ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

生きてます

2006-05-15 19:04:12 | Weblog
15/04/06
こんにちは。久々の更新になりました。ウォッカパーティーの連続や演劇鑑賞などでなかなかブログを書けず、そもそもあまりインターネットに触れずにおりましたところ、皆様からはメール、コメントなどでご心配を頂きありがとうございました。

暖かくなったペテルブルクの出来事をエベレスト100個分くらいほど記述したいのですが、まずは西方見聞録を完結させます。でも、例外的に5月9日の戦勝記念日だけは西方見聞録の間に入れて皆さんにお伝えしたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。

西方見聞録11 意外な「トラブル」-パリ14/04-

2006-05-15 18:56:45 | Weblog
【写真:パリのロシア大使館(14/04)】 
旅程
《14/04/06 パリ》
午前中、ロシア大使館へ。午後、昔の牢獄やサンシャペー教会、凱旋門などを見学。

 朝、昨日申請したビザを受け取るためロシア大使館へ向かう。途中までは学校へ行くIと一緒。昨日より出発が遅かったため、「道に迷ったら(窓口の営業時間に)間に合わなくなるかも。」とIは心配してくれたが、「昨日も行ってるから大丈夫。」と私は自信Max。ところが、Iと別れてメトロの駅を出た後、ドジな私はIの心配通り道に迷ってしまった。そこで地図を買うことにし、駅近くの路上の売店のおっちゃんに地図の値段をフランス語で聞いてみた。値段を聞くことくらいは出来たものの、数字の勉強を怠っていたため、答えが分からず。そういえばロシアに来たばかりの頃も、質問しても答えが分からずということの連続だったなということをふと思い出した。おっちゃんはロシア大使館の場所も知っていて、私のノートに通りの名前を書いてくれた。

 ロシア大使館では既にビザが用意されており、すぐに受け取ることが出来た。パスポート番号などが間違っていないか一通り確認した後ロビーの椅子に座ってそのきれいなビザを眺めていると、ある重大な事実に気づいた。なんとビザの期間が申請したものと異なっていたのである。それも、申請した期間よりも長く、今日から来年の7月15日まで、458日間有効となっている。これには驚いた。招待状の期間より長いビザを出してくれたこともさることながら、そもそも1年を超えるマルチビザなどないと思っていたから。
 これは何か重大な間違いに違いない。もしこんなビザを持っていてパスポートコントロールでひっかかったら大変。さらに、私は今年7月15日まで留学生用のビザを持っていたため、期間が重複する間は有効なビザを2つ所持することになってしまう。そうすると、帰国後に大学で入国カードに外国人登録をする際に問題になるのではないか。どうしたものか。しばらく考えた後、窓口で聞いてみることにした。
 
 担当は昨日申請したときと同じ若い男の人だった。持っていた緑の留学生用マルチビザと今受け取ったばかりの、パスポートに貼られたビザを見せ、期間が重複していることを指摘した。すると、新しいビザで4月19日に入国することには何の問題もないが、有効なビザを2つ以上所持することはできないため、今持っている緑のビザは回収されるという。それは記念に持っておこうと思っていたため、無効印を押してくれるよう言ってみたが、留学生用のビザは内務省管轄、大使館は外務省管轄のため、ここではそれが出来ないとの答え。

 納得いかない私は、帰国後に大学で入国カードに外国人登録ができなくなると困るから念のためそれを持っておきたいと言ってみた。すると彼はパスポートに記入してある7月15日までの外国人登録を見て、「ここに外国人登録があるのにどうしてまた登録が必要なのか?」と聞いてくる。実は今回の旅行でロシアを出るとき回収された入国カードに加え、パスポートにも同じ外国人登録のスタンプがあったのである。ロシアでは原則として国境で配られる入国カードに外国人登録のスタンプを押すため、入国する度にその手続きが必要なのだが、彼は「パスポートの外国人登録だけで大丈夫だ。」と言う。繰り返しそのことを言い張る彼とそんなことはないはずだと主張する私。同じ問答が2,3回続いた。ロシアの公務員が大丈夫というからには大丈夫なのだろうが、それで納得しては緑のビザを取り戻せない。
 なんとか緑のビザを取り戻す方法はないものか。そこでとっさに思いついたのが、今日受け取ったビザは間違いだという主張。「マルチビザは最長1年までのはずで、招待状の期間も365日になっていたのに、458日のビザを発行したのはそちらの間違いだ。」と指摘してみた。するとなんと、「実はマルチビザには期間など関係なく、フランス人は最長5年まで取得できる。日本人も同じだと思う。」という答え。マルチビザは最長1年のはずだから、緑のビザを取り戻すには絶好の主張だと思っていた私はかなり驚いた。こうなったらとにかく、「招待状の期間は今年7月16日からだし、昨日私も(申請書に)そう書いている。そちらの間違いだから期間を変更してくれ。」と頼んでみたが、彼は、期間を訂正するには新たな招待状と料金が必要になると言う。

