梅様の教室

独り言

「日本=百済」説 を読む

2011-12-30 16:35:42 | Weblog
 著者は金容雲という韓国人です。こういう本は何冊も読んでいるので、特に目新しくもなんともなく、著者が先駆者というわけでもないのですが、韓国人が書いているものは初めて手にしたので、購入して読んでみました。要は日本は元をただせば百済や新羅の植民地的な土地で、そのうちに百済の勢力が勝ち組として生き残り、現在の日本の天皇家となったというお話です。多少の目先の違いこそあれ、特に目からうろこというほどの物ではありませんでした。

  それよりは、著者の姿勢から感じられる、韓国人の思い込みと決め付けから、実に救いようのないものを感じてしまいました。著者は韓国を代表する数学者であり、韓日(この語順が大事。逆にすると叱られます、きっと。)文化交流会議の代表だった人だそうですが、数学者の割にはあまり客観的な考え方を持ってはいません。いかにも韓国人のステレオタイプという感じです。いくつか問題点を挙げてみます。韓国人がこうした思い込み的発想から脱却できない限り、日韓両国の友好は1,000年たってもあり得ないことでしょう。

  韓国人のこだわりなのか、著者もまた百済語と日本語は1,300年前までは同じであったと述べています。ある言語が変わって行く速度は大体一定だとされているので、現代の普通の日本人が日本書紀を読んで大体意味がわかる程度に韓国人も日本書紀を読みこなせなければなりませんが、これは絶対不可能です。何より、言語学的に基礎語彙と言われるものがあり、親戚関係がある言語は基礎語彙、特に体のパーツを表す単語が類似していなければなりません。これも言い尽くされたことですが、目はヌン、鼻はコ、口はイップ、まったく共通点がありません。どうしてもこの説にこだわるなら、百済の人間は全員日本列島に移住して来たことにしなければなりません。

  しかし、こんなことはどちらかというと瑣末な問題で、次のような主張こそが、日本人と韓国人の相互理解を妨げている韓国人特有の思い込みと決め付けだと言えます。

  ①日本は戦後10年で軍国主義国家に戻り、周辺諸国と争いを繰り返している。→争いの種を作っているのは韓国と中国であり、なおかつ日本人の多くはこと竹島に関しては、場所も知りません。徴兵制すらない日本が軍国主義国家だというのは片腹痛い主張ですね。

  ②日本がかつて朝鮮を併合したのは、白村江での戦いに負けた恨みを晴らすためだ→思い込みもここまで来るとお笑い沙汰です。妄想としか言いようがありません。

  ③北朝鮮に金日成の大きな銅像があるのは日本に大きな前方後円墳があるのと同じ理由だ。→前方後円墳は支配者の権威の象徴であったかもしれませんが、個人崇拝のためではなかったはずです。金日成の銅像はレーニンや毛沢東の銅像の類だとなぜ考えないのでしょうか。

  ④沖縄の海底に沈んだ戦艦大和を引きあげて、その鉄でメダルを造るとすれば、それと同じ重さの金を喜んで捧げる日本人はいくらでもいるでしょうし、大和よりもっと大きい軍艦が造れるほどの資金が集まるでしょう。→何にも言えません。開いた口がふさがらないとはこのことです。

  ⑤夕方高いビルから見渡した韓国年は教会の十字架のイルミネーションだらけですが、(これは事実です。私もこの目で確かめてきました。)日本では神社の鳥居が目につきます。→ホントにそうかあ?と言いたくなります。この人は日本のどの都市でこんな風景を見て来たのでしょうか・・・・。

