Kom’s 気まぐれフォト散歩

デジカメ持って街中散歩

大阪 水晶橋

2007-06-29 10:49:46 | 大阪の橋

水晶橋は、その姿形のゆえに大阪の人々に愛されて写真の被写体として人気がある。水晶橋の美しさは、アーチの組み合わせと言われている。その名前ははっきりしない。橋上にある照明灯が水面に映る様子が水晶のかがやきに似ていとか。また、水都大阪が繁昌するようにという意味で水昌橋であるという説もある。

大阪市の堂島川(旧淀川)に架かる歩行者専用橋。つい最近までは、正確に言えば橋ではなかった。この橋は本来は昭和4年に完成した堂島川可動堰という、河川浄化を目的として建設されたゲートであった。橋面の改装が行われたとき、さらに多くの人に利用してもらうことを願って、1982年(昭和57年)法律上も橋と認定する手続きがとられ、橋になったそうである。

形式 - 鉄筋コンクリートアーチ 、橋長 - 72.33m、幅員 - 9.09m、着工 - 1926年(大正15年)6月完成 - 1929年(昭和4年)3月、改装 - 1982年(昭和57年)10月

 周辺情報:大阪市役所、大阪市中央公会堂、大阪府立中之島図書館、大阪高等裁判所、  大阪地方裁判所 、堂島関電ビル

 


岸和田カンカンベイサイドモール

2007-06-28 09:27:50 | 泉州

「岸和田カンカンベイサイドモール」は岸和田旧港再開発事業として埋立事業により白砂青松の美しい海岸が消え人のにぎわいが遠のいていた岸和田旧港地区を平成5(1993)年2月再開発地区計画等の計画され、岸和田市の海の玄関としてふさわしい港・まちづくりを目指し、「水と緑につつまれた21世紀の新しいライフスタイルの創造」をテーマに親水緑地を配した商業・業務・サービス・居住・文化施設等の複合施設

商業施設は平成9(1997)年3月専門店が入った「岸和田カンカン」が続いてアウトレット・飲食・アミューズメント・シネマコンプレックス施設を有し、イギリスの古い港町をイメージした商業施設「岸和田カンカンベイサイドモール」がオープンした。今はマンション・国際文化施設「浪切ホール」や結婚式場・スポーツ施設カンカンアリーナがあり年間1200万人以上の人で賑わっている。

 「カンカン」の名称は有名「岸和田なだんじりまつり」の名称の一つである「カンカン場」の前に建てられたことに由来する。

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大阪 中之島ガーデンブリッジ

2007-06-27 08:50:32 | 大阪の橋

 堂島川を渡り、既設の中之島歩行者専用道(遊歩道として昭和53年から整備)と堂島公園を結ぶ歩行者専用橋で、堂島地区から広域避難地に指定された中之島地区へ向かう避難路としての機能を考慮し、その分だけ幅員を広くした歩行者専用の若い橋で中央に特徴的なモニュメントがある。

 

平成2年3月に完成、その年は花博が開催(4月1日)された年であった。花博の工事期間中は人手不足で、その工事が終わった2月末から、本橋の作業者数が増えた。しかし、橋面のタイル張りや高欄設置などに時間がかかり、開通式前夜は雨模様のなかの徹夜作業となり、作業が完了したのは、当日の夜明け前、午前4時頃であった。と報告されている。<o:p></o:p>

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寄駅:市バス 大江橋,堂島,渡辺橋<o:p></o:p>

     地下鉄御堂筋線 淀屋橋<o:p></o:p>

     地下鉄四つ橋線 肥後橋<o:p></o:p>

     京阪 淀屋橋<o:p></o:p>

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大阪 鉾流橋

2007-06-24 11:30:04 | 大阪の橋

大阪市役所や中央公会堂などが立ち並ぶ中之島公園にその橋はかかっている。

大阪市立東洋陶磁美術館と天満警察署をつないでいる橋が、堂島川に架かる。天暦5年(951)そして橋の名前ともなった鉾流神事が始まり、現在でも7月24日天神祭宵宮の早朝に行われている。この行事は祇園祭と同様に神童を選出し、小舟で大川へ漕ぎ出し神鉾(かみほこ)を流すというものである。つまり、社頭(しゃとう)の浜から大川に神鉾を流し、その年の神霊渡御地を決定する行事である。

