梅様の教室

独り言

続・韓国の下ネタ

2013-08-30 17:32:01 | Weblog
   本日のお題「続・韓国の下ネタ」。だいぶ以前に韓国の下ネタについて書いたことがありますが、今回はとある映画を見ての感想です。タイトルは日本語に意訳すると、「のんきな刺客」とでもいうのでしょうか、何だか頼りない刺客稼業の若者が、骨壺に入れられたまま成仏できずこの世にさまよっている若い女性の幽霊達と知り合ったことから起きるドタバタ劇といったところです。

   映画の後半に入り、若者たちの内の首領格(そうとうに駄目な男という役回り)が、幽霊達の中心になっている女性の霊と恋仲になります。若者はその女性の幽霊に玉(ぎょく)で出来た指輪をあげるのですが、幽霊たちはみな最後の方で成仏してしまい、若者の元にはその指輪だけが残されます。

   ここまで読むと、こんなストーリーなら若者と幽霊との悲恋を美しく描く映画になるではないかと思ってしまいそうですが、実際には最後はとんでもない結末を迎えるのです。もう、製作者たちがどんなつもりでこの映画を作ったのか、その意図が全くわからなくなります。

   幽霊が残した指輪を手に、若者は泣きの涙に暮れます。そして当時の便器にまたがってしゃがみつつ、その指輪を片手にいきみながら用をたすのです。更にうっかりものの若者は、この指輪を便壺の中に落としてしまいます。あわてて便所を飛び出した若者は・・・ではなく、その前に若者は太い荒縄にまたがって、お尻を大急ぎでしごきます。(昔は確か日本でも用を足した後、縄でしごいて後始末をしたということがあったと聞いています。一人済む毎に縄を取り換えたという話は聞いていませんが・・・。)

   便所を飛び出した若者は手下に命じて便壺の中身をすべて汲みださせ、むしろの上に並べさせると、細い木の枝でかき回しながら指輪を捜させます。やがて木の枝に指輪が引っ掛かるのですが、その木の枝には指輪と同時に、精巧に作られたうんちが、極めてリアルについてきます。そして若者が「指輪は見つかったか?」と見に来た途端、手下は高価な指輪を若者に返すのが惜しくなり、そのまま自分の口に放り込んで隠してしまうのです。

   このシーンを見て喜ぶのは、普通に考えれば、小学校低学年の男子くらいです。それ以上の年代になると、子供でも馬鹿にしてしまいそうです。ところがこの映画、なんと18禁なのですねえ・・・。

   韓国では一昔前まで映画製作には国庫から補助金が出ていたので、めったやたらに映画が製作されていました。この映画は2006年度のものなので、恐らく国庫から相当な補助金が出ていたことでしょう。素晴らしきかな、韓国。

梅様危機一発

2013-08-29 17:27:25 | Weblog
  暑いぞ!蒸すぞ!これじゃ死ぬぞ!と思っていた間は、ペースこそ遅くなったものの、一応立ち止まることもなく登っていました。しかし、8月も後半に入って気温も下がり始め、体感的には楽になって来たところで、かえって危険な兆候が現れて来たのでした。

   筑波山も中3日くらいで通い続けるのが一番調子良く登れるので、先月は暑さにも負けず7回登りましたが、体力がついたのに走ることが苦手になってしまったことを知り、現在は硬直した脚部を徐々に馴らすためのゆるいジョギングの日を入れ、登山は週一回に留めています。しかしそのせいか、登山自体は苦しさが増してしまいました。

   先週のこと、明らかに気温が低め(25°くらいか)だったので、私はそれまでよりペースを上げて登り始めました。中間地点で、7月よりも3分ほど早めの到着でした。何だ、気温さえ下がれば快調にいけるんじゃないか・・・・と、私は元気良く後半に臨んだのでした・・・・・・。

   ところが、後半に入って間もなく、階段部分で身体に変化が起き始めました。妙なつらさが感じられます。7月までのつらさとは全く質の違うつらさでした。その時私は思いました、。

   「これか!」

   それは明らかに熱中症に突入する寸前の症状でした。しかし、そこで私は考えてしまったのです。熱中症になるって、どんな感じなのだろう、と。昔K岩高校の夏合宿で命を落とした柔道部員は、どんな気持だったのだろう、と。このままのペースで行けば、あと5分か10分でその領域に入れることは間違いないと感じていました。その時の私は本当に限界寸前だったのです。

   昨年の夏は、糖質をとると歯が猛烈に痛むということを検証するためにわざわざ甘いものを食べてみたことがありました。いや、本当に耐えきれないほどの痛みに襲われたのでしたが・・・。 この日は、熱中症になってみるか?というありえない好奇心が私の中でめらめらと燃え上って来ました。登山も後半に差し掛かり、この後はわりと厳しい階段の連続となります。その階段を少しだけ頑張って登れば熱中症の世界を知ることができることは明らかでした。
  
   「行ってみる?」

   しかし軟弱な私は結局その未知の世界を知る喜びを放棄してしまいました。行くか!と脚を踏み出した瞬間脳裏を横切ったのは、

   「筑波山の登山道で倒れている男性を別の登山者が発見。男性は病院に救急搬送されましたが、病院で死亡が確認されました。携行していた免許証によればこの男性は埼玉県草加市に住む梅●○さん(00歳)と見られ、湿度の高い中を登山中に熱中症にかかり、命を落としたものと考えられます・・・・。」

   と話すアナウンサーの言葉でした。

   軟弱な私は、自分で思いついたこの言葉に負けて、熱中症を味わってみたいという欲求をあきらめてしまったのでした。

   そんなわけで本日の筑波山登山は、少々慎重になり過ぎ、登りがちょうど1時間かかってしまいました。後半の階段も快調には登れず、体力が落ちたか・・・と悲観的になってしまいました。しかし下りでは自己最高記録を更新してしまったところを見ると、やはりまだまだ暑さの影響なのか、とも思ってしまいます。

