感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

渾身の一記事で紹介していただきました。DCでの祈りの集会とトランプ大統領の21日間の祈りのメッセージ

2021-09-14 | 日々思うこと

昨日の夜、寝る前にブログを確認して驚きました。

アクセス数が凄いことになっている…。

何が起こったのだろうと、見てみると、

グーブログのトップページで紹介して頂いたらしく、それでだったのです。

渾身の一記事と言う企画がそう言えば数か月前にあって、投稿していたのでした。

ありがとうございます。

 

紹介して頂いた記事に載せた写真が、たまたま、世界貿易センタービルに関係するものだったので、スタッフさんがこの時期にさり気なく、掲載して下さったのかなと、一人思っています。

OGPイメージ

マンハッタンの縫製工場での仕事 - 感動は命の肥し

30歳になる寸前にアメリカに来て、人の紹介でアメリカで初めてした仕事、それが、縫製工場でのミシンを使った仕事でした。場所は、マンハッタンの4...

マンハッタンの縫製工場での仕事 - 感動は命の肥し

 

私は、世界貿易センタービルを訪ねたことがありません。

そして、テロのあった後も、この場所を訪ねる事ができずにいます。

当時、このあたりに暮らした人達にとって、あの事件は20年たった今も、感情の中に特別な記憶として深く残っているのだと思っています。毎年、追悼セレモニーをテレビで見るのが習慣で、いまだに涙が出ます。

9月11日が近くなると、この辺りは空が高く青く晴れ渡る日が続きます。

2001年9月11日の空です。

雲ひとつなく青く晴れ渡る清々しい空を見て、ああそう言えばもうすぐだなと、思わされるのでした。

 

仕事が休みの日だった2001年9月11日、8時35分に始まる小学校に3人の子供を送って行った帰り道、お昼前まで寝ている夜勤明けの主人が家にいるので、ベビーカーの2歳の末の子を連れて近くの知人宅へそのまま向かい、知人宅のテレビに映る世界貿易センタービル(北タワー)から立ち上る黒煙を見て、何かが起こったことを知りました。

最初は、過去にこのビルで起こった地下の爆発事故の映像かと思いました。しかし、テレビ画面の右肩に入る生中継と言う文字、画面のすそには、6機がハイジャックと言うテロップ、それらをつなぎ合わせてただ事ではない事が起こっていると理解した事を記憶しています。

その映像の中で9時3分の2機目が南タワーにぶつかる映像を見たのだと思います。ペンタゴンの墜落現場もうつされていました。

とにかく家に帰らなくてはと、思ったのだと思います、知人宅から表通りに出ると、何とした事か…。

大渋滞。

すべての道には車、車、車、

しかも全く動いていない。

道路わきには警察官が出ていて、道行く車に説明をしていました。「マンハッタンへのアクセスはすべてクローズ」トンネルもブリッジもマンハッタンに繋がる道がすべて閉ざされていると言う説明でした。その時点でそうですね、9時15分とかでしたか…。

家について、テレビのニュースに食い入る、そして、9時46分、2機目が突っ込んだ南タワーが崩れ落ちる……。

寝ている主人を揺り起こし、「世界貿易センタービルが崩壊した、テロだよ。」と告げたシーン、テレビの前で主人と一緒に見た映像のワンシーンが頭の中に残っています。

 

テレビはほぼ4日間、どのチャンネルも世界貿易センタービル崩壊のニュースしか流れない。

マンハッタンに繋がる道はその後数日間閉じたまま、主人はNYの職場に向かう事ができず自宅勤務。テロの朝、マンハッタンに向かうバスの中にいたと言う知人は、リンカーントンネルの前で数時間立ち往生をして、結局戻ってきたと言っていた。

その日、午後2時半過ぎに学校に子供を迎えに行くと、クラスに子供は数人しか残っていなかったらしく、テロが起こってすぐ、親たちが子供を家に連れ帰っていたという事だった。

その日、ケネディー空港から日本に出発予定だった会社の同僚は、テロ後すべての飛行機は着陸するよう、つまり、すべての航空便がキャンセルになって、空港から夜遅くに自宅に戻ってきた。彼は翌日出社する時、マンハッタンには入れないので、はるか北のタッパンジーブリッジを経由して遠回りをし、NJに入った。ハドソン川沿いに面す職場では、同僚が2機目が突っ込むのを川沿いの窓から肉眼で見たと言っていた。それから数日間、ビル崩壊現場から立ち上がる黒煙を見ながら、日々を送った。私の住む町でも、物が焼ける臭いが漂う日があった。

マンハッタンは14丁目以南は立ち入り禁止がしばらく続いた。テロ後の数日をどう過ごしたのか、仕事が手につかなかったという記憶はあるが、他の事はあまり記憶にない。

ただ、皆が傷ついていた。

その時の感情が今もこの日を迎えるとよみがえるのです。

 

私が毎朝散歩する公園には、同時多発テロ追悼モニュメントが建てられています。

同じ町に暮らす韓国人のご夫婦が世界貿易センタービルに職場があった次男をこのテロで亡くされました。

その奥さんは、そのモニュメントに刻まれている息子さんの名前を指でなぞる日々を過ごされたと聞いています。

ご主人は、息子の赤い愛車を十数年たったのちも、息子をいたわる様に、大切に乗っていました。

 

あれから20年が経った、その20年は何だったのだろう。

タリバンはアフガニスタンを再び占領した、以前よりも確かにだ。

テロ後にブッシュ政権下で始まったアフガニスタン戦争では、同時多発テロで亡くなった国民の数(マンハッタン2753人、ペンシルバニア184人、ペンタゴン40人)にほぼ等しい数の兵士が命を落とした。1年6か月間死者を出す事のなかったアフガニスタンの地で、撤退直前になって13人もの兵士、170人ものアフガニスタン協力者の犠牲を出してしまった。

亡くなった海兵隊兵士が20歳21歳と聞くから余計辛くなる、しかも、はじめての海外派兵、数週間での事だ。

アメリカが深く傷ついている。

 

21日間の祈りを捧げよう。9/11の犠牲者を記憶しよう、20年間の尊い犠牲を記憶しよう、感謝し、彼らの事を思うのだ。トランプ大統領の祈りのごとくなメッセージ。

President Trump calls America to 21 days of Prayer at #LetUsWorship

President Trump’s address to America on 9/11 and call to 21 days of pr...

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ワシントンで行われた祈りの集会、神に祈る国民たち、アメリカの底力を見るようだ。

神よ、この国を導きたまえ。

#LETUSWORSHIP - Sean Feucht - Washington, DC - 2021

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