梅様の教室

独り言

継続は力なり

2012-11-26 15:54:30 | Weblog
  私の本棚には、もう十年も前に韓国で購入した「中国語表現集」なる書物が置かれています。600ページ近くもある大冊ですが、実はこれを全部パソコンでハガキ大のカードに打ち直し、勤め帰りに暗記するということをやっていました。いや、正確にはやろうとしていました、という方が正しいでしょう。親しくなれば一緒に帰る人ができますから、なかなか時間がとれません。朝は韓国語カード、帰りは中国語カードというつもりでしたが、少しもはかどりはしませんでした。特にJTにいた時は同じ科の某先生が私の駅より一つ先の金町駅を利用していたので、実質学習時間は0に等しかったと思います。KTSでは最初の2年間はそれなりに一人ぼっちで帰ることも多かったのですが、後の2年間は同僚と帰ることが多くなりました。今度は最寄り駅の松原団地まで一緒の人もいて、またまた中国語は御留守になり、かえって退化してしまったような気がします。

  昨年から週2で東亜学園に通い始め、それぞれ80分にしかならない授業ですが、早朝5時に家を出るという生活でなんとか通い通しました。この間、それほど大したレベルの中国語をやったという実感はありませんでした。何しろ中級と中上級に過ぎませんから。

  しかし、先ほど思い立ってあの「中国語表現集」を取り出して見ると、以前はなかなか難しく、辞書を引き、訳文(といってもハングルですが)を対照して赤ペンでカードに書き込みをしていたものが、何だ、こんなもんか、というほどにやさしく感じられるではありませんか。中級は実質本文は70ページ程度、中上級は顔つなぎで席を置いただけなので、ほとんど学習していませんが、それでも続けているとそれだけの成果はあるのだと痛感した次第でした。

  上級に進み、今度はついて行くのが困難なほど一気にレベルアップしてしまいました。教えてくださるのは(おそらく中国の教育困難校で教えた経験のある←私の推測)沙先生という方なので、高いレベルを要求しながらも良く我々の身になって教え方を考えてくださっていることがありありとわかります。ここで逃げたら男がすたる!と思いつつも、高校時代の10分の1に減退した記憶力を最大の武器?にして頑張らなければならない身には、時につらい場面もあります。今になって英語が苦手な生徒がどんな気持ちで私の授業を受けていたかに思いをはせています。(笑)

意味がない

2012-11-24 13:57:03 | Weblog
   偉い人たちの研究というものは思わず納得してしまう反面、だから何なんだよ!と言いたくなるものが多いような気がします。昔一世を風靡した瀬古俊彦というマラソン選手がいました。実際には二度のオリンピックでは14位にしかなれず、大した成績は挙げられなかったのですが、それ以外では連戦連勝だった選手でした。
   
   この瀬古選手についてスポーツ医学の立場から研究した学者がいたのですが、その結果瀬古選手は酸素摂取能力が他の選手と比べてとても高いという結果が出たという発表をしていました。発表した先生はおそらく得意満面だったのでしょうが、実際に選手を指導していた私にとっては一顧の値打ちすらない研究結果でした。長距離が強い選手ならその酸素摂取能力が高いのは当たり前だからです。酸素摂取能力が高いから長距離を高速で長く走り続けることができるのですから。結局この先生はどうすれば酸素摂取能力を高めることができるかについては何の成果も上げなかったように思います。

   先日のネット記事で、数学アレルギーの人間についての、シカゴ大学の研究結果が掲載されていたので、私は興味深く読み始めました。私は数学アレルギーが異常に強く、数学の試験になると緊張のあまり力が入りすぎてシャープペンシルの芯をボキボキ折ってしまうため、鉛筆でないと受験できないくらいだったからです。
   この記事の中ほどに、計算に対する不安の大きい人は計算でミスをしがちで、大学進学適性試験の成績も悪いと書いてありました。そうなのです。何を隠そうこの私、きちんと式を立てて答えを導いているのに、最後のひとけたの足し算を間違えて×点を食らったりしていたのです。

   大学入試・・・不幸にして数学も受験しなければなりませんでした。しかもどの科目でも30点以上を取らないと、合格できないという非人情的なシステムでした。この時私は完全にやけくそになり、ぴったり30点分あった最初の小問6問だけを時間いっぱい解き続けたのでした。

   シカゴ大学の研究によると、数学や計算が苦手な人間は、計算問題を見ただけで脳の島皮質後部や帯状皮質中部(痛みや身体的脅威を感じる部位)などが反応し、指に火傷でもしたときと同じような結果を示したそうです。私は車酔いがひどく、バス会社の前を通っただけで吐き気を催したものですが、計算が苦手な人は計算について考えたり計算問題を見たりするだけで脳が苦痛を感じているというわけです。

