梅様の教室

独り言

一応生きてます

2011-06-30 18:56:58 | Weblog
  長いことこちらのブログには書き込んでいませんねえ。あまり内容がないのに無理に書くのもなんなので・・・。
昨日あたりふと考えたことを少しだけ書いてみます。
  
  チャングンソクという若手の俳優が韓国からやってきました。相当な歓迎ぶりのようです。ヨン様とは違ってファン層も年相応の年代であるようです。
まあ、それは良いのですが、日本人がまんまと韓国の国策にのせられているような気がするのは私だけですか?ハリウッド俳優が日本に来て大歓迎を受けるのは、やむを得ないかな、と思います。一応世界の最高峰ということで。しかし、韓国から芸能人が来るたびにハチャメチャな熱狂ぶりを見せるのは、私の目には人として主体性がなさすぎるような気がしてならないのです。
  歌手や俳優を日本や中国に売り込むのは、韓国の国としての国策です。数年前までは映画製作に国費から補助が出ており、補助金打ち切りに際しては超一流俳優たちがソウルの街頭に出てデモ行進を行ったものです。国費が投入されなくなったとはいえ、国策であることに変わりはないでしょう。韓国は人口も少なく、マーケットとしてはかなり小さいのです。貧富の差も日本よりはるかに大きいので、その影響もなしとは言えないでしょう。そこで狙いをつけられたのが日本市場です。日本人は馬鹿と言うか、何の変哲もないファンミーティングに、1万円以上のチケット代を払ってアリーナに入場しようとします。私が知っている二人のオバサンは、チケットを入手するために身内を動員してファンクラブに入れ、ファンクラブ優先の入場券抽選に挑戦しています。しかしそれでも当たらないほど今や韓国人芸能人に対する熱気は気違いじみたほど熱いものがあります。
  若手は人気が出ても恐ろしいまでの安月給で酷使され、女性芸能人は仕事をもらうために枕営業(意味わかりますね)にはげまされ、たまにそれが嫌で自殺する人もいるのが韓国の芸能界です。私の目にはミーハーな日本人たちがそのお先棒を担いでいるようにも見えます。韓国人の芸能人に熱狂する大人たちに比べたら、AKBに熱狂する人たちの方がまだずっとまともに見えます。私には。

6月だからか?

2011-06-18 16:36:56 | Weblog
 私は身近なところで退職後一年持たずになくなった方を何人か知っています。自他共に許す熱血派の私が一番の楽しみを取り上げられて、こうした先輩方の後を追うのか、しぶとく持ちこたえるのか、自分でも興味津津なところです。
  ところで私は6月が肉体的なバイオリズムが最低で、2月が知的なバイオリズムが最低です。高校入試が2月にあるので、中学2年修了時に余裕で合格点が取れていた絶対安全パイの高校で手を打ったくらい、2月は頭が悪くなります。6月は絶対病気だと思う時があるくらい肉体的に落ち込みます。ちょうど急性肝炎で入院した時のような体調になるので、非常に怖いものがあります。何しろ体育祭本番の日の朝に病院へ行ってしまったことがあったくらいです。
  そして現在まさにその6月の真っただ中であります。今また、従来とは違う症状が出て悩んでいます。退職前、ボロボロになりながらも夕食後「韓国ドラマ2本」を死守してきました。ベッドの上でテレビ観賞用の上体が起きる枕に身をゆだね、お酒を飲みながらドラマを見ます。そしてドラマを見終わって目をつぶると、あっという間に眠れてしまうのでした。
  
  それが今は、ちょっと状況が変わって来ました。仕事をしていないのですから、それほど肉体的疲労があるとは思えません。しかしそれにもかかわらず、夕食後お酒を飲むと、一気に脱力感が襲ってきます。350CCの缶ビール一本で、くたーっとなって、ドラマを見る気力さえなくなるのです。それでも頑張って一本でも見ようとするのですが、10分とか15分で挫折してしまいます。このところ、あきらめてさっさと眠ってしまうことが続いています。
  ではお酒を飲まなければ良いではないか、と言われそうですが、お酒を飲まないと何が起こるか。朝、目が覚めにくいのです。お酒を飲んで寝ると、体内でアルコールが切れた時点で目が覚めます。微妙に飲む量を調節して、3:30頃に目が覚めて、勉強が始められるようにしているのです。お酒を飲まないと覚醒作用が起きないので、5時ころまで眠れてしまいます。もっとも3:30にお酒の覚醒作用で起きるので、昼間に眠気が襲って仮眠してしまうことも事実ですが。

