『休息する女流彫刻家』アントワーヌ・ブールデル(平成6年10月日本生命保険相互会社寄贈)外国人男女のビル壁面広告をバックに「休息する女流彫刻家」を配置した。
アントワーヌ・ブールデル(仏:Antoine Bourdelle 1861年10月30日-1929年10月1日)は、フランスの彫刻家である。トゥールーズの美術学校に学び、1884年パリのファルギエールに学ぶが2年で退学し独自の道を歩む。またこの頃から生涯のテーマとなるベートーヴェンの肖像の制作を始める。1893年故郷モントーバン市からの仕事を機縁としてロダンと知り合い、助手としてまた共同製作者として14年にわたる友情を結ぶ。ロダンの影響から出発し、その後独自の建築的構成と厳格な様式で多くの記念碑彫刻にその才能を開花させた。(ウィキペディア(Wikipedia))
</o:p>
ヴェナンツォ・クロチェッティ(平成6年10月東京三菱銀行 寄贈)1982年作
<o:p></o:p>
<o:p>
ヴェナンツォ・クロチェッティ(1913-2003)は、イタリア中部のジュリアノーヴァに生まれました。孤児で育った彼は、独学で素描の修練に励み、ヴァティカンの美術品修復所で経験を積み、彫刻家を志す。36歳にしてサンピエトロ寺院正面レリーフ(1964年完成)の国際コンペに優勝し、その評価を揺るぎないものとしました。<o:p></o:p>
作風はイタリア彫刻の伝統を踏まえながら、大胆なデフォルメと洒落たポーズ、不思議な表情をたたえており、洗練された魅力に満ちている。
</o:p>
「みどりのリズム」清水 多嘉示(寄贈者:株式会社第一勧業銀行 除幕日:1994.10.7)
この「みどりのリズム」は清水多嘉示の代表作であるばかりでなく、それまでの近代日本彫刻が重要視しなかった構築的彫刻の代表作としても高く評価されている作品。
八ヶ岳山麓の原村出身の彫刻家・清水多嘉示氏(1897~1981年)による作品の寄贈を契機とし、1980年(昭和55年)八ヶ岳美術館は信州の原村・八ヶ岳山麓に建つ、豊かな自然に抱かれた高原のアート・ミュージアムです。全国的にも珍しい村立美術館として開館、その美術館にもこの作品が展示されている。
『踊り子』フェルナンド・ボテロ(平成5年1月長谷工コーポレーション寄贈)製作:1981年
極端に肥満した女性像(動物や男性像など全て)がボテロのトレードマーク。この踊り子はこの上なくおおらかで、ユーモラスであった。太った人々を描くわけを聞かれボテロ自身は「芸術家は理由など知らずにある形にひきつけられる。.理屈を付けて正当化するのは後からすることだ。」と答えたそうである。
ボテロは言葉や、色、形、比率の選択といったものの最も根本的な感性を直感的な美的思考に求める抽象芸術家だそうである。
1932年4月19日、コロンビア・メデジン生まれ。貧しい幼少時代、12歳で叔父の勧めにより闘牛学校に入るが、絵画に目覚め、画家を志し渡欧。マドリッド、フィレンツェで絵画学校に学び、ルネサンス芸術の影響を受ける。1960年にニューヨークに移住
[ヴェールを持つヴィーナス]オーギュスト・ルノアール(平成5年3月鴻池グループ寄贈)
ヤマギワ大阪店の店内の照明をバックにヴェールを持ったヴィーナスは一段と美しく見えた。
ピエール=オーギュスト・ルノワール (Pierre-Auguste Renoir、1841年2月25日 - 1919年12月3日)はフランスの印象派の画家であり、その作品は日本でも広く知られている。長男のピエールは俳優、次男のジャンは有名な映画監督である。ルノワールは日本にも早くから紹介され、その親しみやすい画風のためか愛好者も多い。また、梅原龍三郎をはじめ多くの画家に直接・間接に影響を与えている。『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤 忠良(1912宮城県に生まれる )は、ジーンズ姿の若い女性や幼児の立像などを手がけた、日本における近代具象彫刻の第一人者です。彼の作品は美術館で鑑賞されるほか、全国各地の駅前広場や空港ロビー、公園などで気軽に出会うことができ、おそらく私たちがもっとも日常的に接している彫刻にちがいありません。また、素描家としても活躍しており、絵本『おおきなかぶ』や新聞小説などの挿絵も多く手がけています。彫刻家の手によるスケッチと聞けば、彫刻を手がける前の習作素描を思い浮かべます。(資料による)
