梅様の教室

独り言

新人教師の研修

2012-08-28 16:20:24 | Weblog
  Hさんからこれを聞きなさいと言って渡された東方神起のCD・・・・・。はっきり言って聞いているのがつらく感じます。たっぷり感情をこめて歌いあげているところが女性たちの心を揺さぶるのでしょうか?この年齢で東方神起を語る方がおかしいのでしょうが、私にとっては臭い歌詞とあいまって、ひたすら疲れます。男女の感性の違いなのか、いや、年齢的なものなのか・・・・。少女時代の無内容な歌は聞かされても少しも疲れないのですが。まあ、否応なしにその方面の知識が増えていくのはたぶん良いことなのでしょう、きっと。

  教員養成のための大学院が、大変不人気で、定員を満たせないところが多いのだとか。このぶんで行くと、鳴り物入りで始めたものが、早晩消えてなくなることでしょう。

  私に言わせれば、こんなことは当初から予想すべきことでした。後から投資をはるかに上回る金額を回収できる見込みがある医学部ならともかく、お金と青春を捧げたところで教師では後の実入りはたかが知れています。金銭感覚の優れた人なら絶対にこの方法は選択しないと思います。

  しかしこの大学院の最大の問題点は、22歳から24歳という貴重な時代を、理屈の勉強に捧げてしまい、中途半端なプロ教員として生徒の前に送り出してしまうことにあります。これまでは22歳で右も左もわからないような若者がいきなり教師として現場に送り出されてきました。では、それで教育界は大きなデメリットがあったのでしょうか?否!生徒は兄のような姉のような、まだ学生臭さの抜けない若い教員を慕ってまとわりついてきます。(中には最初から定年まで生徒にまとわりつかれることのない人間もいましたが、これは例外中の例外。)新米教師は生徒たちにまとわりつかれ、甘えられながら、理屈を離れて教師としての感性を磨いていくことができました。言ってみれば、手垢のついた偏見を持たない、人間同士の触れ合いができたということです。この「理屈を超えた」というところが実は何よりも大事な部分なのです。

  残念ながら大学院で教師になるための専門教育(ある意味せこい小技に過ぎません)を受けてしまった人間は、おそらくこの「理屈を超えた」部分を味わうことなく教師としてのスタートを切ることになります。何しろ「理屈」を教え込むための場が大学院なのですから、「理屈を超えた何か」を学ぶことがないまま教師として実務につくのです。更にいうなら、「理屈」を既に身に付けた教員を現場に送り込むことがこの大学院の狙いであり、目的なのですから、現場で待ち受ける教員の方もやりずらいことこの上ないのではないでしょうか。

  私の知る限り、教員に対する研修ほど不可解なものはありません。ここ数年新人として研修を受けている教員が真っ先に教え込まれることは、どういうことをしたらどういう処分を受けるか、とか、教師として知っておくべき法規、といった内容なのだそうです。どうすれば生徒たちに夢を与えられるかとか、どうすれば勉強に関心のない生徒たち(学校によってはほとんどの生徒が勉強に関心がありません)に授業を聞かせ、学力をつけさせることができるか、といった、実際に役立つような研修ではありません。私が若い教師に私自身の過去の体験を語って聞かせた時、彼女の口をついて出た言葉が印象に残っています。
  「私たちはそういう話を聞きたいんですよね。」

  残念ながら、新人教師の研修で講師を務めるような方々は、生徒と格闘し、もつれ合い、汗と涙を流しながらどのように生徒たちを掌中のものにしてきたかといった体験談は語れません。なぜ?彼らはそんなことを体験してきてはいないからです。こうした場で講師を務めるような方々は、早めに管理職コースに転向してしまっています。かつ、脂汗を流しつつ悪戦苦闘した経験がないのですから、特に失敗もありません。そのため、彼らは逆に堂々と理論を振りかざすことができます。若い教師たちは、なんか違うような気がするんだけど・・・と思いながら、義務付けられた研修である以上、我慢して時間が過ぎるのを待っている、というのが現状なのではないでしょうか。

  その上、年間数百時間に及ぶ研修には、膨大な量の報告書を書かねばなりません。若い教師たちはますます生徒たちと関わる時間が削られてしまっています。いわば、魚に触らせずに寿司の握り方を紙に書いて教える、そんなやり方が現在の新人指導なのだと言って差し支えないと思います。

  更に屋上屋を重ねるが如き大学院。現場に必要なのは新人教師たちに生の魚を触らせてやること。立派な図鑑を何冊与えて魚の名前を覚えさせても、頭でっかちで心が伴わない教師が増えるだけです。

三度筑波山へ

2012-08-26 15:14:39 | Weblog
 いきなり通りすがりの人が増えてしまったので少々驚きました。それにしてもいるのですねえ、「由紀さおり」を検索している人があんなにたくさん・・・・。

  9月4日はまたA高校の学校行事(合唱祭はこの時期ではなかったはずですが・・・)が草加文化会館で行われるようです。通りすがってしまうとまた何かひとこと余計な感想を持ってしまうかもしれないので、その時間は整体によってから帰ることにしました。開始時間がほぼ、早朝中国語の帰りに当たる時間帯なのです。

  今日は検索してヒットするストレンジャーもいないでしょう、個人的な話に留めます。私の癖として、一つのことを始めると徹底的にやりつくすまでやめないことが挙げられます。今回は筑波山に引っかかってしまいました。昔と比べて登るのがきつく感じられる自分がどうしても許せないのです。冷静に考えてみれば小学校低学年の息子と娘を連れて登った時の自分はまだまだロードレースに出場していたころでしたから、比べる方が無理なのですが、しかし「たかが筑波山でへばっていられるか!」と、どうしても自分が許せないのです。