   でも、ちょっぴり未練が残っているのです。できればやってみたい・・・熱中症に挑戦・・・・・・・。

腐れ儒学者

2013-08-24 18:14:57 | Weblog
   李氏朝鮮時代が数百年に渡る停滞と荒廃の時代であったことは韓国ドラマからは見て取れません。しかし、以前書いた通り、この間に人口がわずかながら減っていることからも、この時代の悲惨さがわかります。韓国語にチュングという言葉があるのですが、これは農民!が、毎年旧暦の節分頃になると食べ物が尽きて、生きるか死ぬかの日々を迎えることを指しています。食料を作っていた農民が、自分で作った作物の多くを取り上げられて、場合によっては次の春を迎えることが出来ないということなのです。

   はるか遡って紀元前後の高句麗の時代の記録には、干ばつなりイナゴの被害を受けて食糧難に苦しむ国民のために、国家が食料の放出をしたという記録が何回も残っています。半島は時代が進むにつれて後退してきたと言わざるを得ません。

   ところで、ソウルで買った本を読んでいるうちに、興味深い章に出くわしました。李氏朝鮮は儒教を国教とし、儒学者の意見が重んじられていた時代ですが、人倫の法則を解いているはずの儒学者の多くが、実は金貸しを副業としていたことが記されています。ある時にはこうした儒学者が家臣としての最高位を極めそうになり、大きな反対の声が巻き起こったこともあるといいます。 儒学者が金貸し・・・・日本人の感性では到底理解できない話ですね。

   ちなみに李氏朝鮮時代の金利は年5割です。儒学者が年利5割で金を貸す・・・。当然金を返せなかった物の家や土地を巻き上げるという行為を伴っている訳です。それなら日本ではどうだったかというと、江戸時代、1714年から1841年までは年に15%、これが1842年には改正されて、12%というのが法定金利となったそうです。

   現代に至っても、前大統領がせこい手口で財産を増やしていたことが暴露される韓国という国。なんやかんやと言って日本から金を巻き上げようとする卑しい根性は、こうした歴史と無関係ではないのでしょう。

実は・・・。

2013-08-23 17:37:41 | Weblog
   今日も黒雲が立ちこめ、ゲリラ降雨や落雷に悩まされている地域があちこちにあるようです。こういう時には切り札「地球温暖化だ!」と叫んでいれば良いのですから学識経験者とは気楽な商売です。後は勝手に「二酸化炭素削減!」と世間で騒いでくれるわけです。

   話は最後にちゃんとつながるのでご心配なく。実は福島の原発事故について、一般にはあまり知らされなっかった事実があります。故吉田所長は、なぜ東京電力本社の命令に逆らってまでも注水を断固続けたのか。注水しなければ間違いなく原子炉が爆発するから?それは正しい答えではあるのですが、問題はその先にあったのです。

   福島の原発が爆発すれば、当然周辺には人が立ち入ることが出来ない空白地帯が生じます。そして、福島の原発は何基もあるわけですから、これが誘爆した暁には広範囲に渡って人あらゆる生き物が生命の危険にさらされることになります。実はこの時、福島原発から最も近い他の原発周辺も人が近づくことができない汚染地帯となり、その原発も放棄しなければならなくなるのだそうです。放棄された原発はまたそれを制御する人間がいなくなるために爆発することになるのでしょう。このようにして日本のど真ん中が全く人の住めない荒野と化してしまうのだそうです。日本は人が住めるのは北海道と東北北部、中部以西の地域のみとなります。
 
   当然自衛隊は全軍を挙げてこの災害に取り組むことになります。その隙をついて韓国は対馬、中国は米軍が駐留する沖縄本土までは手を出さないにしても、石垣島あたりまでは占領することでしょう。どちらの国にも、我が国の津波被害や原発被害を堂々と祝福した連中がいました。対馬や石垣島を取ったら韓国と中国の国民は大喝采するに違いありません。小日本・ウエノム(倭奴)ざまあみろ。と言って・・・・。まさかそんなことが、などと思うのは、他国の人間も日本人並みに相手を尊重するという大きな幻想を抱いているからです。
災害対策に人手と財源を取られてしまう日本に再浮上の道はなくなったはずなのです。

   では原発を廃止すれば良いではないかと考えてしまいがちですが、必ずしもそれが最上の策とは言えない事情があるのです。学者たちがなぜこの問題から目をそらそうとするのか、私は以前から大いに疑問を持っています。

   地球寒冷化は、これまでの地球の歴史を考えれば、間違いなくやって来る現象です。何しろ原因は地球外にあるのですから、防ぎようがありません。地球が寒冷化した時、我々が真っ先に考えなければならない対策は、実は暖房ではありません。食料なのです。この場合、全世界規模で寒冷化に伴う農業の衰退が起きます。我々の口に入るものがなくなってくるのです。

   その時に必要なのは、温室と作物を照らす紫外線発生装置です。葉物野菜などは恐らく窓を閉め切って暖房効率を高めたビルの中で行うことになるでしょう。これについてはビルの高層化でかなりの耕地面積を生み出し、効率的な野菜栽培が可能だと思われます。問題は、こうした農業を支える「光熱費」です。全世界規模で電力不足が予想されます。この時生じる膨大な電力の供給源としては、やはり原発しか考えられないのです。

   結局資源に乏しい日本が生き延びるためには、原発を維持どころか大幅に増やす必要があります。したがって、日本に必要なことは、原発を廃止することではなく、安全技術を更に研究開発して、原発を安全なものにしていくしか方法がありません。

   先の氷河期は、ヨーロッパはまだネアンデルタール人の時代でした。全世界の人類を合わせても100万人いたかどうか・・・。そんな時代とは訳が違うのです。きちんと先を見据えた長期的展望がなければ、対策が遅れた国の国民は飢えて死ぬか凍えて死ぬことにしかできません。問題はそれがどれくらい先の出来ごとになるのか、ということですね。温暖化温暖化と騒ぎ立てるのも結構ですが、どなたかきちんと総合的な見通しを立てて欲しいものです。幸い私の生きているうちにそんな時代が来ることはなさそうなのは、l不幸中の幸いですが。