代表的な作品:『群馬の人』、『蒼穹』、『夏の像』、『若い女の像』、『帽子』など。 絵本の挿絵に『おおきなかぶ』ロシア民話、トルストイ編、内田莉莎子訳などがある。『ウィキペディア(Wikipedia)』
『渚』淀井敏夫 (平成5年10月田村駒(株)寄贈 大雅ビル前)
<o:p>
「渚」(1978年)淀井 敏夫(よどい としお、1911年 - 2005年)は兵庫県朝来市生まれの彫刻家。日本の現代具象彫刻の第一人者である。削げたような形態と岩のような質感のユニークな作品で知られる。大阪市立工芸学校を経て東京美術学校彫刻科卒業後、主に二科会を舞台にして、心棒に石膏を直付けする独自の技法で対象を叙情的に表現した具象彫刻を発表
『ウィキペディア(Wikipedia)』
<o:p>
<o:p>主な作品</o:p>
波・群(1959年) 東京藝術大学大学美術館 <o:p></o:p>
聖マントヒヒ(1966年) 東京国立近代美術館 <o:p></o:p>
放つ(1969年) 兵庫県立美術館 <o:p></o:p>
ナイルたそがれ(1976年) 兵庫県立美術館 <o:p></o:p>
ローマの公園(1976年) 秋田県立近代美術館、神戸市中央区・海岸線プロムナード <o:p></o:p>
渚(1978年) あさご芸術の森美術館 <o:p></o:p>
海の鳥と少年(1981年) 世田谷美術館 <o:p></o:p>
渚(1987年) 徳島県立近代美術館 <o:p></o:p>
エビタウロス追想 東京都庁 <o:p></o:p>
足をのばした幼いキリン 兵庫県公館 <o:p></o:p>
<o:p></o:p>
[編集] 個人美術館<o:p></o:p>
あさご芸術の森美術館 淀井敏夫記念館 <o:p></o:p>
<o:p></o:p></o:p>
『アコーディオン弾き』オシップ・ザッキン (Ossip Zadkine)(平成5年10月竹中工務店寄贈)
1890年7月14日 - 1967年11月25日)旧ロシア領のベラルーシ・ビテプスク出身の彫刻家、画家である。
<o:p></o:p>
1909年にフランス・パリに渡り、ピカソやモディリアーニ、藤田嗣治たちと知り合い、ともにエコール・ド・パリ(パリ派)の芸術家として活躍する。キュビスムの彫刻家として知られるが、黒人彫刻の影響を受け、アフリカ的手法を取り入れながら、再構成していく素朴な作品も多い。非人間的になりがちであるキュビスムの枠を超え、生命力に満ち溢れた独自の造形を生み出した。
藤田嗣治の斡旋もあり、二科会外国会員として二科展に出品を続けた親日家としても知られ、多くの作品を日本でも見ることができる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
<o:p></o:p>
<o:p>代表作
「メッセンジャー」(1937)
<o:p>「破壊された都市」(1956) <o:p></o:p>
「野山を歩くファン・ゴッホ」 <o:p></o:p>
「人間の森」(1957) <o:p></o:p>
</o:p>
</o:p><o:p></o:p>
大阪のメインストリートである御堂筋をアメニティ豊かな芸術・文化軸として整備するもので、沿道企業から寄付された、第一級の作家による作品を設置しされている。この作品は船越保武氏の「道東の四季・春」(H5年10月清水建設㈱寄贈)
船越保武とは明治45年岩手県で生まれた。昭和4年、「ロダンの言葉・高村光太郎訳」に感銘し、彫刻家を志す。昭和14年、東京美術学校彫刻科を卒業して昭和37年第5回高村光太郎賞受賞。
昭和47年第3回中原悌次郎賞受賞作「原の城」をローマ法王庁に寄贈、翌年ローマ法王庁から大聖グレゴリオ騎士団長という勲章を受賞。50年に受洗したのちは一環してカトリック信仰を作品の主題にした。
53年に制作して、現在宮城県美術館に展示してある「原の城」は代表作である。