感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

セフテンバーイレブン、9月11日

2020-09-11 | 日々思うこと

 大きな星条旗。

9月11日のアメリカ同時多発テロから明日で19年になる。

もう、19年、時間が過ぎるのは早い。

人の記憶は薄れて行く。それでも、

一般市民の私達でさえ、明日はセフテンバーイレブンだね。と言いながら、我知らずため息が出る。

この日に大切な人を亡くされた方にしてみれば、その事実を受け止めるに、19年たった今もどれ程苦しい日であるか。

19年前のこの日、

見上げた空が素晴らしい秋晴れで、朝学校に子供を送って行って家に帰る途中、空を見上げながら「空がきれい」と独り言を言いながら末の息子のベビーカーを押して帰ったのを覚えている。

この日の空は本当にきれいだった。9月11日を思うと、なぜか秋晴れの空を思う。

家に帰る途中に寄った知人の家でつけたニュースに映る、ワールドトレードセンターから煙が上がる映像が、何を意味するのか最初わからなかった。そうしているうちに、テレビで2機目が突っ込む映像が。

生中継の字と、ハイジャックの可能性のある飛行機が6機あると言うテロップを読み、アメリカがテロリストにアタックされたと言う見出しで、よくわからないが、何かとても大変な事が起こったんだと、慌てて知人の家を出たのが9時過ぎで。

その時点で、町の道と言う道は大渋滞。完全に見渡す限りの車の列が、全く前に進んでいない。

町のポリスが、何が起こったのかわからずにいる人達に、マンハッタンに繋がる橋はすべてクローズだと説明していた。

その日遅出だった主人を起こしてテレビのニュースを見せる。タワーが崩れ落ちる。

主人が私が何を言っているのか、何を見せているのか、寝ぼけながら理解に苦しんでいたのを記憶する。それから4日間、テレビはどのチュアンネルもこのニュースのみが流れる事になる。主人はその4日間、マンハッタンを越えて行かねばならない職場に行く事ができなかった。トンネルも橋も通行止めになっていたからだ。

それから1週間は、私の住む町にも、普段嗅いだことのない匂いがする事があった。ハドソン川沿いの職場からは、川越しに見えるマンハッタンのタワーのあった場所から空に長く立ち上る、黒い煙がしばらく見えたことを覚えている。

19年たって、私は今もこのグランドゼロと言われる場所に、行っていない。

行っていない、と言うか行かないのだ。

 

私の街の公園には、立派なテニスコートとお手洗いがある。照明まで設置されていて、夜遅くでもテニスをする事ができる。この場所には、9月11日の事故で亡くなった男性の名前が付けられている。彼の父親が、テニスが好きだった息子を思ってそれを記憶するテニスコートを町に寄贈したのだ。

優秀な息子さんで、まだ20代、結婚もしていなかったらしい。自慢の息子さんだったと聞く。

数年前、隣町のマクドナルドの駐車場に赤のクーパーが停まっているのを見かけた。その車は、この亡くなった男性のもの。父親が10年以上たったその時も、亡くなった息子の車に乗っているという。子供を亡くして、ぶつける先のない怒りを持て余して、どう整理したらいいのかわからず、このテロが起こった原因を知りたいと中東問題に関心を寄せ、若い青年の教育に奨学金を出し、テニスが好きだった息子を思い町にテニスコートを作った、

セフテンバーイレブンが来るたびに、この父親の事を思う。

思うなどと言いながら、気持ちが申し訳なくなる。いくら思うと言っても、私には結局は他人ごとになるのだろう。当事者の本当の気持ちのどれ程を、知る事ができるだろうか…。

何かに対するリスペクトや痛みや嘆きを現わす意味の半旗。ハーフスタッフとかハーフダウンとか、色々言われる。

9月11日は、いつもの旗がポールの半分の位置に降ろされている。

9月11日の式典の模様を映すアメリカABCテレビの画面。

いつもなら、仕事に出るのでテレビで流れる9月11日の式典は最後まで見た事がなかったけど、今年は家に居るので、最後まで見ることに。

8時46分に1分の黙祷が捧げられ、それからすぐに犠牲者の名前の読み上げが始まる。

日本人の名前も出てくる。名前を読み上げる時は、画面にその方の名前と写真も出る。すべての犠牲者の名前を読み終わったのが12時3分で3時間以上かかったことになる。未だ3分の1、1000人以上の方の身元の確認ができていないとの事だ。

9月11日はワールドトレードセンターに2機突っ込んだだけではなく、ワシントンのペンタゴンに1機、ペンシルバニアに1機が落ちている。ペンシルバニアの飛行機は、ワシントンまで飛ばす予定だったものを、ハイジャックに気づいた乗客たちが犯人を襲い、ペンシルバニアの原っぱに落ち、犠牲を最低限に(乗客だけ)抑えたと言う事で、この事は映画にもなっている。(ユナイテッド93)

 

アメリカに暮らす人間にとって、とりわけ、

このあたりに暮らす者にとって、

9月11日は普通ではない日、

もう19年が過ぎることになる。



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