4・4・4制

2013-08-22 15:07:30 | Weblog
   東京都は2017年度をめどに、都立の小中高一貫校を開校する方針を固めたそうです。保護者の間からそんな要求が湧きあがったわけでもなく、現行の6・3制に抜き差しならぬ問題があるとされた訳でもなく、いったいどこのどなたがこんな発作的な思いつきを考えたのか・・・・・。
   東京都教育委員会の小中高一貫校検討委員会なるものがあって、22日の定例会で基本構想の中間報告として発表するのだとか。

   「6・3」制(彼等は6・3・3制と言っていますが、高校は義務教育ではないので6・3・3・制という表現はおかしい)は、現代の子供の発達が早く、実情にそぐわないという研究があるためだとしています。残念ながら新聞その他をくまなく読んでいる私でも、そんな研究があることは知りませんでしたし、その研究が正しいのかどうかという検証がされたという話も聞いたことがありません。恐らくは訳のわからん少数の仲間同士の寄り合いで勝手に決めたことなのでしょう。

   現場の人間として言わせてもらうなら、現代の子供は身体ばかり大きくなって、知性や情緒の発達は遅れています。高校生について断定的に言えば、赤ちゃんみたいな生徒が増えていて、けして「発達が早く」などなっているとは思えません。逆に遅れていると言えます。

   方法としては、小学校入学時に適性検査を実施し、理数系科目への関心や適性を判断し、4・4・4制で世界に通用する理数系の人材育成を目指す、とありますが、保育園や幼稚園を卒業したばかりの子供の適性を間違いなく判別することなんかできるんでしょうかねえ・・・。エジソンなどはこの年齢の時に、確か知恵遅れ扱いされていたのだと記憶しています。天才ならともかく、幼くして他の子供たちとは違うコースにおしこめられて、将来実は適性なしとなった時にはその時間をどうしてくれるというのでしょうか。第一、小学校一年生というのは、3月末生まれと4月初めの生まれでは、幼くして1歳分の発達差があるのです。これを同一基準ではかれるものやら。

   何でも「世界に通用する人材育成」と言いたがるワンパターンの発想も単細胞すぎますね。どうしても理系に優れた生徒を発掘したいのなら、普通に授業をしながら、(普通に授業をしていれば、教師から見て適性のある子とない子は自然に見分けがつきます。)、特に適性の高い子には別枠で理数系の授業を用意すればそれでよろしい。

   また、4・4・4制では、極端に変化していく「小5・小6・中一・中二」という時期を切り取っていっしょくたにしてしまおうということになります。以前に書いた通り、中一と中二の間には、特に男子には、大人と子供ほどの違いがあるのです。この区切りは発達心理学を全く無視しています。

   思慮の浅い人間ほど、実質ではなく制度を変えようとします。自分が書慮の浅い人間かどうか、自覚することは不可能に近いとは思いますが・・・・・。

映画を見に行く(後編)

2013-08-21 11:42:12 | Weblog
天災とOSKは忘れたころにやって来る・・・。「花はいつ咲く」に関してOSKのコメントがありました。人により花が咲く時期はさまざまなのだと思いますが、OSKのピークがいつなのか、私にはわかりません。わからないということはまだピークが来ていないのかもしれません。いや、来ていないはずです。一応お肌の曲がり角には来ていますけど・・・・・。

参考までに私自身について言うと、陸上競技選手としてのピークは中二の時、陸上の指導者としてのピークは30台前半(というよりそれ以降は陸上の顧問からはずされてしまった。)、英語教師としてのピークは39歳、そしてクラス担任としてのピークは、あのK君を抱えていた時期だったと思っています。ちなみに一番きつかったのはJTにいた4年間でした。

さて、肝心の映画ですが、「パシフィック・リム」、私としては芦田真菜ちゃんがまだ幼き日の面影を残しているうちに実際の演技を一度見ておこうと思っただけなので、映画そのものは必ずしも重要ではなかったのですが、滅多に見ないロードショーを見たからには一応感想を述べてみます。

   この映画、早い話が地球征服を狙う宇宙人が、深海に時空の割れ目を接続し、そこから怪獣を送り込んで来るので、中に人間が入って操縦する巨大ロボットでこれを迎え撃つ、という内容です。まずは怪獣によって人類を滅ぼしてから、という段取りの設定ですが、時空の割れ目を接続できるほどの科学技術を持つ宇宙人が、そんな面倒くさいことをするはずがありませんから、既にこの時点でB級映画だということが判明します。空飛ぶ円盤でやって来る宇宙人が悟空とカンフーで闘うおかしさに近いものがあります。観客の層をどのあたりに設定しているのやら。

   で、どんな映画なのかというと、機動戦士ガンダムとマジンガーZにウルトラマンの要素を加え、更にゴジラとエイリアンを入れてかき混ぜた上でたっぷりとドルを注いだと思えば間違いありません。ラストに近いシーンは007のパクリですし、独創性のかけらもありません。制作側も完全なパクリ作品を作ろうと思っていたであろうことは、冒頭の定例、「20世紀FOX」という画面に既に現れています。「20世紀FOX」という文字の後ろには、通常登場させることのない富士山の姿が高々とそびえているのです。最初から、「この作品は日本の人気作品のパクリで作りました。」という間接的な断りを入れてあるのです。ストーリーも、ハリウッド映画の定石通りです。目新しさや独創的な試みは特に見かけられません。

   それを承知の上で見れば、まあ料金を払っても損をしたという気にはならないと思います。私が吹き替えで見たらおかしな話なので、字幕・3Dという方で見ました。感想としては、別に3Dでなくともいいかな、という気がします。どうせ大した内容ではないからです。

   肝心の芦田愛菜ちゃんですが、これは確かに名子役だと思いました。怪獣に追われて恐怖におびえ、泣きながら逃げ惑う、ヒロインの少女時代という役どころですが、撮影時はブルーバックのみで、何もないところでの演技であったはずなのに、街を破壊しながら追って来る巨大怪獣に追われる恐怖感をしっかりと表現しています。巨大ロボットに助けられ中から登場したパイロットと視線があった時に見せる安堵の微笑みも、なかなかの名演技でした。

