ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

西方見聞録18 大聖堂の街-ケルン16/04-

2006-05-25 21:06:23 | Weblog
【写真:ケルン大聖堂(16/04)】 

旅程
《16/04/06 ユトレヒト→ケルン(続き)》

 短かったオランダ観光を終え、ユトレヒトの駅へ。Nはバス乗り場まで見送りに来てくれた。「ケルンくらいまでだったら一緒に行っても良かったね。」などとNは話すが、今日はここでお別れ。次にNと会うのは日本でということになるかもしれない。
 実は昨日、ロシアにも是非と誘ったのだが、即座に一言、「えーっ、こわーい!。」と言われてしまった。ロシアはやっぱり怖いと思われてるのかなと一瞬とても残念に思ったが、どうやらロシアだからということではなく、Nは大きい街を恐れているようであった。昨年パリのIをNが訪れた際も、パリが怖かったのだという。
 なるほど、ユトレヒトのような静かな、小さな街で暮らしていればパリやペテルブルクのような大都会をおそれるのも無理はないが、オランダではいろいろとお世話になったことだし、是非ペテルブルクにもきてほしいなと思う。

 バスは定刻よりも遅れて到着し、25分遅れでユトレヒトを発車した。
 時折現れる、なかなかまともに読めない道路標識を見ながら、Iと、「どこでパスポートコントロールなのかな?スタンプもらえるかな?」「さすがに国境では停車するくらいするでしょう。」などとパスポートコントロールを心待ちにしていたが、期待は見事に裏切られた。
 バスはオランダ・ドイツ国境を素通り(そもそも、国境がどこだったのかすらおよそ見当がつかなかった)し、いつの間にかドイツに入国。パスポートにはスタンプなど「ス」の字ももらえなかった。そういえばスイスからフランスに入ったときも、フランスからオランダに入ったときも(スイス側出国で、スタンプなしでパスポートをチェックされたのを除いて)パスポートコントロールはなかったわけで、改めてEUの国境感覚には度肝を抜かれた。

 途中で1カ所休息地に寄り、ユトレヒトから4時間弱でケルンに到着。私は昨年12月にイタリアのヴォローニャからフィンランドのヘルシンキへ行く途中ここで一泊しており、今回が2回目のケルン訪問。とはいえ、前回は夜到着して翌朝出発だったから観光らしい観光をするのは今回が初めてとなる。

 今回の私の旅行、ロシアを出発して以来エストニアではロシア語が通じたし、スイスではスティーブン、クリスに、フランスではIにそれぞれ現地語に通訳してもらった。そのためあらゆる場面で問題なく英語が通じたオランダを除いて、このケルンが唯一、現地語を話せる人がいないという、コミュニケーション面で不安がある場所。Iと私で計4カ国語(フランス語、ロシア語、英語、日本語)が使えるとはいえ、うち3つは明らかに「エリア外」。
 やむを得ず駅では唯一通じる可能性がある英語で、空港までの一日乗車券のようなものがあるかと聞いてみたがいまいち分かってもらえず。ここは英語が通じなくても腹を立てる場所ではないということは重々承知しているが、言葉が通じないと言うのはやはり不便。ドイツエリアをカバーするベルリンのHの登場(明日)が待ち遠しいところ。
 
 

西方見聞録17 静かな時間が流れる街-ユトレヒト16/04-

2006-05-25 21:03:23 | Weblog
【写真:街の中の水路と岸辺のカフェ(16/04)】 

旅程
《16/04/06 ユトレヒト→ケルン》
昼ユトレヒト観光
15:25 ユトレヒト駅前発 EUROLINESのバス
19:18 ケルン駅前着

 昨夜はどういうわけかNの同室の先輩と4人でホラー番組を見ていたため寝るのが遅く、ために起きるのも遅くなり、午前中は寮でゆっくりする。

 お昼からNの案内でユトレヒト2時間観光を敢行。
 Nは学校の勉強が忙しく、あまり観光に出かけることはないという。そのため街の中には、Nも初めてだという場所があるらしい。その一つ、大きな時計台の側の教会に入った時のこと、出口でおばちゃんが私達に、"Happy Easter!!"と声をかけてくれた。そういえば、今日はちょうどキリスト教のイースターの日にあたるのだということを思い出す。それにしても、このおばちゃんといい、街の路上のアイス売りといい、カフェの店員といい、皆英語を話す。一応ここは非英語圏のはずなのに、英語を話すことに罪悪感を感じなくなってしまった。

 2時間で観光できるのかと心配だったが、ユトレヒトはそんなに大きな街ではなく、街の雰囲気をつかむには十分だった。街中に水路があり、そこを小さなボートが行き来し、岸辺のカフェで人々が休息し...。規模こそは違うが、わがロシアの第2の都(私にとっては第1の都)ペテルブルクに通じる風景がそこにはあった。
 天気は最高に良かった。青空の下、既に公園の木の花や道路沿いの小さな花は咲き始めていた。春に足を踏み入れたユトレヒトには、上品さと静けさがあった。この街の雰囲気とおっとりとしたNの性格が調和しているようで、ユトレヒトはNにはぴったりの、Nらしい留学地だと私は思う。Nもこの街をとても気に入っているようで、Nの留学生活も充実しているようだ。
   

西方見聞録16 Nの手作りカレー-ユトレヒト15/04-

2006-05-25 21:01:38 | Weblog
【写真:Nの寮にてカレーを食べる(15/04)】 

旅程
《15/04/06 アムステルダム→ユトレヒト(続き)》

 夕方、アムステルダムから列車でユトレヒト入り。Nはこの街で国際法を勉強している。
 Iと私はNの寮に泊めてもらうことに。彼女の部屋は2人部屋で、同室の人は同じ大学の、NとIのゼミの先輩。驚いたことにその人は私と同じ山形の出身で、私の母の実家の近くに住んでいたという。そのため今はなきローカルスーパー「みつます」や、近所の高校のことなどが話題に上り、世の中狭いものだなと感じた。まさかオランダのど真ん中で初めて会う人と地元トークで盛り上がるとは思わなかった。

 夕食はNがカレーを作ってくれるという。キッチンはフロアで共用で、フランス人、ベルギー人など各地からの留学生が集う場になっている。Iや私と違いここの人々はオランダ語を学んでいるわけではないので、言語が違う人どうしでの会話はもっぱら英語。留学生どうし皆中が良さそうで、Nもその留学生コミュニティーの中に自然にとけ込んでいた。共同生活を営みながら、こうして皆気軽に接することができる環境は本当に素敵だと思う。
 ちなみにIはフランス語が話せるベルギー人などをつかまえて、ここでもフランス語会話を実践していた。もしかしてロシア人もいるかなと私は期待したが、残念ながらロシアからは来ていないらしく、私のロシア語はお呼びでなかった。

 そうこうしているうちに出来たカレーは、まさに日本にいたときに食べていたのと同じ味。いったい何カ月ぶりに食べたことか。諸外国でも日本の味を再現できるなんて、Nは素敵な料理人だ。およそ料理というものが極めて苦手な私には、こんなにおいしいカレーを作れるNが神様のように思えた。