  前回の反省事項として、カーナビを信じないこと。まずは筑波学園都市にある、とある研究施設を指示しました。さすがにこれは正確にその場所を探し当ててくれました。かつこの研究施設は筑波学園都市の学園大通りに面しているので、ルートとしては文句なし。と思ったら、あくまで私の期待を裏切るカーナビ君、谷田部インターで降りれば十分なのに、しっかり二つ先の桜土浦まで行ってくれました。ま、一般道路を走る距離が半分に減るので、早く着くことは間違いないのですが・・・。出発は6時30分。

  もう一つの反省事項は、つつじが丘駐車場という中腹の駐車場に車を止めてケーブルカーで下山したために、遮るもののない炎天下を60分登らなければならず、アスファルトの照り返しのために軽い白内障になってしまったこと。その結果右目はわずかに景色の解像度が悪く、極薄の幕を張ったような感じになっています。そこで今回はケーブルカーより下の市営駐車場に車を止め、メガネの上からオーバーサングラスをかけての出発となりました。いや、厳密には家を出た時からサングラスはかけているのですが。

  更に私の性格の欠点として、ゆっくりのんびり楽しみながら登るという大人の登山ができないこと。とにかく見境なく登って行きます。ヒマラヤ登山隊なら真っ先に遭難するタイプです。今日は筑波山神社横からアスファルト道路を避けて、つつじが丘までの登山道を歩きました。ルート解説には60分とありましたが、40分で着きました。その反動か、つつじが岡から男体山のケーブルカー駅までは少々時間を要し、トータルでは解説の時間より30分早かったにとどまりました。

  本当はここから徒歩で下山すべき所なのですが腰に爆弾を抱えている私、整体の従業員たちに笑いを提供したくはありません。腰に衝撃が来る下りを避けて、下りはケーブルカーで。


  帰りはカーナビに谷田部インターを指示し、家に着いたのが12時5分。今日こそはやらねば、と気持を引き締め、荷物を下ろすや否や筋トレに取り組みます。さすがに登山の後、いつもよりやや軽めの重さにはなりますが、ベンチプレス等、一通りの種目をこなしてから昼食。一応目論見通りの一日となりました。まあ、無事済んだのかどうかは明日のお楽しみということで。

韓国の礼節

2012-08-24 18:02:39 | Weblog
  昨日でしたか、首相の親書を韓国側が突っ返してきたことについて、某大学教授が、
「儒教の礼節を重んじる韓国がなぜ・・・・・・・・。」という見解を述べていたという記事が掲載されていました。それを読んで私は、ああ、大学教授といえどもこの程度の浅い認識しかないのだな、と、情けなくなりました。知識人と言われる人々がこの体たらくでは、永遠に韓国側に尊大な態度を取られ続けることでしょう。間違いなく。

  まず儒教の礼節というものは、知識階級と支配階級にしか関係のないものだ(しかもご都合主義の形式主義)ということを肝に銘ずる必要があります。韓国においてもそれは同じです。もともと貴族階級である両班が被支配階級である民衆に対して残虐極まりない支配を何百年も続けてきたのが朝鮮半島です。また、一般女子には厳密に言うと名前すらなかったのですから、国民の半分はその存在すらないがしろにされてきたと言って差し支えないでしょう。

  一般論はそこまでとして、この教授は日本人の別名を歴史的に「倭奴」と呼ぶことをご存じないようですね。これはカタカナで書くなら、「ウェノム」となります。倭は倭国の倭ですからこれはよろしい。韓国の時代劇を見ると、時々怒り狂った登場人物が、「イノム!」と叫んでいるシーンが良く見かけられます。これは「この野郎!」とか、「貴様あ!」といったところでしょうか。相手に対する蔑称です。日本人もかつて朝鮮人のことを「チョン公」などと読んだ時代がありましたが、これは通算してもせいぜい80年くらいしか通用した期間がなかったと思います。

  これに対して「倭奴」という蔑称は何百年という長い歴史を誇り、かつ韓国人の心の奥底に脈々と受け継がれていると見るべきです。そもそも韓国人が尊敬するのは歴史的に中国人です。そしてこちらも韓国人の心の奥底に脈々と受け継がれています。今だに日本を敵視し、非難し続けるあの韓国人が、朝鮮戦争時に軍隊を大量に半島に送り込んで国土と人民を踏みにじった事実に対しては気にもしていないようではありませんか。

  有史以来圧倒的な中国の力の前にひれ伏し、国名まで中国に決めてもらった朝鮮、独自の年号すら使えずに中国の年号を使ってきた朝鮮、朝鮮は中国の属国というのさえはばかられるほど中国の支配の下にあり続けました。これだけ痛めつけられると、民族の誇りを維持するのには大変な工夫がいります。差別されるストレスを解消する最適な方法は、自分も差別する側に回ることです。朝鮮は、あくまで日本を文明の遅れた野蛮な国と見下すことで、悲しい自尊心を維持してきました。その民族的な心の歪みは、時移り韓国になったからといって何一つ変わってはいません。いじめられっ子が自分も弱そうな奴をみつけていじめて快感を味わう、そんなやりかたが韓国の悲しい自尊心を満たす唯一の方法だったのです。元が日本を攻めようとした元寇においては、率先してこれに加担したくらいなのです。

  あいにく日本は朝鮮よりも劣ったことは歴史上一時もありませんでした。従って韓国は日本がひどい国であるという虚像を作り上げ、これを義務教育で徹底的にたたき込むことによって、ゆがみきった自尊心を満たし続けているのです。そんな国が日本に対して礼節を重んじたりするわけがないではありませんか。礼節は被支配階級に対する時には適用されません。まして犬以下の存在とみなしたい日本人相手には礼節という言葉さえ思い浮かべることはないのです。先ほどの大学教授は、自分の軽薄な発言を恥じるべきでしょう。



ところで今日は金曜日。毎度おなじみ松原文化センター韓国語上級講座の日です。今日同じ生徒のHさんは、JYJ(ってわかるかなあ・・・・)のCDを二枚持参して、私に貸してくれました。いや、私からお願いしたわけではなく、Hさんが親切心から貸してくださったのです。こんなに良いものがあるのだからぜひ聞いてみなさい、と勧めてくれたということです。威勢の良い反韓国のブログを書くかと思えばJYJのCDを借りて聞いてみている私・・・・・。私の顔を思い浮かべることができる人はきっと思わず笑ってしまうことでしょう。

