このブログを読んでいる人に高齢者はいないと思いますので、ちょっと縁遠い話題になりますが・・・。時々足元のおぼつかない男性がショッピングカートにすがって歩いているのを見ると、失礼なことに、正直、ああなってまで生きていたくはないと思ってしまいます。それでも死なない限り老いは必ずやってきます。
以前住んでいた家の前に、100歳のお婆さんが一人で自活していました。近所に息子や孫はいるのですが、基本的に一人住まいなのです。ある時、お婆さんが外出から帰って来ました。わずかに風が吹いている日でした。お婆さんは自分で玄関のドアの鍵を開け、中に入ろうとするのですが、どうしても入れませんでした。お婆さんがドアを開け、荷物を持つ間に、わずかな風に吹かれたドアが再び閉まってしまうのです。100歳のお婆さんの筋力とスピードではどうにもこのドアとの対決に勝てないのです。その内に運良く風の止み間とお婆さんの動作のリズムが噛み合って無事家の中に入ることができたのですが、もし更に雨でも降っていたら誰かが助けてあげない限り、永遠にドアと格闘しなければならなかったのではないかと思います。
今日は越谷から自宅に帰る途中、私の前の横断歩道でお婆さんがばたりと倒れ、起き上がれなくなってしまいました。おそらくは経済的に苦しい生活を送っているらしい一人暮らしのお婆さんの、買い物帰りだったのだ、と想像できる光景でした。このお婆さんもシッピングカートを押しながら歩いていたのですが、信号の変わり目で急いだのでしょうか、ショッピングカートをコントロールしきれず、カートだけが先行し、それにつかまっていたお婆さんはカートから手を離すこともできず、引きずられるようにして前のめりに倒れてしまったのでした。
それを目撃した私は、人間は、最後の切り札:ショッピングカートもコントロール出来なくなる日が来るのだということを思い知らされたのでした。つかまる物を失ったお婆さんは自力ではもう立ち上がれず、見かねた女子高生や壮年の男性たちが駆け寄って、歩くこともできないお婆さんを、引きずるようにしてやっとのことで歩道まで連れて行きました。
このところ連日のように、アパートで死体となって発見される老人や親子の記事が新聞に載っています。あのお婆さん、大丈夫なのだろうか・・・と気にかけながら家路についた私でした。いや、そろそろ人のことより自分のことを心配した方がいいのかも知れませんが。
以前住んでいた家の前に、100歳のお婆さんが一人で自活していました。近所に息子や孫はいるのですが、基本的に一人住まいなのです。ある時、お婆さんが外出から帰って来ました。わずかに風が吹いている日でした。お婆さんは自分で玄関のドアの鍵を開け、中に入ろうとするのですが、どうしても入れませんでした。お婆さんがドアを開け、荷物を持つ間に、わずかな風に吹かれたドアが再び閉まってしまうのです。100歳のお婆さんの筋力とスピードではどうにもこのドアとの対決に勝てないのです。その内に運良く風の止み間とお婆さんの動作のリズムが噛み合って無事家の中に入ることができたのですが、もし更に雨でも降っていたら誰かが助けてあげない限り、永遠にドアと格闘しなければならなかったのではないかと思います。
今日は越谷から自宅に帰る途中、私の前の横断歩道でお婆さんがばたりと倒れ、起き上がれなくなってしまいました。おそらくは経済的に苦しい生活を送っているらしい一人暮らしのお婆さんの、買い物帰りだったのだ、と想像できる光景でした。このお婆さんもシッピングカートを押しながら歩いていたのですが、信号の変わり目で急いだのでしょうか、ショッピングカートをコントロールしきれず、カートだけが先行し、それにつかまっていたお婆さんはカートから手を離すこともできず、引きずられるようにして前のめりに倒れてしまったのでした。
それを目撃した私は、人間は、最後の切り札:ショッピングカートもコントロール出来なくなる日が来るのだということを思い知らされたのでした。つかまる物を失ったお婆さんは自力ではもう立ち上がれず、見かねた女子高生や壮年の男性たちが駆け寄って、歩くこともできないお婆さんを、引きずるようにしてやっとのことで歩道まで連れて行きました。
このところ連日のように、アパートで死体となって発見される老人や親子の記事が新聞に載っています。あのお婆さん、大丈夫なのだろうか・・・と気にかけながら家路についた私でした。いや、そろそろ人のことより自分のことを心配した方がいいのかも知れませんが。