ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

西方見聞録6 TGVでパリへ-ジュネーヴ→パリ-

2006-05-01 23:04:38 | Weblog

【写真:ジュネーヴから乗ったTGVと記念撮影。パリ GARE DE LYONにて。(11/04)】 
旅程
《11/04/06 ジュネーヴ→パリ》
朝 スティーブン運転の車で出かける
10:00 ジュネーヴ GENEVE CFF発 TGV6568号 
13:31 パリ PARIS GARE DE LYON着
   Iと合流後、パリ観光

 スイス滞在最終日にして、ようやく青空が戻ってきた。朝、チューリッヒで会えなかった友人に手紙を出しに、スティーブンと郵便局へ行く。その往復の雑談の中で、彼にフランス語の発音や、名詞の性について教えてもらう。彼によると、フランス語には単数だと男性、複数だと女性名詞になる語が2つだけあるという。一つは「愛」という単語、もう一つは彼も忘れてしまったらしい。言語に例外はつきものだが、「愛」というあらゆる場面で頻出の単語にそんな例外があったのかととても意外だった。

 9時過ぎ、スティーブンが運転する車で家を出る。渋滞にはまり、駅に着いたのはTGVが発車する10分前だったがなんとか間にあった。
「本当にありがとう。今度は日本に来てくれ。」「来てくれてありがとう。ロシアのホストファミリーによろしく。」そんな会話をしてスティーブンと別れる。

 フランス行きの列車は7番線、8番線のいずれかから発車する。大きくFranceと書かれた案内にしたがって進むと、ホームに出る前にパスポートコントロールがある。ここでは切符とパスポートを提示しなければならないが、パスポートにスタンプが押されるわけでもなく、あっさりとコントロールを通過。国際列車に乗るのは昨年暮れにヘルシンキからペテルブルクまで乗って以来2度目だが、その時は列車から降ろされなかったものの、フィンランド側出国場面、ロシア側入国場面でそれぞれ厳重なチェックが行われた。それとは対照的なあっけない出国手続き。この先がフランスであるという実感が、どうしてももてなかった。

 10時ちょうど、私を乗せたTGV6568号は定刻にジュネーヴを発車した。パリまで3時間31分の旅の始まりである。
 車両は2階建てで、私の指定席は2階。早速席へ行ってみると、女性が堂々と座席二つ分を占有して寝ている。起こそうかどうか一瞬考えたが、結構空席があったので、他の席に座ることに。車内をよく見ると、他にも座席を2つ分占有して寝ている女性を発見。自由席ならともかく、指定席とはおよそ思えない光景だったが、ここではこれも普通らしい。 列車ははじめ山間部や川沿いをゆっくりと走る。特に防護柵も何もなく、踏切もある地上を走るのは、日本の山形、秋田新幹線と同じ感覚で私には親しみが持てた。この調子で3時間30分なら、パリまではそんなに離れていないのだろうと思ったが、それは大間違いだった。
 11時55分頃から急激に速度が上がり、いつの間にか高架を走行していた。その速度たるや半端じゃなく、間違いなく270km/h以上は出ていた。これだけの高速鉄道に乗ったのは日本を出て以来初めて。日本の新幹線から眺めるのとほぼ同じ速度で、景色がどんどん後ろへ飛んでいく。この速さ、風を切る音、まさに新幹線。さすがTGVだと感心した。
 車窓からは水の跡なのか、ところどころ水に浸かった畑や道路が見えた。大きな都市はあまりなく、このTGVはひたすら田舎を走っているようだった。
 13時31分、列車は定刻にパリ、GARE DE LYONに到着。日本の新幹線もびっくりするほど素晴らしい旅だった。
 ホームの前の方に歩いていくと、パリ留学中の大学の同級生、Iが待っていてくれた。12月の旅行以来、彼に会うのは約4ヶ月ぶり。積もる話もそこそこに、彼は私がTGVの先頭車両と写真を撮らなければならないことをちゃんと分かっていてくれた。日本のE3系新幹線電車に似た美しい曲線をもつTGVを、私はすっかり気に入った。
 今日から4日間、Iにパリを案内してもらい、彼とともにオランダ、ドイツを経由してロシアへ向かう。