  韓国人のいけないところは、学歴も社会的地位もある著名人でも平気で勝手な思い込みだけで多様な決め付けをし、かつ発言を続けていることです。もうこれは国民性とでもいうべきもので、韓国人こそ地理的・歴史的な問題から派生してきた自分たちのコンプレックスを払拭してほしいものです。浅く知ると大好きになれる国、それが韓国ですが、深く知ると大嫌いになれるのもまた韓国という国です。ずっとお隣にあって、友好を深めていかなければならない国であるにも関わらず、日本の方が仲良くする気十分であるにも関わらず、つねに日本側の熱気に冷水を浴びせ続ける国、韓国。現在韓流ブームに熱中している皆さんが韓国人のこの本質に気づいてしまったら、両国の溝は決定的に深いものになってしまうかも知れません。まあ、あの皆さんがそこまで深く韓国や韓国人を研究することはないとは思いますが。

  P.S. もし著者が主張する、日本=百済 が完全に間違いのないものであり、なおかつ日本が白村江の恨みを晴らすために朝鮮を併合したのであれば、はるか昔に新羅に滅ぼされた百済が復活して旧国土を取り戻したばかりか、半島全体に領土を広げた、というだけのことになりますね。それであれば日本人は日本人はと非難されるのは筋違いということになります。どうせならそこまで話を広げて見てはいかがなものでしょうか。

「秋の童話」

2011-12-24 19:08:39 | Weblog
 シナリオがあるので10年も前の韓国ドラマ「秋の童話」を見ています。韓国では一時視聴率が40パーセントを超え、日本でもそれなりに評判をとったドラマですが、私にはあまりピンときません。ヒロインのために自分が割を食うことを進んで引き受けようとするのは中学生になって初めて我が子と知った生みの親だけ。後は誰一人ヒロインの幸せなんか考えていないのに、なぜかピュアな純愛ストーリーとして受け入れられているのが納得いきません。
準主役のソン・スンホンは私の目からは少しも魅力がなく、骨っぽい男優のウォンビンの方はこのドラマではとんだ大根役者で・・・・

  しかしそれよりも韓国ドラマの製作者側がいかに視聴者をなめた番組作りをしているかがわかって、多少腹が立ったりもしました。このドラマシリーズ第一作で、二作目がかの有名な「冬のソナタ」なのですが、良く見ると「秋の童話」と「冬のソナタ」は全く同じドラマなのです。同じ点を挙げるときりがないのでここでは控えますが、脚本家はいかにそれと悟られずに同じネタを再度使うかに徹底的に頭をひねったはずです。とにかく、「冬のソナタ」には何のオリジナリティーもありません。「秋の童話」を見た私の先輩は、「あれはかわいそうだった。」と感動していましたが、素直な人格者が見ると、製作者側のせこい手口よりも悲しいラブストーリーに感情移入できるドラマではあるようです。

  さて、目下鑑賞中のドラマ「花より男子」。聞き取り練習には意外と手ごわいセリフが出てくるので練習のつもりで見ているのですが(三度目!)、ついに挫折しかけています。「イケメンですね」や「ファンタスティック・カップル」、「アクシデント・カップル」「サンドや、学校へ行こう」はしっかり4回の鑑賞に耐えたのですが、「花より男子」はちょっとつらいものがあります。学習目的ですとどうしても、1度見た後3回見直すというのが必要最低限のことなのですけどね。ちなみに私が聞き取り練習のとっかかりとして取り上げた「オール・イン」というドラマはシナリオを30回読み、DVDを15回見ました。一年半かかりました。やはり「花より男子」は繰り返し見るには軽薄すぎるドラマだということでしょうか。

映画

2011-12-23 15:19:06 | Weblog
 私が初めて見た映画の記憶は、隣の家のお爺さん(例の背中いっぱいに観音様の刺青があった人)に連れられて当時都電のターミナルとして大いに栄えていた江東区砂町の映画館でした。タイトルは「大怪獣ラドン」。プテラノザウルスがモデルと思われる大怪獣ラドンと人間の戦いを描いたものです。幼子の目にもいかにも作り物然としたラドンでしたが、これはそういうものなのだと納得しながら見ていた記憶があります。

  翻って今回のお正月映画の予告を見ると、当時とは時代の差と桁違いの進歩を感じさせるものがありました。「山本五十六」という映画では真珠湾攻撃の様子がすべてコンピュータ・グラフィックで描かれています。模型を使ったのでは到底表せない、本当の真珠湾を再現した画像です。