天満警察署の前に立つ鳥居のある場所が、神鉾を流す浜である。そこへかけられた橋の名が「鉾流橋」となったそうである。

現在の橋は、昭和4年完成した。昭和55年に中之島地区にマッチしたクラシックなデザインの高欄や照明灯、レンガ敷きの歩道などが整備された。大阪地下鉄淀屋橋駅、京阪淀屋橋駅が近くにある。<o:p></o:p>

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橋長:98.2m
幅員:12m
形式:鋼桁
完成:S(S55拡幅)


大阪 川崎橋(かわさきばし)

2007-06-23 10:06:51 | 大阪の橋

江戸時代このあたりの大川は、過書船・伏見船が往来し、四季折々には涼み船・月見船などで大そうにぎわったという。対岸の備前島(現在の網島町の一部)は京橋口に接し、京・大和へ向かう街道に通じており、ここ川崎の地(現在の天満1丁目の一部)には幕府の材木蔵や城代および町奉行配下の役人宅、諸藩の蔵屋敷などが建ち並んでいた。両岸を結ぶ川崎渡しは元禄年間にはすでに存在していた。

現在の橋は昭和53年(19783月完成

大阪府北区天満と都島区網島町を結ぶ大川に架かる自転車・歩行者専用斜張橋 国土交通省が全国的に整備を進めている大規模自転車道のひとつ、北大阪サイクルライン(大阪市北区中之島~大阪府吹田市万博の大川を渡る地点に架かる。浪花の名橋50選に選ばれた橋。昭和53年度の土木学会田中賞を受賞。

 

朝ドラ「ほんまもん」(2001年10月~2002年3月)の撮影場所

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岸和田城のスイレン

2007-06-22 09:30:49 | 泉州

岸和田城(岸城町)の堀のスイレンが見ごろを迎えピンクやイエローの花が水面を埋め尽くしている。毎年カメラの被写体になるのだか感動のワンショットが撮れない、今年も記録として撮っておくことにした。

 

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大阪 天満橋

2007-06-21 08:59:05 | 大阪の橋

天満橋・天神橋・難波橋は江戸時代以来、大坂の町にとって最も重要で、最も親しまれてきた橋である。当時としては最大級の橋で、この三橋は浪華の三大橋と呼ばれた。

江戸時代には、ともに公儀橋に指定され、幕府の直轄管理となっていた。大坂の市街地を南北に結ぶ三大橋は市民の生活にも密接に関わる橋となり、都市発展に重要な役割をはたした。東西の町奉行所が、天満橋の南側にあり、橋の北側には役所の倉庫や町与力の屋敷があり、天満橋はこれらの役人の通勤経路や役所間の連絡にも利用されたと考えられ、官の性格が非常に強い橋であったと書いてある。

天満橋は、大阪では珍しい2階建ての橋になっており、上部は土佐堀通をまたぐバイパスになっている。天満橋南詰には、天満橋交差点があり、ここより北を天満橋筋、南を谷町筋。

 

橋の概要<o:p></o:p>

構造形式 - カンチレバープレートガーダー <o:p></o:p>

橋長 - 151.0m <o:p></o:p>

幅員 - 19.0m <o:p></o:p>

中央径間 - 61.0m <o:p></o:p>

開通 - 昭和10年(1935年)12月25日

 

周辺地域

<o:p>京阪電車 天満橋駅(京阪シティモール)、大阪市営地下鉄天満橋駅、大阪市営バスのバスターミナル、京阪シティモールと、大阪マーチャンダイズマートビル、八軒家船着場跡 、 <o:p></o:p>

大阪城公園、桜之宮公園 など・・・</o:p>

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大阪 難波橋(なにわばし)