   途中まで私は我が意を得たりという気持ちで一気にこの記事を読み進みました。しかし最後の部分で私の期待は見事に裏切られてしまったのです。
   「計算が嫌いな人の脳が感じる苦痛を和らげることはできるのだろうか。」と問いかけておいて、回答は、
   「計算に対してもっとリラックスして構えられるようにすることが肝心だ。」でした。本当に何の役にも立たない無意味な実験であり研究でした。

   どうせやるならもっと意味のある結論を導き出せるような研究をして欲しいものです。

ずさん

2012-11-23 16:12:42 | Weblog


クラブ・ツーリズムというところから来た案内・・・名峰筑波山に登るツアー・講師昼食付きで9,800円。自分で家から行けばガソリンと高速で2,700円位。やはり高い。一番馬鹿げていると思ったのは、上野駅7:30集合8:00解散だったことです。私がいつも出かけるのが通常5時前後。これで10:45には帰宅してしまいます。よく、どうして一人ぼっちで行くのか不思議がられるのですが、人と待ち合わせて行くのはあまりにも時間のロスが多すぎるのです。他にもやらなければならないことがぎっしり詰まっているのに、たかが筑波山に丸一日かけるわけにはいかないのです。しかもトレーニングが目的なので、実は景色なんか全く見てはいませんし!

  筑波山に登る人は、重い登山靴を履いた完璧な登山スタイルでじっくり登る人から、マラソンシューズで駆け上り駆け降りる人までさまざまです。立派ないでたちの人は、どう見ても3万円以上はする立派な靴を履いています。私は・・・ジョギングシューズ派です。

  これまで履いていたミズノのジョギングシューズの底がすり減って、グリップ力がだいぶ失われてきたので、そろそろ買い換えないと、と思っていたら、新聞に折り込みチラシが入り、アディダスのトレッキングタイプのジョギングシューズが目玉商品になっていました。普通のジョギングシューズと違い、山野を走り回ることを前提としたソールになっているはず。

  ということで、早速そのシューズを購入すべく家を出た私。こんな時、O型の典型とも言うべき私の超アバウトな性格が思い切り発揮されます。チラシの地図によると、歩いて30分から35分でそのショップまで行けるはずです。「大体の位置」を頭に入れると、おもむろに家を出ました。番地でいくと、草加市中央1-6-のどこか。とりあえず綾瀬川沿いに南下します。つい最近まで純農村地帯でったことを思わせる、小さな社が点在し、没個性的な建売住宅が軒を並べ、かつ続々建築中です。

  店は草加駅が見える大通りを渡って、一つ先の大通りにあるはずでした。まずは草加駅を右手に遠望して、大通りを渡ります。しかしどこまで行っても草加市吉町という表示が続くばかりで、中央という住居表示も目指す大通りもありません。まあしかたないか、と思いつつ更に進むと・・・これだけで既に60分経過。しまいにゃ足立区になってしまうと思い直し、これまたいい加減に方向を決めて引き返したのでした。

  結局また草加駅が見える大通りに復帰。その時点で私はそろそろ油の切れかかった頭をフル回転し、店のある方角を目指します、いや、正確に言うと、まあこっちの方だろうという方向へ歩いて行っただけなのですが。
また同じようなコースをたどって行くと、大通りとはお世辞にも言えない、先ほども通った道に出ました。しかしどう考えてもこの道しか該当する通りはありえません。そこで前方を見渡すと・・・・上下にいくつも連なっている、店の表示が見えます。目指す店は何とかショッピングセンターみたいな場所に一部なのです。もうここがダメなら今日は帰る!と腹をくくって現地に向かうと、ありました。その店が。そこはダイソーやイトーヨーカドー、アカチャンホンポなどが平屋で建ち並ぶショッピングセンターでした。いわば平屋形式のミニ・アリオと行ったところです。

  その光景を見た時私は感じました。絶対にここは来たことがある!いつだったかは忘れたが絶対に来たことがある!飼い物をしたことがある!・・・と。しかしその一方で、リアルに来た覚えは全くないのです。狐につままれたような気持ちのまま目指すシューズは無事入手。到着まで2時間を要した道のりを、帰りは35分で無事帰宅したのでした。

  A型の人はこんな間抜けな行動は取らないのでしょうねえ・・・・。いや、O型だからというのは単なる言い逃れで、私が計画性に乏しい、いい加減な人間だということに過ぎないのかもしれません。それにしてもこんな感性でよく青森・秋田とか鳥取まで、家族を全員乗せて一人で車を運転して旅行していたものです。

  でも、なんとかなるさ、という精神は結構大切だと思っているのですが・・・。駄目かな。

立ちション

2012-11-20 17:39:40 | Weblog
 「薄着ですね!」
  と奥さんと思しき女性が声をかけて来ました。
  「歩きだせば汗をかきますよ。」
  私は答えると、視線をそらすようにしてその場を通り過ぎました。
筑波山を下山し、あと100メートルほどで登山道が終わる地点でした。