  しかし、私はどうにも湧き上がる違和感を禁じることができませんでした。コンピュータ・グラフィックで描かれた画像は、精密ではありますが、100パーセント絵空事なのです。模型を火薬で吹っ飛ばす、ちゃちな絵作りの方が私の想像力を掻き立て、かえって現実味を帯びているような気がしてなりません。ゼロ戦が海に魚雷を落して敵艦を攻撃する場面など、迫力が全く感じられないのです。

  考えても見てください、中に人が入った着ぐるみのウルトラマンと、コンピュータ・グラフィックで描かれたウルトラマンと、どちらが私たちの心に訴えるものがあるか、大人になってから懐かしいと思わせるか、少なくとも私の中では答えは明らかです。

  そんなこんなで、来月は、とあるツアーに出かけてくることにしました。ツアー名は、「山本五十六と海軍の軌跡をめぐる2日間」。映画の公開に合わせての企画ですが、私は日本帝国連合艦隊司令長官には山本五十六ではなく山口多聞を当てるべきだったと信じている人間なので、このさい、山本五十六はどうでもよろしい。目的は、大和ミュージアムに置かれている全長26メートルの戦艦大和の模型を見ること・海上自衛隊呉地方総監部を見学すること・実際に運用されている自衛官に乗艦して見学すること・・の3つです。私も頭でっかちの左翼思想の全盛期に教育を受けた世代なので、自衛隊の実際にちょっと触れてみるのも悪いことではないと信じています。

  おっと、本日のタイトルは「映画」でした。もう一つの話題作?「ワイルド・セブン」。これもまたずいぶん懐かしいマンガを実写化したものですが、はっきり言って「ダメ」です。役者も演出もダメ。どうせ元は漫画だと言ってしまえばそれまでですが、機関銃を連射している主人公?が何にもわかってはいません。彼が構えている機関銃には何の重量感も感じられず、実弾を発射すれば当然起こる激しい反動を全く表現できていません。あのポーズでは機関銃に振り回されるか、機関銃の反動を受け止められず、機関銃が後ろに吹っ飛んでしまうはずです。あれではただプラモデルを構えて叫んでいるだけ。役者が無知なら監督はいったい何をしていたのでしょうか?日本人には銃を使ったアクションは無理なのでしょうか・・・・・。

韓国ドラマの字幕

2011-12-21 16:02:29 | Weblog
  テレビや映画の字幕は必ずしも元の言葉をそのまま訳したものではないことはもちろんのことです。限られた字数で画面の妨げにならないようにまとめてあるので、相当はしょってあることが多いようです。中には韓国版「花より男子」のように、登場人物の名前が完全にオリジナルの漫画に登場する日本人の名前に直されたりしてるものもあります。洋画でいえば、日本人を侮辱する言葉が中国人を侮辱する言葉に変えられている類のことはままあります。
  しかしどの言語の場合でも、吹き替えで見てしまうと独特の吹き替え調のセリフ回しになってしまって、元の雰囲気が全く伝わっていません。I'll be back! と「必ず戻って来る!」ではだいぶ趣が異なります。

  当然私は吹き替え派ではなく字幕派です。私が現在最も困っているのは、韓国ドラマのハングル字幕がないケースです。時々本当に何を言っているかわからなくなることがあります。そんな逆境を切り抜ける方法は、英語字幕か中国語字幕がついているものを購入すること。英語字幕の場合はちょっと意味がずれてしまうことがありますが、少なくとも字幕を読めば元の韓国語が類推できるので、DVDをバックさせて英語を読んでからもう一度見直します。すると大体はわかります。ハングル字幕に次いで便利なのは中国語字幕です。何しろ漢字ですから、2行分くらい一目で読めてしまうので、英語字幕よりはるかに便利です。まあ、多少の中国語の知識は必要ですが。