 結局「あなたには2つの選択肢がある」と選択肢を提示された。一つは緑のビザを回収し、新しいビザでロシアに帰国する。もう一つは新しいビザに無効印を押し、緑のビザで入国する。一度に有効なビザを2つ所持できない以上それ以外に方法はないというので、やむを得ず前者を選択。そのかわり緑のビザのコピーをくれるというので頼んでみると、画質がきれいな写真モードでコピーしたものをくれた。「これはあなただけにあげるものだから、決して国境で(入国審査官に)見せないように。」と言われた。
 最後にもう一度、入国カードに外国人登録がなくてもパスポートの外国人登録だけでロシアから問題なく出国出来るのか確認すると、「大丈夫だ。もし国境でトラブルになったらここに電話するよう言いなさい。私が全て説明する。」という頼もしい答えが返ってきた。(今日の彼の説明が正しいことが証明されるには、次に私がロシアを出国する機会まで待たなければならない。)彼とのやりとりは20分以上。窓口の営業時間を15分ほどオーバーしてやりとりをしていたのだが、彼は面倒くさい顔を全くせず、分からないことは別の人に聞きに行ってまで私の質問一つ一つにかなり丁寧に答えてくれた。緑のビザが回収されたことだけは残念だったが、納得のいく説明をしてもらい、ビザについて新事実を知ることが出来たうえ、何よりもかねてからの懸案事項だったビザの取得がパリで完了したということで一安心。

 招待状の期間を上回るビザは、大使館としてはサービスのつもりだったのだろうが、そのためにこんな意外な「トラブル」が起こるとは予想だにしていなかった。おかげでパリに来てまでロシア語を実践することになったが、時々詰まりながらも的確にやりとり出来るものだなと感じた。ひょっとするとこれは、旅行中もロシア語を忘れないように、天から与えられた機会だったのかもしれない。そんな機会を作りだしてくれたロシア大使館の一流な仕事ぶりに感服しながら、大使館を後にした。


西方見聞録10 ヴェルサイユ宮殿-パリ13/04-

2006-05-15 18:55:46 | Weblog
【写真:ヴェルサイユ宮殿 鏡の間(13/04)】 
旅程
《13/04/06 パリ(続き)》

 大使館での手続きを終えた後、Iは学校へ、私はヴェルサイユへ向かう。

 ヴェルサイユ宮殿は観光客でごった返していた。あまりに観光客が多いためか、入り口のセキュリティチェックではアラームが鳴ったにもかかわらず止められなかった。
 入場料金は8ユーロと相変わらず高かった。Iのすすめ通り、4.5ユーロで音声ガイドを借りる。音声ガイドはフランス語、英語、オランダ語、スペイン語、イタリア語、日本語、ロシア語、中国語があり、大変良い。

 迷路のようだったルーブル美術館と違い、ここは順路があって分かりやすい。音声ガイドはIの言っていたとおり、非常に詳しく説明してくれて、4.5ユーロ以上の価値はあった。
 有名な「鏡の間」は修理中だったが、半分を見ることが出来た(写真参照)。音声ガイドによると、1919年6月28日、第一次世界大戦後の秩序を決定づけたヴェルサイユ条約の締結はまさにこの場で行われたそうである。観光客が大量にいるためその厳粛な雰囲気を感じることは出来なかったが、世界の歴史を動かした大舞台に自分が立っていることに深い感慨を覚えずにはいられない。
 宮殿の見学を終えた後は、庭の一部を散歩してみる。豪華絢爛な宮殿とそれを囲む広大な庭園。様式やデザインこそは違うが、ペテルブルク郊外にあるペテルゴフやプーシキンなどと似たような風景を目にし、近代の権力者は皆似たようなことを好んだものなのだなと思った。
 
 パリへ引き返した後、Iと合流してTGVの巣窟GARE DU NORDへ行く。実は前回パリへ来た際にもIとともにここにTGV見学に来たのだが、今回はもっとじっくり見学できた。
 駅の大きな発車案内表示板にはフランス国内の列車はもちろん、ワーテルロー、ブリュッセル、ケルンなど周辺諸国へ行く高速列車がずらっと並んでいて見事。「TGVのテーマソング」とIが呼ぶ音の後に流れるフランス語の放送は大変美しく、聞いていてうっとりする。
 フランス国内を走る元祖TGV、オランダ方面へ行く真っ赤な車体のタリスなど、TGVにもいろいろ種類がある。TGV以外の列車も含めると、この駅からは最短3分間隔で列車が出ていく。これは東京駅の新幹線よりも高密度な運転間隔。ホームに行ってしばし発着する列車を眺める。日本の新幹線は発車後すぐに速度を上げるから、最後尾の車両がホームを離れるときには相当な速度になっているのだが、ここはロシアのターミナル駅と同様、列車はすぐには速度を上げない。だから発車の様子を見る限りではこの列車が時速300キロで走れるTGVだとはおよそ思えないが、一流の高速列車が線路に沿って緩やかなカーブを描きながら、パリとの別れを惜しむかのようにゆっくりゆっくりホームを離れていくのは大変上品で、堂々としていて素敵だ。
 TGVのターミナル見学は、Iとしては私へのサービスのつもりだったのかもしれないが、なんだかんだで彼も「全部の車両が動力車ではないようだ。」などと結構良く観察しており、興味深げだった。