西方見聞録5 国境を歩いて越える-ジュネーヴ-

2006-05-01 23:03:59 | Weblog

【写真:スイス側から見たフランスとの国境(10/04)】 
旅程
《10/04/06 ュネーヴ》
終日 ジュネーヴ滞在
   ほんの数分間フランスに入国

 7日夜にペテルブルクを出て以来睡眠時間が極端に少なかったためか、今朝は遅起き。スティーブンが大学に行っている午前中、私は市内観光をする予定だったが、出かけたのが11時前。とりあえずスティーブンに教えてもらったとおりバストとラムを乗り継いで駅まで出てみる。携帯電話のSMSでスティーブンとやりとりし、駅近くで待ち合わせ。スティーブンおすすめのレストランに入って昼食を食べる。
 
 15時過ぎ、駅で個人レッスンのオーリャ先生の友達夫妻に会う。先生から手紙などを預かってきたため、それを彼らに渡し、かわりに先生に渡して欲しいという大きな荷物を受け取った。
 夫妻はロシア滞在経験があり、よくロシアにやって来るそうである。2人ともロシア語が堪能で、時々ロシア語でも話した。彼らはチューリッヒよりも、ジュネーヴに近いフランス語圏に住んでいるらしい。「またスイスに来たら是非私達の所にも」と言われた。もともと全く見ず知らずの人と、ロシアの先生を介してこうして知り合いになれるというのはとても面白いこと。何だか不思議な縁を感じた。

 午後は国連の建物を見に行ったり、スティーブンと市内を散歩したりしたが、雨もぱらつく曇りの天気で、ここでも遠くの山などは見えなかった。

 家に帰る途中のバスの中、スティーブンが「家に帰る前に先にフランスに行こう。」と言い出した。スティーブンの家はスイス、フランス国境からわずか100m前後しか離れていないので、歩いてフランスに行けるのだという。
 最寄りの停留所でバスを降りていざフランスへ。驚くことに、私達が乗ってきた普通の路線バスがそのまま国境を越えてフランスに入っていった。歩きながら、「国境はどこ?」と問う私に、「もうフランスだ。」と答えるスティーブン。パスポートコントロールも、「ここからフランス」という標識もなく、いとも簡単にフランスに入国してしまったことに、私は大きな衝撃を覚えた。車道にはスイス側、フランス側それぞれの税関があり車が1台ずつ止められていたが、ごく簡単なチェックですいすい通っている。ここは本当に国境なのかと目を疑った。
 フランスから出る前に、記念のためにパスポートにスタンプを押してもらおうと思い、フランス側のカスタムでスティーブンに通訳してもらう。パスポートにスタンプを押すよう求める人は珍しいようだ。最初は意外だというような顔をされたが、スタンプは押してくれるという。外で車を止めていた係が2人とも建物の中に入っていった。その間、車は止まらずにどんどんフランスに入っていく。その様子を見てスティーブン一言、「密輸の方法を見つけた!」。確かに、これでは密輸も何もチェックのしようがない。
 しばらくして戻ってきたパスポートには、ST-JULIEN-PERLYでフランスに入国したことを示すスタンプが押されていた。これは大変良い記念になる。ついでにスイス側でも同じことをスティーブンに聞いてもらったが、こちらはビザ所持者(スイス入国に際してビザが必要な国の国籍を有する者)にしかスタンプを押せないらしく、残念ながらスイスのスタンプはもらえなかった。

 およそ国境というものを歩いて越える経験は初めてだったが、あまりのあっけなさにかえって拍子抜けした感があった。せめて出入国審査くらいはあるだろうと思っていたが、そんなものは皆無。歩行者に至っては税関での検査もなく、通り放題。ちなみに、スティーブン一家もよくこの国境を越えてフランスに行くらしい。母は毎週買い物に、スティーブンは国境近くのレンタルビデオ屋にといった具合に。
 ここの人達にとって、国境とはあってないようなものなのだ。全員バスから降ろされて一人一人厳重なチェックを受けるロシア国境とは対照的。所変われば国境のありようもがらっと変わるということを知った。
  
