もうすっかり年末。
というより、今年もあとわずか2日足らずになってしまいました。
そのため今回は、京都の年末に関連する話をします。
シリーズ第54回でも紹介しました空也上人の開山した六波羅蜜寺と、そこで毎年末に行われる「空也踊躍(ゆやく)念仏」についての話をします。
まずは、第54回の内容の繰り返しになりますが、空也上人と六波羅蜜寺について簡単な概要を説明した後、「空也踊躍念仏」についての概要を。
六波羅蜜寺は、天暦5(951)年、醍醐天皇の第二皇子とも言われた空也上人により開創された、密教系の寺院です。
空也上人は、疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、この寺の本尊である十一面観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、多くの病人を救ったと伝えられています。
また、妖怪・怨霊関連で空也上人といえば、平将門の霊を鎮めたとか、供養したとかいう伝説も残されているそうです。
平安末期には、この辺りには平氏一門の屋敷などがあり、平氏と深い関係のある寺としても有名です。
さらに鎌倉時代には、幕府が京都に睨みをきかすための六波羅探題が置かれていたりなど、しばしば歴史の舞台にもなった場所でもあります。
来年2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』が始まることもあって、注目を集めそうなスポットのひとつでもあります。
次に「空也踊躍(ゆやく)念仏」について。
空也上人が病魔退散を願って始めたという「かくれ念仏」とも呼ばれる念仏踊りであり、1年の罪を消し去り、新年の幸福を祈るというものです。
鎌倉時代、念仏が弾圧を受けていた時期に、僧侶らが外部に知られないよう、夕暮れの本堂で「南無阿弥陀仏」の音を変えて唱えたのが始まりだそうです。
鎌倉時代には念仏が弾圧を受けていた時期があったため、それを逃れるための工夫が加えられているようです。
夕暮れの本堂で「南無阿弥陀仏」を「モーダナンマイトー」とか言い変えて、踊るようにしながら唱えるのが特徴です。
現在では毎年12月中頃から大晦日まで、日の沈み始める夕方4時頃からおよそ半時間ほど本堂内で行われます(ただし、最終日の大晦日は一般には非公開で行われます)。
この珍しい秘密の念仏踊りを見たくなり、先日夕刻の六波羅蜜寺を訪れました。
夕方4時頃の六波羅蜜寺。
この時期は日が暮れるのが早く、この時刻には空が赤く染まっています。
人通りも少ないようです。
おや?
かくれ念仏はないのかな?
それとも、あまり参拝者が来ていないのかな?
最初はそのようにも思いましたが……違っていました。
もう既に念仏踊りは始まっており、本堂内にはたくさんの参拝者が集まっていました。
残念ながら、本堂内はカメラやビデオなどによる撮影は禁止となっていたため、写真でお見せできるのはここまでです。本堂内及び肝心のかくれ念仏の様子をここで直接見える形でお伝えすることが出来ません。
本尊と護摩檀の前で読経する住職の周りを、何人かの僧侶が「モーダナンマイトー」とか唱えながら踊るようにして回ります。
なんと言いますか、今まで見たこともないような、非常に珍しい念仏儀式でした。
ところで「1年の罪を消し去る」「新年の幸福を祈る」など、こういう密教系の宗派は現実的というか、現世利益的な教えが特徴です。
私の家は先祖の代から浄土真宗系の宗派ですが、同じ仏教といえどもこちらの方は現世よりも来世で往生することを重視します。むしろ現世利益の追求に対してには、どちらかというと否定的というか消極的なのが特徴です。
「その点がうちの宗派とは違うなあ」とは思いましたが、ここはせっかく参拝に来たのですから、野暮なことは言わずに素直に参拝し、そのご利益をいただくこととします。
念仏踊りが終わった後、境内を少し見て回ります。
境内の一角に「なで牛」発見。
こういうなで牛は確か、菅原道真を祀っている社に見られます。
が、六波羅蜜寺の境内には菅原道真を祀っている社は無かったような……。
では何故、天神・菅原道真の象徴とも言うべきなで牛の像がここに?
これは今でも謎のままです。
境内庭の奥まった場所にある地蔵像。
境内にある「平清盛」と「遊女・阿古屋」の塚。
来年のNHK大河ドラマ『平清盛』で注目されることを見越してか、以前来た時よりもきれいに整備されているようです。
ただ平清盛塚より、隣に立つ遊女・阿古屋の塚の方が大きく見えるのですが……それは何故?