弘田三枝子と由紀さおり

2012-08-21 15:56:28 | Weblog
 本日はまたいつもとは違った切り口で・・・。

  何気なく見ていた音楽番組。途中で登場したのが弘田三枝子と由紀さおり。由紀さおりは知っていても弘田三枝子は知らない人が多いのではないでしょうか。しかしこの二人、年齢的は弘田三枝子が一歳年上なだけです。実際には弘田三枝子が16歳の時にはトップ歌手の仲間入りをしていましたが、由紀さおりがデビューしたのは21歳の時。(どうしてこんなどうでもよいことに詳しいのか自分でも不思議)少し遅めでした。

  弘田三枝子は16歳にして戦後最大の歌手になれると言われた逸材でした。確かに声量・リズム感・パンチ力という点で、当時の歌手の中では群を抜いていました。しかしその後「人形の家」という一曲のみをヒットさせて復活を果たしたものの、後は正直泣かず飛ばずでした。

  一方由紀さおりは、確かに歌唱力はありますがアップテンポの曲には向かず、声量ももうひとつ。ヒット曲も「夜明けのスキャット」ともう一曲を除けばこれといっためぼしいものはありません。しかし姉と組んだ童謡歌唱で息をつないでいるうちに、60歳を過ぎてから世界的なヒットを飛ばしてしまいました。ふっくらとしているために年よりも若く見え、暖かい人柄に見えます。聞いたところでは年間200ステージをこなしているとの話でした。

  弘田三枝子はデビュー当時の勢いはどこへやら、16歳のくせになんなんだよと思わせた声量もすっかり影をひそめて、伸びのある声で歌いあげていた「人形の家」を、小技でごまかして歌っていました。何よりひどかったのは、その体型です。よりによってふっくら幸せそうな由紀さおりにぶつけなくても、と思えるほどに痩せ衰えた腕は、まるでミイラそのもの、まるで薬物中毒患者のようでした。カメラも由紀さおりのアップは撮っても、弘田三枝子については、はるか遠く離れた位置からの全身像、それも小さめに収めたものでお茶を濁していました。何しろ骨と皮ばかりになった顔の真ん中には、整形手術で作った立派な鼻がつぶれかけてついているのですから、到底被写体としてアップに耐えるものではなかったのでしょう。

  弘田三枝子について考えているうちに、私はあることに気がつきました。尾崎清彦(漢字が違うような気がしますが)・葛城ユキ等、声量とパンチのある歌手は、デビュー曲が大当たりしても二曲目がないのですね。これは日本にはそうした曲を二曲続けて造れるだけの技量を持った作曲家がいないということを示しているような気がします。それにしても弘田三枝子は惜しいことをしました。数十年間ヒット曲もない(純粋の意味で自前の歌すらない)に、いまだにそこそこ存在感のある中尾みえは、まさに弘田三枝子と同時代の人です。おそらくは中尾みえのような強烈な自己主張を持たない弘田三枝子は、良い曲をあてがわれることによってしか生き延びることができない人間だったのだろうと思います。まれに見る歌唱力の持ち主だっただけに、もったいなかったな、という気持ちがしてなりません。

カーナビなんて・カーナビなんて・・・・

2012-08-19 15:57:46 | Weblog
  その辺をジョギングするのにも飽き、さしたる成果も上がらないので方針転換することにして、今日は再び筑波山へ向かいました。ついでに、テレビ通販のものの5倍もするカーナビがいくらなんでもそこまでひどいものではないはずだ、と思い直し、今回は「筑波山ロープウエー」と入力してみました。候補がいくつか上がりましたが、その中で「つつじヶ丘」を選択。125号線から最後に少し外れるだけでこの方向に入れるはず。30代半ばのころ、目もろくに空いていられないような酔っ払い運転でここまでなんなくたどり着いたことがある位(いや、よくぞご無事で・・・)簡単な道のりなのです。

  今回はなかなか常磐道を降りず、土浦まで行かされます。料金がかさむじゃないか、と心の中で文句を言いつつも、カーナビの性能テストなので素直について行くと・・・・。やはりやってくれました。今回は極狭の波打つサーフィン道路ではなりませんでしたが、きっちり行き止まりへと導いてくれました。行き止まりから数メートル先に確かに幹線道路は走っているのですが、行き止まりは行き止まりです。狭い道をバックして、その幹線道路に入れる道を探し当てました。

  そもそも筑波山なんてところは平地に筑波山自体が独立して立っているので、ぐるりと周回していけば、ちゃんと道はあるのです。私はそこからはカーナビ任せにせず、ひたすら西へ西へと車を走らせます。カーナビの方は必死になってさっきの道に戻らせようと、要所要所で「200メートル先、左です。」などと、逆方向ばかり指示します。

  それにしても、若い時はあっという間に着いた道のりが、今やかなり長々と感じられます。(その道のりを後で炎天下歩くはめになるのですが。)つつじが丘につくと、駐車場はまだ営業前。とにかく車を突っ込んで、上り始めることに。真面目に下から登って来る人も結構いますが、本日の目標はここから登り終えて、12:00までに帰宅すること。カーナビのせいで1時間近くロスタイムが生じたのでこの時点で可能性は薄くなりました。

  まずはアクエリアスを仕入れて登り始めます。時々、はるか昔に子連れて通った記憶がよみがえる場所があります。まず感じたのは、平地で少々ジョギングをやっていることに限界を感じてここへやって来たものの、案外家でのトレーニングが馬鹿にできないものだということ。途中で私を追い抜いたのは、思わず「あんた、他の山へ行ったら?」と言いたくなるほど、鈴をリンリン鳴らしながら皆さんの横を抜いて駆け上って行った人だけ。あとはもっぱら私が追い抜き専門でした。

