ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

西方見聞録4 深夜観光-チューリッヒ-

2006-05-01 23:02:50 | Weblog

【写真:雨のチューリッヒ(09/04)】 
旅程
《09/04 チューリッヒ→ジュネーヴ》
終日 チューリッヒ観光
19:34 所定19:32発の列車(ICE)でジュネーヴ発
22:18頃 ジュネーヴ着
   到着後バスでスティーブンの家へ

 0時過ぎにクリスの家に到着したものの、荷物を置いてまた再び皆で観光に出かけた。観光といっても真夜中。クリスの運転でチューリッヒの中心部を見に行く。
 
 深夜だからもちろん店は閉まっていたが、店の中の電気をつけて外から商品が見えるようにしている所が多かった。バーかカフェに寄って休憩しようと試みるも、残念ながら空いているところはなく、断念。

 クリスが、「レーニンが住んでいた建物に案内する。」と言う。最初は冗談かと思ったが、レーニンはかつてチューリッヒに住んでいたことがあるのだそうだ。行ってみると、1916年2月16日から1917年4月2日までレーニンが住んでいた旨(おそらくドイツ語で)書かれたプレートが掲げられた建物が確かに存在した。特別大きかったり、装飾があったりするわけでもなく、クリスに言われなければ気がつかない建物だった。ペテルブルクで活躍したロシア革命の英雄が、こんなひっそりとしたところに住んでいたのかと、とても意外な感じがした。
 
 夜なので教会や博物館などの中に入ることは出来ないが、町の灯りが静かに川の水面に映る様子は大変美しく、深夜の観光も趣があった。

 帰りの車の中では、ペテルブルクで出会った他の友人達の噂話になった。「あいつはもうアメリカに帰ったんだよな。」「スウェーデンの出身の彼、名前なんだっけ?」など、懐かしい友達が次々に思い出された。それぞれ母国語とはだいぶ違うロシア語に苦労しながらも、皆懸命に努力していた。もっとも、あまり勉強せず、飲み屋の場所だけ覚えて帰ったような奴もいて、「そういえばあいつなんかあんま学校行ってなかったっけな。」と皆で話しては笑った。
 ちなみにクリスは昨年秋の帰国後もロシア語を続けているらしく、彼とは英語の他に、時々ロシア語でも会話をした。彼は語学に相当投資していると自分で言っていたが、ロシアの他にイギリスにも留学経験があり、私よりも英語が上手なうえ、フランス語も話せる。結局彼は母国語のスイスジャーマンの他にドイツ語、フランス語、英語、ロシア語の4カ国語が出来るわけで、相当の時間とコストと努力を要したに違いないが、語学は大変貴重だということを痛感している私としても、彼の言うとおり、投資するだけの価値は十分あると思う。
  
 深夜まで出歩いたため午前中だいぶ遅くまで寝ていたが、先に起きたクリスと私で、キッチンで話をする。話題はもっぱら言語について。クリスにドイツ語の格について聞いてみた。彼によるとドイツ語にはロシア語の主、生、与、対格に相当する4つの格があり、主格、与格は用法がよく似ているが、生格、対格は全く異なるという。さらに私が全く理解できないのは、格があるのに語順が決まっているという点。このあたりからして、ドイツ語は相当難しそうである。
 クリスはまた、こんなことを聞いてきた。「どうして日本人は会話が苦手なのか?」彼によると、仕事などで日本人の知り合いが10人ほどいるが、彼らはクリスより文法は出来るのに"What did you do yesterday?"のような極めて簡単な質問を理解できないのだという。それは文法偏重の日本の英語教育の弊害だということを私は話したが、英語教育のせいだけで済ますのは妥当ではない。確かに会話を軽視した日本の英語教育は大変いただけないが、それに気づいたら自分でリスニングなり、会話なりの練習をすれば良いし、私自身もそうしてきた。クリスの言うように日本人が英会話が下手だとしたら、半分はお寒い英語教育のせいだが、もう半分は個人の怠慢のせいである。母国語の他に2カ国語、3カ国語、それ以上というのが当たり前の世界で、「日本人は英会話すらまともに出来ない」という話が出ること自体大いに恥ずべきことだと私は思った。

 その後クリスとともに駅へ出かけ、まだ予約していなかったジュネーヴからパリまでの列車のきっぷを購入。クリスに通訳してもらい、ちょうど良い時間帯の列車を選ぶ。ジュネーヴからの夜行列車はなく、69スイスフラン(約55USD)でTGVに乗れるというのでTGVでパリ入りすることにし、パリのIに連絡。IがパリのGare-de-Lyonまで迎えに来てくれることになった。ロシアほどではないが、諸外国の鉄道料金の安さには感激。(日本がやたらに高いだけか...)。

 駅から帰り、スティーブンらとともに”フォンデュ”という食べ物を昼食に頂く。とろとろに溶かしたチーズをパンにつけて食べるスイスの食べ物だが、このチーズ、これまで私が食べたものとはひと味違う。クリスは「外国人は好まない場合が多いから、その時はこれを食べたら良い」とわざわざハムなど他の物を用意してくれたが、幸い私にはおいしく感じられた。「おいしい」と言うと、スティーブンもクリスも驚いていた。

 実は今日チューリッヒで会うことになっていた人が2組いたが、ペテルブルクで同じクラスだったスイス人は急に熱を出してしまい会えず、もう一組、個人レッスンのオーリャ先生の友達夫妻との対面は明日、ジュネーヴでに延期になった。そのため午後は特にやることがなくなり、雨も降っていたのでクリスの家のベランダでまったり話しながら過ごす。スティーブンや私にとっては初めてのチューリッヒだから雨の中観光に出かけるのも悪くないし、そっちのほうがむしろ普通なのだろうが、あくせく動かずにこうして庭からの景色を眺めながら待ったり過ごすのもまた贅沢な過ごし方である。
 それでもちょっとだけ散策に出かけてみようということになり、クリスの車で湖に出かけた。曇っていて周囲の山が全く見えなかったのは極めて残念だったが、晴れの日だけが良いとは限らない。青空は、次回チューリッヒに来る時の楽しみにとっておこう。

 19時過ぎ、チューリッヒ滞在を終えて駅に到着。ホームには軍服姿の人々がたくさんいた。「日曜の夕方には軍隊から帰ってくる人がいるから、その出迎えに来ているのだ」とクリスが説明してくれた。この国には今も兵役があるのだ。
 19時34分、ICEでチューリッヒを発ち、スティーブンとその彼女とともに再びジュネーヴへ向かう。わずか一日のチューリッヒ滞在だったが、私としてはクリスに再会できただけでも十分だった。
 


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