京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(157):清水寺の紅葉2011年(後編)





 前編に続いて、京都で有名な観光地にして霊場でもある清水寺の紅葉に染まった光景をお届けします。
 ……とは言っても、紅葉の時期はとっくに過ぎて、もう既に年末に入っているのですがね(笑)。
 なお今回は、あの清水舞台を見て、舞台の下を通ったということもあって、「清水の舞台から飛び降りる」という有名な諺の由来の話も……。
 最近ほとんど紅葉の話ばっかりしているような感じになっていますが、『京都妖怪探訪』というタイトルをつけていますので、この辺で少しくらいは霊や妖怪などの話もしなければ(笑)。


 本堂と地主神社の場所を過ぎて、奥の院へと向かいます。
 














 奥の院から見た、有名な清水の舞台です。
 「清水寺」といえば、やはりこのこういう舞台の光景を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?















 ところで「清水の舞台から飛び降りる」という言葉があります。
 昔から「清水の舞台から飛び降りると願いが叶う」という信仰(?)が広まり、多くの人が舞台から飛び降りたとか。
 清水寺の代々の寺務長は日記をつけていたそうです。現存する分の日記によれば、1694(元禄7)年から明治政府が「飛び降り禁止令」を出した1872(明治5)年までの148年間に、234人の人が飛び降り、235件の飛び降り事件が記録されています(注:一人だけ2回も飛び降りた人が居たそうで、そのため234人、235件となっているそうです)。
 そのうち生きていた人は200人、およそ85%の人が生還しています。逆に言えば、およそ15%の人が死亡しているのです。
 これだけでも霊や妖怪などの話が出てもおかしくない歴史や環境にあるのですが……。
 
 実はもうひとつ、「清水の舞台から飛び降りる」という諺の由来についての説もあるのですが、その話についてはまた後ほど。



 ところで奥の院の建物自体は、この時改修工事中だったようです。






 シリーズ第26回『清水寺の不思議スポットいろいろ・その3』でもとりあげました「夜叉神堂」です。
 有名な妖怪研究家・小松和彦氏(国際日本文化研究センター教授・副所長)によれば、この夜叉神堂は実は「縁切夜叉」という恐ろしい呪詛神かもしれないという話ですが……。
 以前訪れた時にその姿を見たら、「憤怒の形相をした鬼神の坐像」でした。
 今回は改修工事のため「縁切夜叉」(?)の姿を拝むことができずに残念です。


 奥の院から清水舞台の下へ、紅葉の谷を歩きます。



























 清水の舞台の真下にまで来ました。






 先述した「清水の舞台から飛び降りる」という諺の由来についてですが、もうひとつの説もあります。
 実は清水の舞台とは、死体を谷へ遺棄するために使われていた時期もあったそうなのです。つまり「清水の舞台から飛び降りる」とは、イコール「死ぬ」ことでもあったのですね。
 清水寺のある鳥辺野周辺は、京都に古くからある葬送の地でもあったのです。
 死者は、松原橋(シリーズ第32回)から、西福寺(第31回及び第53回)、六波羅蜜寺(第54回)の辺り、そして六道珍皇寺(第29回第30回第52回)を経て、鳥辺野へ。ここ清水寺周辺に運ばれてくるのです。
 また長い歴史の中では、飢饉や疫病、災害や戦乱などが何度も起こって大量の死体がここへ運ばれてきており、舞台下の谷底には投棄された死体であふれかえっていたという時期もあったそうです。
 清水寺自体も、他宗教や他宗派との抗争の際に多くの僧侶が犠牲になったという歴史もあります。

 このような多くの人々の死にまつわる歴史があるため、いろいろな霊や妖怪などの伝説も伝わる巨大な魔所、心霊スポットとしても有名な場所になってしまったのですね。


 さらに10世紀末頃には、高僧たち自身が鳥辺野で自らの身体に火を付けて往生を願うという儀式も行われたとも、伝えられています。
 そのため、「火前坊(かぜんぼう)」という妖怪の伝説も生まれました。
 往生を願って焼身自殺を遂げたはずの高僧たちの中に、この世に未練が残っているなどして往生できなかった者が居て、そうした僧の霊が怪火や火だるまの姿になってこの世を彷徨い続けるというものです。


 そのような無数の死にまつわる歴史や伝説などが残るウルトラ級の心霊スポット、妖怪スポットでもある清水寺と舞台下の谷。
 紅葉で彩られたその霊場魔所を、さらに歩きます。





 本当に美しい紅葉で彩られ、多くの参拝者や観光客で賑わっている清水寺境内と舞台下の谷。
 でも、無数の人々の死にまつわる暗い歴史や、心霊スポットや妖怪伝説などの地としてのこの地の裏の顔なども知っている方って、この中にどれだけ居られるのだろうか。
 つい、そんな余計なことも考えてしまうのです。


 そして、清水寺の来るたびに私が忘れずに立ち寄る場所のひとつが、ここ。
 アテルイ・モレの碑です。






 シリーズ第19回でもとりあげましたが、鬼として時の朝廷権力によって葬られた「まつろわぬ民」の英雄を祀るための碑。
 そんな悲しき英雄を鎮魂するための碑も、美しい紅葉で覆われていました。



 ここ清水寺は、春には桜が、秋には紅葉が美しい場所でもあります。
 が、この霊場魔所に葬られた多くの人々の歴史や伝説を知ると、この桜や紅葉が、井までもこの地に眠る死者たちに手向けられたものでもあるように思えてきました。






 それでは、今回はここまで。
 また次回。

 

 
 
*清水寺のHP
http://www.kiyomizudera.or.jp/




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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