  筑波山を目指して駅からバスに乗ると、降りたところに立派な公衆便所があります。車で来ても、先日書いたように、日の出前から清掃してくれているきれいな公衆便所があります。筑波山は誰でも気軽に来られる山であり、遠足で来る小中学生も多いところです。トイレは完備しています。登り始めると山道にはトイレはありませんが、頂上付近にはこれまた立派な公衆便所があります。ここまでは私の足で一時間で行けます。最も遠回りになコースを歩いた場合、倍の時間がかかりますが、その場合、途中にロープウエーの駅と駐車場があり、ちょうど半分行ったところでやはり清潔な公衆便所が待っています。トイレットペーパーもきちんと置いてあり、筑波山ではまずトイレの心配はありません。

  先ほど声をかけてきた奥さんのご主人と思しき人、道端でごぞごそしていたかと思うと、やおら立ち小便を始めました。奥さんも、「なかなか登り始められないわねえ。」とあきれ気味でした。奥さんが私に声をかけて来たのは、そんなやっていられない状況から気分的に抜けだしたかったのかもしれません。もっともごくまれに、登山道を外れて谷の方へ道なき道を進んでいこうとする人がいないわけではありません。そういう人は恐らくは不幸にして途中で便意を催した人なのだろうと思います。

  道端で立ち小便を始めてしまった男性、なんと登山道入り口からたったの100メートルの地点で尿意を我慢しきれなくなったものです。ここは駐車場から歩いて10分ほどの地点です。たった10分前には尿意を感じなかったのでしょうか????私などはとりあえず必ずトイレに寄ってから出発することにしているのですが・・・。
  
  昔は立ち小便をする人を警戒して、塀に鳥居の絵を書いたりしたことがあったものです。さすがに鳥居に向っておしっこを引っかける蛮勇の持ち主はいなかったものと思われます。ちなみに筑波山の登山道は必ず出発点に鳥居が立っています。そこからは筑波山という聖域に立ち入るのだぞ、という印です。鳥居を通り過ぎてから立ちションをする人は、神聖な場所を汚すことになるわけですね。

  実は筑波山という山は、全体が筑波山神社の所有地なのです。立ちションをしてしまったお父さんは二重の意味でしてはいけないことをしてしまった感があります。今や鳥居の意味もわからない人が中年という世代になっているのですねえ・・・。山で立ちションして何が悪いと開き直られれば、別に正面切って議論する気はありませんけどね。

通勤電車で見かける人

2012-11-19 17:10:36 | Weblog
  今日はさして意味のあるテーマではありません。ほんの暇つぶしにお読みください。

  先日、変なおじ(い)さんのためにホームの一番好きな場所を追われてしまったかわいそうな青年の話を書きましたが、電車に乗っているとなぜ?と思うような性癖を持った人に毎日出くわすことができますね。

  一番感じるのが、人にはそれぞれ誰にも譲れない車両や好きな立ち位置があるということ。草加駅で各駅から急行に乗り越える時、猛ダッシュして自分の好きな列に並ぶ人がいます。既に何人並んでいようがそれは関係ないようです。この人、下車する時は、下車駅に近付くと、一番近いドアではなく、そのひとつ手前のドアまで異動してから下車します。最初からそっちに乗れば良いのにと思うのは余計なお世話なのでしょう。

  絶対に最後に乗り込むことを信条としている人もいます。西新井で乗り込むとある若い女性は、他の人が全員乗り込んでしまうまで絶対に乗って来ません。ドアの戸袋辺りに張り付いて、中から見ると誰もいないように見えるのですが、発車寸前まで外で待機して、自分が最後であることを確保してから素早く乗り込んできます。既に乗り込んでいた人は、ようやく乗車してほっとしたのもつかの間、彼女によって一歩中に押し込まれることになります。

  私が大嫌いなのは、私の目の前に立ってガムをかむ人。口元がくちゃくちゃと動いているのが目に入ると、生理的嫌悪感を感じてしまいます。しかしそれを上回る生理的嫌悪感を感じてしまうのが、「マスクをしたまま」ガムを噛んでいる人。口を動かすたびにマスクも一緒に動きます。そんな時私は席を移りたい衝動にかられてしまうのです。

