人間いつかは
終わりがくる。
前進しながら
終わるのだ。
前進しながら
終わるのだ。
(坂村真民)
坂村真民という仏教詩人がいた。
97歳で永眠するまで前進した。
毎日午前1時に起床して近所の重信川のほとりで地球に祈りを捧げるのを日課としていた。
53歳で月刊個人詩誌『詩国』を創刊し、95歳まで通算500号を発行する。
自宅を「たんぽぽ堂」と名付け、晩年まで創作活動を続ける。
坂村真民の詩を三つ
日の昇るにも
手を合わさず、
月の沈むにも
心ひかれず、
あくせくとして
一世を終えし人の
いかに多きことぞ。
道のべに花咲けど見ず、
梢に鳥鳴けど聞かず。
せかせかとして
過ぎゆく人の
いかに多きことぞ。
二度とないこの人生を
いかに生きいかに死するか、
耳をかたむけることもなく
うかうかとして、
老いたる人の
いかに多きことぞ。
川の流れにも風の音にも
告げ結う声のあることを
知ろうともせず、
金に名誉に地位に狂奔し
終わる人のいかに多きことぞ。
手を合わさず、
月の沈むにも
心ひかれず、
あくせくとして
一世を終えし人の
いかに多きことぞ。
道のべに花咲けど見ず、
梢に鳥鳴けど聞かず。
せかせかとして
過ぎゆく人の
いかに多きことぞ。
二度とないこの人生を
いかに生きいかに死するか、
耳をかたむけることもなく
うかうかとして、
老いたる人の
いかに多きことぞ。
川の流れにも風の音にも
告げ結う声のあることを
知ろうともせず、
金に名誉に地位に狂奔し
終わる人のいかに多きことぞ。
・・・
「念ずれば花ひらく」
念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
・・・
「鈍刀を磨く」
鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を借す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかもしれないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙(じんしんみみょう)の世界だ
だからせっせと磨くのだ
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を借す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかもしれないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙(じんしんみみょう)の世界だ
だからせっせと磨くのだ
・・・
坂村真民は、言います。
一生懸命生きなさい。
自分らしく花を咲かせなさい。
二度とない人生だから、どんな失敗をしても、どんな挫折をしても、どんな病気になっても、
二度とない人生だから、どんな失敗をしても、どんな挫折をしても、どんな病気になっても、
生きねばならぬ。
その力を信仰から頂かせてもらうのだ。
わたしが詩を作るのも、生きがたい世を生きたいからである。
わたしが詩を作るのも、生きがたい世を生きたいからである。
大切なのは、
かつてでもなく、
これからでもない。
一呼吸一呼吸の
今である。
(坂村真民)
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人生は、一本の線のようだ
(くろほとき)