ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

西方見聞録7 一流なロシア人旅行者-パリ-

2006-05-03 19:00:44 | Weblog
【写真:アレクサンドルⅢ世橋(11/04)】 
旅程
《11/04/06 パリ》
TGVでGARE DE LYON到着後、Iの案内でパリ観光。Iのホームステイ先へ行って荷物を置いた後、ノートルダム寺院、コンコルド広場、アレクサンドルⅢ世橋、シャンゼリゼ大通りなどを観光。

 パリでの出来事について記述する前に、パリから旅の道連れとなったIについて簡単に紹介しておく。彼は私の大学時代最古の友人の一人で、入学式の時から写真が残っている。日本にいた頃は、もう一人よく一緒に行動する同級生N坂とともに3人で茨城県境町にあるN坂の実家を見に行ったり、クラスの連中と騒いだり、新幹線で湯沢や山形に旅行に行ったりなど、彼との思い出は数多い。
 そのIと私がそれぞれフランス、ロシアに留学することになるなんて夢にも思っていなかった。彼はフランス語に熱心で、大学1年の頃、フランス語の授業で私と机を並べて勉強していたとは思えないほど今はフランス語が達者。英語だけが学ぶべき外国語でないこと、教養として言語を身につけることが重要であることなど、私と同様の価値観を共有する優秀な仲間でもある。
 
 さて、そんなIとパリで会うのは昨年の12月に続いて実は2回目。イタリア観光がメインだった前回はパリを見る時間が短かったが、今回はじっくり観光できそう。

 まず今回の宿泊場所となるIのホームステイ先に荷物を置きに行くことになったが、その際、彼が"Carte Orange"というカードをすすめてきた。このカードはパリのメトロ、バスなどが定められたゾーン内一週間乗り降り自由で約20ユーロというもの。市内の交通に20ユーロというのはやたらと高く感じられたが、そういえばここは物価が何でも高いユーロ圏なわけで、乗り放題ならば20ユーロでも十分安いらしい。
 彼のすすめ通りそのカードを買い、たまたま携行していた写真をカードに貼る。さらにカードに名前を書き、自動改札機に通す小さなカードには大きなカードの番号を写さなければならないという。さもなければ罰金なのだそうだ。さすがパリ住民だけあって、Iは良く知っているなと感心。

 荷物を置いた後まずはノートルダム寺院へ行き、その後遅い昼食にケバブの店に入る。I曰わく一番安い店なのだそうだが、それでも一つ4ユーロ。4ユーロということは約136ルーブル、ペテルブルクではその辺のカフェでビジネスランチのセットが食べられる金額なわけで、これが一番安い食事になるとは、Iはなかなか大変な生活をしているということが察せられる。

 コンコルド広場での出来事、夫婦と思われる男女が私の所へカメラを持ってやってきて、「モージュナ」と言う。私は耳を疑った。明らかにロシア語。
 頼まれたままに写真を撮り、一言二言会話をする。彼らはモスクワからやってきたらしい。なぁんだ、モスクワかとちょっと残念だったが、私がペテルブルクで勉強していることを話すと、別れ際、”Привет Петербург!(ごきげんよう、ペテルブルク!)”と言ってくれた。こんなところでロシア人に会うのは意外だったが、それよりもなによりも、何語を話すか分からない外国人にいきなりロシア語で話しかけてくるとはなかなかの度胸。ここがパリのど真ん中であろうと、相手が一介の外国人旅行者であろうと、自分たちの高尚な言語を堂々と使う姿勢は称賛に値する。
 偶然にも、近くにはロシア皇帝アレクサンドルⅢ世がフランスに贈ったという「アレクサンドルⅢ世橋」なるものがあった。Iの案内で橋を見た瞬間、見るからにロシア風だなと感じた。欄干に彫刻があって芸が細かく、いかにもロシア人が好みそうなつくりになっていた。距離は離れているが、ロシアとフランスは結構縁が深いようだ。パリがちょっとだけ身近に思えてきた。