  謎の人・・・・東亜学院からの帰路、向い合わせに座ることのある50歳くらいの男性。謎です。彼の代表的な服装を描写すると、黒い高級な革靴・いつもピカピカに磨き上げられています。高そうなダーク・スーツの下はこれも高そうなワイシャツを素肌にじかに身に着けています。おしゃれのためなのでしょう、ワイシャツのボタンは必ず第二ボタンまではずし、ネクタイはしません。首からはブラックのマフラーを巻かずに垂らし、頭にはこれまたブラックのソフト帽をかぶっています。ふっくらとした顔には、鼻の下と口の下に良く刈り込まれた髭を生やしています。韓国の俳優あたりにいそうな髭です。
  そして極めつけは、必ずジュラルミンのケースを右手に持ち、かつ絶対に取っ手を握りしめて離さないこと。ケースは現金にして5,000万円くらい入れるのに適当そうな大きさです。あの雰囲気では本当に現ナマを運んでいるところなのかも知れません。
  その筋の人?いや、その筋の人なら現金を運ぶのは子分の仕事でしょうし、第一黒塗りのベンツで運ぶことでしょう。ぜひ一度「ご職業は?」とうかがってみたくなる人物です。

  すみません。なんの内容もないお話でした。

触れ合い

2012-11-17 11:13:20 | Weblog

 今日はお昼に近づくにつれて降水率が高くなるという予報なので、気張って早めに出かけました。

  出発は4時15分。 筑波山に到着して見ると既に団体の御一行様が二つ、いまや遅しと待ちかまえていました。熱心なのかよほど暇なのか・・・・。

  駐車場に入ると、さすがに車の姿はなし。とりあえずトイレに入ると、早くも掃除のおじさんがやって来たのには驚きました。前回来た時には確か6時半に掃除に入っていたので更に1時間早くなったことになります。この分の手当てはちゃんと出るのだろうかと余分な心配をしてしまいました。

  登山口を通過したのが5時半、登って降りての合計時間は2時間15分でした。
  登り始めはさすがに暗く、懐中電灯で足元を照らしての登山です。団体の御一行様は皆さん頭にヘッドランプを着用しています。しかしこれだといつも頭を下げていないと足元が真っ暗になります。かつ、ライトの方向のためにいちいち頭を振らなければなりません。私は断固懐中伝統派なのです。

  今日は先週より足取りが重く、登りだけで相当疲労を感じてしまいました。かといってケーブルカーの始発は9時です。自力で下山するしかありません。まさに「仕方なく」という状態でとぼとぼと歩いていきます。

  岩場を降りたところで、ハイティーンとみられる少年二人と少女一人と遭遇。いけない子たちが愛用する、背中に派手な刺しゅう入りのジャージスタイルです。その姿は明らかにあのK君の仲間に当たる子たちだということがわかります。しゃがみこんでいた方の少年はどこかコンビニ強盗をやらかして少年院に入れられたH君を思わせます。
 
  「おはようございます!」

  これは彼らの方から声をかけて来た挨拶。同時に振り向いた少女は見知らぬ私に向かって何のためらいもなく笑顔満開。かなりの美少女でした。

  「バイクで来たの?」 これは私からの質問。
  「自転車です! ~~から自転車で来たんです!」
  「若いねえ、さすがだねえ!」

  「おじさんその服自前なの?」

  私のウエアは一流の陸上選手が着そうな立派なもの。池袋商業の陸上部の卒業生から去年もらったものです。確かにこんなおじさんが着るのは場違いかもしれません。

  「落ちないでよ! その辺で死んじゃ駄目だよ!」
  とのありがたいお言葉。

  「おお、もう少し生きてないとな!」
  「がははは!」
 
  彼等はこの地点から続く岩場を前に、登るかどうかをためらっていた様子。私が過ぎて間もなく、
  「もう下りようぜ!」
  という声が聞こえて来ました。

  しばらく下りると、天狗茶屋跡という地点があり、ベンチがいくつか置いてあります。そこまで降りるとさっきの子たちの仲間と思われる少女が二人、暇そうに座っています。ここまで一緒に登って来たものの、
  「あたしたちもうここでいいから!」
と言いだして座り込んでしまったのだろうと思われました。しかしこういう子たちは愛嬌は良いものです。
  「おはよう!」と声をかけるとしっかりと返事が返ってきました。

  今日は登りですっかり疲れ切ってしまっていた私、10代の少年少女と言葉を交わしただけですっかり元気を取り戻し、その後は至って元気に下山したのでした。


ふれあい?

2012-11-14 14:47:05 | Weblog
 私が朝5時37分の電車に乗るのは月曜日と火曜日の二日となっています。東亜学院の早朝クラスで中国語の授業を受ける為です。乗り換えの都合上、私は一番先頭の車両に乗ります。そこにはいつも20代前半と思われるサラリーマンが立っていました。少し早目に着いても必ず既に来ているので、相当几帳面な性格なのでしょう。服装もきちんとスーツを着こなして身ぎれいにしています。

  この若者は、いつ見ても携帯電話を握りしめ、画面を食い入るように見つめています。メールやツイッターなどしているわけではなく、来る日も来る日も携帯電話の狭い画面を見つめながらゲームに励んでいるのです。この分だと通勤時間は携帯でゲーム、自宅ではパソコンでゲーム三昧という生活なのでしょうか。

