どうも、こんにちは。
しばらく間を開けてしまいましたが、ぼちぼちとでも再開していきたいと思います。
シリーズ前々回と前回の続きで、いくつもの伝説が遺されている古刹、“六角堂”こと紫雲山頂法寺の境内を回りながら、面白いスポットを紹介していきます。
今回は、いよいよここ六角堂で最も有名な2つのスポット、「縁結びの六角柳」と「へそ石」とを紹介します。
まずはシリーズ前回の続き。
「親鸞堂」の前から、本堂前に戻ります。
本堂前に立つ大きな柳の木。
この木こそ、「縁結びの柳」として有名な「六角柳」です。
この柳、「ロッカクドウ」という学名を持つ固有種だそうですが。
この柳には、平安時代初期の天皇、嵯峨天皇にまつわるエピソードがあります。
当時、自分の皇后にする理想の女性を探していた嵯峨天皇は、ある夜夢枕で「六角堂の柳の下に行け」とのお告げが受けました。実際に柳の下に行きますと、そこにはまさに理想通りの絶世の美女が居て、嵯峨天皇は彼女を皇后に迎えた、という話です。
この逸話から、「この柳に願をかけると良縁に恵まれる」とか、「理想の異性に巡り会える」という噂が広まって、縁結びの御利益があるスポットとして信仰を集めています。
この柳の枝2本におみくじを結びつけてお願いすると良縁に恵まれるといわれ、枝には以下のようにたくさんのおみくじが結ばれています。
なお。
嵯峨天皇はどんな女性を皇后に迎えたのか。史実はどうだったのでしょうか。
嵯峨天皇が后に迎えたのは、本シリーズ第31回や第203回などでもとりあげたことのある檀林皇后(橘嘉智子)です。
素晴らしい知性と美貌に恵まれ、仏教への信仰も厚かったというスーパーレディです。
縁結びの柳の下には、少し変わった石が。
この石こそが「へそ石」です。
この「へそ石」は、京の都の中心にあると言われています。
さらに次のような不思議な逸話もあります。
平安京造営の際、六角堂の位置が、がちょうど東西に走る通りの予定地にあたってしまいました。桓武天皇が使者を通じて「南北どちらかに移るように」と祈願したところ、たちまち辺りに黒雲が立ちこめ、お堂ごと北に15メートル移動しました。しかし礎石だったこの石だけが元の位置に残されたままになりました。それ以来、明治の頃まではお堂の外にあったのですが、道路を整備するために現在の位置に移されたそうです。
ところで私の場合。
「六角柳」の下で理想の女性に出逢えたかと言いますと……。
当然と言うべきか、そうそううまくは行きません(苦笑)。
もっとも。
「神様とは畏れ敬う対象であって、頼ったりする存在ではない」と考えますので。祈ったり、感謝することはあっても、何かお願い事をするということはほとんどしません。
それに「恋愛」とか「縁結び」とかいうのには、しばらく距離を置きたいという個人的事情もありあますので。それで「今年以降のホワイトデーの贈り物をしないのはもちろん、バレンタインデーの義理チョコも受け取らない」と決めたので。いえね、昨年春にあった別れのダメージが未だに残っておりますので。
あっと失礼。
私の個人的事情はともかく、この六角堂という場所も、いろいろな意味で面白い場所です。
それでは今回はここまで。
今回で六角堂の記事を終わります。
また次回。
*“六角堂頂法寺”へのアクセス・周辺地図はこちら。
*頂法寺のHP
http://www.ikenobo.jp/rokkakudo/
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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