  それにしても、根っからの汗っかきとはいえ、次々と汗が流れ落ちます。あっという間にTシャツは絞れるほどのなりました。しかし、私のやることはたいがい情けない落ちが付きます。頂上間近のトイレに入り、シャツを着替えようとリュックから着替えを取り出すと、なぜか茶色に汚れています。?と思って手を突っ込むと、底の方に茶色い粉末が拡散しています。このリュックを使ったのはいつのことになるか記憶がないくらい以前のことです。その粉末がなんなのかは覚えていません。結局は元のTシャツを再び来て、山を下ることに。

  下山は前夜の雨で滑りやすい登山道を再び下るかどうか、考えた末、ケーブルカーでいったん下り、終点から駐車場まで歩くことに。しかし筑波山というところ、とことん私の予定をぶち壊してくれるところでした。駅を出ると、駐車場まで2キロという表示が。まあ、フルに登りだがこれくらいならよかろうと歩きだすことしばし。このルートは完全に車と一緒の道を登ります。日差しがカンカンに照りつけてきます。それでも2キロじゃん、と思ったのもつかの間、しばらく行くと、駐車場まで「5キロ・60分」という表示が。かつ登れば上るほど傾斜は急勾配になって行くのです。「俺っていつもこうなんだから・・・。」と、己の見通しの甘さを棚に上げつつ、「でも負けない!」と昇り続けます。そしてさすがにめげかけたころ、ようやく目指す駐車場に・・・・・。

  本当は帰宅してからベンチプレス等、上体の筋トレを行って今日の日程を仕上げるつもりでしたが、体の欲求に従ってビールを飲んでしまったので、本日のトレーニングはこれにておしまい。さすがに私もビールを飲んだ後筋トレをしたらどうなるかを試す気にはなれなかったのです。

赤坂へ行く

2012-08-17 18:58:22 | Weblog
 といってもこれがメインテーマではなく・・・・。赤坂サカスの意味をTBSの職員をしている知り合いに聞いたところ、わからないとのこと。単なるごろ合わせか?もののついでに寄ってみたものの、はっきり言ってなにもありません。夏休みとあって子供の姿もそこそこ見られましたが、たぶんお台場合衆国の方がずっと立派なのではないかと思います。

  本日は松原文化センター韓国語上級講座の定例?お食事会でした。例によって世話好きなHさんの呼びかけで赤坂へ。私は赤坂といえば東口しか降りたことがないので(こちらはもう50回以上降りていますが)、西口を出るとそこがミニソウルであるということを全く知りませんでした。何でも新大久保よりも歴史は長いのだそうです。ただし、地道な店ばかりで、ブームに乗った韓流アイドルグッズの類は一切扱っていません。昼時とあって店はあっという間に満席となりましたが、首から社員証を下げた人たちが昼食を食べに来ている、という風情でした。なにより新大久保のような軽薄さといかがわしさがないのが救いです。

  面白いのは、店員は明らかに韓国人で、店員同士の会話は韓国語なのにも関わらず、私たちが韓国語で話しても一瞬通じないこと。これは私たちの責任ではなく、先生が言っても同じなので、接客の瞬間は店員の頭の中が日本語モードに切り替わってしまっていて、とっさに韓国語を受け付けないのだと思われます。

  本日の印象・・・私もずいぶんおばさまたちとの会話に慣れてきたな・・・ということ。これまでは自分でもぎこちないなあ、と思っていたのですが、さすがに同じメンバーと一年以上も接していると、互いにこなれてきたような気がします。この私、茶髪のギャルが相手だと全く動じないのですが、それ以外の女性はどちらかというと苦手なのです。

  もうひとつ発見した真理?は、女性が2人より3人(厳密にいうと先生をいれて4人ですが)の方が私は緊張しないということ。今日は他のクラスの方も一人来てくれたので、生徒の女性が3人になったのです。

  話題は竹島から38度線に至るまで多様でしたが、Hさんが高校生の息子を抱えるママであることが何より幸いでした。高校生ネタで話す分には私はいくらでも話ができます。

  最後は生活保護の話で締めくくり?ましたが、本日の出席者の内二人が病院勤めなので、さまざまな生活保護受給者を見ているとのこと。20歳で既に生活保護を受け、抜けられなくなっているギャル・息子が18歳になり就職したために生活保護が受けられなくなったので、息子の方を退職させてしまった母親の話・筋肉モリモリマッチョな31歳の生活保護受給者・恐らく生活保護を受けているであろう、ゴールデンレトリバーをニ匹飼っている肉付きの良いホームレス・・・・等々。お医者さんもチクリチクリと「働けば?」と嫌味を言うそうですが、楽な生活に慣れ切ってしまった受給者は、プライドなどとうの昔に燃えるごみに出してしまってあり、そんな言葉にはびくともしないそうです。

  今日はとりとめのない話で終わりました。以上です。

チョッパリから一言

2012-08-15 15:55:05 | Weblog
  いかに政権末期とはいえ、まともではありませんね、李明博大統領閣下。昨日の発言を聞いていると、こんな感じになります。
  「(天皇が)真心こめて、うん、謝るなら(韓国に来ても)いいと思う。」

  完全なパンマル(ため口・全く敬語表現が含まれていない)でした。そもそも韓国人はこっけいなまでに相手との年齢差や上下関係に神経を使います。初対面の相手に対しても、自分より年上なのかどうか、社会的地位が上なのかどうかを確認しないと言葉遣いのレベルを決められないのです。にもかかわらず、李明博大統領は外国の国家元首である天皇に対して、韓国人同士なら隣の家のおじいさんに対してでも使わなければならない敬語を使っていいません。「謝るなら」の部分をカタカナで書けばサグアハミョンと言っています。これは最低でも「サグアハシミョン」と言わなければ大変な失礼に当たるところです。ここには韓国人が持つ日本人に対する蔑視意識がはっきりと表れていると言って良いでしょう。

