カフェラテを飲みながら想う事

大好きな綾野剛さんのこと、出演作品のことなどを中心に
自己満ブログを更新中。
ファン歴2年のまだまだ新参者です。

八重の桜 容保様の涙と最期の願い

2016-01-06 | 八重の桜



NHK大河ドラマ「八重の桜」
現在の会津城です。
桜の花が麗しく映え、、その昔、滅びてしまったことが夢のようですね(涙)


第一話から観始め、たくさんの戦いと命の終わりを見つめてきました。
そして、、それは最後の命の終わりを見届けるため、、
ちゃんと、見届けるためのものでした。

会津藩主、、松平容保

最初のうちは、綾野剛さんが裏方にいると思いながら観ていました。
でも、いつしか、、綾野さんの存在はすっかり失せ、
幕末から明治にかけて、苦しみのうちに生きた悲劇の主人公として見つめ始めました。

そして、いよいよその最期を見届ける時がやってきました。
ティッシュ片手に、、真心を込めて記事に残しますね。


容保様は、山川兄弟を呼び、最期の願いをお伝えになります。


容保「二人に託したいことがある。」




山川浩「御宸翰(ごしんかん)、、開城の折に失われたものと思っておりやした」
容保 「これだけが、、会津が逆賊でないことのただ一つの証・・・」




山川浩「殿!何故秘っしておいでだったのですか?
    これを世に出せば、殿の汚名は、、ううっ
    雪がれたはずでごぜいます!」






容保様「都の争いとは、勅を得たものが正義となった。
    ならば、御宸翰が再び戦の火だねとなる。
    それだけは、避けねばならぬと・・」






山川健次郎「会津と薩長、儀はどちらにもあった。。」
山川浩  「なにっ?」
山川健次郎「覚馬先生がとうてられたんです。
      会津には辿るべき別の道が・・・」
山川浩  「健次郎っ!!」





容保 「いや、、武士の忠義を貫き通した代わりに、わしは会津を死地へと追いやった」
山川浩「殿っ!!」





山川浩「あの時、、会津までが徳川を見捨てていたならば、
    こん国に、まことの武士などいなかったことになります。」






容保様「いつか、、御宸翰を世に出してくれ、、
    会津がいかに誇り高く戦ったかを、、
    死んでいった者たちの心を。
    
    ただし、再び同じ道を辿らぬよう、戒めとして、
    これを、、そなた達に、託したい。。
    
    わしの最期の願いじゃ。。。」


山川 「ははーっ!」






容保様は、うんうんと、、満足そうに何度か頷かれました。
かすかに、、安堵の笑みを浮かべながら。。


容保様、、
時代のうねりの中で、、一筋の儀を通したために、、
失ったものは計り知れません。

でも、そこにいつもあったのは、、
会津の人々との、、硬い絆だったと思います。
幕末の世にあって、これだけは、、滅びることのない輝きを放っていたのではないでしょうか。


そののち、、日清戦争の勃発など、、
いくつかの事情が重なり、、
御宸翰が明かされたのは、10数年の時を要しました。

ただ、八重や山川兄弟を始め、、
会津の人々の優れた功績が、やがて会津の汚名を晴らし、
名誉を回復していきました。
きっと容保様も、あの世でほっとされていることでしょうね(涙)


最後に、、
「八重の桜」の全編を通じて、、一番美しく優しいお顔の容保様で締めくくりたいと思います。





「もうよい、叱るな。武士らしく名乗って出たのだ。」

涙。。

綾野さん。
ドラマの中盤くらいから、その存在を忘れてしまっていました。
ごめんなさいっ!

でも、そうさせてしまうほどに、
見事に容保様を生きておいででしたね。
私の魂まで、抜き取られそうでした(って、大げさ?笑)
素晴らしかったです。
ありがとうございました。

拙い文章、誤字脱字、、記憶違いなど
たくさんあったかと思います。
そして、こんな自己満ブログに最後までお付き合いくださった方が
もしいらっしゃったなら、お詫びと感謝でいっぱいです。
ありがとうございました。