前回の書き込みをしている内に思い出したことがあります。もう30年以上前の出来事です。私は既に廃校になって久しい池袋商業高校から、江戸川区内にあるK岩高校というところに異動になりました。一年目は三年生の副担任として勤務し、二年目に新入生を担任として受け持ちました。かなり個性的な先生たちの学年でした。一人が東京帝国大学、一人が東京大学・二人が東大に入学できなかったことを生涯のコンプレックスとして抱えている人、及び私を含むその他大勢という組み合わせでした。東大に合格できなかったうちの一人は、せめてもの埋め合わせなのか、後に受験して東大「付属高校」の先生になりました。
そんなこんなで日々を過ごしていくうちに、実力テストの時期がやって来ました。K岩高校というのは進学校というにはあまりにものどかな校風で、生徒の気風もあくせくしたところがなく、至ってのんびりと暮していました。学力は点数で表せばJTの半分くらいといったところでしょうか。進学意識も何が何でもというほど強くはありませんでした。しかし、一応普通科でもあり、全員強制で、当時は平日に業者テストを行っていました。
そして、実力テスト終了後、事件が持ち上がったのでした。東コン組を中心に、実力テストの学年順位を名前入りで廊下に張り出すべきだと言い出しました。それより少し昔には、廊下に学年順位を貼りだすなどということは当たり前のことで、誰も疑問など持っていませんでした。しかしこの頃から少しずつ、それはあまり良いことではないのではないかという考え方を持つ人が増えてきていたのです。
私はと言えば、何も成績を貼り出すまでもなく、本人には点数・偏差値・志望校の合格率が通知されるのだからそれで問題ないと考えていたので、学年順位を貼りだすことには反対しました。当時はまだ個人情報などという用語すらなかった時代なのですが、私は成績というのは本人が金を払って得たものであり、勝手にそれを貼りだすのはおかしいと思っていたのでした。
貼り出された本人には励みになるという主張もありましたが、そこにも私は疑問がありました。私自身成績が貼り出された時代の人間であり、学年一位ということで、一番右側に名前が掲示されてこともありますが、一番になったらなったで、できれば人には知られたくないという気がした経験があったからです。中には「一番になった子ってどんな子?」と他クラスから女の子がわざわざ私を見に来て、がっかりして帰って行ったなどというエピソードもありましたが・・・・。
皆さん結構やることがずるくて、一切意見を言わないでおいて、挙手で採決する時だけ私の側に手を上げるので、私が一人で学年をかき乱しているようにも見えました。私と反対意見の人たちは実際そういう意識で見ていたようです。しかし結果は6対5という僅差で、掲示不可という結論に達したのです。私は当然、これで方向性が決まったものと思っていました。しかし・・・・。
その日の放課後、生徒達が皆下校した後、昇降口を通りかかると、「掲示すべし」派の内の二人が、勝手に学年順位を掲示しているところに出くわしました。彼等は一瞬きまずそうな表情を浮かべましたが、完全に開き直って掲示を続け、完了させました。私の脳裏をよぎった言葉をそのまま修飾語なしで書くなら、
「こいつら本物の馬鹿だ・・・。」
というものでした。担任全員が議論して決めたことに従わず、こっそりと誰にも見つからないように学年順位を掲示しようとした情けなさ。それによりお互いに亀裂が入り、今後の協力体制が成立しなくなるかもしれないという危惧など彼等の頭の中には浮かばなかったのです。
学年順位一覧というものが、そこまで意地を張って貼らなければならないものなのか、彼らの気持が私には全くわかりません。当時も、そして今も。
そんなこんなで日々を過ごしていくうちに、実力テストの時期がやって来ました。K岩高校というのは進学校というにはあまりにものどかな校風で、生徒の気風もあくせくしたところがなく、至ってのんびりと暮していました。学力は点数で表せばJTの半分くらいといったところでしょうか。進学意識も何が何でもというほど強くはありませんでした。しかし、一応普通科でもあり、全員強制で、当時は平日に業者テストを行っていました。
そして、実力テスト終了後、事件が持ち上がったのでした。東コン組を中心に、実力テストの学年順位を名前入りで廊下に張り出すべきだと言い出しました。それより少し昔には、廊下に学年順位を貼りだすなどということは当たり前のことで、誰も疑問など持っていませんでした。しかしこの頃から少しずつ、それはあまり良いことではないのではないかという考え方を持つ人が増えてきていたのです。
私はと言えば、何も成績を貼り出すまでもなく、本人には点数・偏差値・志望校の合格率が通知されるのだからそれで問題ないと考えていたので、学年順位を貼りだすことには反対しました。当時はまだ個人情報などという用語すらなかった時代なのですが、私は成績というのは本人が金を払って得たものであり、勝手にそれを貼りだすのはおかしいと思っていたのでした。
貼り出された本人には励みになるという主張もありましたが、そこにも私は疑問がありました。私自身成績が貼り出された時代の人間であり、学年一位ということで、一番右側に名前が掲示されてこともありますが、一番になったらなったで、できれば人には知られたくないという気がした経験があったからです。中には「一番になった子ってどんな子?」と他クラスから女の子がわざわざ私を見に来て、がっかりして帰って行ったなどというエピソードもありましたが・・・・。
皆さん結構やることがずるくて、一切意見を言わないでおいて、挙手で採決する時だけ私の側に手を上げるので、私が一人で学年をかき乱しているようにも見えました。私と反対意見の人たちは実際そういう意識で見ていたようです。しかし結果は6対5という僅差で、掲示不可という結論に達したのです。私は当然、これで方向性が決まったものと思っていました。しかし・・・・。
その日の放課後、生徒達が皆下校した後、昇降口を通りかかると、「掲示すべし」派の内の二人が、勝手に学年順位を掲示しているところに出くわしました。彼等は一瞬きまずそうな表情を浮かべましたが、完全に開き直って掲示を続け、完了させました。私の脳裏をよぎった言葉をそのまま修飾語なしで書くなら、
「こいつら本物の馬鹿だ・・・。」
というものでした。担任全員が議論して決めたことに従わず、こっそりと誰にも見つからないように学年順位を掲示しようとした情けなさ。それによりお互いに亀裂が入り、今後の協力体制が成立しなくなるかもしれないという危惧など彼等の頭の中には浮かばなかったのです。
学年順位一覧というものが、そこまで意地を張って貼らなければならないものなのか、彼らの気持が私には全くわかりません。当時も、そして今も。
浩は残り1ヶ月で三十路になります。
とりあえずまたご飯行きましょう。