  そもそも韓国人の日本人に対する差別意識は、日本人がかつて韓国人に対して抱いていたような差別意識とは全く異なります。現在日本の若者(特に女性)や小母様達の間に、韓国人に対する差別意識など見られるでしょうか。これに対して韓国人の日本人に対する蔑視は、言わば「民族としての義務」なのです。ここに疑問をさしはさむことは許されません。

  歴史的に見て、まず初めに蔑視ありき、なのです。そこには論理的な理由はありません。たとえば日本人を馬鹿にした呼称として、チョッパリというものがあります。何のことはない、先の割れた靴下(足袋のこと)を履く日本人は獣に等しい野蛮人だということなのです。日本人の多くは重大な錯覚をしていて、かつて日本が朝鮮を併合したためにそのことが原因で韓国人から恨みをかっているのだと思っていますが、これこそ重大な間違いです。もともと韓国人は日本人を蔑視し続けており、朝鮮併合はそれに好都合な材料だっただけの話です。

  それほど深く考えるまでもなく、KPOPや韓国ドラマがこれほど受け入れらている今、韓国にとっては日本との真の友好を築く史上最高の機会を与えられています。しかし、残念ながら韓国人アイドルは日本人から円を吸い上げる為に微笑むことはできても、国に帰れば「独島は韓国領だ!」と歌いあげるような連中です。韓国人との間に真の友好関係を結ぶことは今のところ不可能だと考えた方が良さそうです。

  それにしても、古代朝鮮の新羅の王様のうち数名は日本人(倭人)でしたし、百済は明らかに日本が危機に際して援軍を送ったほどの友好国でした。(他国の戦争を援助するために日本が軍隊を送ったのは歴史上この一回しかありません。)それがいつの間にこんな状態になってしまったのか・・・・。私の見るところ、最大の原因は朝鮮が世界で唯一儒教を国家宗教と定めたところにあるのではないでしょうか。朝鮮が高麗王朝がそうだったように仏教を国家宗教と定めて歴史を下ることができていたら、結果は全く違ったものになっていたと思います。

  それにしても、私が街角で地図を広げて考えていると、あっという間に近寄ってきて、私が日本人であることを承知の上で助けてくれる韓国人と、徹底的に日本と日本人を憎悪し、日本人叩きに拍手喝采する韓国のマスコミとWEB上の無数の書き込み・・・・・。その対比は見事としか言いようがありません。

  秋に予定している韓国旅行・・・取り止めるべきか決行すべきか・・・・。今日のところは不快感が先立って、旅行者にキャンセル連絡を入れたい気持ちを抑えるために無駄なエネルギーを使っています。

明日は「敗戦の日」

2012-08-14 18:13:58 | Weblog
明日は終戦記念日です。いや、もっと素直になって、「敗戦の日」と正直に言うべきでしょう。今年も年中行事のように「戦争の記憶を失ってはいけない」という言葉が合言葉のように反芻され、生存する日本兵の皆さん一人一人から談話をビデオに録画して保存する活動をしている人もいます。

 しかし私はいつも思うのです。「戦争は悲惨だから絶対にやってはいけない。」という言葉がいかに感情的で無意味なものであるかを、すべての日本人が知るべきだと。

 戦争して弾に当たれば死ぬか怪我をするに決まっています。爆弾が落ちてくれば体が吹っ飛ぶか手足を失って生きながらえるか、結果は目に見えています。しかし、誰も好んでそんな事態を迎えたがる人はいません。

 しかし、反戦論者のきれいな言葉は感情には訴えますが、戦争の本質について本当は何も語ってはいないのです。戦争について語りたければ、どうしてあの戦争が起きてしまったのか、その原因についてきっちりと究明して、それを語るべきです。

 今回ここに掲載した写真は、太平洋戦争(私はきちんと日米戦争というべきだと思いますが)に際して、アメリカ政府に対して疑念を呈した人たちが著した著書です。代表的な物を4つ掲げましたが、すべてアメリカ人が書いたものです。

 「日本経済を殲滅せよ」には、アメリカがいかに計画的に、かつ長年をかけて日本を経済的に追い込み、戦争に訴えざるを得ないまでにしたかが書かれています。「アメリカはアジアに介入するな」には、日本がいかにアメリカに対して誠実な貿易相手国であり、アメリカがこの貿易によってどれだけの利益を上げているか、日本との友好関係を続けることによっていかに多くのアメリカ人が職場を得、利益を上げることができるかが、アメリカ政府自身が出した統計を元に証明しています。(著者はアメリカ政府の手で投獄されてしまいました。)

 「アメリカの鏡・日本」は、アメリカの日本占領時にアメリカ政府から日本に派遣されていた女性が書いたものです。その中には、アメリカのやって来たことと日本のやって来たことは本質的に何ら変わるところがなく、アメリカに日本を断罪する資格はないと書かれています。(この本は日本ではしばらく発禁となっていました。)

 「日米戦争はなぜ始まったか」は、アメリカで歴史の教科書も書いていた学者が書いたものです。中身は議会におけるやり取りなどが延々と続き、読み進むのには根気がいりますが、時の大統領ルーズベルトがいかに口と腹を使い分け、「日本に先に撃たせる」ことによって参戦する口実を作ろうとしていたかが書かれています。

 合わせて中国大陸での当時の状況の真相を同じくアメリカ人が書いた本もいくつか持っているのですが、ここでは紹介しません。しかしほかならぬアメリカ人自身が書いたこうした書物を読み解くと、日本が開戦に至った経緯が良くわかってきます。こうした本を読めば、軽々しく「戦争は悲惨だから絶対にやってはいけない。」などとは言えなくなるはずです。

 とにかく、戦争が起こった後のこと、特に敗戦の色が濃くなって負けが込んで来てからの悲惨さばかりを取り上げた感傷的なお話は、「戦争」について語っているというよりは、「戦闘」について語っているに過ぎません。明日の「敗戦の日」を前に、多くの皆さんにこの事を知っていただきたく、また関連した書物の紹介を兼ねて、あえて炎上を招きかねない文章を書かせていただきました。