  いずれにしても、夜の課題:韓国ドラマ2本観賞 ができないと、私の韓国語制覇計画に大きな狂いが生じてきます。今の症状が「6月だから」で終わると良いのですが。
 

韓国語か中国語か、それが問題だ

2011-06-16 18:46:57 | Weblog
  このところ行き詰っています。いや、本当は行き詰っているのではなく、必要な学習時間がとれないことにいら立っているのです。一つの外国語をきちんと身につけようとすると、最低一日に4時間は学習に割く必要があります。
  
   私の韓国語の学習の場合、1h:韓国語ジャーナルの聞き取り  2h:韓国の某大学発行の学習書の中の会話部分の暗誦 3:韓国の新聞  4:韓国ドラマのシナリオ+DVD これ以外に別の連続ドラマをも見ます。まあ、合計5時間と言うところです。
   これに対して中国語の場合、 1h:東亜学園のテキスト音読と暗誦  2h:基本文型の音読と暗誦+文法
3:三国志劇画のセリフ解読?と辞書引き  3:ドラマを見ながら知らない表現をメモして辞書引き  
   *他に単語帳が韓国語用に1冊、中国語用に2冊あります。中国語ドラマからの単語は、一時間分で大学ノート10ページほどになります。教科書ではお目にかからない表現ばかりですが、ドラマを観賞することが一番手っ取り早いので、ドラマを理解できるようにするためには、やるしかありません。

   というわけで、私の場合韓国語の時間は死守できているものの、中国語の時間が足りません。家にいる時間が長いのだから簡単に時間など生み出せそうな気がするのですが、案外それが難しいのです。しかし、自分の目標が三国志演義を中国語で読むことと三国志のドラマを字幕なしで理解できることにある以上、現代語の会話ばかりに励んではいられないのです。
   そこで、「韓国語を捨てるべきか否か」という命題に突き当たります。ここまで身についてきた韓国語を捨てる?私は急に優柔不断になってしまいます。中国文化の長さと広さを思えば、ある意味で韓国語など捨ててしまえるような気もするのですが、どうしましょう・・・。
   
   ちなみに、韓国でハングルが普及したのは本当は日本によって統治されてからのことだそうです。それはそうです。それまで一般大衆は学校に通う余裕などなく、一方知識人はハングルなどには目もくれず、漢文の素養を深めることに命をかけていたのですから。ますます迷ってしまいますね。昨今の軽薄な韓国ブームにもちょっと嫌気がさしてきましたし・・・・。

アメリカ人と歴史

2011-06-15 15:15:08 | Weblog
  昔から私は、アメリカに留学したり、片言英語で外人と言葉を交わしたりした日本人が、日本の歴史の事を聞かれて答えられず恥ずかしい思いをした、と語ることが多いという事実に大変情けない思いをしていました。いや、日本史の知識がないことが情けないのではなく、たとえばアメリカ人に対して日本のことを聞かれて答えられなかったのは自分の知識が足りず、そのことでアメリカ人に対して恥ずかしいという意識を持っていることが情けなかったのです。その話を聞いたり読んだりするたびに、外国人が自国の歴史に対して他国民と比べて深い知識を持っているなんてことはあるものか、と思っていたからです。
  
  昨日のニューヨーク・タイムズによると、アメリカの児童・生徒の歴史の成績が大変悪く、小学校4年生に相当する児童の多くはリンカーンがなぜ偉人と言われるのかその理由を答えられないそうです。これは日本史で言うと、江戸に幕府を開いたのは誰か?くらいのレベルの問題だと思われますが、それに答えることができないのです。アメリカの歴史なんか、まだ250年もありはしないにも関わらず、このありさまです。
  
  そういう事情ですから、外国人の質問に答えられなくたって、恥ずかしい思いをする必要はないのです。私の思うには、日本人に自国の歴史について聞かれて答えられなかったからと言って自分を卑下する外国人など一人もいないと思います。こういうことで過度に謙虚に卑屈になるのは日本人の悪い癖です。

  ところで、アメリカの児童生徒が最も成績が良い科目は「経済」だそうです。どうやら歴史の倍の点数を取っている模様です。その話を読んで、かつて一緒に仕事をしたアメリカ人のことを思い出しました。私が今韓国語に興味を持って勉強しているというと、そのアメリカ人がすかさず言うには、「韓国語なんかやったって何にも実益がないじゃないか。」だそうです。さすが世界最大の資本主義国、人生で大切なものは、まず第一にマネーなのかもしれせん。

  そういえば、アメリカ人はいつまでたっても定期的に世界のどこかで戦争をしかけ続けていますね。これも歴史に学ぶことができない国民性のせいなのでしょうか。

日本版「イケメンですね」?

