ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

西方見聞録10 ヴェルサイユ宮殿-パリ13/04-

2006-05-15 18:55:46 | Weblog
【写真:ヴェルサイユ宮殿 鏡の間(13/04)】 
旅程
《13/04/06 パリ(続き)》

 大使館での手続きを終えた後、Iは学校へ、私はヴェルサイユへ向かう。

 ヴェルサイユ宮殿は観光客でごった返していた。あまりに観光客が多いためか、入り口のセキュリティチェックではアラームが鳴ったにもかかわらず止められなかった。
 入場料金は8ユーロと相変わらず高かった。Iのすすめ通り、4.5ユーロで音声ガイドを借りる。音声ガイドはフランス語、英語、オランダ語、スペイン語、イタリア語、日本語、ロシア語、中国語があり、大変良い。

 迷路のようだったルーブル美術館と違い、ここは順路があって分かりやすい。音声ガイドはIの言っていたとおり、非常に詳しく説明してくれて、4.5ユーロ以上の価値はあった。
 有名な「鏡の間」は修理中だったが、半分を見ることが出来た(写真参照)。音声ガイドによると、1919年6月28日、第一次世界大戦後の秩序を決定づけたヴェルサイユ条約の締結はまさにこの場で行われたそうである。観光客が大量にいるためその厳粛な雰囲気を感じることは出来なかったが、世界の歴史を動かした大舞台に自分が立っていることに深い感慨を覚えずにはいられない。
 宮殿の見学を終えた後は、庭の一部を散歩してみる。豪華絢爛な宮殿とそれを囲む広大な庭園。様式やデザインこそは違うが、ペテルブルク郊外にあるペテルゴフやプーシキンなどと似たような風景を目にし、近代の権力者は皆似たようなことを好んだものなのだなと思った。
 
 パリへ引き返した後、Iと合流してTGVの巣窟GARE DU NORDへ行く。実は前回パリへ来た際にもIとともにここにTGV見学に来たのだが、今回はもっとじっくり見学できた。
 駅の大きな発車案内表示板にはフランス国内の列車はもちろん、ワーテルロー、ブリュッセル、ケルンなど周辺諸国へ行く高速列車がずらっと並んでいて見事。「TGVのテーマソング」とIが呼ぶ音の後に流れるフランス語の放送は大変美しく、聞いていてうっとりする。
 フランス国内を走る元祖TGV、オランダ方面へ行く真っ赤な車体のタリスなど、TGVにもいろいろ種類がある。TGV以外の列車も含めると、この駅からは最短3分間隔で列車が出ていく。これは東京駅の新幹線よりも高密度な運転間隔。ホームに行ってしばし発着する列車を眺める。日本の新幹線は発車後すぐに速度を上げるから、最後尾の車両がホームを離れるときには相当な速度になっているのだが、ここはロシアのターミナル駅と同様、列車はすぐには速度を上げない。だから発車の様子を見る限りではこの列車が時速300キロで走れるTGVだとはおよそ思えないが、一流の高速列車が線路に沿って緩やかなカーブを描きながら、パリとの別れを惜しむかのようにゆっくりゆっくりホームを離れていくのは大変上品で、堂々としていて素敵だ。
 TGVのターミナル見学は、Iとしては私へのサービスのつもりだったのかもしれないが、なんだかんだで彼も「全部の車両が動力車ではないようだ。」などと結構良く観察しており、興味深げだった。

 今日はその後モンマルトルの丘を観光し、ラーメン屋で夕食。パリにはラーメン屋がたくさんあるらしいが、その中の一つに入った途端、「いらっしゃいませこんばんは。」と日本語で言われた。その声の主は日本人。あたかも日本のラーメン屋に来たような感覚。私が知る限りペテルブルクにラーメン屋はないので、日本を出て以来ラーメンを食べるのはこれが初めて。値段が高い(8ユーロ)ことだけが唯一いただけなかったが、味は良かった。

 帰り、Iホームステイ先の最寄りの駅にて下車したところ、線路を挟んで喧嘩が発生していた。向かい側のホームから黒人がビール瓶のようなものを投げつけてきて、私達のすぐ近くに落下。Iとともに「蛮行だな。」と呆れたが、こんなこともあるらしい。パリ滞在3日目はこうして過ぎていった。


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