   最後に結論:あまり期待せずに見に行けば、そこそこ楽しめるでしょう。画面を見ながら、これはロケットパンチじゃないか!などと楽しんでいればそれで良いのだと思います。ガンダムもマジンガーZもウルトラマンもゴジラもエイリアンも見ていないという人なら(そんな人はいないと思いますが)、この上なく楽しめる映画になっています。

映画を見に行く(前篇)

2013-08-20 15:01:08 | Weblog
Kさん、コメントありがとうございます。中国に関する「意外な知識」は、中央の学会とは一線を画した人たちの著書を読むと得られます。読めば読むほど目からうろこが落ち、日ごろの疑問が氷解、納得の連続となります。ただ、そういう知識を表に出すとあまりいい顔をされないので、私も日ごろ口に出すことはありません。これまでの経験では、固い政治信条を持たない人たちの方が正しい知識を素直に受け入れてくれるようではあります。

   さて、昨日は久しぶりに封切り館で映画を見てきました。まずは東亜学院早朝講座上級の授業に出席した後、千代田線・丸の内線と乗りついで新宿三丁目へ。新宿へ行くのは多分30年ぶりくらい。封切り館へ行くのは20年ぶりくらい。前回行ったのは上野の映画館で、子連れでゴジラを見た時。時の立つのは早いものです。

   新宿三丁目で地下鉄を降りても、そこは田舎者の悲しさ、目指す映画館を探すことから始めなければなりません。外は暑いので素早く探さないと・・・・。どうやら新宿に関する土地勘はすっかり失われてしまっていたようです。善良な田舎者の老人を装い、愛想良くデパートの警備員に聞いてみました。私も最近温和な笑顔を作れるようになったのです。

   なんとか目指す新宿ピカデリーに到達。今は映画館もこうなっているのですねえ・・。いわゆるシネマ・コンプレックスというやつ。とりあえず中央前から5番目位の指定席を確保し、入場までの時間をホールで潰します。

   平日の午前10時前とあって、老人の姿が目立ちます。でっぷりと太った体にハーフパンツを身にまとい、若々しく見えるTシャツルック。私はと言えば、30年前の教え子が見ても一目でわかる、トレードマークの○○シャツスタイル。少しは身ぎれいにした方が良いのかとも思いつつのんびりと眺めていると、でっぷりと太った50歳くらいの女性が杖を片手に登場。「コーラとポテトね!」と売店で注文しています。膝の悪い肥満体がコーラとポテトでいいんですか?と、口の悪い私は心の中で叫びます。

   10分前入場ということで、その少し前にトイレへ。すると隣に立った小学校1、2年生くらいと思われる男の子が、短パンとパンツを一気に足元まで下ろして立ちます。
そしてそのままの活動でホースをつまみ、消火活動に入ったのですが・・・・。

   誰だ、男の子に「正しいおしっこのし方」も教えてない親は!

なんだそれくらいと思われるでしょうが、大学生になってもまだなお、ズボンのベルトをはずし、ズボンをすり下げて小便器に向かう情けない日本男児がざらにいるのです。
更に言えば、シャツの脱ぎ方にも情けないものが・・・・。これは陸上競技場で何度も目撃したのですが、大の男がまず右腕を袖の中に引っ込めて、胴体部分に収めます。次に左腕を袖の中に引っ込めて、胴体部分に収めます。この時の姿は、凶悪犯が暴れられないように袖のない上着を着せられた姿そっくりです。次にこのまま、もそもそと体を動かし、頭の方からTシャツをはずしていくのです。まるで帽子でも脱ぐかのように。私が思うには、保育園で保母さんから教わったやりかたを20になっても忘れていない、いや、直していないのです。

   男たるもの、両腕をクロスさせてTシャツの裾を握り、そのまま引っ張り上げていくと、まずはきれいに6つに割れた腹筋が見え始め、次いで程よく盛り上がった大胸筋と、逆三角形の上体を形作る広背筋が見えてくる・・・というのがよろしい。できれば。韓国ドラマではこの状況を目撃したヒロインがこの男性と恋に落ちると相場は決まっています。

   いや、いつになったら本題の映画の話になるのやら・・・・。

中国の汚職

2013-08-19 15:57:37 | Weblog
   ただいまこの時間、リアルタイムでミヤネヤというワイドショーで中国の役人の汚職について取り上げています。たっぷり賄賂をため込んだらアメリカに移住する、というパターンが主流なのですが、そんな手口は当局が百も承知なのですから、食い止めることは簡単なはず。それをしない理由はただひとつ、みんな「順番待ち」をしているところだからなのでしょう。

   ところで、中国の役人の汚職については、やはり4,000年の歴史があるのかもしれませんが、実はそれほど遡って考える必要はありません。中国(という国は当時は存在しませんが)が満州族の植民地であった時代(清というのは王朝名であって国名ではありません。念のため。歴史の授業はそのへんが実にいい加減です。)から考えれば十分です。

   清の政策として、今の日本で言えば県知事にあたる役人は、地元の人間を割り当てませんでした。地元の言葉が全く放せず、聞き取ることもできない他の地方の人間を割り当てたのです。これはもちろん地元との癒着が生じて中央政府との間に軋轢が生じないようにという配慮なのですが、問題はこの役人たちの給料なのです。一体この人たちは中央政府から年俸にしていくらくらいの俸給を得ていたのでしょうか・・・・・。

   正解:0。ゼロ。

   役人たちは地元から税金を取り立てます。その税金から自分で自分の取り分を差し引いて、中央政府に収めるのです。したがって、本人のさじ加減によっては相当な隠し財産を築きあげることが可能になります。現在の役人たちも意識の上ではその延長線上にあります。任地の人間達から賄賂をもらって(あるいは巻き上げて)自分の懐に収めるなどというのは役人として(意識の上では)当然の権利なのです。賄賂ももらえないような役人は、それだけの権限がない(つまり能力がない)、情けないやつだということにもなります。

   現在の中国では、そもそも政府の上の方に行けば行くほど巨額の不労所得が入るしかけになっているのですから、下々の役人だけがくそまじめに職務を遂行するなどということは馬鹿馬鹿しくてやっていられません。汚職がなくならないはずですね。中国では、役人が汚職に走らないように、かなり高めに給料を設定してあるのですが、焼け石に水というのが実情です。交通取り締まりの警官など、罰金の一部が自分のポケットに入るという、歩合制まで導入されているのですが。

   ところで中国の公務員は当然ながら定年退職後、年金が出ます。民間とは比べられないくらい優遇されています。その上、この年金というのが、物価の上昇に応じて自動的に増えて行くのです。それでも汚職は無くならない・・・・。恐るべし、中国4,000年の歴史!

