らしく花を咲かせなさい。

二度とない人生だから、どんな失敗をしても、どんな挫折をしても、どんな病気になっても、
生きねばならぬ。
その力を信仰から頂かせてもらうのだ。
わたしが詩を作るのも、生きがたい世を生きたいからである。



大切なのは、
かつてでもなく、
これからでもない。


一呼吸一呼吸の
今である。
(坂村真民)







人生は、一本の線のようだ

(くろほとき)


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自分の物差しで人の精神を測るな

2020-01-27 16:53:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

何歳から老人というんだろう。この問いはとても難しい。



何歳から高齢者というんだろう。この問いはとてもやさしい。



高齢者というのは、便宜的な区分であるのに、老人というのは、肉体も精神も「しぐさ」も「振る舞い」も含めて実に相対的な区分だからだ。



例えば、65歳の人が「私は高齢者ではない」という方便は成立しない。高齢者医療の文言には、「65~74歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者」と明記されている。 



一方、老人というのは、主観的すぎる。



私と一緒に学びの世界をつくっている75歳の学び人(まなびびと)は、自分のことを老人とは思っていない。



自分は75歳なのに、80歳の人を指差して、「あの人は、80歳になったら、急におばあさんになっちゃったのよ。どうしたのかしら?精神がどうかなっちゃったのかなあ」なんて言って平気な顔をしている。



老人というのは、単なる肉体年齢ではないのだ。肉体が年齢を積み重ねても、それだけでは老人ではないのだ。



老人とは、精神が老いて意欲や目標を失った人のことを言うのだ。



あなたの周りの人をよく見てみるといい。
肉体年齢が増えていっても、若々しく魅力的な人がいるだろう。



彼らのことを、決して老人とは言わないだろう。



自分の物差しで人の精神を測ってはいけないのだ。



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春よ来い

2020-01-26 08:01:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

雪がガンガン降っている。

雪かきをしてもしてもどんどん積もる。

今日は家にいて資料作りをする。

時々外に出て、通り道だけを作る。



春よ来い
私のところへ
春よ来い


春よ来い
あなたのところへ
春よ来い


春よ来い
泣き人たちのところへ
春よ来い


春の太陽
春の光
心と体を春の中に溶け込ませて
踊っている私とあなた


寒冷の地で
凍てつく風を受けながら
私は首を長くして
春を待っている

(くろほとき)


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普通の暮らしをしよう

2020-01-24 23:35:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

昨日、スキー場に行ってきた。

雨だった。

普通なら下界は雨でもスキー場は雪なのに雨だった。

地球がどうにかなっているのか。


富士山周辺には、中国の武漢から観光客がたくさん来ている。

怖い。

マスクを買いに行ったら売り切れだった。


今日も曇り。

まあ、とにかく普通に生きる。


朝起きたら、すぐにブログを更新できると良い。


それはなかなか難しいけれど、朝の絶妙のタイミングを逃してしまうと、ブログの更新は、結局今ごろになってしまう。



普通の暮らしをしよう


花を見て喜び


風の音に耳を傾け


季節の香りを楽しむことのできる


そういう暮らし


雨が降れば雨の匂い


小鳥が歌えば童心の眼差し


玄関の靴を揃えたり


遠方の友に手紙を書いたり


少し長く歩いてみたりする


そういう普通の暮らしをしよう
(くろほとき)




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言葉は、いのち

2020-01-23 08:44:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ


モレスキンノートを買おうと思う。


モレスキンノートを手に入れて、自分のことを自分のために、自分流に記録しようと思う。


シニアは、果実で言えば、「成熟後期」を通り過ぎて、「追熟」(ついじゅく)或いは「後熟」(こうじゅく)の時代なのかもしれない。


語りたいことは山ほどある。

秘密にしたいことも山ほどある。

どうしても書き留めておきたいことも山ほどある。


だから、モレスキンノートを買おうと思う。




モレスキンノートの存在や、モレスキンノートの精神を知ったのは、ある本に出会った時。


「モレスキン〜人生を入れる61の使い方」(ダイヤモンド社)


其処には、《モレスキンノートとは何か?》に始まり

「モレスキンと記録」

「モレスキンと日常」

「モレスキンと旅」

「モレスキンと私」

「モレスキンとアート」

「モレスキンと人生」という重厚で上等な章がある。


まるで、私の推奨する自分史のようだ。


さて、次の休日には都会に行ってモレスキンノートの実物を手に取ってみようかな。


勿論、インターネット上には、すぐにでも配達される通販もあるけど。


でも、実物に出会って、触ってあれこれ考えて、過去や現在や未来を、紙の上にどのように書き込んで(描き込んで)いくかを考えるのも至福の時かもしれない。



言葉は思想だから
何かを考え続けていないと出てこない


言葉は日々の暮らしだから
丁寧に暮らしていないと
生活の言葉が出てこない


言葉はあなた自身だから
あなたが話さないと
あなたの言葉が出てこない

言葉はいのちだから
いのちを大事にしないと
いのちの言葉が出てこない
(くろほとき)



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