カーナビなんて・・・・・。

2012-08-13 18:11:57 | Weblog
  筑波山で残念なひと時を過ごした後、今日はまだまだ新車を走らせねばと思い、帰りはカーナビに頼らずに下山しました。しかしかつては千地図などみなくても走れた地域が、あまりにも長い間来なかったために、頭から完全に抜けてしまっていました。それはそうです、これから走ろうというルートを通ったのは20年も前のことになるのです。

  子供が小さい時、まず大平山に登ってから東に向かい、みんなが後部座席で眠っている間に筑波さんに着いて・・・みたいなことをやったことがありました。その逆を行こうと思ったのですが、あの時は何でもなかった道が今日はやけに遠く感じます。ああ、相当体力が落ちているのだな、と実感しました。まあ、この10年間というもの、年に3回しかガソリンを入れない生活をしていたのですから仕方ありませんが。

  大平山まで行くのは今日の体力では無理と判断し、行き先を埼玉古墳群に変更。ここへ行くのも20年ぶりくらいになると思います。今度は山ではないから大丈夫だろうとカーナビに触れてみると、肝心の埼玉古墳群では検索することができません。しかたなく行田市役所まで行くという形にしておいて、途中でカーナビの指示から離脱することにしました。それでもカーナビは次々と私の予定にないコースを指示してきます。私の構想にないルートを走っていると、自分がいったいどこにいるのか確信が持てず、とても不安になります。

  そうこうしている内に、埼玉古墳群の案内標識を発見。もうカーナビがなんと言おうと標識を頼りに自分の判断で車を走らせます。

  間もなく目的地に到着、駐車場に車を乗り入れます。どうやらこの20年間で整備が進んだらしく、駐車場は古墳から500メートルも離れたところに位置していました。しかたなく写真のような炎天下、真上にある太陽にも負けず、歩きます。こんな猛暑の真昼間なのに、こんな所へわざわざ来ている人が私の他にもいたのがとても不思議でした。あの人たちはこんな日に他に行くところがないのだろうか・・・と、自分のことを棚に上げてあきれてしまいました。

  私、古墳がとても好きです。鉄チャンならぬ墳チャンです。生まれて初めてもらった給料で一人旅した先も、奈良県明日香村でした。家族旅行でも古墳があるところを勝手にコースにしていました。この秋は韓国まで古墳を見に行きます。

  というわけで、この日は久々に古墳を眺めてリフレッシュ、明日からまた頑張るそ、と気持を新たにしたのでした。しかしそれにしてもカーナビって、私には役に立たないなあ・・・。

カーナビなんか信じないぞ!

2012-08-12 17:08:45 | Weblog
 東亜学院の中国語中級テキスト、挫折してしまう人も少なくなかった中、この私、一応遅まきながら15レッスンの全てを暗記し終えました。次は暗記したものを自然に応用できるところまでしつこく反復すること。一度暗記したくらいでは放置しておくと脳がこれはいらないものと判断して捨ててしまいます。15レッスンの中に出てくる表現が違う場面で自在に引き出せるように訓練をするわけです。外国語がなかなか話せないと文句を言っている人は、そのほとんどがこの段階で満足してその先の訓練を怠るからです。

  さて、昨日で中国語の一回戦が終わったので、今日は良く努力した自分に対するご褒美として、ちょっとした御出かけをすることにしました。今月納車されたばかりの新車に乗って少し遠出をしてみようというわけです。
しかし車に乗って最後に遠出をしたのはいつのことか・・・・JTに転勤する前のことになりますから、最低でも9年以上前の事。今や出かけること自体億劫という怠慢な人間になり下がってしまい、家を出たのは予定より2時間遅れの7時半。

  どこまで行くかが次の問題ですが、お盆の時期、すいている高速は常磐自動車道だけ。とりあえずその方針で高速にのります。真面目に80キロで二時間走ると大体「いわき」あたりになるので、そこまで行って折り返して来ようと思ったのですが。ふとした気まぐれで谷田部インターで降り、筑波山へ。ここではオプションで付けたカーナビの実力を試してみることにしました。

  私の記憶では、筑波山へ行くには筑波学園都市の中を抜け、まともな道だけを通って、中腹のロープウエイ駅周辺の駐車場まで行くのが恒例のコースでした。カーナビも当然そのルートを指示するものと思っていると・・・・・。言われるがままに走らせていくと、道幅はどんどん細くなっていきます。細い上にやたらにくねくねと人家の間を曲がりくねって行きます。どうやら観光バスが通るルートではなく、住民の生活道路を走らされているようです。ついにはお互いに停車して譲り合わねばすれ違えないほどの道幅にまで狭くなってきました。いや、それでも右に左にカーナビは私を振り回し、ついに車一台が通るのがやっとという急な坂道になってしまいました。

  しかもこの坂道、道というにはあまりに急で、曲がりくねっている上に、波のようにうねりが続いているではありませんか!万一上から対向車が来たら、相手にこの坂道をバックで登ってもらうわけにはいきません。うねりを乗り越え、右に左にハンドルを切りながら何百メートルかの急坂を私がバックするしかないのです。しかしUターンするスペースはないので、行けるところまで行くしかありません・・・・・・・。
  運を天に任せてひたすら進むと、ホントに曲がれるのかどうかも疑わしい角を指示に従って強引に曲がると、
ようやく狭いながらも普通の舗装道路に出ました。そして、やれやれ・・・と前進していくと・・・・。車は筑波山神社入り口というところに到着、そこはきっちり行き止まりとなっていました。

  その付近では土産物屋のおばさんたちが、自分のところの駐車場へ入れとしきりに手を振ります。Uターンするにはいずれかの店の駐車場に入るしか方法はなく、やむなく私は本来なら必要のない駐車料金を払い、かつそこはケーブルカーの駅の近くでもあったために、力尽きた私はケーブルカーにまで乗るはめになったのでした。

  教訓:カーナビを信じると痛い目にあわされる。幹線道路や高速道路以外は、カーナビよりも自分を信じること。

  その後私はカーナビを利用しつつも地図を併用し、幹線道路から絶対に外れることがないように気をつけながらその日の後半を過ごしたのでした

李明博よ、気は確かか?

