【写真:ルーブル美術館(12/04)】
旅程
《12/04/06 パリ》
-今日の主な動き-
10時過ぎに出かけ、Iが学校に行っている間私は一人でルーブル美術館見学。午後、Iと合流後再びルーブルへ。夕方から夜にかけて、Iの友達の日本人女性2人(パリで勉強中)とともに夕食など。
朝、Iとともに家で遅めの朝食を食べる。食事は費用に含まれていないが、自分でパンなどを買って食べることで節約につとめているそうである。(何でも高いパリにあって、パンと水だけはロシアなみの安さ)。起きてきたホストファミリーの子どもにバナナやオレンジ没収されるなど、Iはさんざんちょっかいをだされていたが、子どもに好かれるというのは悪いことではない。ここの子どもも、ロシアの子ども達のようにかなりフレンドリーなのかもしれないと思った。
RERという乗り物(要するにメトロのようなもの)で出かける途中、Iは私の携帯電話の着信音に設定してある、いわゆる「NOKIAサウンド」にはまり、私の携帯を鳴らしまくる。実はこのNOKIAサウンド、買った当初はロシアだけの音だと思っていたのだが各国に幅広く分布しているらしく、あちこちで同じ音が聞こえてくる。そのため、人がたくさんいるところで携帯電話が鳴ると複数の人が反応(私もその一人だが)するという大変滑稽な光景をよく目にする。NOKIA支配力の強さを感じずにいられない。
学校へ行くIと別れる前に、ルーブル美術館とシャンゼリゼ大通りへの行き方を教えてもらうとともに、14時にSaint Michelleの噴水で待ち合わせる旨の打ち合わせをした。フランス語は発音と表記がだいぶかけ離れているので、ちゃんとノートに文字を書いて確認。一応フランス語を2年間履修したことになっている建前上、"George Ⅴ"という駅名を「ジョージ サンク」と読むくらいはかろうじて出来たが、Saintを「サン」と読む力はなく、今日はとりあえず「サイント ミッシェル」とそのままの読みで記憶。
今日のメインはルーブル美術館。昨年来たときは夕方遅くに行ったため入れず、私は今回が初めて。観光客でごった返しているであろうことは想像に難くなかったが、ルーブル見学はパリ観光客の義務のようなもの。ここでは観光客モードの私もその例外ではない。
いざルーブルに行ってみたは良いものの、セキュリティチェックにも入場券販売機にも予想通り長蛇の列。そこまではまだ予想の範囲内であったが、ようやく買ったチケットはなんと8.5ユーロという高さ。学割はないそうである。うちのエルミタージュは学生はただなのに...。この国は若者に芸術を広めようとする気があるのかと疑ってしまう。
高い入場券を買ったからには隅々まで見なければと意気込んでエスカレーターを上ったものの、どういうわけか展示室ではなく外に出てしまった。ルーブルは一度外を経由してから入る仕掛けになっているのかなと思って入り口を探すが、見つからない。さまよった挙げ句ようやく見つけた入り口ではまたしてもセキュリティチェックを通され、事態が分からずにいるとエスカレーターで下りた先は先ほどのチケット売場のホール。振り出しに戻ってしまった。これをもう一度くらい繰り返し、ようやく展示室に入場できた。
あとはパンフレットの案内図を見ながら進んでいけば良いと思っていたが、それは甘かった。案内図の縮尺が分からず、自分がどこにいるか把握できなくなってしまった。館内の表示は当然ながらフランス語のみで、日本語版のパンレットではあまり役に立たない。館内は通路や展示室が複雑に入り組んでいて、まさに迷路。順路というものはないらしく、初めて来る者としては非常に分かりにくかった。
もう一ついただけなかったことは、館内の案内図を含む無料パンフレットにはイタリア語、スペイン語などはもちろん、日本語版や韓国語版さえあるのに、ロシア語版がないこと。そのわりに写真撮影を禁ずる旨の掲示はちゃんとロシア語でも書いてあり、ふざけた美術館だなと憤慨。
以上の理由により来場者に対するサービスの面では二流以下だと私は思ったが、展示品は一流なわけで、道に迷いながらもモナリザの絵を含む有名な展示品をいくつか鑑賞。
Iと合流後、Iに、「ミロのヴィーナスは見たか?」「ハンムラビ法典は?」など、私がおよそ目にしなかった展示品を列挙され、ルーブルは迷路状態でそこまで見られたかったことを話す。Iは一年有効の入場券を持っており、私の入場券は一日有効なので、午後、Iとともに再びルーブルに行くことにした。
さすがパリ住民だけあって、Iは大迷路の構造を良く把握していた。ハンムラビ法典、ミロのヴィーナス、ナポレオンの戴冠の絵など、世界史図説でしか見たことのない展示品が次々に目の前に現れ、何だかんだで来て良かったなと満足。
夕方、Iの友達の日本人2人と会う。彼女らもここでフランス語を勉強しているという。2人とも明るくて楽しい人々であった。5ユーロのカレー屋でカレーを食べた後、さらにバーに出かけて4人で語る。私が持参してきたウォッカも飲みながら話すうち、Iはいつになく饒舌になり、私達3人に突っ込まれまくり。こんな面白い仲間がいて、パリでのIの生活も楽しそうだった。