2011-06-13 16:18:11 | Weblog
いつもはまともなことを書いていないのかと言われそうですが、新聞記事を読んでちょっと感じたことがあったので。
  昔、エリザベス・テーラーとリチャード・バートンの「シーザーとクレオパトラ」という映画を見たことがあります。学生時代に国分寺の洋画三本立て専門の映画館で、大学の帰り道に見たのだと思います。ハリウッドlの全盛期に作られた、贅を尽くしたセットも見事な物でしたが、この映画を見た時、もうこれを超えるクレオパトラは演じることができないと確信しました。同時に、これを超えるシーザーも難しいだろうと。その後他のアカデミー俳優が演じたものも見ましたが、はるかに及ばないものでした。
  どこが違うのかと言えば、この二人が演じることによって、クレオパトラはこうだ、シーザーはこうだというイメージが完成してしまって、他のどんな名優が演じても、それはもうクレオパトラにもシーザーにも見えなかったのです。特にこの時のエリザベス・テーラーの存在感たるや、古今の女優の最高峰とも言えるものでした。
  
  60年間生きてきて思うのは、これは誰誰でなければだめだ!と人から言われるような人間になることが一番大切なのではないかと思うようになりました。それはそんなに大げさな物でなく、クラスや職場の中での位置のようなものでも良いのではないかと思います。私は私でなければだめだと言う位置にいたことは確かにありますが、他の人が嫌がるようなポジションばかりでしたので、自分としては損ばかりしてきたような気もしますが、トータルで考えれば、まあ皆さんがある意味で私の存在に期待してくれていたのだと思えばあきらめもつくというものです。いや、そう自分に言い聞かせてあきらめるしかありません。

  「シェーン」という映画がありました。名作と言われる西部劇ですが、主演のアラン・ラッドは他にこれといった傑作もなく、代表作と言えばこれくらいのものです。この映画を見ると、彼がいかに大根役者で、「シェーン」自体も、実は完全なB級映画だと言うことがわかります。(B級映画だと言うと叱られそうですが、私はこの映画を劇場で4回、テレビで1回見ました。しかし何回見てもB級映画だという印象は変わりませんでした。)しかし、この映画がなかったら、アラン・ラッドが映画史の片隅にその名を残せたかどうか怪しいものです。やはり、人は自分がスポットはまる場面に出くわせるかどうかが運命の分かれ道になるのだと思います。

  ところで、この度韓国ドラマ「イケメンですね」を日本でリメイクすることになったとか。このドラマを見て思ったのは、ヒロインのパク・ウネにとってこれが生涯最高のはまり役として後生に残る作品になったのではないかということでした。もちろんチャン・グンソクもなかなかのものでしたが。しかしこの「イケメンですね」を日本でリメイクするという発想に、日本のテレビ界の発想力のなさと安易さを感じて情けなくなりました。私の考えでは、パク・ウネが男装した時のかわいらしさを表現できる女優が今の日本にはいません。チャン・グンソクのあの作品での「濃さ」に匹敵することができる演技力を持った若手も見当たりません。どうやらAKBとジャニーズを動員して作り上げるようですが、日本はもっと日本らしく独自にオリジナリティーを追求してほしいものです。この役者でなければ表現できないという作品と役者を組み合わせて独創的なドラマを作ることができるプロデューサーは一人もいないのでしょうか。
  

長淵剛

2011-06-11 15:51:15 | Weblog
  長淵剛という歌手を見ていると、自己愛の塊のような気がして、これまであまり良い印象を持ったことがありませんでした。50過ぎてタンクトップ姿でボディビルで鍛え上げた筋肉を誇示して歌うこともあるまいと思っていました。
しかし、今回の震災後、ちょっとだけ彼を見直した点があります。
  
  その①・・・・被災者ではなくて現地で復興のために働いている自衛隊員を慰問したこと。10万人と言うのは大変な人数です。10万人の自衛隊員の食料を考えただけでも供給が困難であることは素人の私でも想像がつきます。一日の重労働を終えてテントに戻れば、食事は缶づめかレトルト食品に限られるに決まっています。
  ある日、KTSの職員室では、こんな言葉が語られていました。
  「地震のために予備役の自衛隊員まで招集がかかった。まるで赤紙と一緒だ。これじゃ戦争中と何ら変わらないじゃないか!」
  こうおっしゃった先生は、震災後の復興に向かう自衛隊員の皆さんがどれだけ使命感と誇りを持って困難に立ち向かってくれているか、まるで分ろうとはしていません。日本軍は悪→軍備は悪→自衛隊は悪→自衛隊が活動することは悪・・・ひどく図式的な思考の持ち主です。しかし、現実にはこういった考え方をする先生は結構多いのです。中には父親が自衛隊員だからと言って自クラスの児童を迫害したという先生までいたくらいです。そんな中、長淵剛は他の芸能人とは一線を画す行動にでました。被災者を直接慰問するのではなく、遺体収容や復興のために活動に励む自衛隊員を慰問の対象に選んだのです。