花はいつ咲く

2013-08-17 15:09:49 | Weblog
   かつて教室で、とある五輪金メダリストについて、「あの子はかわいそうだ。」と発言して、生徒達から猛反発を食らったことがあります。「あの子」とはその年のオリンピック水泳の平泳ぎで優勝した、とある女子選手のことを指しています。私が思わず「かわいそうだ」と言ってしまったのには理由があります。その選手を教師の目から見て、水泳以外にはこれといった才能に恵まれているようには見えなかったこと、それなのに五輪で優勝してしまったこと、そして最悪なのはそれが14歳の時の出来事だったからです。

   一教師として、また子を持つ親の身として、この子が将来背負わなければならない金メダルの重み、しかしそれに見合った社会的成功はおさめられないであろうと言う悲しい予測から、私はそんな言葉を吐いてしまったのでした。ひたすらコーチの言う通りに黙って泳いでいたら、金メダルをとってしまった子。ひどい言い方をするなら、自分の力で取ったとは言えない金メダルなのです。しかし彼女はこれから一生金メダリストとして生きていかなければなりません。その後彼女がどこかで何らかの活躍をして来たかと言えば、残念ながら私の予想通り、職業人としてもぱっとしないまま過ぎてしまいました。せめて口でも回れば、スポーツコメンテイターとして何とか陽の当たるところに出られたのですが。

   韓国にかつてイ・セヨンという美少女がいました。映画の主演も何本かありました。「チャングムの誓い」の中でチャングムのライバルの幼少時代を演じた子なので、恐らく多くの人が見たことがあるはずです。しかし最近、この人をとんと見かけません。どうしたのかと思っていたら、とあるドラマに出演していたのに気がつきました。成人した彼女は、至って当たり前の、どこにでもいる平凡な女性になっていました。美人と言えば美人ですが、しかしぱっとしたところが少しもありません。容姿において彼女に劣る女優が個性を生かして立派に活躍する中、彼女は主役級の輝きを持たない顔つきに成長してしまったのでした。

   人には絶頂期というものがあるようです。私の長男は、中一の時、区の新人戦(剣道)で優勝しました。それまでパッとしなかった彼が、部の中で一気にトップに躍り出たのです。しかし私は冷静でした。いや、冷静というよりも、彼のために深く悲しんでいました。私は父親として、彼の剣道人生が中一でピークを迎えてしまったことを知っていたからです。

   私の予想通り、彼はその後人一倍の努力にも関わらず、いかなる大会においても活躍することはありませんでした。ただ父親に似て?そこそこの指導力と熱意はあるので、教員になって生徒達の指導に当たることができれば彼の剣道も生きると思ったのですが、結局彼は一般公務員の道を選びました。大学、そして卒業後も剣道は続けていますが、競技者としての生命はとっくの昔に失われていました。

   部活の顧問をしていても、希望に燃えて入部して来る新入生達を見ていて、この子はこれから伸びる、この子は中学時代に終わっているなどと見抜けてしまうのは、とても悲しいことでした。それでもそんなことはおくびにも出さず指導に当たるわけですが、割り切れない気持ちは常に残ったものでした。

   その意味で私がちょっぴり期待しているのが、天才子役といわれた芦田愛菜ちゃんです。
   数年前に和田アキ子曰く、「今が一番可愛いんだよね。」

   ハリウッドの映画監督によれば、演技力においてめったに見られない天才であるという芦田愛菜ちゃん、彼女が絶世の美女に成長するかどうかはわかりませんが、女優としてその才能を生かせるだけの輝きを持つ大人になっていくことをちょっぴり期待している今日この頃です。

   というわけで、彼女が2分間だけ登場するというハリウッド映画をこの夏は見に行ってみようと思っています。恐らく映画自体は日本のロボットアニメにヒントを得た、B級映画なのではないかという気がしてならないのですが、見に行った暁にはその感想も書いてみたいと思います。前回映画を見に行ったのは確か10年前になると思いますので、久しぶりの映画観賞です。

暗誦

2013-08-15 15:39:42 | Weblog
   本当に体調が悪くて、日課の中国語音読も気合いと根性だけでやり抜いておりました。音読で倒れたりしたら前代未聞だなと思いつつも、9月末日までにテキストを完全暗記するという設定のため、逆算して日々頑張っていました。

   自分で日数を限ったために、時々実に馬鹿げたことが起こります。猛暑で?体調を崩したための遅れを取り戻すために、筑波山のきつい登りにあえぎながら、2頁ほどのまとまりのある文章を口の中で呟き続ける・・。もうまともとは言えない世界に入りこんでいました。いや、それ以前に体調を崩して音読することすらきついという人間が何故に山に登るのか、という問題があるのですが・・・。

   暗誦を繰り返していると、時々しょうもないことが起こります。自分では第5課を暗誦しているはずなのに、ふと気が付くと、第12課に飛んでいたりします。かつ、極めて自然に飛んでしまっているので、しばらくしないと気がつきません。これは、とある表現がこの二つの課の両方に出現するために、第5課のその表現の部分で我知らず第12課に飛んでしまい、そこから先は第12課の本文を暗誦している、という現象なのです。

   この勉強法は、多分正常な神経の持ち主には不可能なやり方だと思います。何しろ、ひとつの課を無限に暗誦し続けるのですから、まともな神経ではできません。電車の中などでやっていると、変なオヤジがもごもご口を動かして小さな声でわけのわからないことをつぶやき続けているという絵面になるので、隣にいた女性がいつの間にか離れた所に移動していたりします。そこで最近は、テキストをコピーした紙を手に持って行うように心がけています。これならああ、このプリントを暗誦しているのだな、と気がついてもらえそうな気がするからです。