  ある日電車が到着して私が乗り込むと、彼も後から続いて乗り込んで来ました。そして私の背中に携帯がぶつかる感触がして、その直後に「チェッ」いう声が。ぶつかった衝撃で誤操作でもしたのでしょうか。人にぶつかっておいて「チェッ」はないだろう?という気がした私は、思わず「何がチェッだ!」とつぶやいていました。

  次の日彼はいつもの場所に姿を見せませんでした。気の小さいゲームオタクの青年は、気難しそうな老人?とトラブルになることを恐れて場所を変えたようでした。私は思いました。万一あの若者とトラブルになり、警察の御厄介になったとしたら、いかにもひ弱そうなあの青年の言い分と、年の割に筋肉質な私の言い分と、どちらが採用されるのだろう、と。

  それから一週間がたちました。水曜日から金曜日まで私の姿を見かけなかったからなのでしょう、次の月曜日、青年は再び元の場所で電車を待っていました。私もそのままいつもどおり彼の横に立ちました。

  火曜日、彼はやっぱり姿を見せませんでした。数週間もすれば彼も私が来るのは月曜日と火曜日限定だということに気がつくことでしょう。気がついた暁には、月・火と私を避けて他の場所に立ち、水・木・金と元の場所に立って電車を待つ生活をしていくのでしょうか・・・・。

  何の用もないけど、来週は水曜日も行ってみようかな、と思ってしまった私でした・・・・・・・。

新車効果

2012-11-11 16:56:27 | Weblog
   毎月送られて来る近畿日本ツーリストからの旅行パンフレット・・・その海外版から、中国本土のツアーが完全に姿を消しました。阪急旅行社からのパンフレットには相変わらず中国本土のツアーも掲載されていますが、日本人というだけで殴られたりしたケースもあり、最悪の事態に至って大事になるよりは一端完全に手を引こうというのが近ツリの立場なのでしょう。一方の反日の雄・韓国の方は全く変わりなくツアーが組まれています。この辺の違いは極めてはっきりとしています。

   さて、8月に納車されたばかりの我がスバル・インプレッサ。13年乗ったレガシーと比べるとやや小ぶりなせいか何となく落ち着きのない走りをするのが玉に瑕ですが、快調と言えば快調です。走りにどっしりとした安定感がないので、私もいささか不安感がわき、せいぜい120キロしか出しません。昔乗っていたハイエースワゴンは、高さが2mになろうかという車体でしたが、恐ろしいまでに安定していて、160キロでも何の不安もなく高速を走ることが出来たのとは対照的です。値段にして100万円の差というのはこんなところにも表れるのですね。

   こんな風に、いまいち全てを任せきれないインプレッサなのですが、それでも「新車」というものの存在は大きく、乗る気にさせてくれるから不思議です。前車レガシーは年間1.500キロしか走らなかったのに対して、インプレッサは早くも走行距離2,000キロを超えました。月平均600キロを超えています。これは自動車通勤していたころと変わらない走行距離です。

   新車が来て何より変わったのは、出不精な私が積極的に外出しようという気になったことです。毎日カーテンを閉め切ったマンションの一室で朝から晩まで韓国語と中国語の勉強に明け暮れる毎日を過ごしていた私ですが、新車を走らせたい→どこかへ行かねばならない→足腰も鍛えねばならない→そうだ、筑波山へ行こう!
という訳で、目下週一筑波山登山を継続中です。その上、いずれ富士山にも登ってやろうとまで思い始めたので、ますます意気軒昂、ちょっとしたこだわりの男になってしまいました。


   ジョギングもしていましたが、心身に与える効果は、登山とは比べ物になりません。ある年齢に達したらウオーキングがベストだというのが定説ですが、ジョギングでも大した効果は得られなかったのに、ウオーキングにまで自分を退化させてしまう気には到底なれません。決定的に違うのは、週2回のジョギングと筋トレではとれなかった体全体の硬直が、登山をすると解消されたことです。やはり平らなところをいくら走っても限界があるということです。

   筑波山が車で75分という距離にあるのはありがたいことです。インプレッサが納車されるまでは思ってもいなかった筑波山登山。定期的に登っているのは私ばかりではありません。私が山頂近くの休憩所に行きつくと、全く同じ顔ぶれの高齢者の皆さん5,6人が、いつもベンチに腰かけて談笑しています。私もあの方々の年齢ぐらいまでは頑張ろうと思っています。

12回目

2012-11-10 14:43:04 | Weblog
  このところこれといって心を揺さぶる出来事もなく、それゆえブログにも書くほどのことがありません。今日もこれくらいしか・・・。

  帰り際道路を下っていると、いつになく車が渋滞しています。もしや今がベストシーズンということなのでしょうか。なぜ10月ではなく今なのかが私には理解できません。皆さん紅葉でも期待しているのでしょうか。