  彼が自衛隊員を慰問している場面はテレビでも短く放送されていましたが、彼が持参したのはギター一本のみ。その姿で台の上に立ち、力強い歌声を張り上げていました。その姿を見て、屈強な自衛隊員たちが涙を流していました。彼等は自分達がいかに必要とされているか、しかし現実には存在してないかのように扱われる日蔭の身であることを承知しています。その自分達の活動を認め、これを慰問するために現れた筋肉隆々の男、長淵剛。日本にはもう一人、大人の男性に圧倒的な人気を誇る男性歌手がいますが、今回何かしてくれたという報道はありません。長淵剛は自分が同性を力づける力を持っているという自覚のもと、それを生かすべく実行に移しました。もう一人の歌手は一体どこへ行ってしまったのか・・・。うまそうにビールを飲んで見せるしか能がないのか。まあ、長淵剛と比べるとストレートさに欠けるので、引っ込んでいてくれた方が良いのかもしれませんが、数年間納税額のランキングで歌手部門の第1位を続けていた稼ぎ頭だったので、寄付の額なり何なり、もう少し何らかの活動があって欲しかったと思いますね、彼には。

  その②・・・・ほとんどの芸能人が一過性の慰問(炊き出し・避難所での歌)に終わっているのに対し、長淵剛は、被災地に向けて週一回、一時間のラジオ番組を立ち上げました。番組では一方的に放送を流すのではなく、被災者から寄せられた数千通にのぼる反響から手紙を読み上げたり、リクエストされた歌を歌って聞かせたり、被災者たちとのやり取りに大きな労力を割いているとのこと。つらい時、人はその気持ちを誰かに話してしまうことである程度は救われることができます。以前曽野綾子という小説家が、東北の人たちはこの逆境でも微笑みを忘れない、などと書いて、このブログの中で私にこき下ろされましたが、長淵剛はそんな知識人的な絵空事をひょいと超えて、被災者が悲しみを吐き出す場を設けることによって、大きな癒しを与えることに成功しています。現在彼の個人番組は、北海道から沖縄まで、全国23のFM局で放送されているそうです。

  そんなわけで、今回私は長淵剛という歌手を大いに見直しました。こうなると、鍛え上げた肉体が単なるナルシズムの象徴ではなく、頼りがいの象徴に見えてくるから不思議ですね。

知ってましたか?新しい出入国審査

2011-06-10 17:04:57 | Weblog
 これを読んでくださっている皆さんは、私の推測では最低でも22歳になっているはずです。海外旅行も経験済みの人ばかりかもしれません。ところで、私のようなリタイア組を除けば、海外に出かけられる日程は限られていて、空港が込み合っている日ばかりなのではないかと思います。混雑する空港で、相当待たされることがあるのが出国・入国審査。今回の桂林ツアーに際し、私は新しい方法を試みることにしました。
  それはだいぶ以前から存在したもののようで、私も在日韓国人の教え子から教わったのですが、一般にはあまり知られていない手続きです。成田空港の場合、(多分他の空港も同じと思いますが、まだ日本全国で4つの空港でしか実施していないとのこと)一番右の列の更にもうひとつ右に行くと、機械で審査を扱うブースがあります。読み取り機(コピー機のようなもの)にパスポートを載せたら、二つのセンサーに両の人差し指を載せればOKです。現時点ではこの方法を取る人はほとんどいないので、並ぶ必要もなく通過できます。ただし、一度だけは申請して指紋を取らなければならないので、それが嫌な人は普通の審査を受ければよろしい。私は既に幾度となく白バイに指紋を取られているので、何の抵抗もありませんでした。ただし、出国と入国のスタンプは押されないので、スタンプを集めている人には向きません。念のため。

