■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森166号

2008-06-03 | 101号~200号
       ■こならの森166号■2002.2発行
表紙 「 春日森天満宮の梅」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森3月号■

■166号→


結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
特集「一番近い千葉県」 ………………6
JCのコーナー…………………………16
新釈・現代国語辞典……………………18
風の独り言………………………………19
やぶいしゃのひとりごと………………20
書評/絵本紹介…………………………21
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
各市文化会館情報………………………24
INFORMATIONその他の情報…………26
協賛店マップ……………………………28
こならの森から…………………………30

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【本文抜粋記事】
一番近い千葉県へ?

■一番近い千葉

 佐野市から古河市に向かうと一度に関東の過半数の県を走破することができる。これは知られていることではあるが、(もちろん知っている方も多いかとは思うが………)こならの森ではそれだけではすまない。もう少し付け加えるだけで、千葉県まで(ゲット)、走破できるのだ。
 地図で見ると、千葉県の一部は栃木や茨城、埼玉に突き刺すように、また入り込むようになっている。知ってはいたが、こんなにも(あのディズニーランドのある)千葉が近いとは………
 その一番近い千葉にあたる町が関宿町だ。

■田中正造と
 関宿町の関係

 どことなく町の印象も昭和30年代を彷彿させるような感じがする。時間がずれ込んだような印象だ。振興の都市ではないのかもしれない。どことなく懐かしい。関東平野の水運で栄えた一時代の前の町並み。そして水運のなかで育ち、発展した地方都市の成熟と衰退を体験できると思う。
 さらに、ここ関宿町は、私たちの街と全く関係がないわけではない。田中正造の足尾鉱毒事件の影響もある場所である。鉱毒が江戸に流れ込まないように利根川の流れを変えた地点である。
 「雨は水となり山よりながれ出て、里より海に行くものなり、もし途中低きところあれは、溜りて、充ちてはまた海に行くなり。いま渡良瀬川を見る。途中低きところなく、流水早く海に行かんとす。これを途中に喰い止めたるを関宿の妨害工事という」。(「流水」と題する明治四十二年の日記より)
 ――関宿の流水妨害工事は、鉱毒水が東京に流入して、東京市民の問題となるのをふせぐため、江戸川への川口を極度にせばめ、さらに川底にも流水を防げる工事をした。更に利根川から渡良瀬川への逆流口をひろげた。関宿を開放すれは遊水池は必要がなくなるというのが正造の治水論の要であった。
 田中正造は、河川踏査と河川沿革の歴史的研究を通じて、各河川いたるところに、水理に反する施策のあとを発見した。政治がもちこんだ歪みである。そのもっとも顕著なものとして、封建体制下で徳川幕府が軍事上、および関東開発の内政的要請に導かれて、大土木事業をおこして、数個の河川を合せて板東太郎とよばれる大利根川をつくった事例がある。明治国家においても産業偏頗の政策が、治水にもちこんだ歪みがある。関宿その他の流水彷害工事が、その一事例で、鉱毒のためにせる治水といってよい。この種の歪みを取りのぞいて、河川の、ひいては天地の本来の心算にもどすことが田中正造の治水原則であった。――
 (以上、田中正造の生涯 林 竹二著より転載) 

 詳しい地図を見ていただければ分かると思うが、幾分地形的に無理があり、大雨があるとどうしても旧江戸川方面に水が流れ込むという。

(略)

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