2012-08-10 17:16:22 | Weblog
 歴代韓国大統領は、就任直後は日本に対してあまり強い態度には出ず、政権末期になって国民の支持が失われかけると、「反日カード」を切るという手口に出るのが恒例となっているようです。そんなことで支持が盛り返して再選に結びつくほど世の中甘くはないのですが、それでも苦しまぎれに切りたがるのが「反日カード」なのです。先だっては従軍慰安婦問題で、「日本大使館前にずらりと従軍慰安婦少女像が並ぶぞ」と日本の首相に1000年前の時代劇のような馬鹿げた脅しをかけた李明博大統領、今度は竹島に上陸するという行動を発表しました。

  中国のネット上で、「ひねくれていてやってられない」と酷評された韓国人の国民性を考えるまでもなく、韓国人のやることは稚拙で滑稽ですらあります。それに対応できない日本政府の稚拙さはさておき・・・。

  韓国人が永遠に理解できないであろう重要な事実、それは日韓両国が有史以来切っても切れない関係にあるということです。さらに言うなら、韓国だけではまかないきれない部分を日本が寛大な心でカバーしてやってきた2,000年だということです。何度も王朝の興亡が繰り返されてきた朝鮮、そのたびに朝鮮からの難民を温かく受け入れてきたのが日本という国です。朝鮮からの難民が住みつくことを許された土地は、現在も地名にその名残をとどめています。埼玉県には高麗という地名すらあるではありませんか。大阪にはつい最近まで「百済区」が存在していたではありませんか。

  その逆はありましたか?戦国時代の日本から、負けた国の支配者や住民が朝鮮に難民として渡ったり、亡命したりしましたか?両国の歴史は一方的に日本が朝鮮を補完してやってきたものなのです。日朝併合にしても、もしあの時日本が朝鮮に進出しなかったら、朝鮮は間違いなくロシア領となり、ソ連領となり、半島のすべてが北朝鮮になっていたことでしょう。韓国では日帝の支配が史上類を見ない残酷なものであったと主張していますが、李氏朝鮮時代の圧政と比較してから物を語るべきだといっておきましょう。

韓国人が理性的に物を考える意志を持てれば話は簡単に進みます。日韓はいい加減で協力関係に入るべきです。まずは経済同盟を結び、相互に協力を図るなら、世界最強の地域が出来上がることでしょう。ついでに自衛隊と韓国軍の密接な協力関係もできることが望まれます。このままいけばいずれ肥大化する中国にのみ込まれてしまうことは目に見えているのですから、それくらいの協力はできてしかるべきです。

  その際障害になるのは、何でも韓国の方が偉いのだと思いこもうとする切ないまでの僻み根性。我が国が韓国と対等の協力関係を結ぼうとしても、この「僻み根性」がある限り、実現はしないでしょう。そしていつの日か韓国もバブルがはじけた時、韓国は再び世界の三等国に戻ってしまうかも知れません。経済の専門家は2、050年には韓国が日本を超えるなどと言っていますが、韓国もいずれバブルがはじけることを専門家が考慮に入れていないのだとすると、専門家の言い分など何の意味もないことがわかります。

  そんなわけで、この期に及んで自分の政治的延命だけを考えて竹島訪問を図っている李明博にはこう言いたいと思います。李明博よ、気は確かか?と。

痩せていく

2012-08-07 20:15:33 | Weblog
  昨日は二つのブログの両方ともいつもよりはるかに読んだ人が多くなっていました。どうしてあんな妙なタイトルに沢山の人がヒットするのか理解不能です。

  結局傾いた歯の痛み→今日正確に測ってみたら、食後2時間すると襲ってくるのでした→が収まらないので、先週歯医者へ行って抜いてもらいました。

  最初に行った歯医者は家からの距離を優先、一番近い所。外壁がピンクに塗られ、いろいろな治療が何となく甘い言葉で書かれています。ここなら痛くなさそう・・・・というより、中に入ったらピチピチの超ミニの歯科助手が笑顔で「お帰りなさいませ!」と迎えてくれそう。やや不安だが家から5分だしまあ入ってみるか、とドアに手をかけても、びくともしません。「?」と思って営業時間を見直すと、午後は2時半からとあります。現在3時半。曜日も間違いなく営業日です。なんだこりゃ?と思い、炎天下を次の歯医者へと向かいます。

  こちらは大変洗練された扱いで、過不足なく患者としての私に対応してくれるところでした。マスクをしていてもそれとわかる一番若い歯科助手は、明らかに東北出身者。東北訛りはなんとなく人を安心させる効能があります。

  ところで、その場で歯を抜いてもらったものの、食後に襲う痛みは軽減されません。先生にその旨伝えても反応なし。どうやら歯そのものは関係ないというのが真相のようです。しかし、消化後ブドウ糖になる食べ物を口にするとてきめんに激痛が走ることに変わりはないので、夕食は鶏肉と野菜のみ。これでも多少は痛みを生じるのですが、これ以上はどうにも減らせません。

  しかし、期せずして炭水化物ダイエットをするはめになった私、現在徐々に痩せつつあります。見た目はともかく、75キロを維持するのは簡単でも、それ以下にすると必ずリバウンドしてきた私。しかし痛みを我慢してまで糖質を取るほどの根性もなく、眠りにつくころにはお腹が空っぽになってしまっています。このまま行くと、70キロを切る日も近い・・・・・。ウエスト細めのズボンが新品のまま眠っているので、それが活躍する日も近そうです。それで良いのかどうかは疑問符がこれくらい???????????????つくのですが。

