人は精神から老いていく。 ねえ、何歳から老人というんだろう。新しいシニアを目指して素敵に老いる力を

新しいシニアを目指して素敵に老いる。高齢社会というけれど、高齢者が何を考えているかわかりますか?老いる力と幸せを考える

花は差別しない 花は希望の灯火

2019-04-07 16:33:00 | アクティブシニア
花はいい。花は、若い人にも高齢者にも公平に微笑む。
花の中に居ると、虹彩がぐっと開いて精神の中で現在・過去・未来が自在に往き来する。
悲しいときは、優しく抱擁し、嬉しいときは、躍動感をもって包み込んでくる。
花は、人を差別しない。老若男女、富めるもの貧しいものを差別しない。花は花であることによって、花の人生を孤高に生きていく。
高齢者は、スマホは苦手だけど、花と接するのは得意。
スマホの前では悩んでも花の前では慈悲心さえにじみ出てくる。
 高齢者に優しい社会なんて本当に出現するのだろうか?
高齢者には小金持ちが多いから、高齢者を狙え。言葉巧みに高齢者から金を引き出せ。高齢者は騙されやすいから、高齢者グッズを売りまくれ。新しい市場は、高齢者市場だ。
ああ、高齢者高齢者。良くても悪くても高齢者。騙され、捨てられる高齢者。金の切れ目が、その高齢者との切れ目。
・・・・・・
 
寂しい時には寂しい夕暮れ
嬉しい時には豊かな夕暮れ
明日を夢見る時には決意の夕暮れ
見えてくるものは見る者の心の反映
あなたも私も気持ちの持ち方で風景がガラッと変わる
寂しくて苦しい時には優しさや寛容な眼差しを持った風景に出会いたい
そして、希望の灯火を持った朝を迎えたい

一日一生は無理でも、一年一生はできるかも

2019-04-07 01:03:00 | アクティブシニア
「一日一生」とは、今日一日を一生だと思って生きるということ。そう生きられたらすごい。私だって、一日一生の道を生きたい。
でも、無理無理。
今日一日を一生だと思って生きようとしたこともあったけど、まあ、私には出来ないというのが結論。
 
ただ、まだ死ねないっていう気持ちは、いっぱいある。
エンディングノートも書いてないし、自分史も仕上がっていないし、自分のぐちゃぐちゃ部屋も片付けてないし、行きたいひとり旅も未完だし、旨いものも食べきってないし、とにかくやりたいことややらなければならないことは、いっぱい。
だから、まだ死ねない。
 

老いない脳

2019-04-05 15:48:00 | アクティブシニア
「老いない脳」は、ない。どんな脳でも老いる。
しかし、脳の老いの速度を遅らせることはできる。
「遅らせても、どうせ老いるんでしょ!」と偉そうに言う人もいるけど、そういう人には、私は、こう言おう。
「だから、脳の老いを、自分が死ぬ時まで遅らせればいいのさ」
世の中には、自称エライヒトがたくさんいて、何か言えば、すぐに理屈を言って相手を潰そうとする。エライのは、1番が自分で2番目にエライのは、自分の言うことをきくヒト。あと、利害関係で自分に利をくれるヒト。その他は、ぜーんぶダメ。
話を元に戻そう。
脳の老いの速度を遅らせるにはどうするか?
1 週に2〜3回以上、1回30分以上運動をする。
2 食生活のバランスに気をつけ、食べすぎない。
3 ストレスをうまく受け流す。
4 人とのコミュニケーションのある生活。
5 好奇心をもって、新たことに挑戦する。
6 学習習慣を続ければ記憶力は保たれる。
7 目標を持つ。
8 自分に報酬を与える。
9 本を読む習慣を維持する。
10意識的に段取りをする。
(いつまでも老いない脳をつくる10の生活習慣 石浦章一)
コレ、あたりまえのようだけど、挑戦してみるとなかなか難しい。自分の生活と比べるだけでもなかなか大変。
脳もからだも健康で長生きする。まあ、とても難しいけど、しばらくはこのことも話題にしてブログを続けていこうと考えている。

何歳から老人というんだろう

2019-04-02 20:40:00 | アクティブシニア

何歳から老人というんだろう。この問いはとても難しい。

何歳から高齢者というんだろう。この問いはとてもやさしい。

高齢者というのは、便宜的な区分であるのに、老人というのは、肉体も精神も「しぐさ」も「振る舞い」も含めて実に相対的な区分だからだ。

例えば、65歳の人が「私は高齢者ではない」という方便は成立しない。高齢者医療の文言には、「6574歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者」と明記されている。

一方、老人というのは、主観的すぎる。

私の教えている75歳の生徒は、自分のことを老人とは思っていない。自分は75歳なのに、80歳の人を指差して、「あの人は、80歳になったら、急におばあさんになっちゃったのよ。どうしたのかしら?精神がどうかなっちゃったのかなあ」なんて言って平気な顔をしている。

老人というのは、単なる肉体年齢ではないのだ。肉体が年齢を積み重ねても、それだけでは老人ではないのだ。

老人とは、精神が老いて意欲や目標を失った人のことを言うのだ。

あなたの周りの人をよく見てみるといい。
肉体年齢が増えていっても、若々しく魅力的な人がいるだろう。彼らのことを、決して老人とは言わないだろう。
自分の物差しで人の精神を測ってはいけないのだ。
 

高齢とは画一化、そして負のイメージ

2019-03-31 19:55:00 | アクティブシニア

インターネットで「高齢者イラスト」を検索すると、同じようなイラストが23600000枚も出てくる。

よくまあ、こんなに似たようなイラストが集結しているという事実にあきれてしまう。

日本中の小中学生に画用紙を配って高齢者の絵を描かせても似たような絵しか出てこないと思う。

高齢者のイメージが画一化しているのだ。

今や日本人全人口の27.6%が高齢者だというのに、世間の高齢者に対するイメージは、ずっと貧困のままなんだ。

日本人の高齢者は、みんな同じ。

高齢者はみんな負のイメージ。

日向ぼっこ、杖をついての歩行、男性は、髪の毛が無いか、ちょこっとだけ残っている、杖をつきながら頭の周辺には?マークがぐるぐる回っている、なんか汚らしい感じ、一見高そうな服だけど全然似合っていない。そんな老人イメージの垂れ流し。

これじゃあ、「私たちの日本」はますますダメになってしまう。高齢者は、どこを向いて歩めばよいのか。

誰でも歳をとるのに、誰もが27.6%に近づいていくのに、私たちの日本という国は、自分たちの行く末に意図的に目をつぶっている。
私たちの日本という国は、高齢者に一定の悪意を持つこと、持たせること。社会「全体」でそのように動いていくこと。
そうすることによって、
「私はまだ若い。」「とりあえず、今の私には関係ない。」「私が歳をとったときには、違う日本の状況になっているだろう。」という考え方を充満させ、極端に言えば、社会の混乱を避けている。
前を向いて歩きたい。少しでも明るい場所をつくりたい。