   こんなことを続けていると、ある日突然、うれしい現象が起こります。それが起これば間もなく中国語が口をついて出てくるようになります。既に英語と韓国語ではこの現象は体験済みなわけですが、中国語は思いのほかしぶといようです。それは、夢の中で自分が自在に中国語を操って会話している、という現象です。予定ではこの夏、その日が来るはずだったのですが、もうすぐ夏も終わり。もしかしたら、もう一年先延ばしになるのかもしれません。
   


女子マラソンと熱中症

2013-08-14 16:35:01 | Weblog
   今日はお盆に入り、筑波山もガラガラかと思ったのですが、平日にも関わらずそれなりに登山者がいました。いつもより10分ほど早く登り始めたので、毎回すれ違う人ともいつもよりは低い場所で出会いました。ただし、絶対にいつでもいるはずの集団が今日に限ってはどこにも見当たりませんでした。話しぶりからすると農家の人たちなので、お盆には何か特別にすることがあるのかもしれません。それにしても彼等は早朝筑波登山の後、家に帰って農作業に従事するのですから、尊敬に値します。

   私はと言えば完全に暑さに順応したらしく、汗もそれほど出ません。タイムも登り56分、下り50分と、標準的なところに落ち着きました。膝が悪くなければ下りをもっと短縮できるのですが、ぜいたくは言えません。一時はこのまま終わりかと思うほど体調が悪かったことを思えば、このタイムでほっとしています。

   途中で、ベンチに掛けながら後頭部と首筋を持参の氷袋で冷やしている人がいました。「用意がいいですね!」と声をかけると、「これがなきゃやってられないから。」という答え。彼はまだ暑さに順応していないようです。

   ところで陸上世界選手権の女子マラソン、野口みずき選手が途中でリタイアしてしまいました。途中で熱中症にかかったという報道がされていましたが、もしこれが本当だとしたら、気の毒というよりは、恥ずかしいことだと思います。気温が高かったことは他の選手達も全く同じ。熱中症になったのは恐らく彼女の意欲の空回りか単なる油断でしょう。

   随分早くから日本選手でただ一人、帽子を脱いでしまっていましたが、これ自体はどうということはないのです。ただ、帽子を脱いでしまったという行為は、既に身体に熱がこもってしまって耐えがたかったということを意味しているのではないでしょうか。だとすれば、帽子を脱いだ時点で既に彼女のリタイアは決まっていたということができます。

   私は人の倍以上の汗っかきです。筑波山でも頂上まで給水することなく、シャツも汗に濡れることなく登って来る人もいて、実にうらやましくなります。しかし、逆に汗っかきだからこそ、脱水状態の怖さを良く知っています。かつて千葉県で10マイルの市民ロードレースに出場した時のことです。今日はなんだか調子が出ないなあ・・・どんどん抜かれて行くし・・・完走できるのだろうか・・・と思いつつだらだらと走っていました。

   ところが、もう急ぐこともないし、と思って、給水所で立ち止まってたっぷりと水を飲んで再び走り出したところ、体調は一気に回復、それから50人ほど抜いてゴールしたのでした。どうやら事前の給水が不足していたために、走っている最中に脱水症状を起こしていたのです。

   選手を見ていると、いくつか気になる点があります。一つは、脚に水をかけるという行為。これは実はほとんど意味がありません。瞬間的に皮膚がほんの少しだけ冷やされますが、ほとんどは流れ落ちてしまうので、意味がないのです。身体を冷やすには、二つしか方法はありません。そもそも体内の水分が汗となって失われてしまうのですから、失われた水分(ミネラルも)を体内に取り込むことが一つ。これが9割以上の重要さを占めています。本人が感じているよりも実際の脱水は進んでいます。自分の気持より三割程度多く飲んでおくくらいでちょうど良いのです。これでお腹が痛くなることはまずありません。

   もう一つは、頭から水をかけること。脚にかけても意味はありませんが、髪の毛をびしょぬれにしてしまえば、冷却効果抜群になります。これなら外部から直接熱を奪ってくれるので、かぶってからしばらくは気持もすっきりします。ですから、自分専用のスペシャル・ドリンクをしっかり飲む・別に用意されているただの水を頭からかける。この二つをきっちりと行えば、熱中症になることはまず考えられません。

   仲間やお子さんに熱中症の疑いが生じた時は、まず日陰に移動し、髪の毛に水を思い切りかけてください。できれば何度も。びしょびしょにしてしまいます。その上でまずは500ミリリットルのペットボトルを一気飲みさせた上で、その後更にちびちびと飲み足しをさせます。それだけで何とかなるはずです。自力で水を飲める状態なら、これで回復できるはずです。

日章旗はタオルじゃない

2013-08-11 17:32:39 | Weblog
   長く論ずる時間もその気もないのでただ一言。

   福士加代子選手が世界陸上のマラソンで3位入賞、誠によろこばしい。しかし、オリンピックも世界選手権も何度も経験している選手が、ここまで軽薄で良いのかという思いがしました。

   福士さん、お願いですから日章旗で顔の汗をふくのはやめてください。

グローバル化ね・・・。

2013-08-11 14:47:54 | Weblog



10日(土)読売新聞の朝刊4面。「教育で主体性引き出せ」


  「教育は国の根幹です。特に、グローバル化時代には、世界のどこに行っても活躍できる人材を生み出していかなければならないので、学びの場は大事です。」

から始まるコラム。この人、偉い大学教授らしいのに、それにしては国語力がないなあ、と感じさせます。ひどく日本語の表現力不足を感じさせる文章ではあるのですが、それはともかく・・・・。

  
  まあ、この部分自体はそう間違った意見を述べているとは思わないのですが、それでも私が常々思う疑問が一つ。それは、「世界のどこに行っても通用する人材」を、一体何万人養成する必要があって、こうした意見を述べているのかということです。