  昨日何気なくテレビを見ていて、これはと思う字幕がついた韓国ドラマを発見しました。もしかしたらこれは初めての試みかもしれません。もともと下の方にハングル字幕がついているものに、さらに右側に縦表示で日本語字幕がついているのです。韓国語学習者にとってはまたとない、最高の字幕です。これを作ったテレビ局の人を表彰したいくらいです。ものは「海神」というタイトルですが、これだけはきっちり録画しておくことにしました。

公務執行妨害

2011-12-20 19:23:37 | Weblog
  授業中騒いでいてこれを注意した教師(男性・30歳)の左頬を拳で殴ったとして女子中学生が「公務執行妨害」で逮捕されるという事件がありました。授業中先生を殴るのは公務執行妨害だったんですねえ・・・初めて知りました。大先生も授業中男子に首をつかまれて押し込まれそうになったことがあったのですが、あれなども公務執行妨害に入るのでしょうか。もっともあの時は・・・・・(ちょっと書けません。)

  この女子中学生の事件は、学校が即日警察に通報し、男性教師が被害届を提出したために警察が立件するところとなったのですが、この後おそらくはその時同時に授業を受けていた生徒たち全員が警察に事情聴取をされ、放課後現場検証をし・・・と、当事者が予想した以上に大事になっていったはずです。

  まあ、学校がすぐに警察に通報したくらいですから、この学校ではこうした事件は日常茶飯事で、かつ学校の力では抑えられないところまで来ていたのだとは思いますが、30歳の男性教師が女生徒に殴られてしまうというのは、なんかだかなあ・・・という思いがします。元同業者として、この男性教師が日常的に生徒たちからどの程度の評価を受けていたかが容易に想像され、情けないという気持ちをどうしても抑えきれないでいます。はっきり言えば、女生徒なんかに殴らせたらだめでしょ!です。まして30歳男性でしょう?第一、中学生の女生徒に素手で殴られたくらいで一週間の怪我ですか?

  それはそれとして、教師は生徒に殴られてはいけません。いや、殴らせてはいけません。そもそも、生徒に殴られるような状況を作ってはいけないのです。教師を殴ってしまったら生徒には重い処分が待っています。最悪の場合は少年院行きです。万一殴られてまったら・・・・それは教師として最大の失策です。
  
  この事件の男性教師は、おそらく今回の事件の処理を通じて、教師生命を半ば失ったも同然です。いくら殴られたからとはいえ、警察に被害届を出して教え子を逮捕させた教師を生徒たちが尊敬することは二度とありません。少なくとも自力でその場を収められなかった教師というレッテルは一生はがれることはないでしょう。

  女生徒の方は、調べがつくまで数日は留置場暮らしをすることになると思います。夕食にはジャムを塗ったコッペパンだけ、といった生活を数日経験した後、娑婆に戻って来ることになると思います。恐らくは教師を殴ったこと+留置場暮らしを経験したことで「箔」をつけて・・・・。教師と信頼関係を結ぶことができる良い子になることは二度とないでしょう。

太もも

2011-12-17 18:24:48 | Weblog
 何か違うものを期待していた方にはお詫びしなければなりませんが・・・・。

 15年もたつでしょうか、同い年の同僚が、「最近脚が細くなった」とぼそっと呟きました。もともとほっそりとした人なので、あんたが細くなるも何もないだろうと思いましたが、私も最近太ももの退化を実感するようになりました。というより、下半身全体が軟弱になってきたというのが正確なところです。何よりジョギングしていても思うように歩幅が出ません。一番悲しいのは、息が苦しくなるほどのスピードで走れないじゃないか!という事実です。

  歩幅を伸ばすにはまずは腿が上がるようにしなければ、ということで、足首に4キロの重りをつけてマンションの5回まで上がるというトレーニングを始めました。74歳にしてエベレスト登頂最高齢記録を作った三浦雄一郎という人のトレーニングにヒントを得て始めたものですが、効果はてきめんでした。すぐに走る際に腿が良く上がるようになりました。しかし・・・・。