  駐車場から筑波山神社へと向かう、まだ登山道にもならない舗装道路で早くも攻防戦を繰り広げている親子がいます。アスファルトの上に座り込んで、もうこれ以上歩くのは嫌だという風情の女の子。3歳くらいでしょうか。まだ無理でしょう、たぶん。連れてくるのは親のエゴというものです。
  
  登山道に入ってからも、数百メートルも行かないうちにうんざりしている子が何人もいます。今日は道路が渋滞するほどですから、もともとこんなところには縁のない人たちが、ふとした思いつきで衝動的に来ているのかもしれません。大したこともないところで息を切らしている大人の姿もたくさん見かけられました。

  今日は一通り登り降りを消化した後、太ももの筋肉へだめ押しの一撃を加える為に、最後に筑波山神社の石段を登っておきました。昔の日本人は平均身長が男子でも150センチに満たなかったというのに、一段一段の高さがかなりあって、しっかりと太ももに効いてきます。

  筑波山神社は今日はいつになく賑やかでした。声変わりして間もない中学生たちの声が響き渡り、その間を、いかにも先生風の大人たちが歩きまわっています。体育祭に使うテントを4つほど張り、その下で胡麻・七味唐辛子・ドーナッツ・椎茸などを販売しています。

  私は大声で呼びこみをかけている子の中から、いかにも私好みの女子を選んで声をかけました。
  「これでいくら?」
  「500円です。中くらいの300円もあります。」 との模範的な答え。
  その場からテントまで誘導されて現金との交換になります。
  「学校行事なの。」と聞くと、
  「そうなんです。やってみて、とても大変だということがわかりました!」と、これまた模範的な答え。私が選抜した子だけのことはあります。
 
  「頑張って!」
  「はい!」
  とやり取りをして帰宅の途に。購入したのはとても大ぶりな椎茸。使い道は考えていなかったので、とりあえず焼いて醤油をかけるというシンプルな食べ方をすることにしました。

  ところで、いかにも私好みな女子、というのは、私を知る人なら、当然美少女を選択していないことはお分かりのことと思います。 今回の選択は、しっかりと自分の意見を持ち、周りがあまり熱心に働いてくれないと切れそうになってしまうのに、自己の容姿に自信がないためについ引っ込み思案になって言いたいことを我慢してしまいそうなタイプ!なのでした。

死刑にすべき

2012-11-07 14:32:40 | Weblog
 二人の人間を殺害して金品を奪った男に対する判決がありました。評決は無期懲役。記事を読んで私はなんとも納得できないものを感じました。一般人からなる裁判員がいての裁判員裁判だったようですが、一般人を入れても結局こんな判決になってしまうのかと思うと、こんなことならいっそ専門家だけで判定してもらった方がましなのではないかと思いました。

  二人の善良なる市民を殺害しての、強盗殺人事件です。私の感覚ではどう考えても当然死刑判決が下されるべきものです。無期懲役というのは時々誤解されていますが、終身刑とは全く意味が違います。終身刑は死ぬまで刑務所に閉じ込めておくものですが、無期懲役とは懲役の期間を事前に定めないものですから、服役態度が良ければ10数年で釈放されてしまいます。二人の人間を殺害した強盗殺人犯が10数年で娑婆に出てくるというのは考えるまでもなく馬鹿げた話ではありませんか?

  これは私の勝手な推測ですが、裁判人は自分の手で死刑判決を下すことを恐れたのではないでしょうか。その気持ちは分からないでもありませんが、事件とは関わりのない個人的な感傷で判決が左右されるとしたら、裁判の公正性は著しく損なわれることになります。

  私がそう推測したのは、死刑回避の理由があまりにもとってつけたようなへ理屈だったからです。いわく、犯行は凶悪であるが、それ以前は被告は被害者と旅行に行ったり、良好な友人関係であった、というのがその根拠である、と。普通に考えたら、共に旅行するような長年のつきあいのある相手が気を許しているのを良いことに反抗に及んだという凶悪な事件なのではないでしょうか。

  裁判というものは公正無比なものでなければなりません。また、できるだけ被害者の遺族が納得のいくものでなければなりません。その意味で今回の判決は常軌を逸したものだと考えます。

  私は考えます。殺人は原則すべて死刑。そこから諸事情を勘案し、必要と思われたら事情によって減刑すればそれでよろしい。強盗殺人については諸事情等ありえないのですから、無条件で死刑で問題ありません。よく、死刑制度の元でも凶悪犯罪は少しも減らないから死刑を廃止すべきだという意見を聞きますが、死刑制度があると凶悪犯罪が増えるというわけではありません。死刑については勇気をふるって存続させること、法務大臣は我が身大事に逃げ回っていないで死刑執行書類に判を押すこと。節にそれを望みます。

これじゃあねえ

2012-11-04 19:35:57 | Weblog
  先月末あたりからなんとなくだるい日々が続いています。この未経験のだるさ、とくに起床時のこのまま一生起きたくない!という気にさせる不快さはいったい何なのだろう・・・・と思っていたら、たまたま見たテレビで納得のいく説明をしていました。

  対談相手の医者の説明を聞いて行くと、この状況から脱出するには、男性ホルモン療法が有効だとあります。つまり・・・・・私は男の更年期障害なのだあ!