  正直言って、若い者がみんなグローバル化して海外雄飛してもらったりしたら、困るのは日本国民の全てです。表を歩くのも嫌だと思うような真夏の炎天下に、車の後を追って走りながらちょっと臭いのするごみ袋を集めて回る地味な仕事をしてくれる人がいなかったら困ります。全く日蔭のない田畑で一日農作業に励んでくれるお百姓さんがいなくなったら困ります。同じく炎天下で、高速道路脇の斜面に立ちながら伸びきった雑草と格闘してくれる人がいなかったら困ります。ひたすら徹夜で大型トラックを飛ばす仕事に従事してくれる人がいなかったら流通はストップしてしまいます。町工場で油にまみれて一日中機械と取り組んでくれる人がいなくなったら日本の工業は根底から崩れます。10時半になると草加駅のトイレ掃除に来てくれるおじさんがいなくなったら・・・・・。こんな例は挙げていけばきりがありません。


  グローバルグローバルと、響きの良い言葉を軽々しく口にする人たちに共通しているのは、そのために日本の教育全体を変えてしまおうという、軽薄な発想です。私が何度もこのブログに書いている通り、英語なんか生涯無用の人生を送る人が圧倒的多数なのであり、海外などたまに旅行で行けば十分という人がほとんどなのです。大部分の人間にとって、こんな理由で自分に対して無用な教育を押し付けられるのは、いらぬお節介というものです。


  このコラムを読んでいると、この人は本当に物の分かった人なのだろうかと首をかしげる部分が何か所もありました。たとえ


  「学生や生徒がいけないのではなくて、教育する側の問題です。」

とあるのですが、「教育する側」とは誰を指すのかは明白ではありません。もしこれが教員を指しているのであれば、著者はこう提起すべきですが、そんな発想はありません。

「グローバル時代に向けて、すべての教員に一年から三年の公費による海外留学を義務づけよ。」

こうした先行投資なしに口先で教員を責めればグローバル化が達成できるというものではありますまい。


  ところがもう少し読み進むと、この人ホントに分かってるの?と思えてしまう文章が登場します。

「グローバル人材と言うのは、ただ英語が話せるだけではだめ。自ら目標を持ち、人の気持もくみとりながら知らない人同士でチームを組み、チームワークで何かを成し遂げるような人。」


  どう考えても、こういう人材は旧態依然たる典型的な日本人像ではありませんか。正しくは、

「誰にも負けない専門的知識と技能、そしてそれに関わる意思疎通・コミュニケーションを英語で外国人を相手に自由自在にとることができ、言い負けたりしない人。」

ではないでしょうか。それにしても(もしかしたら後述筆記をそのまま原稿にしているのかも知れませんが)、日本語として稚拙過ぎますね。


  最後に、この人の専門である「認知分野」に関わる提言として、

「小学校4年から5年にかけて子どもはかなり変わっていくので、中学2年までの8年を4・4で区切るのが適切ではないでしょうか。」と述べています。


  確かに、特に(元気な)男の子は、おおざっぱにいえば、4年生までは筑波山に登る時、親の後について登りますが、5年生になると親を置いてきぼりにしてさっさと自分だけ登ってしまいます。自意識の目覚めがこの時期にあるようです。4年生と5年生の間にはそうした違いが歴然とあります。しかし筆者は、もう一つ、もっと大きな発達段階の落差を見逃しています。それは、中一と中二の間のこの上ない落差です。中一の男の子はまだ廊下を走ります。中二になると走らなくなります。この差は途方もなく大きいのです。声変わりの前と後、第二次性徴が現れる前と後では、全く違う生き物になるのです。


   私の主張は、小学校7年、中学校3年の7・3制です。このようにして小学校ではゆとりを持って国語教育を充実させます。国語は思考能力の根幹をなすものです。この段階で英語などに熱を上げるのは、愚の骨頂です。その上で中学校の授業に入れば、幼稚園児から親父まで同じクラスに座っているような、現在の中学校のアンバランスさが多少は解消されて、授業もやりやすくなると思います。


   いずれにしても国政をつかさどる政治家の皆さんがもう少しグローバルな視野を持たないことには、いかなる改革も小手先のものに終わると思います。グローバルな視野を持たない政治家とはどういうものか、とりあえずあの橋下大阪市長がまいた種がどういう花を咲かせたかを思い出すだけで十分なのではないでしょうか。軽率なグローバル化論者は、日本人を日本人でないものに変えてしまい、日本をアメリカの基準に従って動かしていくことになります。グローバルな発想とはどういうものかをわきまえた上で、日本人であることを捨てない日本人を育成しなければ、真のグローバル化にはなりません。それなくしてはただの日本人のアメリカ人化に過ぎませんから。


  ついでに言わせていただくなら、かつて日本へは世界中の目が注がれていました。日本へ行って、英語の補助教員でもしながら日本を知ろうというアメリカ人、オーストラリア人がわんさといました。今は英語の補助教員をしてくれる人を探すのが困難です。なぜでしょう?外国人から見て、日本に対する興味がなくなってしまったからです。原因は、明らかに日本が経済力を失ったためです。経済力が低下し、世界から軽視されるようになった途端、世界に媚を売り始めたのが、いわゆるグローバル・スタンダード化なのだと私は思っています。要は負け犬が勝ち組に媚びるというパターンです。従って、現在声高に主張されているグローバル・スタンダードとは、出発点からして負け犬根性の現れであると言えます。


  強い日本には、向こうから合わせてくれます。媚びる日本は世界からなめられます。日本が本当になすべきことは何なのか、明らかではありませんか。

インターハイと女子レスリング

2013-08-10 11:03:10 | Weblog
   レスリング部の顧問をし、大会引率も経験してきたのに、不覚にも実は重要なことに気がついていませでした。なんと、国技であるはずの柔道よりも立派な成績を五輪であげ続けている女子レスリングが、インターハイの正式種目ではなかったのですね。

   確かにレスリングの普及率はかなり低いことは確かです。都立高校では唯一葛飾商業高校一校のみ。ここも、熱意あふれる顧問の自己犠牲と、他の部活のひんしゅくをかうほど特別に予算を割り当ててくれた先代校長のおかげ、更には顧問が悪性の病で長期入院中も必死に留守を支えた副顧問のおかげ?で廃部を免れ、現在も部活を維持するのが精いっぱいの状態です。