  腿は確かに上がるのですが、あくまで腿が上がるだけなのです。腿が上がるのに伴って後方へのキックが強くならなければ意味がありません。もともと腿を上げるのは、後方への推進力を引き出す補助運動に過ぎないからです。そこで更に小道具を追加。5㎏のバーベルプレートをぶら下げて、合計10㎏の負荷をかけることにしました。重りを持って階段を上がるのですから、今までよりも10㎏分だけ後下方へ強く押す運動を伴うことになります。

  これはそれなりにきつい運動です。医者に相談したら多分反対されると思います。しかし私は医者と学校の先生は大嫌い(?)なので、あくまで自分の感性を信じて努力をしてみました。その結果、昨日ふと太ももに触れてみると、以前はへなへな、と力ない状態だったのが、丸みを帯び、弾力のある筋肉がはっきりと感じられます。ただ脚!という手触りだったものが、個々の筋肉が存在を主張するようにもなりました。

  問題は、足首に重りをつけ、両手にプレートをぶら下げた私の姿を見ると、同じマンションの若い奥さんたちが、いい年をした変態が来たとでも言わんばかりの目つきで上から下まで見まわすことです。はあ・・・・。

facebook

2011-12-15 14:38:08 | Weblog
ベトナムに行っている昔の教え子から要請があって、facebook も始めてみました。初めて見ての結論:「なんだこれ?」ブログのようにまとまったことを書く気にもなれず、あまり意味のあることを書く気にもなれない、もうひとつ私にとってはなじめないものでした。そんなわけで本当にまれにしか書いてはいないのですが、どういう仕組みになっているのかわかりませんが、今は疎遠になってしまった知り合いや教え子からぱらぱらと友達要請が入って来ます。
  このことで面白いと思うのは、友達要請が来たからといってその後なにか音沙汰があるわけではなく、ただそれだけであるということです。ただ友達になると相手の書いた内容が自分のパソコンに自動的に入ってくるので、その人が書いてさえいればそれが読めるということですね。また、さらにその友達が書き込んだことまで一応読めるというわけです。ただし、中身が面白いかというとそんなことは全然なくて、毎日こんなことを書いていて何が面白いのだろうということばかりです。

 JTの卒業生男子:文章はほとんどなく、自分の立ち回り先の名称と住所とを地図で示しています。それにしても ●●駅喫煙所なんて場所を載せて何が面白いのでしょう。どこが面白いのか教えてください、Y原君。
 また、自分が食べた料理の写真をまめに載せている人、更にそれにコメントを寄せる人。私にはその面白さがわかりません。
 日記代わりに自分の行動を記録している人:これは少し危険な行動ではないかという気もします。まあ本人の自由ですが、若い女性にこのパターンが多いような気がします。

 私が一番危険性をはらんでいると感じるのは、やたらに教訓めいたことや、悟りを開いたような内容や、妙に自己反省的な内容を書き続ける人。こういう人が多いと、世の中はすべて自分の内的世界の整理でかたをつけるという方向に流れて行ってしまいます。そんなことをしている間に社会はいつの間にかとんでもないことになっていってしまいます。いくら不景気だからと言って、いや、世の中全体が不景気だからこそ、若者が内向きになっていてはいけないと私は考えています。間抜けな政治家に内向きの若者、これでは日本は終わりです。

 それでも中には興味深いものもないわけではありません。唯一私が楽しみにしているのは、昔韓国語教室で一緒だった人が外国に出張しての生活ぶりを失敗も含めてありのままにレポートしてくれているもの。これは楽しく読めます。

 それにしても、自分がいま考えていることを公開して反響や批判を得るというのなら意義がありますが、何を食べただの何をして遊んだだのを毎日書きなぐっているのはあまりにも生産性がありません。いや、もしかしたらそうやって深く物を考えない人間を作るという密かな目的のために存在するのがfacebookというものなのかもしれません。少なくとも結果的にはそういうものになっていると思いますね、私は。

整形の勧め?