2007-06-18 09:46:42 | 大阪の橋

 難波橋(なにわばし)は、大阪市の旧淀川に架かる橋。浪速の名橋50選選定橋。大阪市中央区北浜~北区西天満の堺筋にかかる、全長189.7m、幅21.8mの橋である。途中の中之島を挟み、土佐堀川と堂島川の2つの川を渡る。

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 橋の南詰め及び北詰には、天岡均一作のライオンの石像が左右両端にあるため「ライオン橋」とも呼ばれている。このライオン像は左側が口を開く阿形像、右側が口を閉じる吽形像となっており、文字通り狛犬の片方である獅子=ライオンであると言える。 <o:p></o:p>

 

欄干の市章江戸時代には天神橋、天満橋と共に浪花三大橋と呼ばれた。1661年(寛文元年)天神橋とともに公儀橋とされた。 1912年(明治45年)、大阪市電堺筋線の北浜以北への延伸に伴い、現在の場所に架け替えられた。

 

中之島水上公園計画の一環として設計された事により、石橋風の外観、公園と一体となった階段、高欄の獅子像、市章である「みをつくし」を模った欄干、橋上灯など近代大阪を彩った美しい外観を保っている。

 

 

中之島公園が整備され、今日のような施設や景観が完成したのは大正の終わり頃であった。市電開通のために一歩早く建設された難波橋は、中之島地域が近代的公園として完成するうえで、シンボル的な存在となった。<o:p></o:p>

 

 

周辺情報

中之島公園 <o:p></o:p>

京阪中之島線 なにわ橋駅(建設中・2008年開業予定) <o:p></o:p>

北浜 <o:p></o:p>

京阪本線・大阪市営地下鉄堺筋線 北浜駅 <o:p></o:p>

大阪証券取引所 <o:p></o:p>

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大阪 天神橋

2007-06-17 09:47:25 | 大阪の橋

天神橋(てんじんばし)は、大阪の天神橋筋(大阪市道天神橋天王寺線)の大川にかかる橋で、天満橋、難波橋と並ぶ浪華三大橋の一つ。 大阪市北区天神橋と大阪市中央区北浜東の間を結んでいる。

 天神橋は豊臣秀吉のころ初めて架けられ、天満宮が管理していたことから天神橋になったと社伝は伝えている。寛永11年(1634)他の11橋とともに公儀橋となった。中でも天満橋・難波橋とともに浪華の三大橋と親しまれ、“天神橋長いなー落ちたら恐いなー”と童歌にも歌われた。

 明治初期までは木橋であったが、明治18年の大水害で流失、同21年鉄橋に架けかえられた。この橋は、ドイツより輸入されたトラス橋で当時全国で最も長径間の道路橋であった。現在の橋は松屋町筋の拡張に合せ、昭和9年に3連の軽快な鋼製アーチと両端をコンクリートアーチより成り、全長210.7mで架設されている。

 天神橋の架設は上町台地と大坂の北部方面を結ぶという意味で大変重要であり、後に天満組となる現在の北区の一部の発展を約束するものであった。

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筑前橋

2007-06-15 10:17:55 | 大阪の橋

大阪の橋の地図によると筑前橋は江戸時代の初期からあったが、今の橋より一筋上流に架けられていた。筑前殿橋とも呼ばれており、中之島にあった筑前・黒田藩の蔵屋敷への便を図って架けられたと考えられている。当時は一般の人の通行は許されず、他藩の大名もこの橋を渡ることを遠慮したと言われている。


 明治なって蔵屋敷がなくなってからは、橋は田蓑橋と同じ通に架けられるようになった。幅2間の木橋で、明治18年の大洪水で流され、復旧されたが、3間の木橋であった。
 現在の橋は第1次都市計画事業で架けられたもので(1932(昭和7)年5月25日 開通)、3径間の鋼桁橋で、同じ通りの田蓑橋とは違ったデザインになっている。

近くには関西電力本社ビル、市立科学館、国立国際美術館、中之島三井ビルなどがある。

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