「もう年だから」というたびに醜くなる。
いつも、自分は今年いくつで、 来年はまた年を重ねるなどと気にしている人は、年齢に引っ張られて生きているといっても過言ではありません。
気にしようがしまいが時間の経過に伴って年は取るわけで、わざわざ気にする必要などないのす。
口癖のように「もう年だから……」という人がいますが、そのセリフは人生を諦めていることを表しています。
「もう年だから」というたびに醜くなる
いつも、自分は今年いくつで、 来年はまた年を重ねるなどと気にしている人は、年齢
に引っ張られて生きているといっても過言ではありません。うと、その後、なかなか
気にしようがしまいが時間の経過に伴って年は取るわけで、わざわざ気にする必要などないのです。
「もう年だから」というたびに醜くなる。
いつも、自分は今年いくつで、 来年はまた年を重ねるなどと気にしている人は、年齢に引っ張られて生きているといっても過言ではありません。気にしようがしまいが時間の経過に伴って年は取るわけで、わざわざ気にする必要などないのです。
口癖のように「もう年だから……」という人がいますが、そのセリフは人生を諦めていることを表しています。
「もう年だから・・・・・・」。その後に続くのは多分「仕方がない」「何かを始めるにはもう遅い」、あるいは「何もしたくない」といった否定的な言葉。
そんなセリフを口癖のようにいう人が、美しく魅力的であるはずがありません。
自分で自分を諦めるくらい、ばかばかしいことはないでしょう。
私はいつも「期待は自分にすべきもの」 といっていますが、 自分を諦めた人は、自分で自分の可能性の芽を摘んでしまっているのです。
自分を信じて自分に期待している人には、いつか必ず何かが起こります。なぜならその人は、気付かぬうちに少しずつ努力をしており、その結果が積み重なって、ある時、花開くからです。
(下重暁子)