 夜、スティーブン一家、スティーブンの彼女と揃って夕食。スティーブンの両親と上の弟は昨年ペテルブルクに来たことがあり、私とは顔見知り。皆私の訪問を歓迎してくれた。 スティーブン一家は父親がフランス語圏のスイス人、母親がスコットランド出身のため英語、フランス語が皆完璧に使える。今日はフランス語が分からない私のために、みんな英語で話してくれた。
 スティーブンのお母さんに、フランス語はどうやって勉強したのか聞いてみると、「学校でも勉強していたが、彼(夫)から習ったおかげ。恋人は一番良い語学の先生だ。」という答え。逆のことはスティーブンのお父さんについても当てはまるのであろう。スティーブンの上の弟に、「2カ国語のネイティブスピーカーってのはどんな感じなんだい?」と尋ねると、彼は「幸せだ。学校では英雄だ。」と笑っていた。スイスでも、日本と同様に国民皆が英語を話すわけではないらしく、英語が出来ることは一つのアドヴァンテージになるらしい。
 スティーブン一家の場合は英語とフランス語の組み合わせだったが、他の組み合わせでも良い。二カ国語のネイティブスピーカーなんて羨ましい限りである。それを思うと国際結婚は素敵だなと感じずにはいられない。

西方見聞録4 深夜観光-チューリッヒ-

2006-05-01 23:02:50 | Weblog

【写真:雨のチューリッヒ(09/04)】 
旅程
《09/04 チューリッヒ→ジュネーヴ》
終日 チューリッヒ観光
19:34 所定19:32発の列車(ICE)でジュネーヴ発
22:18頃 ジュネーヴ着
   到着後バスでスティーブンの家へ

 0時過ぎにクリスの家に到着したものの、荷物を置いてまた再び皆で観光に出かけた。観光といっても真夜中。クリスの運転でチューリッヒの中心部を見に行く。
 
 深夜だからもちろん店は閉まっていたが、店の中の電気をつけて外から商品が見えるようにしている所が多かった。バーかカフェに寄って休憩しようと試みるも、残念ながら空いているところはなく、断念。

 クリスが、「レーニンが住んでいた建物に案内する。」と言う。最初は冗談かと思ったが、レーニンはかつてチューリッヒに住んでいたことがあるのだそうだ。行ってみると、1916年2月16日から1917年4月2日までレーニンが住んでいた旨(おそらくドイツ語で)書かれたプレートが掲げられた建物が確かに存在した。特別大きかったり、装飾があったりするわけでもなく、クリスに言われなければ気がつかない建物だった。ペテルブルクで活躍したロシア革命の英雄が、こんなひっそりとしたところに住んでいたのかと、とても意外な感じがした。
 
 夜なので教会や博物館などの中に入ることは出来ないが、町の灯りが静かに川の水面に映る様子は大変美しく、深夜の観光も趣があった。

 帰りの車の中では、ペテルブルクで出会った他の友人達の噂話になった。「あいつはもうアメリカに帰ったんだよな。」「スウェーデンの出身の彼、名前なんだっけ?」など、懐かしい友達が次々に思い出された。それぞれ母国語とはだいぶ違うロシア語に苦労しながらも、皆懸命に努力していた。もっとも、あまり勉強せず、飲み屋の場所だけ覚えて帰ったような奴もいて、「そういえばあいつなんかあんま学校行ってなかったっけな。」と皆で話しては笑った。
 ちなみにクリスは昨年秋の帰国後もロシア語を続けているらしく、彼とは英語の他に、時々ロシア語でも会話をした。彼は語学に相当投資していると自分で言っていたが、ロシアの他にイギリスにも留学経験があり、私よりも英語が上手なうえ、フランス語も話せる。結局彼は母国語のスイスジャーマンの他にドイツ語、フランス語、英語、ロシア語の4カ国語が出来るわけで、相当の時間とコストと努力を要したに違いないが、語学は大変貴重だということを痛感している私としても、彼の言うとおり、投資するだけの価値は十分あると思う。
  