桂林へ行くその⑦

2011-06-05 13:54:08 | Weblog
私のブログは長いのが欠点でしょうかね。それでも携帯から呼んでいる人がいるのには感心させられます。

  桂林発21:50という便で上海へ。国内便だというのにこの時間の遅さは何?
飛行機の中では隣に座った、高校生くらいの娘さんを連れたちょび髭の中国人が、私に話しかけてきます。片言の日本語で話しかけてきたものの、すぐに限界が来て、英語に切り替えての会話となりました。すぐそばにはリニアモーターカーの中で親切に通訳をしてくれたおじいさんがいるのですが、この最しかたないか・ということで英語でやりとりをします。まだまだ結構話せます、私。

  再び上海に到着。ホテルに着いたのは午前1時過ぎというハードスケジュール。ここでホテルに入る寸前、46歳男性
がまた何か言っています。「飛行機に乗るたびにライターを取り上げられて、煙草が吸えない!」・・・ホテルから大通りをはさんだ向こう側に、スーパーがあります。煌々と(こうこうと)明りがともっています。そこで私が「あそこにスーパーがありますけど!」と教えてあげるたですが、例によって自分の言いたいことを言った瞬間、彼は脳の受容器にシャッターを下ろしてしまったようです。やはり人の話なんか聞いちゃいません。
  
  さて、このホテル、私がこれまでに宿泊したどのホテルにも増して近代的です。宿泊するには解説書が必要です。玄関を入ったところの壮大さはまあ困ることはないとして、部屋に入ろうとしたとたん、第一の関門が。カードキーなのに、カードを差し込むところがありません。考えた末、赤外線でも発していそうな黒々としたプラスチック部分にカードを押し当ててみます。見事開きました。
  中へ入ると、バスルームがまた豪華。バスタブとシャワー室とトイレは同じ部屋と言えば同じ部屋ですが、しっかり区切られています。バスタブには何やらまっすぐに突っ立っている棒状の物が長短合わせていくつもあります。お湯か水か、これは短いつまみですからすぐわかります。一つだけ今までに見たことのない四角い棒があります。ぽつぽつ穴が開いているので、さては・・・と思って引っ張ると、するすると伸びて下から長いホースが付いてきます。やはりバスタブには別途シャワーがついていたのです。翌朝聞いたら、女性陣はついにこの棒の謎が解けなかったそうです。超近代的なのもちょっと考えものですね。
  
しかし、旅慣れた皆さんをこれだけ困惑させた先端設備を誇るホテルなのに、テレビはサムソンの安い液晶テレビで、解像度が低く、画面がお世辞にもきれいとはいえません。画竜点睛を欠くとはこのことです。そして極めつけは・・・。きわめて遅い到着でもあり、缶ビールでもあおって一気に寝るか!と思って冷蔵庫に手をかけます。開きません。良く見ると、取っ手にメモが結び付けられています。「鍵はロックしてあって使用できません」
ですと。なぜ?

  明日は12:00上海発の便に乗るのみに日程です。ホテル出発は9時ということで、ゆっくり朝寝して下さいとの添乗員よりの指示。

  最終日は移動だけですから、これといって書くほどのこともありません。強いて言うなら、皆さん最後にお互いに挨拶を交わし、おそらくはないであろう再会を約してお別れしたのですが、初日に個人行動をとって添乗員をあわてさせた二人はここでもいつの間にか姿を消しておりました。まあ、帰国後のことですから心配はないのですが。

桂林に行くその⑤

2011-06-03 07:17:20 | Weblog
   今日はこの旅のハイライト、川下りの日です。日本では四万十川の川下りも経験しましたが、スケールが違います。水墨画の世界が延々60㎞も続き、何時間かかけて川をゆっくりと下ってゆくのです。もともとがサンゴ礁でできていたカルスト台地が豊富な雨量によって浸食されてできた地形です。河口から500㎞も離れているのに標高は170mしかありません。川はあくまでゆったりと流れていきます。なぜか川の右岸にばかり山との間に平地があり、農繁期の牛が放牧されていて、のんびりと草を食んでいます。何百年間変わらない風景なのだと思われます。河岸には家も建っていないことはないのですが、水辺にほど近いところには延々竹が植えられ、住宅が景色を害することがないようになっています。いや、本来は土手が崩れないように、しっかり根を張る竹を植えているのだそうです。

   ところで、川には、その風景にふさわしい船がたくさん浮かんでいました。太い竹を8本横に並べただけの筏(いかだ)です。これを竹竿で操っていきます。竹竿で操れるということは、川底が相当浅いということです。国内からの観光客の中には、大きな船に乗らずに、こうした手こぎの船で川下りを楽しんでいる人たちもたくさんいました。私も次回は是非この竹の筏で川下りをしてみたいと思います。
    