2011-12-13 17:48:44 | Weblog
  韓国語ジャーナルという雑誌を読んでいて思い出したのですが、2004年の出来事頃、韓国で「美し過ぎる強盗」というのが話題になったことがあります。兇器をふるって被害者を殴りつけ、金品を奪うという強盗犯なのですが、捜査のために警察がインターネット上に写真を掲載したところ、それがあまりにも美人だというので全国にファンクラブができ、一時は会員が3万人に達したということです。(この辺が韓国人の考え方が我々の理解を超える部分ですが)あまりにも自分の顔が国民に知れ渡ってしまったことで逃走をあきらめた犯人が自首したためこの事件は一件落着したのですが、美しければ何でも良いといわんばかりのもてはやし方は、現在成人までに5割以上の女性が整形手術を受けるという韓国人の国民性を象徴するような事件でした。

  ところで、最近の研究によると、犯人が美人か不美人かによって、判決にはっきりとした影響が出ることが分かったそうです。皆さんの予想通り、美人の方が不美人より判決が軽くなるのです。陪審員制度をとっているアメリカはその代表と言えます。

  ちなみにお隣の韓国では就職に備えて整形をするそうですが、後でばれないように、高校の卒業アルバムの写真を撮影する前に整形してしまうことが大事なのだとか。
清朝の時代には毎年3,000人の美女を隣国の皇帝に献上しなければならなかった韓朝鮮、清朝は300年以上も続いていたのですからその間に美女の遺伝子を持つ女性が何万人韓国から姿を消したか考えてみるのも面白いかもしれません。(あまりはっきり言うと問題にされそうなのでこんな表現に留めておきます。)

  美しいものに対する人間の本音は面白くも悲しいものがあります。私があるところに勤務していた時、今でいうイケメンと呼ばれそうな男性が転勤してきました。日頃女性を顔で差別するなとか男女平等、民主主義を声高に叫んでいた女性の先生方が例外なくうっとりとした表情でその男性に見とれていたことを思い出します。中にはあなたとは全然違うわね、と聞いてもいないのに親切に私に教えてくれた方もいらっしゃったほどでした。

  こうなると整形は、したものがち? どうせやるなら人に先んじて早めにやった方が得かもしれません。もっとも私が見る限り、整形をした方が・・・と思われる人はめったにいません。念のため。

BoA

2011-12-11 14:16:22 | Weblog
 BoAについて書くのは久しぶりという気がしますが・・。
 先日久々に彼女がテレビに登場していました。私も時代に遅れすぎないように、年末ぐらいは歌番組を見ておこうと思ったのです。しかし、そこで目撃したものは、今まで見たこともないようなBoAの姿でした。
 
 どちらの番組においてもBoAの表情には生気がなく、ほとんど死相が浮かんでいるのかと思えるほどでした。少しは芦田愛菜ちゃんのプロ意識を見習え!と言いたくなるくらい、やる気が感じられませんでした。ダンスを伴う曲ではなかったのでそれほど目立ちはしなかったかも知れません。その姿に私は一瞬病気か?と疑いましたが、どうやら原因は他にありそうな気がします。

 コンピュータを開くと、チケット・ピアから連日メールが届いていました。8日(木)には10日(土)に東京フォーラムで行われるBoAのコンサートの案内。翌9日(金)には11日(日)の公演の案内。数年前までは会場の外に長い行列ができたほど人気があったBoAです。当日券を求める人のためにダフ屋が外で活発に商売をしていたことさえありました。しかし今回はどうみても入場券が大量に余ってしまったことがうかがえます。あの陰鬱な表情はガラガラになるはずの会場に自分の凋落を思い合わせて気分がどん底に陥っていたからではないでしょうか。

 今時はやりの無意味な歌詞を軽快なリズムに乗せて繰り返すダンス曲を歌うことは、もはや中堅となったBoAのプライドが許さないでしょう。10年前、日本の街を歩けば人だかりができたBoA、そのことが信じられずに韓国からテレビ局が現地レポートに来たほどの人気を誇ったBoAですが、これから先復活はあるのか? 私はなんとなくもうおしまいかな、という気がしてならないのですが。