   高校スポーツには大きく分けて、公式野球とその他、という厳然たる区別があります。どこの学校でも硬式野球部はなんとなく別格扱いです。甲子園にでも行こうものなら、もう治外法権的な扱いになります。かつて中間試験の中日に大会ならぬ地方遠征の練習試合に新潟まで出かけるのを見て、私は校長に抗議したことさえあります。

   一方、他のスポーツ、インターハイを頂点とするスポーツは、ほとんど特別扱いはありません。硬式野球が高野連という特別な組織があって、教育関係者とは全く別なところが運営しているのに対して、インターハイ関係の種目は、現場の教師たちの手作り運営によるものだからです。その意味では硬式野球はとても変則的な、学校という枠を超えた、少々ゆがんだ形で行われていると言わざるを得ません。

   しかし、インターハイはやはり高校生アスリートにとっては最高の晴れ舞台です。選手をスター扱いする必要はありませんが、NHKあたりもけちけちせずに、季節のものとして特別枠を設けてもらいたいものです。また、野球のように地方大会から中継してくれればそれに越したことはありません。

   そうしたインターハイ種目にもなっていない女子レスリング。しかしオリンピックともなれば女子を中心に大きな注目を集めるレスリング。現役選手が国民栄誉賞まで受賞している女子レスリング。およそスポーツというものは、頂点を引き上げると同時に、すそ野を広げることも極めて重要なです。

   ある競技がインターハイ種目になるには何か特別な条件でもあるのでしょうか?正式競技ではないにせよ、公開競技としては行われている訳ですから、女子レスリング界の方でインターハイを嫌っているようには見えないのですが・・・・。

スーパー

2013-08-08 15:25:24 | Weblog
   本日も筑波山へ行ってきました。登り一時間、下り五十四分。あ、いつもと違う!と感じたのは、地面が濡れていて湿度が高く、気温も相当高い中、汗をかく量が格段に減ったこと。必然的に給水も減りました。ようやく暑さに順応してきたものと思いますが、それにしても、何につけても昔と比べて時間がかかること・・・・。

   今日は、以前に「石巻高校」という張り紙がしてあったマイクロバスが、「大阪園芸高校」という張り紙に変わっていました。マイクロバス自体は京王観光のものなので、石巻や大阪から乗り付けて来たものではないでしょう。新幹線ではるばる東京へ、、それから筑波山のホテルまで合宿にやって来たのでしょうか。ずいぶん無駄な金をかけるものだと感心してしまいますが、合宿中の一日を東京見物にでもあてるのでしょう。


   さて、ここからが本題。本日のお題は「スーパー」です。英語で言えば super、 オックスフォードのコンサイス辞書によれば、 of higher kind, higher in degree、 ベネッセのEゲイト英和辞典によれば、「最高の、素晴らしい」とあります。誰でも知っている用法としては、あの有名な superman がありますね。

   一昔前、東京都にスーパー・ティーチャー制度というものが出来ました。現存するものかどうかわかりませんが、教員の中でも優秀な人を選抜してこの称号を与え、さらなる頑張りを期待するというものです。こんな恥ずかしい称号、絶対もらいたくないと思っていましたが、私などに授与されるはずもなく、他の先生方が無事この称号を受ける栄誉に輝きました。

   しかし実際に称号をいただいた人の名前を見ると、結構やっかいな人の名前が含まれていました。そりゃ東大は出ているけどさあ、これまで何の実績もないじゃん?という意外性をついた抜擢なのでした。その後このスーパー・ティーチャーを擁した学校が他校に先んじて躍進を果たしたという話も聞きませんので、まあ、予想通り企画倒れに終わったものと推察されます。

   いっそのこと優秀な生徒にスーパー・スチューデントの称号でも与えてマスコミに発表でもした方がましだったのではないかとすら思います。全国順位でもつけて、「ゴールデン・ナンバーワン・スーパー・スチューデント」でも選出し、表彰式を行うホテルの前には赤いじゅうたんを敷く。どうせならこのくらい身も蓋もない作戦に出れば、何らかの結果が出たかもしれません。

   次にスーパーという冠がついたのが、「スーパー・ランゲージ・ハイスクール」。これはこれから発足する、英語に重点を置いた高校のことですね。そもそも英語しかやらないのだから、「スーパー・イングリッシュ・ハイスクール」とした方が看板に偽りなしだと思いますが、いずれにしても何にでもスーパーをつけてしまうセンスの悪さにはあきれてしまいます。元教師として断言しますが、この高校には本当に優秀な真のエリートは集まりません。まともなセンスがあれば、この名前を聞いただけで逃げます。第一、「英語教育重点校」という命名で何がいけないのか、理解に苦しむこと、この上なしです。


   そして最近登場したのが、「スーパー・グローバル・カレッジ」構想。まず、何にでもスーパーをつければ良いとする発想が、何の工夫もなく陳腐です。要するに、グローバルなどど言っている役人たちの頭の中が既に貧層で陳腐な、非グローバルなものしか詰まっていないことが既に明らかではありませんか。

   第一、グローバルと言いながら、実は英語圏、正確にはアメリカのことしか想定されていません。グローブというのは地球全体を指すわけですから、これから関与していくべきアジアやアフリカのエキスパートも養成しなければ、真のグローバル化などあり得ません。しかし役人たちにはそんな発想は皆無なのでしょう。

   更に言うなら、このアイデアは全くグローバルなものではありません。なぜなら、ここでは英語をマスターした日本人が日本の企業に就職し、外国の企業と渡り合うことしか想定されていないからです。真のグローバルとは、日本の企業が率先して外国人社員を雇用し、その外国人社員を使いこなして自社の利益、ひいては日本の利益のために活躍してもらうということでなければなりません。日本人だけで凝り固まっていて、どこがグローバルと言えるのでしょうか。

   大企業において、日本人だけの会議を英語でやって、時代を先取りしていると考える愚かさ。そんなことは、外国人を正社員として採用してしまえば、否応なしにできるようになってしまうものです。日本人だけで「英語ごっこ」をしている暇があったら、外国人をさっさと雇えば良いのです。

   結論:外国人を排除して日本人だけで「英語ごっこ」をして喜んでいる時代ではない!