   私たちが乗った船は、外国人専用(ただし高い特別料金を払えば中国人でも乗船可)の、高級な船です。少なくとも外人料金で、相当割高になっているはずです。かなり大きな2階建ての遊覧船が、20隻ではきかないと思います、一直線に船団を組んでゆったりと流れる大河を下っていく姿は、両岸の景色と相まって、壮観としか形容のしようがありません。一口でいえば水墨画の世界が、刻一刻と少しずつ姿を変えながら通り過ぎていきます。イメージがわきにくい人は、サントリー・ウーロン茶のCM画面を思い出していただければ、それがまさにこの川下りで通過する一場面です。
   数時間にわたる川下りなので、途中で昼食が出ます。前方の船を見ていると、船尾から時々炎が上がります。船尾の甲板に厨房があって、そこで大きな鍋をふるって炒めものをしているのです。その光景を眺めながら、皆さん昼食を楽しみに待っていました。

   いよいよ昼食の時間。私たちも船室に招き入れられます。隣のテーブルには中国人のファミリーが座っており、まずはその席から次々と昼食が運ばれてきます。唐揚げから始まり、相当に豪華な中華料理です。私たちはこの豪華な景色にふさわしい豪華な昼食に、期待に胸が膨らみます。とりあえずビールが二人に一瓶ずつ届けられます。46歳男性、すかさず一人一本じゃないのかと不平を述べます。しかし、そんなことで不満を持っているようではまだまだ甘かったのです。私たちのテーブルに次々と届けられたものは・・・きゅうりの炒めもの・冬瓜の炒めもの・・etc.etc.・・・。46歳男性、大いに不満顔でした。私でもちょっとこれは・・・と思うくらい、徹底してベジタブルでローカロリーな食材ばかりでした。原価的にもきゅうりに冬瓜ではたかが知れています。後で聞いたところでは、隣の席の中国人のファミリーは、会社の経費で落とした特別料理だったのだそうです、はい。     46歳男性、どうにも我慢が出来ず、上陸するなりガイドさんに「マクドナルドはないですk?!!」と聞いて、さっさと一人だけマクドナルドへ行ってしまいました。

   団体旅行のもうひとつの楽しみ方は、人間観察です。この46歳男性、大いに私を楽しませてくれました。空港で勝手に先に出て行ってしまったことからもわかるように、とにかく人の話なんか聞いちゃいないのです。船に乗る前に船上の諸注意があり、その中に船室内にミネラルウオーターのタンクがあるので自由に飲んでくださいとの連絡があったのですが、46歳男性、途中でのどが渇いたらしく、(33度、快晴!)水が欲しくなった様子。周りの人に、「船の中でミネラルウオーター売ってますか?」と聞いています。私はすかさず、「あのタンクの水が無料で飲めますよ!」とタンクを指さして教えてあげたのですが、彼はミネラルウオーターを「売っているか・売っていないか」のいずれかの回答しか耳に入らないのでした。しばらくたっても、水が飲めないと文句を言い続けていました。

   46歳男性、どうやら他者との共存がなかなか難しい性格であるようです。丸いターンテーブルでの中華料理の食事、自分の分を小皿に取ると、大皿から取り分けるためのスプーンを大皿にポンと戻します。けしてそっと縁に置いたりはしません。私は持ち手まで油でぎたぎたになってしまったスプーンを、嫌味でなく紙ナプキンで拭いてから自分の分を取り分けたのですが、彼は次の皿も次の皿も、私の動向にはお構いなく、スプーンを放り込み続けました。それにしても何が気に入らないのか、しきりに溜息をつくことを繰り返し、時にミネラルウオーターのボトルをいきなりダン!と乱暴にテーブルに叩きつけるように置いたりします。私はこの男性を眺めながら、しみじみ思ったのでした。あいつとそっくりじゃないか・・・・。そう、あいつとです。

桂林へ行く④

2011-06-02 12:49:30 | Weblog

  旅行中はそれぞれの性格が垣間見られます。二度にわたり添乗員を無視して勝手に空港外に出てしまった中年の男性、なかなか個性があります。私がぽつんと一人になってしまった添乗員に話しかけていると、横から割り込んできて、添乗員(女性・30代半ば。明らかに独身か)を独占しようとします。それまで話をしていた私など眼中にないようです。私は別に添乗員に差し迫った用があるわけではないのでその場を離れます。この男性、逆五角形の顔に黒ぶちの眼鏡・しっかりと出っ張ったお腹・ワイシャツを素肌に着込み、ベルトのすぐ上のボタンはお腹の肉に弾き飛ばされて外れっぱなしです。ただいま結活中だとか。母親からはやせなきゃ無理だと言われているそうですが・・・。問題は他にありそうな気がしました。

