「九人の乙女の碑」稚内観光協会HPや当時の様子を記した史実など読むと戦争の悲惨さが思い起こされる。ポツダム宣言を受諾して戦争は終結したにも関わらず、ソ連軍は樺太の国境線を越えて南下を続け、1945年8月20日、樺太南端の真岡市に上陸して街を蹂躙しました。この時、最後まで残った9人の女子決死隊が電話局を死守し、本土との電話回線を確保していましたが、ついに電話局が砲撃を受け、全ての電話線がソ連軍により切断されました。回線が切断される直前の悲痛な電話、「これが最後です。さようなら、さようなら」を最後に、9人の乙女達は青酸カリを飲んで自決した話を読むと悲しくなる。サファリンが見える丘にこの碑がある。
この九人の乙女の犠牲によって、真岡市に結集していた日本軍は殆ど無傷で樺太から撤退したといわれています。殉職された方々は、次の9名ですがいずれも独身であったそうです。 <o:p></o:p>
可香谷シゲ 23才(主事補、現在の主任) <o:p></o:p>
高石ミキ 24才 吉田八重子 21才 渡辺照 17才 高城淑子 19才 <o:p></o:p>
松崎みどり 17才 伊藤千枝 22才 沢田きみ 18才 志賀晴代 22才 <o:p></o:p>
九人は靖国神社に祭られ、同神社の遊就館には「九人の乙女」の写真などが安置されているとのことです。 <o:p></o:p>