入り口近くにある手水舎です。
今年の干支である竜の姿も。
そういえば、来年は辰年です。
本堂には、空也上人が直接刻み、市中を車に乗せて歩いたという本尊「十一面観世音菩薩」が安置されています。普段は直接見ることができないこの本尊ですが、辰年にのみ開帳されるそうです。
国宝の指定も受けているこの秘仏を拝めるとは、来年が楽しみです。
境内の庭にも十一面観世音菩薩の像が。
本尊を模したものでしょうか。
この横にある石の塔には、「一願石」という凡字が刻まれた石が。
これを3回回すと功徳があるそうです。
私も回してみましたが……勢い余って3回より多く回転させてしまいました。どうなるのでしょうか……?(笑)
ところで国宝級の仏像を造った空也上人。
昔の仏像には「空也上人が刻んだ」だとか、「空海上人が彫った」だとか、「小野篁卿の手による」だとか、高僧や貴人などが直接造ったとかいうものが結構あるようです。
しかもそれが、国宝や重要文化財の指定を受けるほどの宝物ともなっている。
昔の偉いお坊さんなどは、彫刻の技術や才能も持ち合わせていたのでしょうか?
そういえばこの寺の宝物館には、他にも国宝や重要文化財級の貴重な仏像がいくつも安置されています。
せっかく訪れたのですから、この仏像の数々も見ていくことにしました。
なお、宝物館に入るには入館料600円を払わなければならず、また館内では一切の撮影や録画は禁止されています。
そのためここの様子も直接ここでお見せすることはできませんが、貴重な仏像のうちいくつかについてだけ、ここで紹介します(より詳細については六波羅蜜寺HP内のこちらを参照)。
平清盛の像。
この平清盛像は、教科書などで一度は見たという方も多いのではないでしょうか。
多くの人は、平清盛といえばまずこの像の姿を思い浮かべるでしょう。
それほど有名な像です。
宝物館内の実物を直接撮ることはできなかったので、代わりに境内入り口付近に飾ってあったポスターの写真を撮りました。
この寺を開いた空也上人の像。
「念仏を唱えた口から6人の仏様が現れた」という伝説に基づいて作られたものです。
空也上人の身なりも非常に質素であるのが特徴で、そういった点も「市聖(いちひじり)」とも呼ばれた空也上人の人物像を表しています。
これも、境内入り口付近に飾ってあったポスターの写真を撮ったものです。
でもこの像を見てたら、なんかアニメ『ヤッ●ーマン』に登場するチビメカ(小型メカ)をイメージしてしまいましたが。
「今週のビックリドッキリメカ、発進! アーン……」
すみません、またしょうもないことを考えてしまいました……(汗)。
さて今回の最後にもうひとつ。
宝物館に安置されている仏像の中で、不思議な伝説が遺されているものを紹介します。
平安時代に作られたという地蔵菩薩の像が2体遺されています。
そのうちひとつは「立像」、もうひとつは「坐像」です。
そのうちの「立像」、つまり立ち姿の像はなんと、その左手に人の髪の毛を持っています。
何故、この仏像が髪の毛を手にしているかについては、『今昔物語』に次のような話が伝わっています。
昔、貧しい娘が母に死なれて途方にくれている時、一人の僧がやって来て母を葬ってくれました。
その謝礼として出せるものが何もなかったので、娘は自分の髪を切ってその僧に差し出しました。
その僧は六波羅蜜寺の僧であるらしいことはわかりましたが、その時は僧は何者かについて詳しいことはわからないままでした。
後日、その娘はその僧に礼を言おうと六波羅蜜寺を訪れましたが、それらしい僧が見つかりません。
諦めて帰ろうとした時、一体の地蔵菩薩像が左手に髪の毛を持っていることに気付きます。その時ようやく、あの僧の正体が地蔵菩薩像だったということがわかりました。
以上。
この伝説の真偽はともかくとして、宝物館の中で観た地蔵菩薩立像は本当に左手に髪の毛を持っています。
この他にも宝物館には、薬師如来と四天王の像とか、地獄の閻魔大王と奪衣婆の像、仏師・運慶の像などがあります。
600円の入館料を払って観るだけの価値はあります。
寺は5時頃に閉門となるので、この後間もなく寺を後にすることになります。
今年の最後も、長い歴史と伝説のまつわる京都の遺産にふれることが出来ました。
来年もまた、京都のこうした遺産や伝説などについてとりあげていきたいと思います。
「政治や社会のブログ記事ばっかり書いていたのではしんどいから」という理由で、あまり深く考えずに始めた『京都妖怪探訪』シリーズですが、なかなか面白いし、奥が深いし、そしてネタが尽きません。
それでは今回はここまで。
また次回。
……というより、おそらくこの記事が今年最後の記事になりそうなので、今から申し上げておきます。
では、皆様良いお年を。
また来年も、弊サイトをよろしくお願いします。
*六波羅蜜寺のHP
http://www.rokuhara.or.jp/
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
最新の画像もっと見る
最近の「妖怪スポット」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2008年
人気記事