旅程
《12/04/06 パリ》
-今日の主な動き-
10時過ぎに出かけ、Iが学校に行っている間私は一人でルーブル美術館見学。午後、Iと合流後再びルーブルへ。夕方から夜にかけて、Iの友達の日本人女性2人(パリで勉強中)とともに夕食など。
朝、Iとともに家で遅めの朝食を食べる。食事は費用に含まれていないが、自分でパンなどを買って食べることで節約につとめているそうである。(何でも高いパリにあって、パンと水だけはロシアなみの安さ)。起きてきたホストファミリーの子どもにバナナやオレンジ没収されるなど、Iはさんざんちょっかいをだされていたが、子どもに好かれるというのは悪いことではない。ここの子どもも、ロシアの子ども達のようにかなりフレンドリーなのかもしれないと思った。
RERという乗り物(要するにメトロのようなもの)で出かける途中、Iは私の携帯電話の着信音に設定してある、いわゆる「NOKIAサウンド」にはまり、私の携帯を鳴らしまくる。実はこのNOKIAサウンド、買った当初はロシアだけの音だと思っていたのだが各国に幅広く分布しているらしく、あちこちで同じ音が聞こえてくる。そのため、人がたくさんいるところで携帯電話が鳴ると複数の人が反応(私もその一人だが)するという大変滑稽な光景をよく目にする。NOKIA支配力の強さを感じずにいられない。
学校へ行くIと別れる前に、ルーブル美術館とシャンゼリゼ大通りへの行き方を教えてもらうとともに、14時にSaint Michelleの噴水で待ち合わせる旨の打ち合わせをした。フランス語は発音と表記がだいぶかけ離れているので、ちゃんとノートに文字を書いて確認。一応フランス語を2年間履修したことになっている建前上、"George Ⅴ"という駅名を「ジョージ サンク」と読むくらいはかろうじて出来たが、Saintを「サン」と読む力はなく、今日はとりあえず「サイント ミッシェル」とそのままの読みで記憶。
今日のメインはルーブル美術館。昨年来たときは夕方遅くに行ったため入れず、私は今回が初めて。観光客でごった返しているであろうことは想像に難くなかったが、ルーブル見学はパリ観光客の義務のようなもの。ここでは観光客モードの私もその例外ではない。
いざルーブルに行ってみたは良いものの、セキュリティチェックにも入場券販売機にも予想通り長蛇の列。そこまではまだ予想の範囲内であったが、ようやく買ったチケットはなんと8.5ユーロという高さ。学割はないそうである。うちのエルミタージュは学生はただなのに...。この国は若者に芸術を広めようとする気があるのかと疑ってしまう。
高い入場券を買ったからには隅々まで見なければと意気込んでエスカレーターを上ったものの、どういうわけか展示室ではなく外に出てしまった。ルーブルは一度外を経由してから入る仕掛けになっているのかなと思って入り口を探すが、見つからない。さまよった挙げ句ようやく見つけた入り口ではまたしてもセキュリティチェックを通され、事態が分からずにいるとエスカレーターで下りた先は先ほどのチケット売場のホール。振り出しに戻ってしまった。これをもう一度くらい繰り返し、ようやく展示室に入場できた。
あとはパンフレットの案内図を見ながら進んでいけば良いと思っていたが、それは甘かった。案内図の縮尺が分からず、自分がどこにいるか把握できなくなってしまった。館内の表示は当然ながらフランス語のみで、日本語版のパンレットではあまり役に立たない。館内は通路や展示室が複雑に入り組んでいて、まさに迷路。順路というものはないらしく、初めて来る者としては非常に分かりにくかった。
もう一ついただけなかったことは、館内の案内図を含む無料パンフレットにはイタリア語、スペイン語などはもちろん、日本語版や韓国語版さえあるのに、ロシア語版がないこと。そのわりに写真撮影を禁ずる旨の掲示はちゃんとロシア語でも書いてあり、ふざけた美術館だなと憤慨。
以上の理由により来場者に対するサービスの面では二流以下だと私は思ったが、展示品は一流なわけで、道に迷いながらもモナリザの絵を含む有名な展示品をいくつか鑑賞。
Iと合流後、Iに、「ミロのヴィーナスは見たか?」「ハンムラビ法典は?」など、私がおよそ目にしなかった展示品を列挙され、ルーブルは迷路状態でそこまで見られたかったことを話す。Iは一年有効の入場券を持っており、私の入場券は一日有効なので、午後、Iとともに再びルーブルに行くことにした。
さすがパリ住民だけあって、Iは大迷路の構造を良く把握していた。ハンムラビ法典、ミロのヴィーナス、ナポレオンの戴冠の絵など、世界史図説でしか見たことのない展示品が次々に目の前に現れ、何だかんだで来て良かったなと満足。
夕方、Iの友達の日本人2人と会う。彼女らもここでフランス語を勉強しているという。2人とも明るくて楽しい人々であった。5ユーロのカレー屋でカレーを食べた後、さらにバーに出かけて4人で語る。私が持参してきたウォッカも飲みながら話すうち、Iはいつになく饒舌になり、私達3人に突っ込まれまくり。こんな面白い仲間がいて、パリでのIの生活も楽しそうだった。