内柴選手のセクハラ疑惑

2011-12-07 14:43:41 | Weblog
 金メダリストの行く末もさまざまです。かつてスキージャンプで世界を制した某選手(北欧)はいつの間にか身を持ち崩して最後は男性ストリッパーにまで落ちぶれたと聞いています。東京オリンピックに出場したハンマー投げのO選手(日本)は妻を殴り殺してしまいました。とある長距離選手(日本)は公園で「露出行為」をして社会的に葬り去られてしまいました。
 
 そして今回の内柴選手のセクハラ事件。金メダリストでなければこれほど大きく取り上げられることはなかったのでしょうが・・・・。それにしても、柔道界のこの事件に対するコメントを聞くと、??????と、クエスチョンマークが林立してしまいます。参議院議員である田村亮子さんのコメントも、柔道界を背負って立つべき逸材がこんなことをして誠に惜しまれる・・的な意味合いのものでした。どうして、同じ柔道界の人間として誠に申し訳なく思い、彼に代わってお詫びしますくらいの言葉が出てこないのでしょう。被害者に対する贖罪といたわりの気持ちが感じられる言葉がないのです。

 申し訳ありませんがこの内柴という人、知性のかけらも感じられません。彼が書いているブログは簡単に見つかりますからお読みになってみるとすぐにわかります。あまりにも知性に欠けるせいか、自分が何をしたのかもわかってはいないようです。したがって反省の気持など彼のブログからは微塵も感じられません。

 彼は合意の上だから問題ないという考え方のようですが、そもそも未成年の女性に飲酒させているところから間違いです。かつ、彼は既婚者で既に子供もいるのではありませんか?合意があろうがなかろうが、その発想が出発点から間違っているのです。

 昔何かの記事で読んだことがありますが、その記事によれば、柔道の世界では指導者の男性が立場を利用して部員に体の関係を強要することが当たり前のように行われているとのことでした。その時は真偽のほどはどうなのか?と疑いつつ読んでいましたが、今回の反省のなさを見ると、あの記事もまんざらでたらめではなかったのではないかという気がしてきます。

 以前、観光バスのガイドは旅先で運転手から体の関係を要求され、拒むことができないという慣行があったそうです。これはとあるバスガイドの女性の恋人が勇気を持って告発したために明るみに出て、救いようのない慣行の廃止につながりました。万一柔道界でも同じような慣行があり、現在でもそれが生きているのなら、これを機会に明るみに出し、膿を出し切ってしまわないと、いつまでたっても第二第三の被害者が出ることでしょう。今回の事件をきっかけに、コーチと選手の関係が清廉潔白・公明正大になることを期待します。いや、というより柔道界は一同反省の上ロンドンオリンピックを辞退するくらいの誠意を見せた方が良いのではないでしょうか。どうせ最近の成績では出場しても恥をかくだけでしょうし。

努力

2011-12-05 15:30:45 | Weblog
  週2回早朝通っている学院へ向かいます。いつもの時間にいつもの坂を上っていると、いつものコンビニの前にいつものゴミ収集車が止まり、いつものおじさんがゴミ袋の回収に励んでいます。そこを過ぎると間もなく学院なのですが、高級マンションの前の緑地でなにやら無気味な声がします。思わずそちらを振り向くと、同級生の女性がテキストを相当な声で音読しているのでした。あ、これは絶対今日暗唱の試験があると勘違いしているな!と思ったのですが、勉強しておいて悪いことはありません。何も教えず、邪魔をしないように声もかけずに通り過ぎておきました。

  皆さん社会人ばかりなので、ちょっとした時間を利用しての勉強があとあと大きな力になって来ます。学院に通いながらだんだんと力をつけていく人たちは多かれ少なかれこうした努力をしています。前の方の席に座っている人たちは登校も早く、テキストのコピーも持っています。電車の中で勉強するためであることは容易に推測できます。