がっかり

2012-08-06 18:42:40 | Weblog
  オリンピックの走り幅跳び・・・・・。何だあれ? と思いました。1位が8メートル30をかろうじて超えただけ。しかもほとんどの選手が戦前南部忠平選手(五輪走り幅跳び3位・三段跳び優勝・当時の世界記録保持者)が芸術の域にまで高めた高めた「そり跳び」を採用していました。南部忠平選手は当時の重たいスパイク・バネのない土の助走路で7メートル98を跳んでいたのです。その後1968年にアメリカのビーモン選手がメキシコオリンピックで8メートル90を跳んでいます。あれから半世紀近くたつというのに、記録は60センチも低下してしまうなんて・・・。
  ハンマー投げの記録もおかしいと思います。80メートルを投げなくてもメダルが取れるなんて考えられません。砲丸投げの記録も停滞したままです。これらのことから想像されることはただ一つ。薬物の検出能力が上がったので、筋力を要する種目の記録を出すことができなくなった・・・・。

  私はロンドンオリンピックの陸上競技に失望しか感じていません。皆さんの意見はいかに?

自殺

2012-08-05 15:14:26 | Weblog
 新車の慣らし運転を兼ねて葛飾区の行きつけの床屋へ。エンジンをかけようとしても全く反応がありません。早くも故障?新車と交換なんかしてくれないよな?などと思いつつ、車を蹴飛ばしてやろうかと思った瞬間、気が付きました。今までの車と違ってブレーキを踏んでいないとエンジンがかからないのでした。

  床屋までもう一息、という中川の橋に差し掛かると、堤防の上にはずらりと消防車が。パトカーもいて、堤防上の道路は通行止めになっています。火事にでもなったか?と思いつつ床屋に入ると、昨夜投身自殺があったのだという話でした。消防官や警官も、このくそ暑いのに投身自殺なんかしてくれて・・・と内心では考えてしまっているだろうと思われる日差しの中、消防車は最終的に10台に増え、上空にはヘリコプターが舞い、ウエットスーツに身を固めたレスキュー隊が潜水して遺体を捜索しています。昨夜投身したのなら今頃は東京湾では?と思いつつ、たった一人のためにこれだけの人間が動員されることに少々驚いてしまいました。冷たいようですが、救助ならともかく遺体の捜索にここまでしなくても、と、正直思ってしまいます。

  ところで人の自殺、皆さんは身近なところでどれくらい見知っているでしょうか。私が葛飾区で住んでいた家から100メートルの範囲内で起きただけで、大人になってから20過ぎても引きこもりを続けていた青年が家ごと焼身自殺・大家さんから立ち退きを通告されて行き所のなくなった老人が首つり自殺・息子夫婦に冷遇され、食事の世話もしてもらえないと言って首をつった老人、の三件がありました。人が自ら命を絶つケースというのは、思ったより多いようです。他にもあと4件の自殺が身近なところで起きていますが、多くは触れないことにします。

  自殺することができるのは人間だけに与えられた特権だという話を聞いたことがありますが、その多くは周囲の協力で防ぐことができる種類のものではなかったのかという気がしてなりません。私もささやかな気配りをしながら生きていきたいと思いました。

柔道日本

2012-08-04 18:04:31 | Weblog
  ロンドンオリンピックの柔道、見事なまでにぼろ負けでした。これを意外と見るか心外と見るかは人さまざまでしょうが、新聞で見られた発言にいくつか気になるものがあったので、私見をひとつ。

  代表監督の談話では、「あれだけ練習を積み、調整もうまくいったのに本番で勝ち急いでいる。選手がコーチを見過ぎている。もっと自分で動ける選手を作らないといけない。」とあります。
  一方で、やたらに合宿が組まれて呼び出される(つまり選手がコンディション調整のための長期的展望が持てないようにされてしまう)ために、事前にうんざりしてしてしまった選手がいたことや、合宿の雰囲気が活気にあふれるものではなかったという声があります。また、監督の叱責がやたらに厳しいものがあったとも言われています。自主的な練習の邪魔をし、やたらに叱責しておいて、自主性がないと言われたのでは選手も立場がありますまい。

  しかし、最も根本的な課題は、篠原監督の次の言葉に象徴されています。
 「金を取る選手は力の強い選手が多い。日本選手は力の部分で足りなかった。」

  代表監督からこんな言葉が出てくるのは情けないとしか言いようがありません。日本人がそのままでは白人や黒人にパワーの面ではかなわないことは、素人でも知っていることです。特に柔道の世界では、1964年の東京オリンピック無差別級で、神永選手がオランダのヘーシンク選手に抑え込まれて手も足も出なかった時に、屈辱とともに思い知らされたのでした。あれから半世紀過ぎたというのに、いまだにこんなことを平気で言っているような人間が監督を務めているようではとても話にはなりません。

  滑稽なことに、日本のスポーツ界にはウエイト・トレーニングについ知識と理解を持っている人間がほとんどいません。特に体育大を出た体育の先生の知識の乏しさは、恐ろしいほどのものがあります。残念ながら私は38年間の学校勤めで、ウエイト・トレーニングを生徒にさせるだけの力量を持った体育教師を一人も見ていません。しかもたいていは、「今日雨でグランド使えないからウエイトやっとけー」というだけで、その日は生徒任せで、現場にも出ないのが当たり前になっています。

  ウエイト・トレーニングそのものは特に難しいものではありません。安全なやり方を覚えることと、個人別に適した重量と回数を設定してやれればそれで良いのです。経験がなければ、経験すればよろしい。一年も自分でやってみれば、どの種目がどの筋肉に効果があるか、身をもって知ることができます。しかし専門家の多くは自分が既に体験したことだけを財産に選手を指導しようとします。そんなことでは代が下るに従って知識の質量とも下がって行くに決まっています。日本の柔道界も、もしかしたら同じ道をたどって来たのではないでしょうか。