  この日は象鼻山・七星動物園・七星公園というのが見学のメイン。象鼻山は川の中に突き出した大きな岩で、巨大な象が水を飲んでいる姿に見えることからその名がついたのだそうです。しかし私にはまったくそういう風には見えませんでした。まあ、日本でも○○岩というのが全国に無数にありますから、それのスケールの大きい奴だと思えば良いでしょう。
  七星動物園・・・上野動物園のようなものを想像してはいけません。広々とした園内を歩いて、目にしたのはクジャクと小さな猿とレッサーパンダとジャイアントパンダのみ。まるで森林浴に来たかのような気分にさせられます。
  意外だったのは、クジャクが恐ろしく大きな声で鳴くこと。私はこの年になるまでクジャクが鳴くということを知りませんでした。また、日本の動物園にいるものよりも性格が荒々しいのか、オスのきれいな尾羽が軒並み折れていました。
  レッサーパンダは私たちがいた時間には姿を見せません。良く見たら檻の戸がしまったままです。どういうことなのでしょう。
  最大の見ものはジャイアントパンダです。上野動物園のような屋内ではなく、屋外に丸太を組んだ櫓があって、その上に寝そべったパンダが、私たちの存在など眼中にかいといった風情で、ひたすら笹を食べています。しかしこのパンダも四川省からの借り物だとか。それでも地元の人には珍しくもなんともないらしく、この時間帯観客は私たち一行だけでした。このパンダ、携帯ムービーも撮影したのですが、面倒なのでこのブログに乗せる作業は断念しました。

  七星公園はまあ、どうということはありませんが、地元の少数民族の衣裳を着た女の子(高校生くらいか)が観光客と一緒に写真に写ってくれます。一人につき20元ということですが、これをうっかりOKしようものなら、撮影の瞬間5人も6人も女の子が集合して、結局高いものについてしまうのだそうです。最初に書いた46歳の男性、女の子と写真をとるかと思ったら、クジャクと一緒にとっていました。もちろん有料です。
  お昼を食べたら観光旅行につきものの、お土産屋さんへ・・・ではなく、なぜか今回は健康マットレスと健康枕の製造販売所へ。天然ゴムを発泡させて作ったマットと枕が売り物です。石油系の製品ではないので、へたることもなく20年は使えるそうです。私の場合なら死ぬまで使えるな、と思いましたし、体の曲線になじむ材質が私の腰痛を和らげてくれると思いましたが、17万円という値段にちょっと二の足。いや、腰痛が防げるのなら整体にかかる費用が浮くので、プラスマイナスがちょっとプラスに傾くのではないかと思いましたが、はるか異郷の地に17万円を置いて来るのが心配で、買うという勇気が出ませんでした。説明してくれた人によると欧米の一流ホテルで大量に採用されている品物だというのですが・・・・。この品物、一人でも買ったら、現地ガイドへのキックバックは相当な金額になることでしょう。単価が安い土産物屋で数をこなすより、確率的には低くても、一発当てた方がガイドとしても儲かるのだろうと思いました。

  夜は桂林運河ナイトクルーズが組まれていました。市内の運河には世界各国の有名な橋を模した橋がかけられており、夜になるとライトアップされて、それはそれは幻想的に美しいのだそうです。しかし、何も桂林まで来て人工的な物を見るまでもありますまい。私は夜のオプショナルツアーはパスして、部屋でおとなしく韓国ドラマを見ておりました。ここでも一応韓国国営放送が入るのです。韓国人観光客もかなり見かけました。
  

スーパークールビズ

2011-06-01 18:16:52 | Weblog
  スーパークールビズという呼称自体滑稽な気がしますが、それ以前にお役所のずれた感覚にあきれました。節電のためエアコンの設定温度を28度にする、それは良いでしょう。スーツを着なくても良いことにする、それも良いでしょう。しかし、だからといってどうしてアロハシャツを着ることまで認めなければいけないのか、私は大いに疑問です。アロハシャツと言えば、ハワイに移民した日本人が着物をばらしてシャツに縫いあげたのが起源であるという話です。当然派手な物は派手ですし、アロハシャツというもの自体ハワイと言う開放的な風土に合わせて派手な色と柄になっていると思います。
  別にアロハシャツを認めなくても、普通の半袖ワイシャツにノーネクタイで良いのではないでしょうか?どうして一気にアロハシャツにまでぶっ飛んでしまうのか、そこのお役人の感性のなさを感じてしまいます。ほどほどということがわからない人たちなのでしょうか。
  そういえば、都立高校にもスーパーなんとかハイスクールと銘打った学校が出来たり、あげくの果てにはスーパーティーチャーなどという称号が用意されたりしたことがありました。なんにでもスーパーをつければよろしいかのようなセンスと、一気にアロハシャツまで行ってしまう感性とは、センスのなさという意味ではどこか似通っているような気がします。今年の夏は半袖ワイシャツを認める!で十分だと思います。妙な名前をつけられると、本気で仕事をする気があるのかどうかさえ疑ってしまいますね。

