日産スカイラインのコマーシャル(昭和47年)で有名になったポプラの木、当時の給料では手がとどかなっかた憧れの車だった記憶がある。35年以上経ってもまだ観光名所とは驚いた。
その他にもタバコのセブンスターの木(カシワの木)(昭和51年)、親子の木(カシワの木)とか風雪に耐えて広い丘陵地にポツンと立っていた。
日産スカイラインのコマーシャル(昭和47年)で有名になったポプラの木、当時の給料では手がとどかなっかた憧れの車だった記憶がある。35年以上経ってもまだ観光名所とは驚いた。
その他にもタバコのセブンスターの木(カシワの木)(昭和51年)、親子の木(カシワの木)とか風雪に耐えて広い丘陵地にポツンと立っていた。
日本最北の動物園、動物の自然な生態が見られる行動展示が話題になり有名な動物園で最近は海外からも訪れる北海道の観光名所
開園したのは1967年7月1日である。当初の動物は75種505点だった。1996年には約26万人まで入園者数は落ち込んだ。1997年から行動展示を実現する施設づくりに着手した。2005年11月15日、NHKの番組「プロジェクトX~挑戦者たち~・旭山動物園~ペンギン翔ぶ~」に取り上げられ、今では入場者が上野動物園の350万人に肉薄し、名実共に日本一の動物園へと変貌した。<o:p></o:p>
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小樽運河近くの堺町本通には歴史的な建造物(主に北一カ硝子)が建ち並ぶ特別景観形成地区があり多くの観光客で賑わっていた。
ニシン魚で発展基盤ができ、明治13年に日本で三番目の鉄道が札幌との間に敷かれて、流通の要となった小樽では、港湾の整備が進 められ、積荷を保管する木骨石造倉庫が次々に立ち並び、明治32年には開港場として指定され、国 際貿易港に。この時すでに営業倉庫は250を数え、うち石造倉庫が百棟以上もあった。北一硝子の代表的な店舗施設であります三号館もその中のひとつでした。明治中期(明治24年)に建てられた木骨石張倉庫で、この倉庫は時代とともにその役割が大きく変わってきた。当初は漁業用倉庫として、ニシン漁の衰退とともにさまざまな物資が納められるようになり、今は北一硝子、そして歴史的建造物として観光名所になっている。北一硝子のHPに紹介されている。
小樽運河には四つの橋が架けられている、多くの観光客が集まる浅草橋~竜宮橋。竜宮橋よりその先には運河が本来の目的として利用されていた当時の景色がある。たくさんの小型船が停泊する北運河がある。
観光客で賑わう臨港線沿いの運河南部とは対照的に、運河公園の目の前にひっそりとしたたたずまいをみせているのが北運河。付近は古びた倉庫や街並みもどことなく昔の面影を感じさせる場所で、北浜橋には「カモメ呼ぶ少女」のモニュメントがたっていた。
昔の景色を残す北運河よりも、半分を埋め立てて散策路を整備した臨港線部分に観光客が多く、運河の両岸には煉瓦や札幌軟石で造られた重厚な倉庫群が立ち並び、運河周辺は1996年に都市景観100選ばれ、小樽の一大観光スポット
観光名所の小樽運河は戦後樺太との交易が衰退してヘドロがたまり悪臭を発する場所になった。1983年には埋め立て工事に着手、1986年には北海道道17号小樽港線 (通称、小樽臨港線) が開通
小樽ゆかりのスーパースター、石原裕次郎記念館、父の仕事の都合で幼少期(3~9才)を小樽で過ごした、そんな縁で北海道小樽市築港5-10に1991年に開館している。昭和を生きたスーパスターの生きざまがわかる。
海を愛し、ヨットを愛した故人に相応しく小樽港マリーナを背景に建てられている。1階では、俳優・歌手裕次郎の世界を映像や映画セットの再現が、2階には、愛車ベンツ300SLや愛用のマリングッズをはじめ、ハワイの別荘・成城の裕次郎邸を再現するなどが展示してあった。観光ロードから離れているためか入場者は少なかった。
蝦夷富士と呼ばれる美しい羊蹄山の東山麓にある北海道遺産「京極のふきだし湧水」、環境庁から「名水百選」選ばれた、更に建設省が選ぶ「生活を支える自然の水30選」、国土庁の「水の郷百選」である。ふきだし口の水量は一日約7~8万トンで国内最大級である。
豪雪地帯として有名な京極町のHPによると、ふきだし湧水の水源である羊蹄山は、円錐火山で標高1,898m、底面積104平方km。浸水性が高いため、山腹にたった一本の渓流すら持たず、降った雨や雪はことごとく山地に吸い込まれ、長い長い地下水脈を形成する。 伏流水となって麓の京極町にわき水となって現れるには、50年とも70年ともいう果てしなく長い時を越えてのこと。年月を刻む間に、水は浄化され、熟成し、あまたのミネラルを溶かし込んで、極上に甘く、まろやかな名水に生まれ変わる。
名水を活用したさまざまな商品が売店で売っていた。ミネラルウオーター「名水きょうごく」「羊蹄湧水」等。また名水を使って「名水珈琲」「珈琲ゼリー」。また名水を使った「名水豆腐」。湧水を使った名水酒「京極」など。 <o:p></o:p>
明治42~43年にかけて金森洋物店が「異国の夢を売る店」として建てた赤レンガの倉庫であったが、現在はレストランやビヤホールショッピングモールへと夢を提供する場所に変って函館の観光名所になっている。
記録によると現在倉庫群が位置しているのは、幕末に造船所や外人居留地があった埋め立ての土地である。この地は「地蔵町築島」の呼称で親しまれ、明治時代以降は「船場町」という名に改称された。明治以前に大分県出身の渡邉熊四郎が長崎県から函館市に渡り、1869年に金森洋物店を開業した。これが現在の赤レンガ倉庫の起源となる。背景として、同年に榎本武揚らが率いた旧幕府軍の降伏を受け、函館市内に開拓使出張所が設置された経緯がある。洋物店開業の際、屋号を森屋とした。現在もレンガ建物に描かれている、「森」の字を直角の線で囲んだトレードマークは、この開業の時の商標である。<o:p></o:p>