シリーズ前回の宇治橋に続いて、宇治の橋姫伝説ゆかりの場所を訪れます。
今回は、現在の橋姫神社を訪れます。
最初橋姫神社は、大化2年(646年)から橋の守護神として、宇治橋中ほどにある「三之間」と呼ばれる場所に祀られていたこと、そして明治の洪水で流失してから現在の場所に移転されたことは、シリーズ前回で申し上げたとおりです。
ではまず、宇治橋の西詰付近からスタートします。
縣(あがた)神社という神社に続く参道であることを表す大きな鳥居が立っていますが、この参道となっている道を進んでいきます。
参道とはいいますが、多くの車が行き交う2車線の道になっていました。
少し歩きますと、道沿いに見えてきます。
「橋姫神社」というのぼりが立っているので、すぐにわかります。
入ってみます。
境内にあった案内板を見てみます。
水と橋の神様としての「橋姫」と、『源氏物語』の「橋姫」について書かれた案内板がありましたが。
最も有名な「嫉妬に狂って、妬んだ男女と親類縁者を皆殺しにした鬼女」としての橋姫の話が書かれた案内板はありませんでした。
さすがに、祭神として祀っている神様について、後世に作られたあのような陰惨な話を、一般の参拝者や観光客などにも目にする境内で書くことははばかられたのでしょうかねえ……。
境内には2つの祠が並んでいます。
このうち、向かって左が「橋姫神社」。
向かって右が「住吉神社」。橋姫と同じく、水の神様です。
「橋姫は住吉神の妻である」とか、「毎夜、宇治神社の神様が橋姫の元へと通っている」などという話もあるそうです。
(あれ? 橋姫って、嫉妬深いと言われているからモテない女というイメージがあったのに。そのワリには意外とモテている?)
橋姫の社です。
『御伽草子』の「鉄輪」では、(酒呑童子退治の英雄・源頼光の部下の四天王である)渡辺綱と坂田公時に倒されます。そして最後に、「もう人は襲わないから弔ってほしい」と言い残して宇治川に身を投げ、その後安倍晴明が祠を設けて橋姫神社として祀った、という話になっています。
ところで表の案内板では、「嫉妬に狂った鬼女」としての橋姫については書かれていませんでしたが……。
やはりここにも、「恋人同士や結婚式でこの神社の前を通ってはいけない」という言い伝えもあるそうです。
そして、きちんと「悪縁切り」の御利益のある神様としても知られていて、社務所にはバッジなどの橋姫グッズの他、なんと「悪縁切りハサミ」などというものまで販売されているそうです。
やはり、こういった「縁結び」や「縁切り」などといった、色恋沙汰に関する神様や霊場というのは、いつの世にも需要があるものですね。
ただ私には……あまり必要のない神様と霊場であるのかもしれません。
また、橋姫の祟りかご利益があったとしても、私にはあまり関係はなさそうです。
何故かって?
以前からカミングアウトしていますように、「彼女・恋人なしの万年モテない男」の私ですが、その代わりに「結ばれたいと思う女性」も、「縁を切りたいと思う女性」も、今のところは居ませんから(笑)。
最後に、境内でひとつ気になったものが。
以下のような立て札が。
まだ真新しい立て札です。
おそらく、去年の原発事故の衝撃から立てられたものでしょうね。
これも時代だろうか、などと思ってしまいました。
それでは、今回はここまで。
また次回!
*宇治の橋姫神社へのアクセス・周辺地図はこちら。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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