  だるい時には何もする気が起きません。こんな状態でよく筋トレや筑波山行きを律儀に励行しているものだと思います。韓国ドラマにも食指が動かず、こんな時にはなぜかアニメ「ペリーヌ物語」を見て心を癒すのです。

  しかしそうそうペリーヌ物語ばかり見ているわけにもいかず、しかたないので韓国語・中国語の両方で楽しめるビデオ・・・韓国映画「7級公務員」を見ることに。
  
  主演はキム・ハヌルという女優。チャングムの役が巡り巡って7人目でようやくイ・ヨンエが引き受ける前に、一時は候補に挙がったこともある人です。お高くとまった役から軽いコメディーまで何でもこなします。私が好き嫌いの基準にしている「走る姿」も十分合格です。
  
  この映画を見終わって思いました。こんなんだから韓国人はノーベル賞が取れないんだ・・・。金大中が平和賞を取っていますが、これは何しろ国家予算を動員でしての南北和解と事前運動でとったいわくつきの賞なので、ノーベル賞の権威を下げただけのものです。

  この映画、コメディータッチのスパイものなのですが、どこから見てもあの007のパクリでしかないのです。昔北朝鮮のスパイを描いた「シュリ」という作品が韓国映画としては画期的なアクション映画でしたが、完全にハリウッドの手法をパクったとして、顰蹙をかったりしていました。

  テレビドラマを見ていても、非常に面白いのに深く深く考えると同じ内容を手口を変えて見せているだけ。(いや、面白いドラマは本当に面白いんですよ。私もけして嫌いではないのですが) なぜ劣等民族の日本人が次々とノーベル賞を取るのに、半万年の歴史を持し、世界一優秀な韓民族がノーベル賞を取れないのかと、ひどく屈折した怒りを抱いているようですが、汎人類的なものを何一つ持っていないように見える現在のあり方では、ノーベル賞など夢のまた夢ではないいでしょうか。

  最近私は韓国人に対してやたらに厳しい見方をするようになってしまいました。とことん反日を貫きながら、高級な接待には日本料理の店を使うような屈折した韓国人・・・。もっとまっすぐな人格を育成しないと、いつまでたっても世界の嫌われ者のままです。なにしろ外国へ行くと、日本人と韓国人では税関を通るのに要する時間がまたく違うというではありませんか。その現実をもっと厳しく受け止めるべきではないでしょうか。

お婆さんに負ける

2012-11-03 13:09:27 | Weblog
   驚異の視聴率6割越えを果たしたという怪物(韓国)ドラマ「初恋」を見始めました。1975年という年から始まる設定で、若き日の(マッチョな)ペ・ヨンジュンとチェ・ジウが出演するドラマということでとりあえず見始めたのですが、あまり面白いとは思いません。なんだこれ?と思っているうちに気がつきました。私はおばさんではないのでぺ・ヨンジュンには何の興味もありません。かつ、チェ・ジウも好きとは言えない女優のベスト3に入る女優でした。これではドラマのストーリーに関わらず食指がそそられないのも無理はありません。せっかく録画したのですが、消しますか・・・・・。

   本日は11回目の筑波山。意を決して過去2回は下りのみであった御幸原コースを上り始めました。下る時は結構大変で、これを登るのか・・・と思っていたら、何のことはない、コースマップには90分とあった上りを59分で登ってしまいました。下るときはコースマップ通りの時間がかかったので、やはり私は登りに強い男ではあるようです。

   これまでとは完全に逆コースをたどっていると、途中でこの間も書いた「小型のお婆さん」に出会いました。ひょいひょいと身軽に下っていたあのお婆さんです。しばらくの間このお婆さんを追走する形に。私がまっすぐ降りられる段差を横にならないと下りられないくらいの身長差があるお婆さんなのに、速いこと飛ぶがごとし。後ろを歩いていた私もいつの間にかその勢いにつられて岩道をどんどん下り始めてしまいました。

   ところがこのお婆さん、私が少し歩みを遅くしても差が広がりはしないのに、いくらペースを上げても私との差は縮むことがありません。後ろを振り向いたりはしないのに、常に一定の間隔を保って私の前をひょいひょいと下りて行くのです。あまりの不思議さに、私は自分があたかも妖怪変化に魅入られてしまったかのような気持ちになってきました。

