コタロウとママのつれづれ日記

パピヨンコタロウとママの日々のあれこれ
そしてコタロウが命いっぱい生きた記録です。

犬と暮らすということ

2015-10-28 | 日記
このところ、ブログを読ませていただいたところの
パピちゃんが相次いて虹の橋を渡りました。

寿命を考えると、ワンちゃんの方が先にゆくことは
頭では理解しているつもり。
そして、彼らを一人にすることなく最後まで一緒に暮らし、
ちゃんと見送ってあげることが犬と暮らす者にとって大切なことだと思っています。


以前、末期がんの方が飼い猫の里親を探している記事を読んだことがありました。

本当ならば、つらく心細い時に大好きな猫と一緒にいたいことでしょう。
でも、自分がいなくなったあとの猫のことを想って
自分が動けるうちに里親を探し顔合わせをし、
新しい飼い主さんに猫を託したそうです。

どんなにつらい決断だったことか。
大好きな猫がいなくなった家はぽっかりと穴が開いたようだったでしょう。

想像もできないほど強い気持ちで自分の心細さを封じ込め、大切な猫を託せる人を探す。
もしも私に同じことが起きた時、果たして私は同様の行動をとれるか。
今の私には自信がありません。
でも、そうならなくては、と思っています。


そして、コタロウが最期の時には必ずそばにいて抱いて
怖くないように、大丈夫よと撫でて
うちに来てくれたこと、ずっとそばにいてくれたこと
どんなに幸せだったか、ありがとうの気持ちをありったけ伝えようと思います。


でも、その前にコタロウが長生きできるよう思い切りジタバタします。

そして、その時はまだまだまだ当分先です。


それでいいですよね、神様。


コタロウと暮らすようになってから
私はだいぶ涙もろくなりました。
年のせいもあるけど、
コタロウのちょっとした体調に一喜一憂したり
コタロウの愛らしさに幸せな涙がじんわり。
コタロウのしぐさに笑い涙が止まらないことも。
朝、コタロウが膝にすがりつくのを振り切って
出勤する時も涙ぐむことがあります。
そして動物の番組を見ているとだいたい泣きます(笑)
するとコタロウが飛んできて私の膝に手をおいて
どうしたの?というように覗き込むのです。
そんなにママのことを気にかけていたら
君の寿命がちぢまっちゃうわよ。

でも、涙よりもたくさんの笑顔を
コタロウは私にくれるのです。
ちょっとイタズラをして
振り返った時の、見た?見てた?って言いたそうないたずらっ子の顔。
おやつおやつ~♪
とクルクル回って大喜びする君。
ご飯を完食して、じっと視線を送っておかわりをねだるところ。
掃除機かけをすると、そばをチョロチョロして
隙あらば膝に飛びついて掃除の中断をさせる君。

ママはボクのことが大好きなんだと見抜いてるコタロウ。
そう、そのとおりよ。
だから、コタロウを見るときの私はいつも笑顔です。


神様。
どうか私に強い心を。
どんな困難にあってもうろたえず
コタロウが頼れるたのもしいママでいられますように。

犬と暮らすということ。
その生活はたくさんの、本当にたくさんの幸せを運んでくる。
そしてそのぶん、別れは体がちぎられるほどの苦しさをともなうのでしょう。
でも、私はコタロウと一緒に暮らすことを選んだのは
人生で一番の、大正解の選択だったと思っています。





今日はちょびちゃんの冥福を祈って過ごします。
ちょびころさん、がんばりましたね。
ちょびちゃん、本当によくがんばったわね。


--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする