梅様の教室

独り言

書評②

2014-02-26 15:49:50 | Weblog
    昨日は続きを書こうと思ったのですが、整体へ行った後もみ返しがひどくて何をする気力もなく、卒業生からのメールにも返信しないまま過ぎてしまいました。今日も引き続き、日本の文化、風土、歴史に無知なまま盲目的にイギリスを肯定し日本を否定している人物が書いた本について論評を加えていきます。今日はトイレについてです。

   「イギリスのトイレは通常風呂場と同じ部屋にあり、通常バスルームと呼ばれている。」こんなことを平気で書いていることに既にこの人の無知さ加減が現れていますね。そんなことをいちいち断らなければいけないほど日本人が無知だと思っているのでしょうか。

   「地方に行くと、家のサイズに合わせてバスルームも10畳以上もあるような広いものが多い。そこには厚手の絨毯が敷いてあり、隅には椅子が置かれ、その上に雑誌が並べてある。壁にはリビングや寝室同様、絵が飾ってあり、窓にはきれいな色のカーテンがかけられてある。」申し訳ありませんが、いかにイギリスといえども、こんなバスルームを所有している家は多くないと思いますね。少なくとも真の労働者階級の家の様子ではありますまい。一方比較対象になるのは日本の一般家庭ということになるのですから、これはフェアな比較とは言えません。

   従来日本のトイレは、住居とは切り離されたものであることが多かったのです。古い農家に行けば、トイレは母屋とは離れた場所に造られており、更に別の場所に風呂場が設置されていました。江戸時代の長屋ではトイレは別棟の共同便所、風呂は銭湯まで通っていました。この銭湯文化は私が20歳位まではしっかりと日本の生活に定着していましたね。

   著者は、日本の夏がいかに湿度が高い蒸し暑いものであるかを知らないのでしょうか?そんな気候風土の中で、トイレを生活空間と切り離しておくことは、衛生面から見て大正解なのです。風呂場を母屋から切り離して別棟にするのも全く同じ理由からです。日本人は、寒い冬にいったん外に出なければならないという不便を承知の上で、夏場の衛生を優先したのです。だからこそ、トイレのことを「ご不浄」とも言うのです。

   一方でトイレは、「ご」不浄という通り、ちょっぴり敬語を使って表現もされています。「トイレには、それはそれはきれいな女神さまがおるんやで~・・・」なんて歌は、日本以外でははやらないでしょう。トイレ掃除をすることが精神修養であるとされる場合もあります。こうした感覚は、欧米人にはありません。もちろんこの本の著者にも。こうした感覚を抜きにして、中身の造作だけを見て比較し、日本のトイレを馬鹿にするのは筆者の無知が為せるわざだと言わざるをえません。「くつろぐならなにも風呂場に椅子や絨毯を持ちこまなくったて他の部屋を充実させればいいではないか、イギリス人のこだわりは変!」とはならないのが筆者の盲目的なイギリスびいきの表れなのでしょう。 

   そもそも江戸時代の長屋は土間+四畳半一間」です。押し入れもありません。布団を畳んだら部屋の隅に積んでおき、その前に屏風を立てて隠し、寝室から居間に早変わり!という切り替えセンスで300年間やって来たのです。どこに10畳のバスルームが入り込む隙があるでしょうか。それとも著者はそんな江戸庶民の生活を見下して愚弄する人なのでしょうか。

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