 今日はその後モンマルトルの丘を観光し、ラーメン屋で夕食。パリにはラーメン屋がたくさんあるらしいが、その中の一つに入った途端、「いらっしゃいませこんばんは。」と日本語で言われた。その声の主は日本人。あたかも日本のラーメン屋に来たような感覚。私が知る限りペテルブルクにラーメン屋はないので、日本を出て以来ラーメンを食べるのはこれが初めて。値段が高い(8ユーロ)ことだけが唯一いただけなかったが、味は良かった。

 帰り、Iホームステイ先の最寄りの駅にて下車したところ、線路を挟んで喧嘩が発生していた。向かい側のホームから黒人がビール瓶のようなものを投げつけてきて、私達のすぐ近くに落下。Iとともに「蛮行だな。」と呆れたが、こんなこともあるらしい。パリ滞在3日目はこうして過ぎていった。

西方見聞録9 ロシア大使館の仕事ぶり-パリ13/04-

2006-05-15 18:54:20 | Weblog
【写真:ビザの申込用紙(私が記入した部分は一部修正)(13/04)】 
旅程
《13/04/06 パリ》
-今日の主な動き-
午前、Iとともにロシア大使館へ行った後、一人でヴェルサイユ宮殿へ。パリに戻ってIと合流後TGVの巣窟GARE DE NORDやモンマルトルの丘などへ行く。

 今朝はまずロシア大使館へ出かける。目的は2つ。Iの観光ビザを受け取るのと、私の、7月中旬以降(所持していたビザの期限が7月中旬で切れるため)のビザを申請するため。 
 ロシア大使館は中心部から離れたところにあり、アクセスに若干時間を要した。道中、Iは「日本大使館はシャンゼリゼ大通りにあるのに、ロシア大使館隅っこに追いやられてるね。」とバカにしてくれたが、私は「一流国の大使館はごちゃごちゃした中心部の下品なところにはないのだよ。」と反論。
 中心から離れている分、建物は巨大だった。異国にこんな堂々とした建物を構えるなんてさすがだなと感動。入り口でのセキュリティチェックの後、Iに続いて館内に入る。セキュリティチェックの人、窓口の係員はもちろん、ロビーの訪問客にもロシア語を話す人々が少なくない。そういえばここはフランスのど真ん中にあってフランスにあらざる場所、ロシア法が及ぶ空間なのだ。
 
 既に以前申請していたIは入館すると同時に直ちにビザを受け取ることが出来、「この対応の速さ、フランスも見習って欲しい!」と感心した模様。なぜならば、Iは「住宅手当」なるものを受け取るために昨年から何度もフランスの役所へ行っているが、あまりに対応がのろく、未だにもらえていないらしい。このままだともらえるかどうかすら怪しい状態だという。曰わく、「ラテンの連中はいい加減だ。」

 さて、問題の私のビザ、当初はフィンランドかバルト三国あたりで取得することを考えていたのだが、Iの情報により、フィンランドやエストニアよりもパリ大使館で取得する料金の方が安いことが判明。しかもあろうことか、今日聞いたところどういうわけかフランス人料金よりも日本人である私の料金の方が10ユーロほど安かった。通常、当該大使館の所在国の国民が一番安いはずだからフランス人料金より若干高いであろうことは覚悟していたが、まさか安くなるとは。
 大使館に備え付けの申請書はA4サイズ。質問文は左がフランス語で右がロシア語。すなわちフランス語かロシア語を理解しなければ申請がおよそ出来ない仕組みになっていた。なぜか一カ所だけロシア語が抜けている項目があったので、Iにフランス語から訳してもらう。今回私が取得するのは1年有効のマルチビザ。招待状の期間は今年7月16日から来年7月15日までになっているので、期間の欄にはその通り16,07,06から15,07,07と記入。(実は翌日、この期間をめぐってとんでもない問題が登場するとはこの時は知る由もなかった。)

 申請書の記入欄を埋め、持参してきたエイズ検査の結果、写真、パスポートとともに窓口に提出。担当者は若い男性。彼は書類を一通り見てパスポートの査証欄にスタンプを押し、「いつ受け取りに来る?」と聞いてきたので「明日」と答える。パリの大使館は審査が厳しいと聞いていたが、書類については特に何も聞かれることなくすんなり申請は終わった。
 会計の窓口にパスポートを持っていくと、見た目はロシアのパスポート(ロシアのパスポートカバーをかけているため)なのに実は日本のパスポートというのが面白かったのか、中の女性2名、「ロシアのパスポートだ。」と言って喜んでいた。そこで私がすかさず”Я люблю Россию.(ロシアが好きだから)”と応じると、後ろに並んでいた女性達に笑われた。どうやら後ろに並んでいたのもロシア人だったようだ。

 大使館での手続きはIのも私のも万事順調で、Iは「ロシアはしっかりしている。一流だ!」とその仕事ぶりに感激していた。今回の旅行は、Iにとってはロシアがメイン。ロシア大使館は彼にとても良い第一印象を与えたようである。