桂林に行くその③

2011-06-01 13:02:51 | Weblog
  今回の旅行には小さなトラブルが続きます。二日目の朝、まだまだ寝たいが起きなければ!と気合を入れ起床・浴槽にお湯をためようとすると、浴槽の栓が閉まりません。プッシュと書いてあるのでプッシュしますが、隙間が空いたまま。ホテル側にクレームをつけている時間がもったいないのでそのままシャワーだけ浴び、とりあえず身だしなみを整えようと剃刀を手にすると・・・替え刃が本体に固定できません。何度も挑戦してみた結果、替え刃をひっかけて固定するフック部分が欠け落ちて無くなっていました。前回使用したのは今年の2月、沖縄修学旅行でのこと。この時は大丈夫だったのですが・・・。しかたないのでいつもなら仕上げだけに使用する電気カミソリで済ませます。しかし気分的にすっきりしませんし、本当の剃刀ほどきれいに仕上がりません。しかし、ままよ、最悪あと3日の辛抱です。
 
  シャワーを浴びて髭をそり、本日の課題となるカードを暗誦します。東亜学院テキストのレッスン3の本文を縮小コピーしたもの。一つの外国語を制覇するにはこれくらいの努力をするのは当たり前のことです。とりあえず本日の課題を済ませてレストランへ。バイキング形式ですが、私は驚くほど食事の量が少なめです。たぶんその場にいた誰よりも少なかったのではないかと思います。食後は出発まで2時間ほど間があります。なかなかゆったりしたツアーなのです。いったんホテルの外へ出てみることにします。

  ホテルの前の道路を渡ると、そこはリコウという川です。「こう」は「江」ですが、「り」は日本語の漢字にはないようです。この川を下っていくと香港に出るはずです。香港から内陸へ500㎞ほど入った場所ですが、川幅はゆったり広く、荒川の河口付近くらいあります。水は本来透明だそうですが、今日は雨の後だからということで、緑色をしています。
ホテルを出て左の方へ行くと、おばさん達が社交ダンス(早朝から)をやっていたりおじさんたちが太極拳をやっていたりしますが、もう見慣れてしまったので食指を動かすことなく、川そのものを眺めることにしました。すると・・・・。

  広い川面の中ほどを、ゆったりと泳いでいる人影が見えます。一人二人ではなく、かなり大勢の人が泳いでいるようです。断っておきますが、平日の朝、7時を過ぎたばかりです。岸辺から入っていく人を見ていたら、どこまでも腰ほどの深さで、幅の割には大変浅いということがわかりました。もっとも、石灰岩質の川底(桂林全体が大昔サンゴ礁の海底だったところです。)には至るところに深い淵があって、毎年40名ほど溺死者(おおむね他所者)が出るそうです。対岸には木が切られてあたかも砂浜に見える平坦な川岸があります。そこは夏になると大勢人があつまって、あたかも海水浴場のような賑わいを見せるそうです。

  ホテルに戻るには再び広めの道路を横断する必要があります。信号はありません。かつ中国では人より車優先です。要領よく横断しないと死にます。ところで、さりげなく見渡すと、中国と言えば自転車!というあの自転車がほとんど見かけられません。その代わりほとんどの人がバイクに乗っています。しかし、良く見ると、同じようにバイクに乗っているのに、ヘルメット着用の人と、ノーヘルの人がいます。いや、ノーヘルの人の方が多そうです。ノーヘルの人のバイクにはナンバープレートすらついていません。

  実は、エンジン付きのバイクは免許が必要で、ナンバーも登録しなければならず、ヘルメット着用も義務付けられているそうです。つまりノーヘルのバイクにはエンジンがついていない!なんと桂林の街を走っているバイクの多くが電動バイクだったのでした。日本のように自転車っぽいものはほとんどなく、見た目にはガソリンエンジンのバイクと何ら変わりありません。彼らはこの電動バイクで通勤し、会社で充電することによって経費を節約しているのだそうです。