どうも、こんにちは。
後白河上皇が熊野信仰の世界を再現しようとした京都の古社・新熊野(いまくまの)神社。 その境内に、後白河上皇自身がその手で植えてから800年以上の時を生きる巨大なご神木「樟大権現(くすのきだいごんげん)」。
今回は、その巨大なご神木「樟大権現(くすのきだいごんげん)」を紹介します。
(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)
元々は京のこの地に熊野の新宮・別宮として創建されたのが。
後白河ワールドのこの地に熊野信仰の世界を再現しようとして創られたのが、この古社、新熊野(いまくまの)神社でした。
当時は神仏習合の熊野信仰が盛んでしたが、自動車や鉄道などの近代的な交通手段も無い時代、遠く紀州・熊野の地まで参詣することは大変なことであり、そう頻繁に行けるわけではありません。
そこで京のこの地に、オリジナルの熊野の代わりに参詣する場所として、熊野の新宮・別宮として創建されたのが。後白河ワールドのこの地に熊野信仰の世界を再現しようとして創られたのが、この古社、新熊野(いまくまの)神社でした。
境内の一画にご神木の樟(くすのき)を拝める場所と、そこへと通じる入り口が見えます。
昔は樟への道は非公開で、何か特別なイベントでもない限りはご神木の真下へは行けなかったのですが。
現在では真下まで近づいて拝むことができます。
このご神木は、この古社が創建された時、紀州熊野より運ばれ、後白羽法皇自らの手植えと伝えられており、樹齢は900年と推定されています。
この巨木は「影向の大樟(ようごうのおおくすのき)」とも呼ばれています。
影向とは神仏が現われるという意味です。
「樟龍弁財天(しょうりゅうべんざいてん)」。
神としての姿は「樟大権現」。
仏としての姿、本地仏(御正体、みしょうたい)が「樟龍弁財天」。
このご神木にも適用されている、仏としての姿があると考えられています。
「日本の神様は仏様の仮の姿である」という本地垂迹(ほんちすいじゃく)説が徹底されているとは。
このご神木の周囲を回ることも出来ます。
まずは真下から眺めてみます。
この御神木の周りを見てみます。
うーん。
私の拙い写真技術では、この御神木の大きさを伝えきれないのが残念です。
後白河法皇の時代から800年以上の時を生きているにもかかわらず、今なお成長し続けている生命力を持っていることから、「健康長寿」や「病魔退散」などのご利益があると信じられています。
特に「お腹の神様」として信仰されているそうですが、これは後白河法皇が下痢などに悩んだからだそうです。因みに私も、中学校くらいの頃まではよく腹下りに悩まされたことから、後白河法皇にも妙な親近感が・・・あっ、すみません。これは個人的な話でした。
さらに回って一周しました。
過去記事でも触れましたが。
古来より日本人は、岩や巨木を神様として崇めてきました。
短命な人間からすれば、自分の祖父母よりも、それよりも遙かに昔から存在する岩石や巨木は、それだけで「人智の及ばないもの」であり神様そのもの、崇拝の対象であったのです。
ましてや800年以上生き続けてきた老大木となれば。
6世紀以降、神仏習合という日本独自の信仰形態が確立された後も、巨木崇拝はこうして引き継がれてきたのですね。
外に出ても、社務所よりも大きな威容が。
これから先、何十年も、何百年もこの木は生き続けるのかな・・・。
今回はここまで。
また次回。
※ところで2023年の目標で、「新規スポットの記事を最低でも20以上、出来れば30以上書く」としましたが、前々回と前回、そして今回で4カ所目。
目標まであと16本(16カ所)です。
*新熊野神社へのアクセスはこちら。
*新熊野神社のHP
http://www.imakumanojinja.or.jp/
*『京都妖怪探訪』シリーズ