■こならの森193号■2004.5発行
表紙 「暖簾のまち佐野 」
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森6月号■
結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
特集 「暖簾のまち佐野 」…………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
[映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
イベント情報/協賛店マップ
■■■■■■■■■■■■■■■
【本文抜粋記事】
■今も昔も魅せられる………
「家紋のまち佐野」
家紋と聞くと、知ってはいても日常的に印鑑のような使い方をしないので、なじみが薄いような気もします。著者自身もお彼岸の墓参りで自分の家の家紋をしりました。抱き茗荷(みょうが)というもの。
表札とは別に家の前に掲げている家もたまに見かけます。
失われていく日本の伝統文化は多いもの。家紋もその一つと思いきや、佐野で再認識され、さらに独自な工夫もされています。「家紋のまち佐野」としアピールしているのもその一つ。お店の形態によっては、家紋の入っている日よけ暖簾がいいアクセントになっています。またモダンなビルでも不思議とマッチしてしまうから面白いものです。そして意外なところで発見できたりすると楽しいもの。そんな思いで、マップを手にタウンウオッチングや散策をしてみるのもいいものです。
家紋あるいは紋章は、世界的に見ても特権階級のだけのものということ。そして一般の人が自由に家紋を付けられるようになったのは、近代に入ってからのことのようです。ジャポニズムブームがおこり日本の文化が西洋に知らされたとき西洋人が一番驚いたのは、どんな田舎の家に行っても床の間があり、掛け軸が下がっている。それも一本だけではなく何本かあり季節ごとに掛け替えているという日常生活だったそうです。同時代の西洋でいうと、壁に絵画を飾ったり、フランス人形などをコレクションするといったことでしょうか。その時代の西洋の人々の生活を詳しく知っているわけではありませんが、一般的な人までそうだったとはとても思えません。ナイフやフォークといった食器も貴族など一部の人が使っていたもので一般にまで普及するのは後になってからです。
著者の家も裕福ではないのに、掛け軸はもとよりお雛様や鯉のぼりがありました。お雛様や鯉のぼりなどは子どもが成長すると親戚などに譲っていたので、自分の家で買ったものではないのかも知れません。世代が変わりまた子供が産まれると親類から戻ってきたりして、代々使われて来たものでしょう。
家紋同様日本の凄いところは、一般の人々がという点です。もちろん特権階級の掛け軸は、国宝級であったりするわけで比較にはなりませんが、日本人すべてが階級を越えて文化的生活をおくっていた。
ここで大事なのは、花を愛でるという心です。ものをたくさん持って喜ぶのではなく野の花をみて悦びを感じるという精神なのです。近代化と共に日本人はそれを無くしてしまった。逆に先に近代化をはたした西洋は、かっての日本の文化的な生活を吸収して近代的な豊かさと精神的な豊かさを両立させた。そんなことを家紋は考えさせてくれます。
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表紙 「暖簾のまち佐野 」
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森6月号■
結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
特集 「暖簾のまち佐野 」…………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
[映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
イベント情報/協賛店マップ
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【本文抜粋記事】
■今も昔も魅せられる………
「家紋のまち佐野」
家紋と聞くと、知ってはいても日常的に印鑑のような使い方をしないので、なじみが薄いような気もします。著者自身もお彼岸の墓参りで自分の家の家紋をしりました。抱き茗荷(みょうが)というもの。
表札とは別に家の前に掲げている家もたまに見かけます。
失われていく日本の伝統文化は多いもの。家紋もその一つと思いきや、佐野で再認識され、さらに独自な工夫もされています。「家紋のまち佐野」としアピールしているのもその一つ。お店の形態によっては、家紋の入っている日よけ暖簾がいいアクセントになっています。またモダンなビルでも不思議とマッチしてしまうから面白いものです。そして意外なところで発見できたりすると楽しいもの。そんな思いで、マップを手にタウンウオッチングや散策をしてみるのもいいものです。
家紋あるいは紋章は、世界的に見ても特権階級のだけのものということ。そして一般の人が自由に家紋を付けられるようになったのは、近代に入ってからのことのようです。ジャポニズムブームがおこり日本の文化が西洋に知らされたとき西洋人が一番驚いたのは、どんな田舎の家に行っても床の間があり、掛け軸が下がっている。それも一本だけではなく何本かあり季節ごとに掛け替えているという日常生活だったそうです。同時代の西洋でいうと、壁に絵画を飾ったり、フランス人形などをコレクションするといったことでしょうか。その時代の西洋の人々の生活を詳しく知っているわけではありませんが、一般的な人までそうだったとはとても思えません。ナイフやフォークといった食器も貴族など一部の人が使っていたもので一般にまで普及するのは後になってからです。
著者の家も裕福ではないのに、掛け軸はもとよりお雛様や鯉のぼりがありました。お雛様や鯉のぼりなどは子どもが成長すると親戚などに譲っていたので、自分の家で買ったものではないのかも知れません。世代が変わりまた子供が産まれると親類から戻ってきたりして、代々使われて来たものでしょう。
家紋同様日本の凄いところは、一般の人々がという点です。もちろん特権階級の掛け軸は、国宝級であったりするわけで比較にはなりませんが、日本人すべてが階級を越えて文化的生活をおくっていた。
ここで大事なのは、花を愛でるという心です。ものをたくさん持って喜ぶのではなく野の花をみて悦びを感じるという精神なのです。近代化と共に日本人はそれを無くしてしまった。逆に先に近代化をはたした西洋は、かっての日本の文化的な生活を吸収して近代的な豊かさと精神的な豊かさを両立させた。そんなことを家紋は考えさせてくれます。
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