 深夜まで出歩いたため午前中だいぶ遅くまで寝ていたが、先に起きたクリスと私で、キッチンで話をする。話題はもっぱら言語について。クリスにドイツ語の格について聞いてみた。彼によるとドイツ語にはロシア語の主、生、与、対格に相当する4つの格があり、主格、与格は用法がよく似ているが、生格、対格は全く異なるという。さらに私が全く理解できないのは、格があるのに語順が決まっているという点。このあたりからして、ドイツ語は相当難しそうである。
 クリスはまた、こんなことを聞いてきた。「どうして日本人は会話が苦手なのか?」彼によると、仕事などで日本人の知り合いが10人ほどいるが、彼らはクリスより文法は出来るのに"What did you do yesterday?"のような極めて簡単な質問を理解できないのだという。それは文法偏重の日本の英語教育の弊害だということを私は話したが、英語教育のせいだけで済ますのは妥当ではない。確かに会話を軽視した日本の英語教育は大変いただけないが、それに気づいたら自分でリスニングなり、会話なりの練習をすれば良いし、私自身もそうしてきた。クリスの言うように日本人が英会話が下手だとしたら、半分はお寒い英語教育のせいだが、もう半分は個人の怠慢のせいである。母国語の他に2カ国語、3カ国語、それ以上というのが当たり前の世界で、「日本人は英会話すらまともに出来ない」という話が出ること自体大いに恥ずべきことだと私は思った。

 その後クリスとともに駅へ出かけ、まだ予約していなかったジュネーヴからパリまでの列車のきっぷを購入。クリスに通訳してもらい、ちょうど良い時間帯の列車を選ぶ。ジュネーヴからの夜行列車はなく、69スイスフラン(約55USD)でTGVに乗れるというのでTGVでパリ入りすることにし、パリのIに連絡。IがパリのGare-de-Lyonまで迎えに来てくれることになった。ロシアほどではないが、諸外国の鉄道料金の安さには感激。(日本がやたらに高いだけか...)。

 駅から帰り、スティーブンらとともに”フォンデュ”という食べ物を昼食に頂く。とろとろに溶かしたチーズをパンにつけて食べるスイスの食べ物だが、このチーズ、これまで私が食べたものとはひと味違う。クリスは「外国人は好まない場合が多いから、その時はこれを食べたら良い」とわざわざハムなど他の物を用意してくれたが、幸い私にはおいしく感じられた。「おいしい」と言うと、スティーブンもクリスも驚いていた。

 実は今日チューリッヒで会うことになっていた人が2組いたが、ペテルブルクで同じクラスだったスイス人は急に熱を出してしまい会えず、もう一組、個人レッスンのオーリャ先生の友達夫妻との対面は明日、ジュネーヴでに延期になった。そのため午後は特にやることがなくなり、雨も降っていたのでクリスの家のベランダでまったり話しながら過ごす。スティーブンや私にとっては初めてのチューリッヒだから雨の中観光に出かけるのも悪くないし、そっちのほうがむしろ普通なのだろうが、あくせく動かずにこうして庭からの景色を眺めながら待ったり過ごすのもまた贅沢な過ごし方である。
 それでもちょっとだけ散策に出かけてみようということになり、クリスの車で湖に出かけた。曇っていて周囲の山が全く見えなかったのは極めて残念だったが、晴れの日だけが良いとは限らない。青空は、次回チューリッヒに来る時の楽しみにとっておこう。

 19時過ぎ、チューリッヒ滞在を終えて駅に到着。ホームには軍服姿の人々がたくさんいた。「日曜の夕方には軍隊から帰ってくる人がいるから、その出迎えに来ているのだ」とクリスが説明してくれた。この国には今も兵役があるのだ。
 19時34分、ICEでチューリッヒを発ち、スティーブンとその彼女とともに再びジュネーヴへ向かう。わずか一日のチューリッヒ滞在だったが、私としてはクリスに再会できただけでも十分だった。