   しかしお婆さんに引っ張られてペースを上げてしまった私は、やがて自分がオーバーペースだったことに気付かされました。脚が重くなり動きが鈍くなり、気がつけばお婆さんの姿ははるかかなたになり、間もなく視界から消えて行ったのでした・・・・。

   お婆さん、私の母親というほどではありませんが、私より一相当年上であることは間違いありません。置いて行かれてしまう自分が情けなくもありますが、どうやら毎週私と同じ日に筑波山登山をしている同好の士ではあるようです。当面はこのお婆さんに置いて行かれない速さで筑波山をこなせるように頑張らねばならないと自分に言い聞かせ、帰途についた私なのでした。

ハングル考

2012-11-01 15:18:30 | Weblog
 韓国語を読んでいていつも不便に思うのは、やはりハングルが表音文字であり、カナでしかないということです。たまにどうしても理解不能な単語があって、数か月たってからふと、あれはもしかして・・・と思って見直すと、やはり英語をハングル表記したものであったりします。「イブのすべて」というドラマにunder the sea という英語が出てくるのですが、これがアンドドシーのように発音されているので、理解するのに少し時間がかかりました。アウトレットをアウレシなどと言われるともう何が何だかわかりません。韓国人ガイドはよくハングルで表せない言語はないと胸を張りますが、そう言った数秒後には、「たきじゃわさん」などと呼びかけたりしています。ハングルでは表記できない発音があり、また韓国語特有のリエゾンがあるので、めんどうです。私の教え子にパク・ミリという子がいますが、続けて言うとパンミリになってしまいます。  

   しかし何といっても困るのは、韓国人が何を思ったか、漢字を廃止してしまったことです。一流大学の国文科の学生でも読める漢字は平均すると300程度だと言われています。いくらなんでもこれでは話になりません。韓国語は語彙のうち70パーセントが漢字語だと言われています。もともと大した文化のないところへ中国から文明の洪水が押し寄せたものですから、生活にごく身近な単語以外はすべて漢字語になってしまったと言ってよいでしょう。更に学術的な用語は日本人が明治時代に考え出した漢字語が多いので、反日意識の塊である韓国人は、これをも極力避けようとするあまり、めんどうな事態を招いてしまいました。   

   一例をあげると、「竪穴式石室発掘」とか「高速道路慶州駅予定地」というハングルを理解できた韓国人は皆無だったそうです。高度な内容を含んだ文書はハングルではどうにもならないにも関わらずハングル表記にこだわている為に、韓国人はもはや抽象的思考能力さえ失いかけてさえいると言われています。まして日本統治以前の韓国では文書はすべて中国語で書かれていたので、今や一昔前の文書を読むことはよほどの専門家でない限り不可能となっています。歴史についてのとんでも本が平然と売られているのはそんなことも一因かもしれません。なにしろ一般の人が原典に当たる恐れは皆無なのですから。   

   漢字語を排斥する動きは滑稽なところまで来ています。特に日本語っぽいのものは廃止しようという意識が強いので、そのまま使えば簡単なことを、ことさら複雑にしています。たとえば「出口」と書いておけば(読めれば)一目でわかるものを、「ナガヌンゴッ」とハングルで書いてあります。文字通り「出るところ」といいう韓国語です。切符売場は「メーピョソ」つまり「売票所」と言っていたのをわざわざ「ピョパヌンゴッ」つまり「切符を売るところ」と変えたりしたがります。こうなると単なる意地でしかありません。   

   しかしもしかしたらハングル化は為政者の高度な?狙いを体現したものなのかもしれません。何しろ数十年前に書かれた文書は既に読めなくなっていますし、先述のように難しい内容は音は読めても内容は理解不能になってしまっているのですから、国民が深い思想を持ったりする恐れは薄くなることでしょう。激しい貧富の差・非正規雇用率40パーセント・国民の移民願望率40パーセントという社会において国民が深い思想を持つことは支配階級にとってはけして望ましいことではありません。   


  テレビドラマを見ても、下層階級の人間が上流階級の人間に復讐を果たすという筋書きのドラマが数多くありますが、とりあえず復讐を果たした後、主人公が幸せに豊かに暮らすというエンディングはまずありません。昨日見終えた「一枝梅」という時代劇も、巧妙に交通事故(の代わりに暗殺)・記憶喪失・貧富の差・出生の秘密という4種の神器を備えた定番ドラマになっていましたが、復讐を果たしたとたん主人公は命を助けてやった宿敵に切られて死んでしまいます。   

   ハングルという存在、もしかしたら韓国という国の社会的差別構造を維持保存していくため、国民が余計な知恵を身につけないようにするために、意図的に維持されているのではないか、民族独自の文字を純粋に使用するなどという大義名分、は巧妙な騙しではないかと疑ってしまうのです。