  一方、全くそんな雰囲気が感じられない人もいます。先生が次の時間どんな内容であててくるかは大体見当がつくのに何の用意もしてこない人もいます。そんな人たちはだんだんと淘汰され、上級に進む頃には5、6人にまで減ってしまうのだろうと思います。

  語学に上達する人は、多かれ少なかれこうした努力をするものです。しかし皆さんそうした努力を怠るために、結局何も身につけることができずに終わってしまうのですね。ああもったいない。

今更ながら「秋の童話」

2011-12-03 16:36:00 | Weblog
 「秋の童話」を見始めて、ようやく7話に入りました。シナリオを読みながらなので一気に全部を見てはいません。このドラマ、セリフがとても平易で、これよりやさしいのは私が見た中では「ファンタスティック・カップル」しかありません。「花より男子」の方がよほど難しく感じます。

 それはそれとして、一応視聴者に「見させる」ドラマではあると思います。個人的には冬ソナよりは好きです。とりあえずは出生の秘密と貧富の差だけで、今のところ記憶喪失は出てこないので・・・・。後でそういうシーンがあるのかもしれませんが。

 「秋の童話」を見ていて感じたこと。結局登場人物は善意の人間もそうでない人間も含めて、主人公以外結局自分のことしか考えていないように見えます。主人公だけが他人の気持ちばかりを考えて泥沼にはまって行く、そんな筋書きに見えます。そんな意味で、ちょっとな・・・と引いてしまう部分があります。韓国ドラマファンの皆さんには叱られてしまいそうですが。

胸を打った喪中はがき

2011-12-02 16:25:22 | Weblog
目一杯の計画を立ててしまうために、毎日6時から8時半までほとんど休みなしに勉強か運動をしています。ブログを書く時間も惜しんで・・・。そんなわけで数日間手抜きをしてしまったのですが・・・・。

  年末になると必ず家に届くもの、それは「喪中につき年末年始のご挨拶を・・・・」という欠礼の通知です。もっともスタンダードな形式は、薄墨の枠で囲って黒文字だけで記されたもの。これが本来の喪中はがきのスタイルです。しかし最近は地味な柄や花などを薄く印刷した葉書が圧倒的に増えつつあります。これも時代の流れというべきでしょうか。

  基本的に喪中のはがきは至って地味なもので、かつ知人である本人が亡くなったという通知は来ることがないので、こちらも儀礼的に受け取り、誤って年賀状を出さないための確認のために整理しておくだけというのが普通です。私は書きだしの「喪中につき」の文字と差出人の名前、及び亡くなった方がどなたなのかをちらっと見るだけで全文を読んだりしみじみと眺めたりすることはありません。他の人も恐らくそうだと思います。

  しかし、半世紀以上を生き抜いた今、初めて胸を打つ喪中はがきに出あうこととなりました。それはKTSの女性の先生からのはがきでした。型通りの文面で、儀礼にのっとって祖母に当たる方の逝去を知らせるものでした。
  そんな儀礼的なはがきが気難し屋の私の胸を打ったわけ、それは、このはがきがこれまでの喪中はがきの型を打ち破り、喪中の知らせを超えたものを伝えるものであったからです。

  無地や花を描いたはがきではありません。文字の裏にうっすらと印刷されていたのは、はがきをくれた本人と、亡くなった祖母のツーショットの写真でした。おそらくは祖母のお伴をして海外旅行に出かけた時の写真でしょう、滑走路に降り立った飛行機のタラップをバックに、年老いた祖母の後ろに立って身体を支えている姿を写真にとったものです。そこには老いた祖母を限りない愛情で支える孫娘の姿と、孫娘を信じ切ってすべてを任せきっている祖母の姿がありました。その写真を見て私は思わず涙が滲みそうになってしまいました。

  伝統的な枠にとらわれず、かつ過剰な訴えに走ることなく、祖母に対する愛情をさりげなく、深く表現している「喪中はがき」です。嫌なことばかり起きた平成23年も終わりに近くなって、ようやく心が洗われる思いをした私でした。